〈クチナシ〉
「待ちなさいよ。」
もう一度叫ぶと、ゾウゲは立ち止まって振り返った。
「どうして追いかけるの?」
「どうしてって、あんたが急に出ていくからでしょう?」
ゾウゲは意味がわからないというように首を傾げた。それから、こう言った。
「僕はまだ話す気がないと言った。それなら、あの場に残って他の人から話を聞いた方が有益だったと思うよ。それとも、僕をどうにかしたい理由でもあるの?」
「別に興味無いわよ。あんたが何かを隠していたとして、それを無理矢理聞きだしたところでそれが嘘か本当か分からないんだから。それよりも今は、あの場から抜け出したことの方が大きいわ。」
「あの場にいて、何か不都合なことがあるんだ。」
「ええ、もちろん。あのままだと私、ずっとシノノメと一緒にいることになるわ。それは無理よ。私だって他の人から聞きたいことがある。シノノメがどう思ってるか知らないけど私はまだ、完全にあの子を信じたわけじゃないの。それに、何かあったときずっと一緒にいたら疑われるから。って、聞いてないわね!」
話している間に、ゾウゲはスタスタと歩いていってしまう。慌てて走って追いかけると、辿り着いたのはゾウゲの部屋だった。
「入っていいよ。君に、見せたいものがある。」
言われるまま部屋の中に入ると、そこは人が生活しているとは思えないほど物がない空間が広がっていた。最低限の家具はあっても使っている形跡は無い。シワひとつない寝具は気味が悪いほどだった。
そんな部屋の中で異様な存在感を放っているものがある。それは…………。
「チェロ?」
「そう。これは、ある人から貰ったんだ。本当は、僕にはこれを貰う資格なんてないんだけど。」
「あんた、楽器弾けたんだね。」
「弾けるよ。教えてもらったんだ。」
そう言ってゾウゲはチェロを構えた。そしてゆったりと、メロディーを奏で始める。
その姿が、何かと重なる。
私はこの光景を知っている。
もう忘れていたはずの、あの頃の記憶。
そうだ、あの人もこうして楽器を弾いていた。
私はそれをずっと部屋の外から見ていて、
それに気づいたあの人は私を手招きした。
そうして、私は…………。
「泣いてるの?」
ゾウゲの声で我に返った私は、とっさに袖口で目を教えて顔を背ける。
「な、泣いてないわよ。目にゴミが入っただけ。あんた、この部屋換気してないでしょう?」
言い訳を並べながら窓を開ける。部屋の中が埃っぽいのは事実だ。たぶん換気していないのも本当だと思う。
「…………それ、開くんだ。」
「はぁ?あんた、窓の開け方も知らないの?私が言えたことじゃないけど、どんな風に生きていたらそんなことになるのよ。」
「さあ、覚えてないから。でも、屋根のある場所で寝たのは、ここに来てからだと思う。どこに住んでいたのか、何をしてたのかも忘れちゃったけど、自分がしないといけないことは分かってるつもりだよ。」
「…………そう、なのね。」
「だから、協力して欲しいんだ。」
「………協力?」
いつもとは違う真剣な雰囲気に戸惑う。何が理由なのか分からないけれど、ゾウゲの目にようやく光が灯ったような気がする。といっても仮面でほとんど見えてないんだけど。
「探してる人がいるんだ。昔一緒に遊んでた女の子だよ。名前も、顔も覚えてないけど、時々あのときのことを思い出すんだ。」
「何も覚えてないのに探そうとしてるの?いくらなんでも無理があるんじゃないかしら。」
「全部忘れたわけじゃないよ。家を抜け出して、高台まで2人で登って遊んだ。たまにだけどご飯を一緒に食べたこともある。それから、あの子もチェロを弾いてた。」
「そう。協力してあげたいけど、私たちはここから出られないわよ。」
「それでいいんだ。どうせ外に出たところで会えないから。」
それ以上は言わなかった。だけどその言葉が意味しているものに気づいた私は、ただ次の言葉に迷っていた。
おそらく彼女は死んでいる。そしてそれをゾウゲ自身も認識している。つまりゾウゲが探しているのは女の子では無く彼女の名前というわけで、協力してくれるよう頼んだのは手がかりを見つけたから、といったところだろうか。
黙っていると、ゾウゲが挑発するような口調で話し始めた。
「嫌なら取引でもいいんだ。僕は君にとって有益な情報を持ってる。だから、君が持っている1番重要な情報が欲しい。」
「別に構わないけど大した情報じゃないわよ。多分あんたが持ってるのよりもちっぽけなもの。それでもいいのなら、協力してもいいよ。」
「取引成立だね。」
ゾクリと背筋に嫌な汗が流れる。もしかしたら、私は失敗したのかもしれない。この人と取引するには危険だったのかも。
「まずは君から。」
「わ、わかったわ。そうね、情報になるかは分からないけれど、王立研究所についてなら少しだけ知ってるわ。」
「聞かせて。」
「知ってるって言っても内部情報までは知らないわよ。ただ王都の外れにあるってだけ。外れって言うよりも後ろって言った方がいいかしら。何を隠してるのか知らないけど、行ったことがある人じゃないと分からないような場所にあるの。」
「クチナシは行ったことあるの?」
「あるわけないじゃない。そういう話を聞いただけよ。出身は違うけど王都に住んでた時間の方が長いから。」
そういうとゾウゲは顔をしかめた。だから言ったじゃない、たいしたことないって。
「研究内容は、まあ何となくわかってると思うけど鬼に関してだと思うわ。鬼と人間の違いはよく分からないけど、少なくとも私は鬼が敵だとは思えない。それなのに鬼は人間の敵だ、なんて言うんだから何か見つけたんでしょう。」
「…………。」
「はぁ、まだ足りないのね。わかった、言うわよ。隠してたって意味無いから。」
それは数ヶ月前に遡る。アサギの代わりにモエギを迎えに行った私は、彼女の部屋であるものを見つけた。そして私がそれを詳しく見ようとすると、彼女は急いでそれを隠したのだ。余計な情報を出して混乱させたくないから黙ってたけど、取引と言われれば差し出せる情報はこれくらいしかない。
「モエギの部屋に、王都の設計図があるわ。それと王立研究所と収容所の地図もあった。手描きで何か印みたいなものがついてたけどそれが何かまでは判別できなかったわ。急いで隠してたから、今は違う場所にあるかもしれないけど。」
これでどう、と笑ってみせるとゾウゲは少し考えてから頷く。
「次は、僕の番だね。」
そう言うと、ゾウゲは1枚の紙切れを取り出して私に差し出した。
「…………あんた、これって。」
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