〈アサギ〉

「別に、ゾウゲにもらったから見てただけよ。なんとか家って言われても分からないし。」

クチナシは不機嫌そうに言った。どうやらさっき騙されたことが不満らしい。

「私たちの名前が書いてあるって言ってたから見てたけど、本当かどうかはわからないわよ。」

「……?」

紙に書かれた名前にもう一度目を通すと、そこに不審な点は無い。カルマート家に塗りつぶされた名前があるが、それが何を消した跡なのかは分からないままだ。

「クチナシは、ゾウゲを嘘をついていると思うのかい?」

「知らないわよ、そんなの。言ったでしょう?私には偉い人の知識はないの。だからここに書いてある名前が正しいのかどうか私には判断できない。」

若干の不機嫌さを残したまま、一息で話すクチナシは嘘をついているようには見えなかった。取り繕っている様子は無いし、むしろ普段のクチナシと変わりないように思える。

彼女が本当に彼女の考えを話しているのだとしたら、俺は彼女が隠している秘密に気づいてしまったのかもしれない。

「…………俺は、ゾウゲの言ってることは正しいと思う。」


俺の名前があるから、とは言わなかった。できるだけ平静を装って、聡い彼女に見抜かれないよう話す必要がある。


「これはテツグロの字だ。あの男が研究以外に興味があるとは思えない。まして進んで貴族階級の人間を調べようとはしないだろう。だったら、この屋敷にいる俺たちに関わるものだと考えた方が筋が通る。」

納得させるには理由が弱かったのか、クチナシは疑うように睨んできた。それから、悩むような素振りをして思い切った顔で聞いてくる。

「アサギ、もしかしてあなた、倒れたショックでおかしくなったの?」

予想外の質問にどう反応するべきか困って固まっていると、返事を待たずに次々とクチナシが喋り続ける。

「普段のあなたは、モエギのことしか考えてないみたいな感じじゃない。それがどうしたらこんなに真面目な、それも目が覚めてすぐに人を騙すような人格になるのよ。頭がおかしくなったとしか考えられないわ。」

「君は俺をなんだと思ってるんだ?」

「一人娘に骨抜きにされてる情けない男」

「………………そんなにはっきり言わないでくれ。これでも自覚はあるんだ。」

クチナシは驚いた顔で固まってる。多分、仮面の奥で目を白黒させてる。一体俺は彼女にどう思われていたんだろうか。せめて、自覚してるのと同じくらいであって欲しい。

昔から俺はに執着すると言われていた。それが物だったり、人だったり酷いときは庭に咲いてる花だったりした。だが、恐ろしいことに当時のことを俺はほとんど覚えていない。当然知りたくもない。わかるのは、現在の執着心がモエギに向いているということだけだ。それが娘だからか、それとも別の理由があるのか俺すらわかっていないのだが。

「急に態度を変えたから驚かせただろうが、一応こっちが普段の喋り方なんだ。仕事柄多少の小細工は必要でね。手癖が悪いくらいに思っておいてくれ。」

「よく分からないけど、そっちの方が嫌だわ。手癖が悪いじゃなくて、せめて職業病ってことにしておきなさいよ。」

なぜ俺は娘と同じくらいの歳の少女に叱られているのかわからないが、変に疑われないのならそれでいいことにしよう。

「それより、もう体調はいいの?」

「ああ、万全って訳でもないが、動けないことはないはずだ。」

「絶妙に信頼できないわね。」

冷たい視線を向けられている気もするが、仕方がない。俺一人だけ休んでいるわけにはいかないんだ。無理をするのは慣れている。

「クチナシ」

「……?」

「食堂に全員集めてくれ。」

「………………?」

「クチナシ、聞いてるか?」

「あいつ、何してるのかしら。」

クチナシは窓の方をじっと見つめて、呟いている。

「クチナシ、おーい。」

「きゃぁ!」

こっちの声が全く聞こえていないようだったから、近くで声をかけたんだが何故か叫ばれてしまった。いや、叩かれなかっただけマシかもしれない。

「な、何よ急に。」

「窓の外、何か見えたのかい?3階の部屋だし、君が座ってるところからだと庭は見えないんじゃないか?」

「なんて言えばいいのかしらね。…………大きな烏が屋根から落ちていった、ように見えたわ。ええ、あれは烏。烏よ。そうじゃなかったら幻覚だわ。」

明らかに取り乱しているクチナシを落ち着かせて話を聞くと、どうやら窓の外に人影を見たらしい。それも、屋根から地面に向かって落ちていく人影を。直接話すことはないが、おそらく彼女は人影の正体を知っているように思われる。隠していると言うよりも信じないようにしている、に近いだろうか。

「もう一度全員に話を聞く必要があるな。」

「食堂に集めるの?」

「さっきそう頼んだつもりだったんだが、いや、なんでもない。こっちの話だ。そうだな、食堂でいいだろう。そろそろ腹が減る頃だろう?夕食ついでに話をしよう。」

「……味がしない夕食になりそうね。」

「ん?何か言ったか?」

「何も言ってないわよ。今のあなたと会ったらみんな驚くだろうなって思ったの。」

ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がったクチナシは「早く行くわよ」と、病人を容赦なく立ち上がらせると半分引きずられるように食堂に連れていかれた。そして、いつも通りの暖炉から遠い席の前まで行くと強引に座らせて、「大人しく待ってなさいよ。」と吐き捨てていなくなった。気をつかってくれるのはありがたいが少し遅い気がする。

ただ、慌ただしい彼女のおかげで思考を整理する時間を取れたのは大きい。倒れる前のスミレと話したこと、それからクチナシが持っていた紙片。加えて中途半端に戻った────


「コハク、今がそのときなのか?」


全てを受け入れるには、まだ、俺は弱すぎる。

だから、今はもう少しだけのままで──


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