〈シノノメ〉
「……ん、ふぁあ。」
目を覚ますと暗い部屋にいた。少しずつ目が慣れてくると、そこがテツグロの研究室だとわかる。体を起こそうとしても、まだ感覚が戻りきっていないのかうまく起き上がることができなかった。それだけじゃない、なんだか足が痛いような気がする。
「ねぇ、何してたの?」
『たいしたことはしてねぇよ。少し運動しただけさ。』
「その少しが問題なんだけど」
『すぐに治るだろ。俺の力はそこまで弱くないと思ってたんだがな。ほら、早く起きろ。やることがあるんだろ?早くしないとお前だけ何もできないままかもな。』
声の主がふざけた口調で急かしてくる。良い奴なのか悪い奴なのか、それなりに一緒に過ごしてきたけどまだ答えは出てない。ただ確かなのは、この何とも言えない奇妙な関係が悪くないということだけ。
「もう少し気をつかってくれたらいいんだけどな。」
『何か言ったか?』
「なんでもないよ。それより、あそこの本棚だね。アサギの話だとあれを動かせるらしい。タタリメ、手伝ってくれる?」
『ああ。』
短い返事が聞こえてすぐ、自分の体の中のカラクリが動くような感じがして、自分の意識外で体が動くようになる。本棚の前まで歩いてしばらく周りを確認したあと、本棚を思いっきり引っ張る。ずずっと擦れる音が鳴った。
『いくらなんでも重すぎるだろ。本当にあってんのか?』
「大丈夫だと思う。だって、アサギが開くって言ったんだから。」
『……アイツが言うなら、開くんだろうけどな。お前、見てるだけじゃなくてちゃんと手伝えよ?』
「わかってるってば。いくよ、せーのっ」
さっきよりも力を入れると、がこっと何かが外れる音がした。そうしたら、それよりあとは少しだけ動かすのが楽になった。ロックか何かが外れたのかな?
『おい、見ろよ。これは凄いものが出てきたな。』
動かした本棚の向こうには明かりのない部屋があった。僕にはほとんど見えていないけど、彼には見えているらしい。
『へぇ、あのおっさんがこんなものまでここに作ってたとは思わなかったな。』
「もう、だから見えないんだってば!」
『まあ待てよ。すぐに見えるようになる。』
言われた通りに真っ黒い部屋の中を睨みつけて待っていると、突然チカッと何かが光る。その直後、天井の照明が数回点滅して部屋に光が戻る。眩しさに思わず目を閉じて、それからおそるおそる目を開けるとそこにあったのは、壁一面を覆い尽くす不気味な機械だった。
「何これ……すごい嫌な感じがする。」
『まあ、あまり褒められたものではないが、それでもこれのおかげで助かってるやつもいるんだ。』
慎重にそれに近づくと、壁の真ん中にちょうど人1人座れそうな場所があることに気づく。よく見ると確かに椅子のようになっていて、そこにはいくつものコードが繋がっていた。
『なあ、あそこの棚の中何かありそうじゃないか?』
視線の先、入ってきた場所から見て右側には隠し扉になっていた棚と同じデザインのそれがあった。ファイルに収められた書類がびっしりと詰まっていて、中にはとても読めないような古い文献もあった。そしてその中にひとつ、かろうじて読める古い紙が残っていた。
「ねぇ、これって……」
『ああ。人身売買契約書だ。黒髪、赤目の少女を一人、随分高い値段で買ったみたいだな。』
「テツグロが買ったの?」
『さあな。インクが違うのかそれとも細工をしたのか、サインの部分だけ劣化が早い。これだと誰が書いたのか特定するのは不可能だ。ただ、これがここにあるのはそういうことだろう。』
手がかりを探していくつかファイルを取り出してみると、その後ろに黒い箱が置いてあることに気づく。
「これ、開けていいのかな?」
『変なものが入っているようには見えない。大丈夫だとは思うが、気をつけろよ。』
慎重に蓋を持ち上げる。中身を隠すようにさらに一枚、小さな紙が入っていた。
────ようやく解毒薬が完成した。これでコハクを治療できるはずだ。どうか、これを見つけた人が正しい人であるように────
紙を持ち上げると、中には透明な液体が入った小瓶と注射器がしまわれていた。これを使えば眠ったままのコハクを治せるらしい。
本当に、治すの?
このままにしておけば、タタリメを助けられるかもしれないのに?
本当に、治すの?
『おい、何考えてんだ?』
「い、いや、なんでもない。」
『あんまり変なこと考えるなよ。それより、見てみろよ。』
棚の反対側、照明の明かりが届かない真っ黒な壁をよく見ると、そこに何かがある。近づいてみると、それは階段だった。ちょうど人1人通れるくらいの狭い階段。
『登ってみるか?』
「うん。」
と、言ってみたものの階段は想像以上に暗く、足元はほとんど見えなかった。タタリメの目を頼りにひたすら階段を登っていくと、途中壁のすぐ向こうから物音や人の声が聞こえた。誰の声かまでは判断できないけど、どうやら壁の中を進んでいるらしいということはわかった。
「ねえ、これどこまであるの?」
『そうだな、多分ここは3階だ。そして、行き止まりでもある。』
「はあ?こんなに登ったのに?」
『でかい声を出すな。誰かに聞かれたらどうする?』
目の前の壁に触れてみると、ただの壁の中に境目があることに気づく。ドア1枚くらいの幅で壁が奥まっているのだ。
「これってもしかして」
『隠し扉だな。開けてみるか?』
奥まった壁の1ヶ所に、指をかけられそうなツマミがある。それを使って開けようとすると、確かに壁は動くのに何かにぶつかって動かない。
『これは、反対側の部屋に行ってみるしかないな。』
「そう、だね。3階ってことは、この部屋は」
────モエギの部屋だ。
最果ての落園の同胞たちへ 蒼井 芦安 @Aoiroa
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