終章

 嘗て、少年であり青年であった”私”は悟る。夢は何時しか自分だけの物ではなくなり、己の手を離れ大きく広がって行くのだ、と。

 嘗て自分と共に歩み続けた壺の中の宇宙は、今や私の予想を大きく上回り、遂には宇宙を覆い尽くす迄に広がって行った。何時か夢見た街の風景や天体は、今や世界と同化し、自分の与り知らぬ何処かで、誰かの元を訪れて其の人の夢を育む一端になっているのではないか。そんな事を考えていた。実際の処は知り様が無いが、きっとそう云う事なのだろう。其れ等の夢を過去に通り抜けて来た私に、今後どの様な夢が待ち受けているのだろう。

 

 今一度空を見上げて私は自問する。自分が今迄見て来た夢は、一度空へと放たれた。今迄己の内に抱いていた壺と共に。壺は今や宇宙全体を包み込む迄になった。なら、其の中身である夢も同じく巨大化し、遍く宇宙に迄広がっているのではないか。もしかしたら、今自分が見上げている夜空の一画を為している星座となって存在している、そう考えてみるのも面白いかも知れない。

 そんな空想に耽る中、ふと思い出したのが、あの女性。飛行機乗りの若者を見送ったあの女性の事だった。世界の変わり目に立ち会いながら、其の後夢の彼方へと静かに遠退いて行ったあの女性の事が、何故だか妙に気になって、彼女の其の後の消息を追ってみたくなったのだ。ただの勘に過ぎないし、大した役割も与えずに放り出す様に退場させた、と云う事の後ろめたさも多分にある。ただ、何だろう、彼女にはまだ果たされていない役割が残されている様に思えてならないのだ。空の彼方の更に向こう側、月を通り抜け、未知なる世界へと飛び出して行った若者を待って、待って、待ち続けて幾星霜。一雫の夜露の内に、星々の光が収束し、拡散し、又収束、拡散と、数え切れない位に繰り返し、その度に一つの宇宙が消滅し、再生し、死と蘇生との果てしない繰り返す、其の輪廻の中、其の全てに彼女は変わらず在り続けた。時と場所と姿を幾度も幾度も変えながら、彼女は其の度に若者を見送り、そして待ち続ける。彼の若者が二度と戻れない旅路に赴いた事は分かり切っている筈なのに、迷う素振りすら見せず、まるで何か確信しているかの様に。

 其の在り方は、何時しか現象其の物となり、今夜も空を見上げれば、広い空一杯に光の束となって横切り、見る者を圧倒せずにいられない。其れは、さながら宇宙を流れる大河の様に尽きる事を知らず、還る者を何時でも迎え入れ、胸の内に抱き留める為に、大きく両の腕を広げている。

 改めて、其の大きさに私は其の女性の想いの強さ、深さに今更ながら目を瞠らずにいられない。じっと見詰めていると、何時しか其の光の深奥に迄吸い込まれて行く様に思えて、私は何故だか全てを見透かされる様な、深い眼差しに覗き込まれた様な思いに捉われるのだった。

 私の夢見た物語。遠い世界の、其れこそ月の向こう側の様に、自分には縁遠い、例え望んだにしても朧な空隙に阻まれて、覚めでもすれば其れ迄見ていた夢が急速に薄れて行ってしまう様に、此の私の垣間見た二人の男女の光景も、一夜の夢として二度と届かない夢の彼方へと消えて行くのだ、と、そうとばかり思っていた。

 それが、たった今目にした大河の内なる眼差しに触れたと感じた瞬間、自分の内に、あの飛行機乗りの若者の面影、在りし日の夜空を飛行する姿が、まざまざと思い描かれ、其れはまるで自分自身と見紛う程の感覚。夢に向けて全てを投げ打って飛び出した、あの姿が確かに息衝いている、と感じるのだった。其の間隔は、今迄”青年”と云う仮の姿になぞらえて、此処まで書いて来た私自身、最早物語と云う体裁を取り繕う事が出来なくなる程に、其れは強く確かな感覚であったのだ。

 

 彼女は待ち続けている。嘗て世界の内と外とに隔てられ、決して相見える事の無い運命に見舞われたあの時から、今や宇宙其の物と化した世界に於いて、最早二人の間を割く物の無くなった此の世界に於いて、あの懐かしいプロペラの駆動音と共に、何時か彼女の下に帰還を果たすであろう、あの若者の姿を。

 

 今も大空を横切る銀河と云う名の大河。其れに向けて何処からともなく現れたもう一つの巨大な天体群。最初は小さな流星群から始まった。幾つもの流星が流れ、しかし其の後も消える事無くその場に残り続ける。やがて見る間に天域全ての方向から押し寄せる様に流星の群れが現われ、見る見る内に其れ等はもう一つの銀河ととも言うべき巨大な大河が、元の銀河に寄り添う様に形作られて行く。

 一つ一つの流星、其れは全ての夢見る者達の描く軌跡であり、此の私もその中に在って他の夢追い人と共に、待ち人の下に馳せ参じようと各々の操縦桿に力を込める。

 そうして生まれた新たな天体群が、其れを待ち続ける銀河に遂に到達した其の時こそ、今の宇宙、宇宙観を超えた、全く新しい世界へと変ずるだろう。

 此れ迄己が夢一つを頼りに宇宙の変遷を追って来た私は確信する。其れが何時来るのか分からない。私がこうして人としての形を保っている間に其れが起こるのかどうか、其れすらも怪しい。

 しかし、私は心配していない。其れに立ち会うのが例え自分でなくとも、同じく夢を持つ誰か、流星となって飛んだ時に、もしかしたら擦れ違い様に顔を合せたかも知れない夢見る者達の誰かが、何時か其れを目の当たりにする事になるだろう。そう確信しているのだから。


 そうして私は今夜も夜空を見上げ、待ち続ける。こうしてる間にも、俄かに空は眩く輝き、其れ迄想像もしていなかった、それでいて何処か懐かしい、そんな世界が現われるかも知れない。そんな想像に耽りながら、私は又気儘な夢を新たに追い始めるのだった。勿論、唯の夢だと言ってしまえば其れだけの話。唯の与太だと言われるであろう事も重々承知している。しかし、何にせよ、そんな事を気にした所で特にどうと云う事は無い。以前にも述べたが、変化は何時だって突然訪れる物であり、其れに迫るのは人の身には余る物なのだから。


 その片鱗に触れ得るのは何時だって、唯一つ、己の夢を介してのみなのだから。



        壺の中の宇宙史:終



   ”最後まで読んで頂き、有難う御座いました。”

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壺の中の宇宙史 色街アゲハ @iromatiageha

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