第3章 悪魔はただ静かに見守る ー 3
僕が倒れたことで事務所の学生の手伝いは解散となった。
事務所から連れ出される際に視界の端に入った黒曜が、大丈夫か?というハンドサインを送ってきたけれど、人差し指で空中をクルクル回して大丈夫と答えておいた。
生徒会長にもすみませんと一礼しておくと、ご自愛くださいと手を握られた。拭きはしたものの、吐しゃ物が一応かかった手なので僕は、ものすごく引きつってたとは思うけど、笑顔を向けておいた。・・・どうしてか後ろからすごい視線が飛んできたけれど気にしないことにした。チラリと生徒会長がどこかを見た気もしたが、気持ち悪くて見間違いと思うことにした。
ここで話は変わるが、『ミキサー』への通行手段をいくつかご紹介する。『ミキサー』は通常、中に入るのに滅茶苦茶面倒な検査を受けてやっと立ち入ることが出来る。でもそうなると軍の施設のように辺りをフェンスで囲んで入るためには警備員が何人もいる施設を作ってそこを検問代わりに通ると思われるかもしれない。
けれど勘違いしてはいけない。『ミキサー』は国連の施設(という名目)である。機密事項のオンパレードだが、軍が所有しているわけではない。(どこにも建てれてはいないが)各国の旗が掲げられていてもおかしくない重要施設なのだ。まあ本当は中にあるビルの処理費用を有耶無耶にすることを条件に建設のための名貸しを国連がやっているだけなので、ぶっちゃけ各国との連携もクソもない日本の独断専行の代物だったりする。それでも片付かない問題がある癖に治安が悪くないから、他の国ではモダン・ジャパニーズ・クーロンとか言われてる。
話を戻すと、『ミキサー』が稼働していない時期には交通が二つある。
一つは陸路。これは『ミキサー』に架かる橋が何本もあって、その上を車で走る。その際に色々セキュリティーがあるのだが、中に住む車持ちにしか関係ないので割愛する。
二つは地下鉄。兆羽市には地下鉄への駅があり、そこに電車がやってくる。電車と言ってもイメージはどちらかと言うとモノレールに近い。例を出すと江の島モノレールをイメージしてもらえるとわかりやすい。『ミキサー』はドリルの形をしているが、そのすべてが回転するというわけではない。そうなってしまうと上にある兆羽市も回転することになってしまうので、住める環境どころではなくなってしまう。
『ミキサー』は世間一般のドリルのイメージ通りステップドリルビット(筍ドリルビット)であり、その上に制御をする施設があり、さらにその上に兆羽市が存在するのだ。加えて制御施設にはドリルを支えるための鉄骨が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、それが他の市の地下深くに刺さっている。稼働する前は鉄骨たちの隙間に幾重にも緩衝材やら鉄板やらが並べられ、振動した際に鉄骨が抜けないように刺さっている鉄骨の固定部分を厳重に点検する。地下鉄は地上付近にある鉄骨のいくつかを利用して、対岸までつながる地下を行くモノレール、という設計になっている。僕ら学生たちや車を持たない人々の外向きの足がこれになるのだ。
それと空路に関しては『ミキサー』上空に何らかの飛行物を飛ばすことが禁止されているので出来ない。やろうと思えば出来るかもしれないが、名目上国連の持ち物であるし、何故か『ミキサー』上空では謎の電波が飛んでおりドローンなどのおもちゃや無人偵察機でも墜落する可能性が非常に高いとされる。過去に建設途中の『ミキサー』の上を飛行していた米軍機が近くの山に不時着しかけたなんていう話もあるほどだ。命が惜しければ空から入ろうなんて手段を取らない方がいい。
さて、今の場所は市長のリムジンの中。車の向かうところは僕の家で、車内には運転手の人、横向きに寝かされた僕、そしてついでとばかりに乗せてもらった鈴祢がいる。まあ何故か鈴祢はすごくソワソワしているが、家の中に入れる気は微塵もない。
(・・・・今はそれどころじゃない)
そう、問題があった。この車内に招かるざる客が一匹いるのだ。傍から見ればキラキラと光っていて近くに居れば幸運の存在と思われるだろう黄金色の蟲。多分市長の部屋からずっと着いてくるアレがそのまま乗り込んだのだろう。何せ他の人からしたら存在そのものを見ることなんて出来はしないのだから。
幸いなことは目に鈴祢が持ってきたハンカチが置かれていたこと。熱冷まし用だが、このおかげで視線が自然な状態で隠すことが出来ている。本当に幸運だったのは、鼻と目の間から生まれる僅かな視界の中で蟲を発見できたこと。これで目を瞑っていても集中すれば羽音を聞くことが出来る。もし発見できていなければ振り払う動作をしていたに違いない。それが如何に危険なことか、考えたくもない。
ねえ、私の存在を忘れてない?
「・・・・忘れてはないさ」
「ん、何か言った?」
かなり小声で言ったつもりだが、近くにいた鈴祢には聞こえていたようだ。というか、僕が横になれる長い椅子がある結構広いリムジンなのに鈴祢が距離は分からないが僕の隣に陣取っているのはどうしてなのだろうか。もう片側にも同じ長さの椅子があるのだからそっちに座ればいいのに。
僕は敢えて起き上がりハンカチを顔に押し当てたまま、少し寝てたみたいだ・・・と呻いた。苦し紛れの言い訳に近いけど、今のは誤魔化せただろうか。
「いきなり吐いちゃったもんね、仕方ないよ。吐くのって予想以上に体力使うし」
「食べる時はそんなに使わないのにな」
「ホントだよね~。じゃあ今週末食べに行こうね~」
「ああ、そうさせてもら・・・ん?」
僕はてっきり『まだゆっくりしてた方がいいよ』なんて言われると思っていたが、今週末?なんだそれは?
あっ
「あっ・・・?」
頭の中の声に思わず反応してしまう。これを鈴祢が忘れていたと判断したのだろう、ホラやっぱりと呆れ顔を僕に向けた。
「忘れた、とは言わせないよ。海人君、ちゃんと今度何か奢るから~って言ってたもん」
顔からゆっくりと脂汗が出て、それに連動するかのように背中からも冷や汗が垂れる。知らない、そんなこと、ここ最近で言ったことがない。あれ、どこだ、どこで言ったんだ?僕はいつそんな知らない約束なんて――――。
そこでふと、ある可能性が脳裏を過る。僕が知らないだけで、本当は僕の知らないところの僕が勝手に約束をしているのではないか、と。 ドッペルゲンガーとかスワンプマンには遭ったことがない。だけど僕が記憶を無くした状態で身体を動かされたとされる記憶が寝ている時以外にはここ数日には・・・。いや、ない訳ではなかった。そう、僕は一度記憶の無い状態で家まで帰っている。そしてその前に起きたことと言えば何があるか。
僕は口を閉じ、ギリギリ声が出ているかどうかの音量で小さく呻く程度に声を出した。
「お前が犯人か」
・・・・・・・・・・・シラナイ
「ふぅ・・・・」
なるほど、なるほど。
鞄から携帯端末を取り出して両手打ちで文字を入力し始める。
「海人君、なんて書いてるの?しかもそれ、えっと、英語?」
「いや、ラテン語だよ。たまにこうやって入力しない変換の仕方忘れるし」
素早く、memento、と書いてすぐさま文字を消す。最悪のケースとして、飛んでいる蟲が読めた場合の措置だ。最初に打った文字が会話文なら誰かと話していると勘繰られる可能性がある。あの蟲がどれほどまでの知識を有しているかは判断できない状態では、一単語打つ程度が精一杯だ。
(・・・・・・・そろそろかな)
「運転手さん」
声を掛けると優しそうな初老の声が聞こえてきた。
「はい、いかが致しました?」
「外の空気を吸って帰りたいので、一回止まってください」
運転手さんは驚いたり、困ったりする様子を一切見せずに、承知しました、と一言だけ言って車を停めてくれた。
リムジンの扉が開くとちょうど兆羽市側の橋の入り口にまで来ていた。
「運転手さん、已美野さんを家までお願いします。僕はこのまま歩いて帰ります」
「え!?」
驚いたのは鈴祢だった。当然だ、あの蟲がいる状態で鈴祢を巻き込む意味は無いし、これは僕の問題に近い。奥から運転手さんの了承の声が聞こえたので、僕は扉を閉めた。
「ちょっとま――――」
「また明日」
そう言ってリムジンを見送る。鈴祢の家の方に向かうリムジンの窓から名残惜しそうにこちらを見る鈴祢が何故かおかしくて、思わず頬が緩む。予言書通りならちゃんと明日が来る、その時にこの予言書が言ったことを金欠という最強納得ワードでどうにかするしかない。そう思いながら、僕は後ろを振り向く。
強い風が吹いているわけでもないのに何処からともなく風切り音が聞こえる。兆羽市の端に架かるこの橋から眺める断崖絶壁は人工物なのに大自然によって切り出されたかのような恐怖を覚える。ここから落ちればどうなるのか、などという好奇心から来る恐怖ではない。向こう岸と絶対的な差があって、僕らが本当に隔離されているという事実をここに来ればこうして目の当たりに出来る。普通に生きてこそいるが、僕らはどうあがいても普通から程遠い人に近い何かなのだ。人権はある。国民としての義務もある。それに伴った保証もちゃんとある。将来何らかの異変があって大きく変わるかもしれないけど、この差はまだ埋まることは無い。
「・・・・・・・・・はぁ」
たまに忘れそうになる。どんなに課題を解いても、どんなに黒曜や鈴祢と話しても、学生としてただのんびりとしていても、僕は異常だ。今こうして明確な敵なのかも分からない、視界の端に飛んでいる蟲をただ警戒しているのだ。これを異常と言わずして何というのか?キチガイとでも言うのだろうか?
思いたければ思えばいいと思うよ。でも私と会話したがってるのは君でしょ?
思わずため息が漏れる。この声がある限り、僕は運命から逃れることが出来ないようだ。運命と戦うことが正道だとするなら、僕みたいな異常者も正道を歩む正常な人となるのだろうか。
「・・・・・かったりい」
僕は昔の口癖を久々に使って、兆羽市の中に歩を進めた。
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