第二章:13話 卑屈な冒険と過去の幻影

 地下3階。傲慢のダンジョンは、階層が進むごとに、魔法的なトラップの精巧さと、それに付随する「傲慢さ」が増していった。

​恭平は、チキンソードの助言に従い、徹底して「弱者」を演じ続けた。通路で光の結界に遭遇すれば、全力で逃走し、体力を消耗する。だが、その逃走の動きは、以前よりも洗練され、無駄がなくなっていた。

​『マスター。素晴らしい『卑屈さ』です。この階層の傲慢な魔力結界は、自己顕示欲の強い者を攻撃対象とします。貴方様のように、ひたすら隠れ、逃げるだけの存在には、エネルギーを費やす価値がないと判断するのです』

​「……褒めているのか、貶しているのか、わからんな」

​恭平は、額の汗を拭う。彼の体は疲弊しているが、チキンソードの力が蓄積されることで、致命的な危機は免れていた。

​彼の目的は、このダンジョンの深層階にある「未公開エリア」の情報収集と、その情報をアザゼルに渡し、より安全な逃走先を確保することだ。

​広間に出た恭平は、壁の装飾に異変を感じた。それは、過去の偉大な冒険者たちの功績を称えるフレスコ画だが、そのうちの一枚が、恭平がかつて失った仲間たちを描いたものに酷似していた。

​(そんなはずはない。これは、傲慢のロードの魔法による幻影か、それとも……)

​フレスコ画の中心には、かつての恭平自身が描かれていた。若く、優秀で、危険な依頼にも飛び込んでいた頃の姿だ。しかし、彼の顔は、現在の彼と同じように、深い隈に覆われ、絶望に歪んでいた。

​「くそっ、見せるな……!」

​その絵は、恭平が仲間を失った、あの「危険な任務」のクライマックスを再現していた。恭平は、その幻影から逃れるように、目を逸らして通路の奥へ進もうとする。

​『マスター。逃走の必要はありません。これは純粋な視覚・精神への干渉です。傲慢のロードは、貴方様の『過去の栄光』を弄び、精神的な動揺を誘っています』

​チキンソードの言葉は冷静だ。しかし、恭平の心臓は激しく波打っていた。彼の「慎重」かつ「怠慢」な性格は、この過去のトラウマから生まれたものだ。

​「俺は、逃げているわけじゃない。これは、慎重な後退だ」

​恭平は、自分に言い聞かせながら、そのフレスコ画の広間を、最も壁際を這うようにして通り過ぎた。彼の視線は、決してフレスコ画に戻ることはなかった。

​広間を抜けると、通路は再び狭くなった。そこで、恭平は、他の探索者と遭遇した。

​「おい、こんな裏道に誰かいるぞ!なんだ、そのくたびれたレザージャケットは。貧乏くさいな」

​それは、傲慢のダンジョンで活動する、地元の冒険者チームだった。彼らは、恭平のくすんだ装備と、疲弊した様子を見て、侮蔑の目を向けてきた。

​「あなた、もしかして、あの暴食のダンジョンから逃げてきた東洋人?」

​彼らの視線には、恭平が最も嫌悪する「無謀な強者の傲慢」が滲み出ていた。

​恭平は、彼らとの接触を避けたい一心だった。彼らの存在は、恭平の「逃走」の邪魔になる。

​『マスター。彼らとの戦闘は、傲慢のロードの注意を引きます。ここで逃走を選択すれば、貴方様の「弱さ」を証明し、逆に彼らの監視から逃れることができます。『卑屈』こそが、このダンジョンでの最善の戦略です』

​チキンソードの助言は、恭平の「怠慢」を極限まで後押しした。

​恭平は、戦闘態勢を取ることなく、両手を軽く上げ、肩をすくめて見せた。

​「……悪いな。俺は、楽に稼ぎたいだけの、ただの貧乏な冒険者だ。戦闘はごめんだ。通してくれ」

​恭平は、彼らの嘲笑を背中に浴びながら、その場から立ち去った。彼は、一切の抵抗を示さず、彼らが自分に関心を失うのを待った。

​冒険者たちは、一瞬呆れた顔をした後、鼻で笑って彼を見送った。彼らにとって、恭平は「弱すぎる」存在であり、評価する価値すらなかったのだ。

​「フン。本当に貧相な奴だ」

​彼らの嘲りの声が聞こえなくなるまで、恭平はひたすら歩き続けた。

​『見事な『無関心』の獲得です、マスター。貴方様は、このダンジョンの最も賢明な探索者です』

​チキンソードの声には、わずかながら満足感が含まれていた。

​恭平は、再び一人になった通路で、リュックの中のマグネタイトの塊を固く握りしめた。

​(俺は、ただ生き残りたいだけだ。そのために、いくらでも卑屈になってやる。過去の栄光も、プライドも、どうでもいい)

​しかし、彼の心の中には、傲慢な冒険者たちへの激しい嫉妬が渦巻いていた。彼らのような「強者」になれなかった自分、そして、常に「逃げる」ことを強いられる自分への、拭い切れない苛立ちが。

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