第三章:20話 南アフリカへの逃走と「怠惰」の深淵

 恭平は、情報屋の手配したフライトで、ヨーロッパを離れた。偽造パスポートと徹底した変装により、憤怒の軍勢の追跡や、国際的な冒険者ギルドの目を巧みに掻い潜る。彼の「慎重さ」と「知識」は、この種の逃亡劇において最大限に発揮された。

​数日後、恭平は南アフリカ、ケープタウン近郊にある「怠惰」のダンジョンへと到着した。

​このダンジョンは、他の「大罪」のダンジョンとは、あまりにも様相が異なっていた。暴食の腐敗、傲慢の壮麗さ、憤怒の荒々しさといった特徴がなく、周囲はひどく閑散としていた。ダンジョン自体も、巨大な塔というよりは、古びた、朽ちた巨大な建物のように見え、ほとんど手入れがされていない。

​「ひどいな。活気も、緊張感も、何もない」

​ダンジョンの周囲には、わずかな地元の露天商と、数人のやる気のない地元の冒険者がいるだけだ。彼らの装備は古く、探索者というよりも、単なる日雇い労働者のようだった。

​『マスター。これこそが「怠惰」のマスターの支配する空間です。エネルギーの浪費を嫌い、全てが最低限の活動で維持されている。これは、貴方様の「楽に稼ぐ」という信条にとって、最高の環境かもしれません』

​チキンソードの知性が、この場所の特異性を分析する。

​恭平は、人目に付かない裏口を探し、ダンジョン内部へと潜入した。

​内部は、さらに酷かった。階段や通路は、埃と蜘蛛の巣に覆われ、魔力的な光すらも鈍く淀んでいる。モンスターの気配も希薄だ。

​「モンスターの湧きが、極端に少ない……?」

​恭平は、魔導端末で周囲の環境データを収集する。

​「チキンソード。分析しろ。なぜ、このダンジョンはこんなに静かなんだ?」

​『分析の結果、このダンジョンのマスター、すなわち「怠惰のロード」は、意図的にモンスターの活動レベルを下げています。彼にとって、モンスターを活性化させ、探索者と戦わせる行為は、『無駄なエネルギーの浪費』なのです』

​「無駄なエネルギーの浪費……」

​恭平の口元が緩んだ。これこそ、彼が求めていた「楽」な環境だ。ここなら、無駄な戦闘を避け、手堅く資源を採掘できる。

​しかし、その「怠惰」は、すぐに恭平の警戒心を刺激した。

​地下3階。恭平は、通路の真ん中で、ぐったりと横たわる巨大なハイエナ型モンスターに遭遇した。彼らは、通常であれば即座に恭平に襲いかかるはずだが、このハイエナたちは、ただ眠っているだけだった。

​恭平は、レールガンを構え、いつでも攻撃できるようにしながら、ゆっくりと彼らの横を通り過ぎる。

​「眠っているのか?それとも、死んでいる?」

​『マスター。彼らは眠っています。正確には、「怠惰のロード」の魔力によって、『究極の怠惰』の状態に置かれているのです。彼らは、空腹すらも面倒だと感じ、攻撃するエネルギーすら持たない』

​「恐ろしいな。戦わずに、支配するのか」

​恭平は、改めて「怠惰のロード」の支配戦略に戦慄した。このマスターは、他の大罪のマスターのように「奪う」のではなく、「無気力」にすることで全てを支配しているのだ。

​恭平は、この環境を利用し、資源採掘を開始した。彼は、眠っているハイエナ型モンスターの横で、慎重に壁からマグネタイトの結晶を削り取る。周囲の魔力は淀んでいるが、資源そのものの質は高い。

​「……これなら、楽に稼げる。このまま、ここで隠居生活も悪くないかもしれない」

​彼の心に、チキンソードが加速させる「怠慢」の誘惑が、強烈に押し寄せてくる。

​『マスター。そうすべきです。戦闘は無駄であり、疲労は非効率的。究極の安全と安定は、この『怠惰』の環境にあります。資金が貯まるまで、ここで静かに過ごしましょう』

​恭平は、チキンソードの甘い囁きに、抗うことができなかった。彼は、パリでの激戦と、アザゼルとの契約、そして憤怒の軍勢からの追跡による緊張感から解放され、この「怠惰」の安寧に溺れそうになっていた。

​しかし、その時、恭平の魔導端末に、予期せぬ映像が飛び込んできた。

​それは、世界のニュース速報だった。

​『速報:アメリカ「強欲」のダンジョンマスターが、ブラジル「色欲」のダンジョンマスターを攻略! 「強欲のロード」が、新たに「色欲」の支配権を併合! 七つの大罪の戦争が、最終局面に突入か――』

​恭平の顔色が変わった。二つの大罪の支配権が統合された。これは、世界の勢力図が激変することを意味する。そして、彼の「安心安全な老後のための貯金」の計画が、根底から崩壊する可能性を示唆していた。

​「くそっ、戦争が加速した……! この『怠惰』の環境に浸かっている場合じゃない!」

​恭平は、再びレールガンを構え、この安寧を打ち破るべく、怠惰のダンジョンの最深部――怠惰のロードが眠る場所へと、警戒心を高めて進み始めた。彼の心の中で、「怠惰」と「生存への執着」が、激しく衝突していた。

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