第1章 天使は都合よく舞い降りる ー 4


 已美野鈴祢は10分近く戻ってこない山河海人を心配していた。

 遅い、あまりにも遅い。1,2階には何もなかったのに3階には何かあったのだろうか。もしかして誰か住んでいて襲われたのだろうか。様々な不安が脳裏を過ぎり、鈴祢はいてもたってもいられなくなり、3階へ続いていた壊れた階段を照らした。

 「・・・・・・・いないよね」

 海人のくれたライトは彼女を安心させるかのように階段を大きく照らす。ここまで何もないビルなのだ、何かあるはずわけがない。小さくため息をついて彼の鞄を強く抱き締める。

 「そう強く抱き締めると形が変わるんだけど」

 鈴祢が壊れた階段の先を照らすとそこには埃まみれになった彼、山河海人がいた。

 「海人君!」

 「ゴメン、心配かけたね」

 海人は階段から飛び降りて、鈴祢の前まで歩いていく。ガスマスクをピッチリ付けた彼の肩や頭に付いた埃を払って鈴祢は海人の顔をジッと見る。

 「何が、あったの」

 鈴祢の真剣な目に海人は思わずたじろいだ。

 「い、いや実は棚の上に段ボールがあってさ。その段ボールを下ろそうと思って転んだ」

 「何やってんの、危ないじゃない!」

 アハハ、と苦笑いを浮かべる海人はギョッとした。ガスマスク越しに見える鈴祢が涙を浮かべてる。いくら鈍感な海人であっても鈴祢が彼を心配していたことぐらいは察せる。鈴祢の肩を掴んで、心配してくれてありがとうね、と感謝の言葉を言う。

 「中はアルバムだけだったから大したものはなかった。ホント、今日は運がない」

 ハハハとおどけてみせて海人は鈴祢の様子を見る。涙こそ止まっているが不機嫌そうな顔をしている。

 「・・・・今度何か奢るから」

 「・・・・スペシャルチョコレートパフェ」

 太るぞ、と思ったが、あいあいとだけ返事をした。

 「じゃ、帰ろっか」

 「うん、今日の約束忘れないでね」

 「イエスマーム」

 「ふふふふ、なんか昔の海斗君に戻ったみたい」

 鈴祢の笑顔を見て、海人は内心でガッツポーズを取る。なんとか誤魔化せた。

 「ところで、そのアルバムにはどんなのが写ってたの?」

 「え、見る?数枚は持ってきたけど」

 「けど?」

 「あそこの部屋で飼ってたドでかいタランチュラの写真なんだよ」

 「いやぁぁぁぁぁ!!」

 鈴祢の平手打ちが飛んできてガスマスク越しの顔面に食らう。

 「なんでそんな写真持ってきてんの!」

 「い、いや、川口に見せたら、なんか分かるかなって」

 「分かりたくないよ、そんなの!もう、心配して損した!海人君なんて知らない!」

 そんな殺生な、と海人は思ったが、そこで鈴祢が蜘蛛嫌いなことを思い出す。

 (あー・・・これは《君》が悪いな)

 「ご、ごめん。そういえば蜘蛛嫌いだったっけ」

 「そ・う・い・え・ばぁ~?」

 「あ、いや、えっと・・・・わ、忘れてたわけじゃないの、よ?」

 「フーンだ。本当に海人君のことなんてしーらない」

 その後海人は鈴祢のご機嫌取りに奔走して自分の制服の下にある本の存在を完全に忘れることになる。それが自らの運命を大きく左右させるものだと知らぬまま。

(おっと、この写真は消しとかなきゃね)

 3階の部屋の写真を消した。




 鈴祢と別れ帰宅して一息つくと、僕はそこで本の存在を

 「・・・・・・・・・・はっ」

 今まで霞んでいた意識が覚醒した。僕は一体何をしていたんだ。制服を脱いで、背中に入れた本を取り出す。黒い本でタイトルには金文字で「Sabbath」と書かれている。


 本当にさっきまで、そう、ほんの数秒前。家に入るまでの道中は持っているものが、ただの蜘蛛の写真を集めたアルバムだと思っていたのだ。鈴祢が見たいと言えば本当に写真を取り出せる自信があったし、僕はこの本をアルバムだと本気で信じ込んでいた。背筋に嫌な汗がすぅーと走る。

 不思議なことに恐怖を感じない。まるで今まで一緒に過ごしてきたかのように持っていると安心感すら覚えてしまう。そんなものがあれば兆羽市に来た段階で捨てているはずなのに、恐ろしいモノなのに。絶対にそんなものは無いんだ、持っているだけで心地よく思えてしまう本なんてあるわけがない。

 だが現実を見なければいけない。僕の生きている今はファンタジー小説とか妄想ではない、確固たる現実なのだ。この町だって、いつも通っている学校だって。もしこれが偽りの夢であるなら僕はどうして目が覚めない。かぶりをふって頭を振る。いけない、変なことを考えている。

 「ふぅ・・・・・すぅ・・・・」

 深呼吸をして頭に酸素を送る。悪いのは考えじゃない、緊張状態を作り出している精神だ。落ち着け、落ち着け。目を閉じ、酸素が脳にめぐるのを感じて、そしてまた目を開く。数回繰り返して気持ちも落ち着いてきた。

結論を、出すんだ、思いついた結論を。


            今回の成果は大外れだ、と。


 なんでか、売って金にならないから。曰く付きの物件を安く買う時代はとうの昔に過ぎていた。オカルト本を出版している会社がいくつも倒産した。それぐらい今のご時世は余裕が無いのだ、神とか魔女とか信じるなら金を一円でも稼いだ方がいい。

 いまだに心臓は嫌な音を立てている。でも、マシにはなった。

 「サバス、いやサバトだっけ」

 時代遅れで安価だったスマホを取り出してスペルを調べる。出てきたページの中にあるサバトには魔女あるいは悪魔の集会と書かれている。

 (あの声、間違いなく女のものだった)

 あの部屋に入る前後のことを出来る限り思い出す。


 黒い触手に捕まった後、目が覚めるとあの部屋に寝転がっていた。それに誰かがいた気がしたけど周りには人の気配はなかった。

 あの手が伸びた部屋の中を持っていたスマホで照らすと部屋を書き殴ったような大量の文字と何かの模様が描かれていたのは覚えている。とても文字とは思えない落書きばかりだからどれもこれもうろ覚えで、確かな情報にはならない。

 そして自分の上にはこの黒い本のサバト(でもthでスと読むからこれからはサバスと言うことにする)が置いてあったのだ。念のため部屋の写真は撮った。もしかしたら検索で何かの情報につながるかもしれないと思った。


 「あれ?」

 結局は骨折り損だった。その写真を探してフォルダを漁るけど見つからない。今日一日も写真を撮ってないことになっている。最新の写真は昨日撮った猫の写真だけだ。

 「・・・・まあ古いしな」

 どうやら検索だけ使える型落ちのスマホの写真を信用した僕が悪いらしい。撮った記憶はあっても撮った証拠が消えてしまったのならばもうどうしようもない。

 「はぁ・・・・先にシャワーでも浴びてこよう」

 でもその前に。好奇心が先行してサバスを開く。

 「ちぇ、また英語かよ」

 一ページ目には黒い文字で英語がやたら綺麗に書かれてあった。検索で英訳と調べて書かれた文字を打ち込む。

 「なになに、人々に真なる安息を?なんだこりゃ」

 その後に続くページをパラパラと流し読みする。が、どれも白紙。表紙だけ豪勢な新品のノートを開いた気分だ。肩透かしにも程がある。

 「どうあっても今回は成果なしかぁ」

 ガッカリだ。肩どころか膝から崩れ落ちそうになる。あんな不思議体験までしたのに成果、いや勲章となるようなものがこの埃まみれの制服だけという。いたたまれない気持ちになってきた。ついでに腹の虫も鳴き始めた。

 「さっさとシャワー浴びて飯にしよう」

 僕は成果(サバス)を明日捨てるゴミ袋の中にいれて、そのまま浴室に直行した。その時に誰かに見られているような気がして、家の鍵を一度すべて確認した。なんか知らないカメラが玄関のポストにあったのでついでにゴミ袋に入れておいた。


 「ん?」

 洗濯にシャワー、食事を済ませてくつろいでいると連絡端末に未読のメッセージがあったことに気が付く。

 (鈴祢と黒曜、それと)

 ああ、そうだ、だいぶ前に川口に言われて入れさせられた町内連絡だ。ビルの交換時期を知らせてくれる便利なやつで、それ以外は特に使わない。わざわざメッセージを送るなんてことは余程の事件でもあったかな?

 メッセージを開くと、市長の子供がお亡くなりになって葬式を行うお知らせが書かれていた。

 「ご愁傷様です」

 いや本当にそう思っているよ?でもね近親者でもない人の、ましてやお偉いさんの子供が亡くなったから葬式をやるなんて言われて普通なら行こうと思わない。市長のシンパなら分かるけど一介の見知らぬ学生がわざわざ葬式に来てどうしろと?君も市長さんに関心があるんだね、とか言われて変な勧誘に合いそうだわ。


 「・・・・・・・・・・」

 昔の、嫌なことを思い出しそうだった。


 僕はそのメッセージを消して、前二人のメッセージを読む。鈴音は今日のことで長々と書いてあったので、適当に『お疲れ様、明日も頑張ろう』とだけ返し、黒曜はレポートのひな形が完成したからメッセージで送ってきた、相変わらず仕事が早い。

 「さて」

 ひな形を印刷してから部屋に上がる。戸締りは大丈夫、明日の学校の支度に朝のタイマーもかけた。歯も磨いたし、あとはいつもの日記を書いて寝るだけだ。

 「レポートは適当にちょちょいとやって、終わり」

 30分足らずでレポートが完成した。

 「日記はどう書こうか・・・」

 とりあえず放課後までスラスラと書き今回の調査内容を適当に書いて終わり。

 でも良かった、これでクラスの面々からハッタリであんなこと言ったという必要がなくなる。

 「・・・・・・・・・ふぅ」

 椅子に腰かけて天井を仰ぐ。

 「・・・・・・・・・・・」

 あの時、ビルの中で聞いた声がやはり気になる。

 (最後はなんて言ったっけ?守る、だっけ?)

 守るとは何から守ろうと言うのだ。これから僕が襲われるとして、一体どこの誰が襲うと言うのか。恨まれる謂れが無いわけではない。それを清算を出来たとも言い切れない。だとしてもこんな僻地に来て自己満足の仇討ちなんぞするだろうか。

 (馬鹿馬鹿しい)

 最後の言葉について考えるのを一回置く。それよりも印象に残っている言葉があった。後悔しているの?という何気ない言葉だ。

 「してるさ、今も昔も」

 時間が癒してはくれない傷。その傷は姿形こそないが、しっかりと心に刻まれている。消そうとは思わない、これが僕を支えている要因の一つなのだから。そうでしょ?とこの場にいない人に向けて言う。

 「まあ、いいや。今回の調査結果は完全な時間の無駄、と」

 割と辛辣な自虐を書いて僕はそのまま布団に直行した。

 (もう少しで夏か、扇風機出しておかないと)

 布団に入ってすぐに瞼が重くなる。時刻は午後9時過ぎ、今日はいつもより疲れていたみたいだ。

 (あ、明日の朝にゴミ捨てなきゃな。忘れないようにーーーーーーーーー)

 そんなことを考えているとフッと意識が飛んだ。


          フフフフフフフフフフフフフ


 その時にどこかで聞いたことのある女の声が聞こえた。

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