第3章 悪魔はただ静かに見守る ー 2
「すまなかったね」
市長は開口一番で謝ってきた。
「いえいえ、別に・・・・・・・大丈夫です」
嘘だ。本当は背中がぐっしょりと濡れていて、普通に呼吸が出来ないぐらい息が乱れている。ついでにトイレに行って吐かせてもらった、おかげで何とか落ち着いて会話できるまで回復した。
場所は市長の仕事部屋。大きな窓が一つに両開きの扉が一つで仕事部屋と言ってもほとんど個室に近い。室内の階段と非常階段が部屋を出てすぐのところにあるため、有事の際はどちらからでも逃げられるようになっている。
内装は社長室と言うには派手さがなく、先程の個室と言うには余りにもものが無さ過ぎる。あるのはデスクと応対用のソファに膝下ぐらいの高さのテーブルのみ。資料も部屋の奥にあるデスクの上に置かれているだけで他に重要そうなものが見えない。
「・・・相良市長」
ここまで沈黙を貫いていた鈴祢が声を出した。
「はい、なんでしょうか」
市長は不思議そうに答える。
「これ、もしかしてご自分で片付けしてますよね?」
うん、僕もそう思う。ここまで片付いてるとなると僕らがここにいる理由が無くなると思うのだが。
「・・・・・・・・・・」
市長は口を閉じたまま、自分のデスクの方まで歩いていって、ピタリと足を止める。そこでクルリとこちらに向き直って、
「いやはや、バレちゃいましたか」
ハハハハと困ったように笑った。
聞きたいことがあるんだけど
何を、と打ち込んで僕は質問の候補をいくつか並べる。市長との関係、経歴、もしくは鈴祢との関係。どれを選択されても僕の指はそろそろ固まる。マジで動かしすぎて先程から痙攣しまくっている。慣れないことをするものではないと嫌と言うほど分かる。
「海人君、久方ぶりだけど元気だった?」
「へ?あっ、まあ」
先程まで鈴祢と話をしていたから俄かにこっちに話題を振られて思わず生返事をしてしまった。僕ら二人はソファに掛けて市長と対面している。うーん、やっぱりこの応対用のソファは柔らかすぎてあまり好きになれない。と、内心思いながら僕は市長に向き直る。
「元気ってほどではないですけど、体調はボチボチってところです」
「うん、まあそんなものか。街の空気はそこまで美味しいものじゃないからね」
「市長がそれを言うのはどうかと思いますが・・・」
鈴祢のツッコミに対して、手厳しいな君は、とまた困ったように笑った。
相良練巴はこういう人物である。表に立つとピシッとしていてこの男のどこから出ているのだろうかと思えるほどの覇気を放っている。そして口を開けば周りを納得させるような熱い答弁でここまでの地位を築き上げた。
でも実際は気さくで優しい人物だ。僕がこの街に来る際に色々手回しをしてくれたし、この症状も理解しているからなるべく気遣いしなくてもいいようにしてくれている。ああ、気が回るって言った方がいいか。それと人をかなり見ているのも確かで、
「その左手でどうして別の文字を打っているんだい?というか・・・何語?」
「あ、ホントだ。黒曜君から両利きの練習って聞いてたけど、何語打ってるの、海人君」
市長に加えて僕の隣に座っている鈴祢も参戦してきた。部屋に三人しかいないのだから当然と言えば当然なのだが。
「ヘブライ語、とは言っても中学生レベルしか打てないですけど」
あと打ちすぎてスマホを持っている手が震えているのはご愛敬ということで。
「ヘブライ語か・・・私はそっち方面に行く予定は今のところないからね。あるとしても通訳を付けて国際会談が可能性としてあるかないかだろう」
市長が唸って腕を組む。国際会談という以前に兆羽市自体が機密事項の塊なんだから行くわけないだろう、と内心で突っ込む。
「・・・海人君はそっちに行って何か仕事でもするの?」
鈴祢がこちらを見てくる。困惑と心配が混ざった視線だが、僕は首を振る。
「いやいや。川口が課題として出してくるだけ」
「え?先生が?」
鈴祢が驚きの表情をする。そりゃあ身近で見ている黒曜以外の生徒から見ればあの生徒に無関心を決め込んでいる川口がこんなトンデモ課題を出すなんてありえないことに感じるだろう。ましてや別のクラスの鈴祢がそんなこと知る由もない。
「もしかして、そういう関係があったりするの・・・?」
「ないぞ」
ボソリと変なことを言う鈴祢に対して僕は真っ向から否定する。
「あれ、話してないのかい?
「え!?そうなの!?」
市長の言葉に鈴祢の表情が明らかに動揺の色を浮かべる。
現在の親権は僕の経歴を加味して本来の親である奴らには無い。しかし僕は未成年なので代わりの保護者として川口が特例で親権を持っている。
(とは言っても川口は学校を住所にしているから僕の家に来ることもないし、僕も僕で川口と一緒に学校に住む気もないからなぁ・・・)
僕が特例のヤバいやつではあるものの、川口自身もまた特例のヤバいやつなので隔離こそしないまでもお互いで鎖を付けている状態にしておけばどちらかがやらかせば連帯責任で両方排除できるように仕組まれている。そう考えるとなかなか危うい采配ではある気がする。それに川口は嫌そうな顔こそすれど、各種手続きや契約の手伝いはしてくれるし、仕事は手伝わされるが学校と掛け合ってその分の給料を僕に小遣いとして回してくれたりもする。なんやかんや出来ている人なので変な課題や手伝い以外は別に嫌いではない。
「あー・・・・市長、一応それは機密事項なんですが・・・」
「ああ、そういえばそうだったね」
そういえばそうだったね、で済む話ではないのだが・・・。
「ってことは、川口先生が
鈴祢が何かブツブツ言っているが無視しておこう。
「それで将来は何か決めているのかね?そろそろ進路希望を出す頃合いだろう」
市長の言葉に固まった。身体全体が斜めに傾くような錯覚に陥る。進路も何も今をこうして生きているだけで精一杯なのに先のことを考えるなんて余裕がない。恐らく進路希望を聞く日が来たとしても僕は何も書けずに終わると勝手に予想する。それくらい今だけを僕は生きていた。
(それに)
サバスの件という現在の最重要案件がその未来を白紙に近いものにしている。ウルや例の声という超常現象の存在を目の当たりにして、今やっと気が付いたがいっぱいいっぱいなのだ。個人的にこれ以上外から情報を詰め込もうものならどんなに大切な記憶だろうとも器から溢れる水の如く流れ落ちてしまうだろう。
「まだ、ですね。正直これからどんな人生を生きていくのかはっきり出来ないのにその先に対して羨望を抱けるほど僕は楽天家になれないです」
「そうか・・・・」
市長はやはりという顔で微笑み、立ち上がる。自分のデスクのところまで歩くと何かを持ち上げる。それを僕は見たことがある。いや、あった。何故ならそれを見たのは今朝の話で、そして先程まで忘れていて・・・。
「君がそう答えるのを、なんとなく、期待してしまっていたよ」
なぜ、そう問いかけるよりも先に鈴祢が口を開いていた。そちらにまず目が向いてしまう。
「市長、その手に持っているものは何ですか?」
なんですかじゃない、見れば分かるだろう。とイラつきながら鈴祢から市長に視線を戻すと、
「これはね、遺影だよ。うちの息子のね」
そう言いながら微笑む市長。その笑顔の向こうには金色に輝く数多の蟲が飛んでいた。
「・・・・・・はい?」
鈴祢の疑問の声と同時に僕は悟った。
予言は知らせられた場面、展開こそ曖昧で違うが、流れは当たる。そして予言の中にある危険までは知らせることは出来ない。
あーあ。これは詰んだね
例の声が頭の内から聞こえてくる。
正直、怪しい流れとは思っていたんだ。あの市長の周りだけ空気が違ったし
空気が違う、と言われてここまでの違和感がどうにもはっきりとしてきた。
まず市長は僕らが理解できない(生徒会長を除く)彼の息子の名前を理解していた。それは彼がウルの言っていた目の前にいる蟲と協力しているからだ。
蟲はどういうわけか事実を捻じ曲げることが出来る。
その証拠に、いるはずの市長の息子(生徒会長が知っていて僕らが知らないということは大分前に変わっている)の存在を消されたり、無いはずの運動部が突然現れたり、市長の事務所に訪問したりするなんて変な行事があったり。そして恐らくだが生徒会室の外に飛んでいた蟲は僕が事故った件を歪ませて無かったことにするために現れた。そう考えると辻褄が合う。
そして記憶の改ざんだ。僕は予言書である程度先読みに近いことが出来ているから違和感をいち早く察知しているだけで、記憶の改ざんに巻き込まれていないとは言えない。事実、学校のこうした行事も部活動も素直に受け入れている。
「うっ・・・・!?」
頭に雷が落ちかのような激痛が走る。それもそうだ、本来知ってはいけない情報を紐解いただけとはいえ大量に入れてしまったのだ。加えて酷い酔いと吐き気が襲ってきて、たまらずに吐いてしまう。
「大丈夫、海人君!?」
ある程度出していたから胃酸を少し逆流させたぐらいでどうにかなった。それに鈴祢には一切かからなくて良かった。
「市長!海人君を帰らせてください!」
鈴祢の声を聞いて、しめたと思った。このままいけばあの蟲から逃げることが出来る。でもその場合になると鈴祢をこの場所に残してしまう危険性がある。
(どっちだ・・・?)
今の市長の行動はとりあえず怪しいメンツに声を掛けて邪魔をするなという牽制かそれとも僕のことを分かっていて邪魔をするなという警告か。前者ならまだ誤魔化せるが、後者になっていたら確実に鈴祢を残すことになるだろう。
僕は気持ち悪いフリをして、市長の出方を窺う。最悪、この場で市長を害することになったとしても、逃げ伸びなければいけない。予言も大きく変わるだろうし、それこそ一寸先は闇になる。
言っておくけど、未来が変わったからすぐに情報更新なんて出来ないからね
声に対してそこまで信用してはいないと頭の中で返答しようとしたが、どうにも脳にダメージがあるらしく少しでも考えると気持ち悪さがこみ上げてくる。
僕の様子を見て市長は何故か目を丸くした。何かつきものが取れたように小さくため息を吐いて、苦笑する。
「いいよ。部屋も汚されちゃったけどこのぐらいならうちの係の者で何とかなる」
そう言ってパンパンと二回手を鳴らすと、失礼します、と言って扉の外からスーツを着た人達が入ってきた。一人が素早く机周りを掃除して、一人が僕に肩を貸してくれた。
「ありがとうございます!」
鈴祢は初めこそ呆気に取られていたが、市長の対応に感謝していた。
(あ、危なかった・・・)
そんな鈴祢の様子をしり目に僕は心臓が張り裂けそうなぐらい緊張していた。顔にこそ出さないが、あの市長の顔から察するに後者だった可能性が高い。もしバレていたら確実に記憶の改ざんと事実の歪曲の両方をやられていたに違いない。
私のファインプレイってことだね
と脳裏から吐き気の主が話しかけてきたが、張る胸もないけどな、とアイアンボールを投げといた。
ちらりと市長の方を見る。市長は寂しそうな顔をして、僕を見ていた。すみません、と一礼して僕は係の人と部屋を出る。その後ろを鈴祢が付いてきた。
(市長、あなたは・・・)
遺影と言われた写真立ての中身を見て僕は気持ち悪い中歯を食いしばった。
(何とかしますよ、あなたには恩があるから)
そう決心した僕の後ろを不快な羽音が追いかけていた。
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