第3章 悪魔はただ静かに見守る ー 1


 市長の事務所は兆羽市、つまりミキサーの居住区域の中には無い。場所はミキサーの外部で兆羽市と隣の矢徒夜やとや市の境にある商店街の一角だ。有事の際に市長がミキサーの中にいた場合の措置(主に責任問題追及)が出来なくなるため、相良市長曰く仕方なく外に設置したらしい。


             中が嫌いなのかな


 さてね、と肩をすくめる。

 「おい、海人」

 「なに」

 「さっきから左手で何やってんだ?」

 

              ホラ、バレた


 大丈夫だろ、と小さく欠伸をする。

 この予言書こと『サバス』の会話は左手の携帯端末で行っている。会話と言ってもあちらが書いてこちらがリアクションする、というものだが。

 「両利きの練習」

 「練習にしたってお前・・・打ち込むの速すぎやしないか?」

 「リミッターを外しながら撃つのは日常茶飯事なのだ」

 「ハハハ、それでいつか頭のネジまで飛んでいきそうだな」

 「おっと、目の前に外れた奴が一人」

 「お前も大概外れてんだろ」

 ハハハと笑ってお互いに肩をバンバン叩く。まあ、うん、バレやしないさ。

 (ヘブライ語で書いてるし)


           君って万能だよね、ホント


 これが万能か?と鼻で笑う。たかだか知っている言葉が多いだけだ。

 「おっ、鼻で笑ったな?今度川口に告げ口して課題増やしてもらうぞ」

 「すみません、黒曜様。それだけはマジで勘弁してください」

 「素直でよろしい」

 

 閑話休題


 「しっかし、この視線は嫌だよなぁ。俺らがワルモンみたいじゃん」

 隣で手を頭の後ろに組んであくびをする黒曜。本来ならこうゆう面倒ごとには参加しない男だが、今日は買い物があるとかで参加したらしい。無論これは一種の奉仕活動なので原則としてそういうことは禁止なのだが、黒曜は僕と同様に一人暮らしをしている家庭なので特例で許可されている。

 (というか)

 その視線が嫌でこうして左手を打ち込んでいたりする。左手の親指を酷使しすぎて、先程から文字が打てていない。それに体の至る所から間欠泉のように汗が噴き出して、顔にも脂汗が出ている。時期が初夏なこともあって何とか誤魔化せているが、正直に言えば早くトイレに行って吐き出したい。


 それはそれとして、今回市長の事務所に訪問するメンバーは僕と黒曜の一人暮らし組に加えて生徒会と10人ほどの希望者で構成されている。その中に鈴祢もいた。点数稼ぎではない、鈴祢自体が才女として学年でもトップクラスの成績をしているからだ。


 チラリと鈴祢を見るとこちらの視線に気が付いて、驚きの表情を浮かべている。彼女は僕の症状を一応は知っているけれどもその深刻さについては知らないはずだ。僕は人差し指を鼻の先に当てる。傍から見ると静かにしろというゼスチャーだが、僕らの間では問題なしのゼスチャーとしている。それを見ていつものすまし顔に戻った。・・・なんとか伝わったみたいだ。


 視線を前に戻し、息を吐いて黒曜の話に合わせる。

 「そんなの、前からだろ。今に始まったことじゃないし」

 ミキサー外部は今でもミキサーの存在を肯定していない。見栄の産物であるあのは異臭、害虫、騒音などの二次災害は出していないものの、それがあるという不安が近隣の町に蔓延している。

 

 このことで起きる差別や偏見を抑えるため、政府はそういった活動をした場合(たとえば暴行未遂)に特殊税として既存の税を2%上乗せするという措置を取っている。これはミキサーの内部の人間にも適応され、簡単に言えばミキサー内外関係なくミキサーを理由とした私怨のぶつけ合いを阻止している。最もこれを置いたからと言って解決しているかというとそうではない。


 「おい、おまえら!!」

 突然、路地から男が現れて因縁を吹っ掛けてくる。


 (またか・・・)

 他のメンバーがうんざりした顔でそれを見ている中、迫りくる吐き気を何とか抑える。立場が弱いと勝手に思い込んでこうして定期的に当たってくる連中は多い。環上学校のエンブレムは非常に分かりやすく、丸の中に逆さの雷、丸を囲むように高校のフルネーム、Ring-on All-through mix schoolが書かれている。よく見る校章よりも簡潔で分かりやすいものだと個人的には思うが、連中にとっては侮蔑すべき対象らしい。これを見ると受験に落ちる(落雷に見えるから)とか、丸にRingとか意味分かってんのかとか色々ある。


 「お前らのとこのあのドリル五月蠅いんだよ!いい加減にしろよ!!さっさと無くしちまえよ、あんな邪魔なもん!!」

 (暇だなぁ・・・毎度毎度)

 黒曜からぼそりとそんな言葉が漏れた。


 ミキサーが稼働する際には騒音による公害を防ぐために兆羽市と矢徒夜市で世帯撤収命令が出る。それに応じるか応じないかは個人の責任であるという法令が既にあるし、仮に何らかの理由で撤収出来ない場合(例えば畑を持っているなど)は国がそれに対して手当てを出すか、過去に行われた特殊措置として都内のホテルに宿泊させるなどと結構至れり尽くせりな待遇をしている。まあ兆羽市近隣で畑を持つ世帯なんてもう存在しないが。なんでも味が落ちるとか落ちないとか。知らないけど。


 それにこの措置があるせいで矢徒夜市の地価がとんでもない価格になっていて、一番安い物件でも20万を超える。だから兆羽市、矢徒夜市に引っ越そうものなら月20万オーバーの裕福な世帯でなければ住むどころか一般的な生活もままならない。というか兆羽市に引っ越す条件が明らかに異常だし、引っ越せたとしても数カ月は市の条件を覚えるまでに辟易するだろう。


 (そういう意味じゃ、ただの嫉妬だけで突っかかれるだけでも幸せだと思うぜ)

 ニヤニヤしながら黒曜が耳打ちしてくる。ハハハ、違いない。いいから早くどっかに行ってくれないかな、その視線は心臓に悪い。


 「おい、お前ら!何ニヤニヤしてんだ!」

 おっと、矛先がこっちに向いた。ああ、最悪だ・・・


 「お前らみたいな社会のゴミがいけしゃあしゃあとあんなとこに住んでるのが腹立つんだよ!俺らみたいな真面目な市民がバカみたいだろ、あ!?」

 ズンズンとこちらに詰め寄ってくる男。何言ってんだコイツ。社会のゴミとして爪弾きにされたからこそあそこに住む羽目になったんだろうが。そして近付かれるとその視線が痛いほど当たるからやめてくれ。

 ・・・それと流石に女子もいるのにそんなことを悪びれもなく言っているのに対して、呆れを通り越してむしろ感心する。この男にはマナーも無ければ、モラルもデリカシーもないのだろう。


 (そろそろなんかしとくか?)

 (いやいや、やめた方がいいって)

 (一応『タカツメ』もあるからスルーよ、スルー)

 ちらほらと内からの声が聞こえる。


 『タカツメ』は『兆羽市機密保持条項』の俗称で、書くのがダルイ漢字があるから能ある鷹は爪を隠すの言葉を略して『タカツメ』と学生間では呼ばれている。文字の通りなので説明するまでもないが、ミキサーの上に住む人々は住むだけの能力を持たなければいけず、それを守るための知能も持ってないといけない。住人とは言うけれど、住まわせてもらっていると考えた方がいい。故に他の地域の住人と差別や偏見が起きないように機密保持は絶対であり、バレれば即退去とまではいかないまでも、厳重注意に加えて罰金に保険金の値上げや支給品に制限までかけられる。それと―――


 (話して利になることなんて一個も無いんだけどね)

 ミキサーに住む前に色々と学んだが、実は機密事項と呼ばれることはほとんどない。強いて言うなら『中の状態を話すな』程度。一人暮らしをしようが、家族で暮らそうがそれだけ守っていれば普通に・・・それなりに暮らすことが出来る。は言うまでもない。


 「なら彼らに羨ましがられるぐらい立派に生きようと思いませんか?」

 「あ?」

 どこからともなく知っている男の声が聞こえてきた。あれ、この澄んだ水が流れる川のせせらぎみたいな声は・・・。

 

 「あんだ・・・ってあそこの市長!?」

 「はい、相良練巴と申します。ゴミだらけの町の市長をしてます。以後お見知りおきを」

 不意打ちに近い市長の襲来に男は金魚のように口をパクパクとさせていた。そりゃあ町の悪口を言って僕らをストレス発散に使おうとしている矢先に市長が現れれば驚かない方がおかしい。

 「チッ!お前らを相手にしてるほど暇じゃないんだよ!」

 という捨て台詞を残して男はこの場を去っていく。暇なら絡む理由も無いと思うのだが・・・。

 「・・・まだいなくならないものですね」

 市長がボソリとそう呟いたのが聞こえる。


 「こんにちは、市長さん。最近はあまり歩かなくなったと聞きましたのですが・・・お変わりはないようですね」

 「えぇ、なんとか」

 確かに会長の言うとおりだ。最近は体調を悪くしていたのか外に出る機会が減ったとかなんとか――――。

 「ぐっ・・・!!」

 突然、頭の奥が大きく揺れた。トラウマによるものじゃない、もっと不気味な何かに自分の記憶を弄られているかのような、そんな変な感覚が全身に走る。

 (なんだ・・・!?)

 違う、何かが違う。相良市長が体調を悪くしたというニュースは。前からは聞いていない。でも、生徒会長は『最近はあまり歩かなくなった』と言った。市長の趣味は多岐に渡り、ウォーキングやランニング、クッキングや遊園地に行くことに加えて・・・・。ああ、そうか。つまり、これは・・・


            記憶改ざんによる妨害、だろうね

 

 妨害・・・なるほど、だから市長の子供の名前を思い出せないんだ。でも、どうして生徒会長はこれが効かないんだ。他の生徒も何を言っているんだって不思議そうな顔をしているし、会長だけ特別に効かないなんてあるのか・・・?


 「それに息子さんの■■君も見ないですね。もしかして何か拗らせたりしましたか」

 いや、効いてはいるんだ。実際、市長の息子の名前は分からないみたいだし。でも、この人元来の天然な性格で記憶の一部は改ざん出来ても自分の記憶だけは変わらないようになってるのか!・・・なんだろう、これに関してはどうしようもない次元な気がしてきた。


 「・・・ええ、ちょっと、風邪をひきましてね」

 なんだ、その歯切れの悪い言い方は。市長とは片手で数える程度しか会ったことはないが、どんなに悪い意見だったとしてもはっきりと言う人だと覚えている。それが出来たからこそ今の地位にいるのだ。


 「・・・?分かりました、あとでお見舞いの品を送っておきます」

 「はい、ありがとうございます」

 市長が視線をこちらに向けて、

 「今日は事務所の手伝いをしに来たのですよね?遅くならないうちにさっさと終わらせちゃいましょう」

 声こそ明るいがいつものような覇気がない。というか会長の質問から明るいオーラが消し飛んで、無理をしているように見える。やはり何かあるのだろうか。


 「あとすみませんが、チームを組んでください。結構広い事務所ですから」

 市長の事務所は4階建ての1ビルをそのまま借りている。そのため、事務処理から書類整理まで色々やることが多い。10人近い生徒をこちらに寄越したのにはこういった理由も実はあったりする。


 「生徒会のメンバーは学校に戻ってやることがあるので、ある程度早めに終わる作業になります。他の生徒、早期に帰りたいものは先に言ってください」

 利一君が淡々とチーム分けをする。

 「どうする?さっさと終わらせるところ行くか?」

 黒曜が僕に声を掛けてきた。どうやら黒曜は買い物があることを考えて遅くまで残って現地解散を狙っているのだろう。

 (・・・・・・・・・・・)

 どうする。ここに長く残ればいいことがあるとは限らない。というか知らない誰かと少しの間同じ部屋にいても耐えられる気がしない。あの時に感じる、アイツってちゃんと仕事してんのか、っていう視線は本当に耐え難い。逆にサボっている奴がいて、そいつを無視しても後々噂とかで、アイツって結構無関心なんだよなぁってことを後々噂されるのもまあキツイ。どちらにしても僕は他人と組むのは苦手なのだ。だからクラスの輪に入る場合は黒曜を経由して入っているから実質黒曜がいないと歯牙にもかけられないだろう。

 それに。何故か、何故なんだろうか。さっきまでは覚えていたのに、どうしてもう思い出せなくなっているんだ・・・!!その理由さえ思い出せればこんなに悩まなくても済んだはずだ。

 「ふーん、なるほど」

 すると黒曜の何か企てている声が聞こえてきた。

 「・・・何考えてる」

 「いや、なに。ちょっと思いついたことがあってな」

 「おいおい、大将。こっちは知らない注文をした覚えはないですよ」

 「いえいえ、お客様。こちら当店のスペシャルメニューでございまして」

 「だから頼んだ覚えは――――」

 ないぞ、と言い切る前に黒曜が行動に移っていた。


 「あっ!俺、今日は書類仕事したいなー!済まないけどお前とは組めないやー!」


 とデカイ声を出した。

 あっ、チキショー!こいつ、僕が他の連中と馴染めないと踏んでこんな行動しやがったな!

 (うっ・・・・!?)

 実際、僕の校内での評判は・・・聞いたことないから分からない。今までは僕はとりあえず来ているだけの一人にすぎなかったけれど、今の黒曜の行動で周りから来る奇異の視線はキツイ。黒曜の悪ふざけだとしてもこの視線だけは僕の身体が抵抗を見せる。

 (落ち着け、落ち着け・・・・)

 黒曜は僕の症状を知らない。けれどコイツの行動はある程度分かるから今は耐える行動に移れた。それさえ出来れば昔ならまだしも今ならどうにか平静を装うことぐらいは出来る。表面上はだけれど。

 「は、ははは!そうか、ソレハコマッタナー!ドウスルカ―!」

 ダメだ、大根役者すぎる。流石に精神までは冷静になれない。そしてここで大部屋で大人数で仕事するとなると、いつ爆発するかも分からない。その時に来る視線たちに僕は絶対耐えられないだろう。


 「なら―――」

 と生徒会長が小さく言いかけて、

 「なら私の私室の掃除を頼めるか?」

 と市長が彼女を遮って提案してきた。

 「私の私室であれば一人か二人で出来る。ついでに早く帰れもするから一石二鳥じゃないか?」

 その提案に僕は、ありがとうございます、と声を出した。実は市長は僕の症状を知っている。だから出来るだけ人目が付かない場所である市長の私室の掃除を提案してきたのだろう。そして何故それを知っているかは市長は僕の経歴を知っているからだ。それは、つまり―――。

 「ああ、でも。私は他に仕事があるから手伝うことは出来ない。そこで、だ。ちょうど余ったであろう、彼女なんかと一緒にやってみてはどうだろうか?」

 市長が指差したのは、当然のように鈴祢だった。

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