第2話 襲来

   ◇ ◇ ◇


 最近は非日常感を味わえる機会が増えた。

 昨日は灰咲さんと一緒に買い物をしたし、彼女の手作りカレーを堪能した。


 灰咲さんに合鍵を渡してからは手料理を振舞ってもらうことが多くなったが、不思議なことに非日常感が薄れることはない。


 それだけ灰咲さんと過ごす日常に充足感を覚えているのかもしれない。


 しかし、バイト中はいつもと変わらない日常だ。


 変わらない日常とは言っても、本の虫である俺にとっては充実した日常だ。本に囲まれているだけで幸せだからな。


 というわけで、今日も今日とて幸せを噛み締め――バイトに精を出している。


「――獅子原君、悪いんだけど、これ、お願いしてもいい?」


 幸せを噛み締めていた――レジ対応を終えた俺に店長が声をかけてきた。


 本音が駄々漏れになっているような気がするが、ちゃんと真面目に働いています。

 幸せを嚙み締めながら真面目に働いています。


「わかりました」


 店長が押している品出し用のカートには、新刊が山積みにされていた。


 お世話になっている店長の頼みなら断ることなんてできはしない。そもそも仕事なので断る選択肢なんてない。


 それに新刊を棚に並べる作業は俺が一番好きな仕事だ。むしろ、こちらから頼んででもやらせてもらいたいくらいである。


「ありがとう。助かるよ」


 微笑を浮かべた店長は俺にカートを預けると、事務室の方へと足を向けた。


 店長は眼鏡を掛けた優男だ。

 困った時はいつも助けてくれるし、シフトの都合も融通してくれる。


 ただ優しいだけじゃなく、仕事ができる優秀な店長だ。


 しかも既婚者で、奥さんを大切にしている愛妻家でもある。

 本当に優しくて真面目な良い人で、欠点らしい欠点が見当たらないんだよな。


 俺は身近にいる人の中で、店長のことを最も尊敬している。


 店長のような大人になりたいと思うほど――。


 故に、店長のように仕事ができる大人になるために、任された仕事をきちんとこなそうと思う。


 気を引き締めた俺は、カートを押して商品棚へと歩を進めた。

 

   ◇ ◇ ◇


「――そういえば、これ、今日が発売日だったな……」


 新刊を棚に陳列していると、カートに山積みにされていた中から取り出した本に意識を持って行かれた。


 その本は公式サイトでチェックした時に気になった新作なのだが、発売日を失念していた。

 チェックしたのは一カ月くらい前のことだし、灰咲さんの件でいろいろあったから、うっかりしていた。


 せっかくだし、バイトが終わったら買って帰ろう。こういう時にすぐ買えるのは書店でバイトしている特権だな。


「――やっと見つけた!」


 バイトが終わるのを待ち遠しく思っていると、突然、男性の大きな声が聞こえてきた。


「探したんだぞ! 一緒に帰ろう!」


 怒号交じりの声が店内に響き渡る。


「――ちょ、離して!」

「はぁ!? なんでだよ!? 俺はお前のことをずっと探してたんだぞ!?」

「離してって!」

「だからなんでだよ!? 俺が来いって言ってんだから、お前は大人しく従ってればいいんだよ!!」


 男と言い合っているのって、まさか灰咲さん……?

 最近は一緒にいることが多いから、灰咲さんの声はすっかり聞き慣れている。


 間違いない。男と言い合っているのは灰咲さんだ。


 クールな彼女にしては珍しく悲鳴交じりの声を上げている。普段の彼女なら考えられない声色だ。


 嫌な予感がする――。


 外れてほしい予感だが、会話の内容から察するに望みは薄そうだ。


「嫌に決まってんじゃん!」

「なんで嫌なんだよ! 俺がわざわざ迎えに来たんだぞ!?」

「ああ、もう! ほんとに最悪」


 直接見ていないのに、どんどん激しい剣幕になっていっているのが手に取るようにわかる。


 俺の予感が的中してしまうなら、暢気のんきに新刊を棚に並べている場合ではない。


 とにかく今は灰咲さんのもとへ駆けつけなければ――!!


 俺になにができるかはわからないが、知らない振りなんてできるわけがない。


 だからできることを模索して、灰咲さんを助ける――!!


 そう決意した俺は、棚の整理を一旦放棄して言い争いの発生源へと駆け出した。

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