第28話 水面下の闇




毛利「あーあ。もうこんな腹立たしい話は切り上げよう。せっかくお酒が回ってきたところだしさ、もっと明るい話をしようよ。」


 毛利ダラリと上半身を机に迫り出し、真っ赤な顔をこちらに近づけて頬杖をついた。ただでさえインパクトのある顔面が急接近してきたため、私は思わず身構えてしまった。


私「お…、おう。」


 何より、この話は彼女から始めたはずなのに、喋ってて勝手に不快になったと言うのだから笑止である。



私「明るい話…。何かあるかなぁ…。」



 すると、私が答えを考えている暇など与えずに、毛利はすぐに別の話題を切り出した。



毛利「星海くんがさぁ…。」


 どうやら彼女は、すでに次に何を喋るか決めていたらしい。しかも、よりによって私が一番憎たらしく思う恋敵の話題である。だから思わず眉をひそめた。



私「また星海って男の話かよ。お前…、そのことばかりだな。」



毛利「いやぁ…。だって、ファンだからね。最近の楽しみはこれしかないんだよ。」



 毛利は照れくさそうに笑った。彼女は知りもしないだろう。まさか目の前にいるこの男がその星海を日夜絶えることなく恨み続け、さらにはつい昨日、妖怪衆に彼を襲撃するよう依頼した手紙を送ったことなんて。



毛利「あ、また何かやってる!」


 そう言って彼女が見せてきたスマートフォンの画面には、ついさっき星海がSNSにあげた投稿が映されていた。


 

 「社会の厳しさを教えてやった」とタイトルがつけられたその投稿には、星海と他二人の人物の写真が投稿されていた。二人は彼の前にひざまづき、土下座に近い格好をしている。

 これは、星海が同じ芸能事務所に所属した新人のアイドルに対して説教をしているワンシーンを切り取ったものである。


 それを見て私は、はらわたが煮えくりかえるような気持ちになった。



 

 投稿には、何を理由に彼が説教をしたのか書かれていなかった。が、どうせ先輩風を吹かすために、難癖なんくせをつけて叱責したに決まっている。



 そんな相変わらず猿同然の低俗な彼の性格に腹が立ったのは当然として、それよりも、その投稿は瀧宮に対して「自分は仕事でこんなに偉い立場にある。」とアピールしているように思えたのが一番気に障った。



 何より、彼はいうほど社会経験がある年齢にも見えず、しかも所属している事務所だって大手というわけではない。ちょっと地方のテレビで数回露出があったぐらいで、ここまで偉そうにしているのは滑稽こっけいである。



 



 私は沸騰ふっとう寸前の脳みそをクールダウンするために、角ばった氷に冷やされたハイボールを一気に飲み込んだ。



私「はぁ、星海くんはすごく自信があるみたいだな。」



 私はグラスの底ををガタンと机に叩きつけると、こんな不快なものを見せてきた毛利の方を睨んだ。すると毛利は、少し哀愁あいしゅうの漂う表情で静かに言った。



毛利「全く…ひどいよねぇ。私たちファンはさぁ…親心に似た感覚を持っているから、まるで非行に走る思春期の息子を見ているような気持ちだよ。

 星海くんはもっと人に優しくしないとさぁ…周囲から孤立しちゃうし、何より瀧ちゃんも心配しちゃうよね。」



私「はぁ…。何だそれ…。」


 

 私は、身体をめぐるムカつきをなんとか抑え込み、相手に怒りを悟られないように気をつけながら返事をした。




 だが、この投稿を見たことで、私は過去の自分の行動に賞賛を送りたい気持ちになった。星海を襲撃する依頼文を妖怪衆に送ったことが、なんだか正義の行動に思えてきたのだ。

 仮にもし襲撃が実現したとしたら、そして彼の命を奪うことができたなら、私はこの世から悪の存在を一つ消し去ったことになる。そうすれば、彼の傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いに苦しんでいた人々も救われるのだから。



 今、私の手紙はとっくに彼らの元へ届いている頃だろう。彼らは私の思うように動いてくれるだろうか。いや、どうにか是非計画通りにことが運んで欲しいと願うばかりである。




私「はぁ…。」



 ところで、星海の話題になってから、私はすっかり楽しく喋る気を無くしてしまった。そこからは会話も弾むことなく、毛利だけがしばらくガバガバと酒を飲んだ後にお開きとなった。





毛利「ああ…ちょっと気持ち悪い…。」



 帰り道、すっかり酔っ払ってしまった毛利は左右にふらつきながら歩いていた。店を出るまではまだ良かったのだが、しばらく歩いてからさらに酔いが酷くなったらしい。目を回してヨタヨタ歩く彼女の様子は、側から見たらまるでクスリをやってトランス状態に陥っているみたいだった。

 


毛利「おお!鳥が空を飛んでいるよ!私も自由な鳥に生まれたかったねぇ!」



 そんなことを言ってフラフラと車道に飛び出そうとする彼女を、私は慌てて引き留めた。その時に腕を掴んだのだが、骨と皮だけの細くて小柄なその身体はびっくりするほど軽かった。一体、この小さくて細い身体のどこへあの大量の酒が吸い込まれていったのか気になるほどだ。

 


私「…毛利、この状態で歩いて帰るのは無理だ。タクシーを呼ぼう。」


毛利「えぇ、全然酔っ払ってないけどなぁ…。」



そう言って彼女は汚いゲップを一発かまし、少し恥ずかしそうにケタケタと笑った。それを見た私は呆れながら、その骸骨みたいな身体を近くのベンチへ誘導する。



私「ちょっとここに座ってな。今、タクシーを手配するから。」



 


 

 すると、毛利はしばらく夜空を見つめながら、こんなことを言い出した。



毛利「あのさ。私が星海くんを応援している理由はね、その交際相手である瀧ちゃんにも幸せになってほしいからなんだ…。」

 

 

私「ああ…、確か前もそんなこと言ってたよな。」



毛利「あれ、そうだっけ…。そう言えば、彼女が色々と不幸な目に遭っていることは君にも話した気がするな…。

 でも、きっとこれは言ってないと思うんだけどね…。

 瀧ちゃんさ、タイヤ公園にたどり着いてからもう一年と数ヶ月以上経っているのに、親が連れ戻しに来る様子が全くないんだ。」



私「え…そうなのか…。そう言えば、言われてみたら奇妙だよな。普通、家族がいなくなったら必死に捜索するだろうに…。」



毛利「そうなんだ。瀧ちゃんのお母さんも綺麗な人なんだけどねぇ。もう離婚と再婚を数えきれないほどしていたみたい。きっといくつになってもモテるんだろうね…。


 それで娘である瀧ちゃんは十分な愛情を注いでもらえなかったって言っている。で、『お母さんは娘である私を探しに来ないし、今も多分自分の恋愛に忙しいんだよ。』って言ってて…。


 その話をあの子から聞いて、私は彼女に絶対に幸せになってほしいって思ったんだ。誰よりもずっとずっと幸せにね。だって、あんなに可愛いのに、幸せにならないなんて嘘だよ。」




 そう言って毛利は懐からタバコを取り出して火をつけると、煙を満点の星が煌めく夜空に吹きかけた。



私「…お前、タバコなんて吸うんだな…。」



毛利「うん。この仕事をするようになってからね。だから、つい最近始めたんだ。そのせいかわからないけど、気がついたら私、すごく痩せちゃったよね…。」






 間も無くして、私たちが予約したタクシーがこちらへやってきた。ヘッドライトの光に照らされて、私たちは思わず目を細める。



私「まぁ…毛利がそこまで心配しなくても、瀧宮さんは幸せになれるよ…きっと…。」



 真っ白な光の中で、私はポツリと言った。

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