第3章 悪魔はただ静かに見守る ー 4
あれから歩を進めて、結構な時間が過ぎた。ビルの合間から見える夕日も消えかけてそろそろ黄昏時が終わろうとしている。そんな中で向かう場所は一つ、学校だ。
ウルの助言通り、ここは予言書の通りに動くしかない。あれが記載済みかどうかは定かではないが、現在まであの予言書通り動いていることは確かなのだ。
(それに・・・)
僕の家はリムジンが渡った橋から近い。そのため学校の前を通ることはない。つまり、何らかのこじつけが作られて学校の前を通る可能性がある。予想だが、運転手さんが蟲に事実改変されて鈴祢の家に送られる、だったかもしれない。その時に学校の看板を見る、という滅茶苦茶な展開だっただろう。多分。
そんなことあるの?
【残念ながら】
大分回復してきた左手を再度酷使する。今度は韓国語を使っているから入力は比較的楽だ。
【あっちの親が僕のこと公認しているから、下手すると数日返してくれない】
鈴祢の母親は僕のことを大層(誇張無し)気に入っている。高校に入学してからその辺が一段と強くなっている。僕は玉の輿ではないのだが、何というか獲物を狩るかのような目つきでたまにこちらを見てくる。まあ鈴祢の父親がそこまでいい親では無かったようなので、娘は幸せになって欲しいという親心なのかもしれない。そうなのだと信じたい、マジで。
(・・・・・・・・・・・・・)
昔の、小学校の頃の記憶が脳裏をかすめる。あの時、もっとうまく出来ていればこんな状態にはならなかったのだろうか。
どうしたの?
【なんでも】
それはあの人や長門先生を否定していることに変わりない。あの過去があったから僕は今もこうしているのだ。
【そろそろ着いたみたいだ】
端末の電源を切り、ポケットに突っ込む。目の前にはいつもの校舎が見えた。
(やっぱり、か)
そして校門には待っていたかのように、看板が倒れていた。
「おや」
そこには見知った、とまではいかないものの、顔があった。風紀委員長の八幡野菊がいた。その周りに風紀委員が数名いる。
「どうも」
僕が軽く会釈すると、うむと小さく頷く。そして何故か困ったように腕を組んだ。
「むむむ、予想が外れてしまった。確実にアイツと一緒にいるように示し合わせたつもりだったんだが・・・」
「なんのことです?」
何かブツブツ言っているので適当に突っ込むと、なんでもないと返された。
「ところで、何の用だ。下校時間はとっくに過ぎているはずだが」
その意見には一理ある。基本的に手伝い組はそのまま下校という形を取っている(という事実改変が行われている)と黒曜が言っていたので、学校を出る時にはしっかり下校の準備をしていないといけない。
けど、ここではあえてありがちな嘘をつく必要がある。ただ看板を見に来た、なんて理由が通じることは無いのだ。特に僕の近くを飛んでいる蟲にはその事実を知られればどうなるかは分からない。最悪の場合は予言書とウルの存在を知られてしまい、一斉に事実改変されてしまうことだってあり得るのだ。
「いや、ちょっと忘れ物があったのを思い出しまして」
「ほう。そういうことなら事前に連絡するということが当然のことだと思うが?」
「ハハハ、そうなんですけどねー。実は明日の課題に必要なものなんですよ」
「そうかそうか。支障が無ければその課題について聞かせてくれないか?なに、そこまで凝ったことは聞かない。どの先生の課題で、どんなものか聞くだけだ」
十分聞いてんじゃん、とは思っても言わないし顔にも出さない。
「ああ、はい。川口先生の課題で、フランス語の啓発本をアラビア語で書かないといけなくて・・・」
「ほう、それはたいへ・・・・ん?待て、今なんて言った」
まあそうなるよな。この事実を聞くと大概のメンツだったらこの反応をする。
「フランス語の啓発本をアラビア語で、ですかね」
「・・・・・・・・・はぁ、なんだそれは。もう少しまともな言い訳は無いのか?」
風紀委員長は頭を抱えて、大きくため息を吐いた。
ですよね!僕もそう思いますよ!
とはいえ、この雰囲気だともう結果は見えている。
「残念だが、その理由で通すことは出来ないな」
よし、その言葉が欲しかった!これでここに来た理由とここから帰る理由が生まれたわけだ。予言書の部分にハズレが無くなったことになる。これで僕の今日のタスクは粗方クリアした。後は大人しく帰るか。
分かりました、なら帰ります。と頭の中で言葉を作り終える前に風紀委員長の口が動いていた。
「とりあえずフランス語の啓発本か。私が今行って借りてこよう。丁度これから鞄を取って帰ろうかと思っていたからな」
「えっ」
正直信じてくれるとは思わなかった。言ったことすべてが嘘ではないし、僕の家にはそういった啓発本なんてない。だからと言ってわざわざ学校に来て借りるなんて行動も無意味に近い。実際、川口の課題に期限なんてない。そこは川口の気分で変わるので下手すると翌日なんてこともある。
「どうして」
思考よりも先に口が動いていた。ここまで無茶苦茶な話に付き合う謂れはない。ましてや今日知り合ったばかりの生徒にそこまでする義理は無いはずだ。
風紀委員長は困ったように頬を掻くと、少し迷った様子で答える。
「なに、あの黄泉川口から直々に教えをもらっている君に興味があるだけだよ。結構やり手なんだよ、あの先生」
・・・・・正直感想が浮かばない。あの川口がやり手だと言われてもそんな様子は一切見受けられない。隙あらば課題を持ってくるわ、仕事の手伝いさせられるわで完全に雑用として見られている気しかしない。
「そんな顔しないでくれ。私は誇張せずに事実を言っているだけだ」
よほど変な顔をしていたのであろう。自分でも分かってはいるものの、脳があるかもしれない客観的視点からの感想を全力で拒否しようとしている。
「・・・・もしかして変な顔してます?」
だからそんな素っ頓狂な答えを口から出してしまう。風紀委員長は手を腰に当てて呆れたように微笑む。
「その質問自体が答えだとは思わないのか、君は」
ハイ、オッシャルトオリデ。思わず顔に手をやると妙にいつもよりも熱くなっているように感じる。
「君にも恥じらいがあるようで何よりだ」
風紀委員長がフッと笑いをこぼし、踵を返す。
「では少し待っていてくれ。すぐに―――――」
時間にしてわずか1秒にも満たなかったであろう。ブンッと目の前を黄金色に輝く蟲が横切る。
「――――――――!?」
目の前に昔あったVHSのノイズが走り、辺りが一度静止したように感じた。まるで世界そのものが止まったかのような錯覚を覚えた。近くで作業していた他の風紀委員の声も、ビルの向こう側で鳴き声を上げていたカラスたちの音も、そして踵を返した風紀委員長の揺れるポニーテールもすべてが固まった。そして僕と風紀委員長の間を蟲はグルグルと回り、自身の身体を貫くほどの、見たところ献血の針ぐらいの先端を持った、巨大な針のようなものを小さい身体の中から出した。それを風紀委員長の首元、脳髄近くだから恐らく海馬だろうか、に刺しこんだ。
首元に止まった蟲が羽を広げて発光し始めると風紀委員長は突如雷に当たったかのようにブルブルと震えだした。蟲が羽を閉じると発光が終わり、風紀委員長の震えもそこで止まる。そして何かが抜ける音がして、蟲が風紀委員長の首元から飛び立つ。
これが事実改変の真実ってことだね
そんなの見れば分かる!と言いたかったが、口を動かそうにも身体がピクリとも動かない。呼吸が数秒止まるだけでも人間は簡単に死ぬそうだが、その大事な呼吸も完全に止まっている。にも拘わらず、普段と変わらず考えることが出来るのは恐怖以外の何物でも無かった。全身をコンクリで固められているのに生かされているようなそんな恐ろしい感覚だ。
羽音がする。次が僕の番だということは明白だった。何せあの蟲は僕と風紀委員長の周りをグルグル回っていたのだから。それにこの蟲自体が僕を追っかけて事務所からきたのだから。
ピタリ。音こそしなかったが、感触があった。鼻のちょうど真後ろ、そこに蟲特有のザラザラとした足の感触が伝わる。生物独特の熱さは感じないが、全身が寒気を感じる。ガチャリと小さな音がして、
グズッという鈍い音が僕の後ろから聞こえた。
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