第3話 営業妨害
◇ ◇ ◇
「――なあ……どうしたんだよ? お前はそんなこと言う奴じゃなかっただろ? なんでそんな悲しいこと言うんだ?」
「いいから離して」
「頼むから、一緒に帰ろう、な?」
「今、仕事中なんだけど」
言い争いの現場を目視できる距離まで移動したら、このような会話が繰り広げられていた。
先程までの剣幕とは打って変わって、男の態度が随分と弱々しくなっている。
対して灰咲さんは徹底して冷めた態度を貫いていた。
意識して冷めた態度を取っているというよりは、素の反応で対応しているだけだと思う。
好き嫌い以前に、興味がなく、関わりたくない。それが灰咲さんの本心なのだろう。
「なら、仕事が終わったら一緒に帰ろう!」
「今後のシフトもあるんだから無理に決まってんじゃん」
「…………」
灰咲さんが正論をぶつけると、男が若干たじろいで口を噤んだ。
「そもそもあんたとは縁切ったから」
「――はあ!? なんだよそれ!」
「そう伝えたでしょ」
「あんなメッセージ一つ残されたくらいで、「はい、そうですか」なんて言えるわけないだろ! 俺は認めてない!!」
弱々しい態度はなんだったのかと目を疑いたくなるほど、男の態度が急変した。
激高していて、今にも灰咲さんに掴みかからんばかりの勢いだ。
いったいこの人の情緒はどうなっているのか……。
感情の浮き沈みが激しすぎるだろ……。
――って、呆れている場合じゃない!
このままじゃ本当に灰咲さんが危ない!
今の男の情態だとなにを仕出かすかわかったもんじゃないからな。
「お前は俺の物なんだからな!!」
「痛いって!!」
案の定、男が灰咲さんに掴みかかってしまった。しかも最低なことを口走っている。
男の風上にも置けない。同じ男として恥ずかしい限りだ。
灰咲さんは物じゃないし、あんな男に従う義理もない。
怒りが湧いてくるが、それ以上に呆れのほうが強くて、段々となんの感情も湧かなくなってきた。
「――お客様、ほかのお客様のご迷惑になりますので、これ以上はお控えください」
慌てて灰咲さんと男の間に割って入ると、灰咲さんが「獅子原君……」と呟いた。
「誰だ、君は? 君には関係ないだろう!」
「関係あります。私は彼女の同僚です。そして今は業務中です。大いに関係あります」
「……これは俺と彼女のプライベートの話だ。プライベートでは、君は関係ないだろう!」
男は正論をぶつけられると、苦し紛れに言葉を絞り出した。
最初は覇気がなかったが、後半部分はやけくそ気味になっていた。
「確かに彼女とお客様の問題に口を出すのは筋違いかもしれません。ですが、彼女は今、仕事中です。仕事中に本人の意思を無視して強引に連れ出す権利は、お客様にはありません。この場においては、お客様が筋違いです」
「――なんだと!?」
灰咲さんに対する態度にイラっとしてしまい、つい煽るような言い方をしてしまった。
当然、男は激高する。
その怒りようは見事なもので、青筋を浮かべるという表現は比喩ではなく、実際に起こることがある現象なのだなぁ、と実感できるほどだ。
これ、いつ血管が切れてもおかしくないんじゃないか……?
「つまり、営業妨害です」
普段は迷惑な客が来ても仕事モードに入っているから、割り切っていて腹が立つことはあまりない。だが、なぜか今日はやけにイラっとする。
そのせいで、目の前にいる迷惑男に追撃をしてしまった。
今は客の姿が
とはいえ、客は客。大事なお客様だ。
人数が少ないからといって、疎かにしていい理由にはならない。
この情緒不安定な男のせいで、店側もお客様も迷惑を被る。営業妨害以外の何物でもない。
男には少し棘のある言い方をしてしまったが、これくらいは許してほしい。
そもそも俺みたいな若造に説教されるほうが悪いのだ。
大人として、社会人として、恥ずかしくはないのだろうか……?
「……確かに少々騒ぎすぎたかもしれないが、俺は一年間もこいつのことを探していたんだ。探偵や興信所を頼って、一年だ。時間も金も労力も使って、やっと見つけたんだ。冷静さを欠いてしまうのは仕方がないだろう?」
意外や意外。
ブチギレるかと思いきや、意外にも態度を改めた。――取り繕っても手遅れだけど。
世間体を気にする人って灰咲さんが言っていたし、そこまでおかしくはないのかな?
営業妨害と言われて苦々しく思ってはいても、世間体を気にして現状を把握する思慮深さは残っているようだ。
情緒不安定なDV野郎に思慮深さなんてあるのか? とツッコミたいところだが、おそらくこの男は灰咲さんが絡まなければ全うな人なのだろう。
外面は良いと言っていたけど、それは猫を被っているからではないと思う。おそらく、本当に素で外面が良いのだろう。
そうでもなければ、灰咲さんがこの男に惚れた理由がわからない。
感性は人それぞれだから否定するつもりはないが、始めから男の本性があらわになっていたら、余程の物好きでもない限り好きにはならないだろうしな。
周りの目を気にする素振りを見せて、今更ながら取り繕うとしている男の姿に、そんな印象を抱いた。――まあ、あくまでも俺の推測にすぎないので、まったくの見当違いの可能性もあるが。
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