第6話
ホロは、予想より早く到着した。すっ飛ばして来たようだ。
「危ないのは誰だ!」
ドアを開けると叫ぶ。
「シェトゥーニャとクリステルだよ」
「クリステルって?」
「ラヴェンナの国王陛下」
ホロはのけ反った。イモジェンとグウェンも車から降りる。
「早く行って、エスカ!」
「ホロ、アダに連絡お願い!」
三人に追い立てられるように、エスカのエアカーは空中に舞い上がった。目指すはラヴェンナ王宮である。
エスカは、途中で一時間ほど仮眠をとったのみで、ひたすらエアカーを飛ばした。通常なら一日半の行程を、一日で飛んだことになる。
以前、王宮に来たことが役に立った。周辺の地理や王宮の間取りを知っていたからだ。
王宮から少し離れた大木の陰に、エアカーを停める。
アスピシアを連れて、音もなく、壊れかけた裏門近くの塀を乗り越えた。
シェトゥーニャに交信を試みた。出て、シェトゥーニャ! 聞こえてきたのは、弱々しく息継ぎがやっとの喘ぎである。間に合った!
エスカは方向を見定めると、走り出した。アスピシアが続く。
「何者か!」
離れた所からの
「女神殿のエスカ」
「お、お嬢ちゃんか!」
近衛兵のようだ。当たりである。
「シェトゥーニャは?」
「陛下のお部屋だが」
「陛下のお部屋はどこ?」
付いて来いと、兵士は走り出した。エスカと並んでアスピシアも走る。階段を二段飛ばしで上り、上階に出る。
二十メートルほど先の廊下に、マティアスと二名の騎士がいた。
「ありがとう」
言うとエスカはジャンプして、マティアスの前に着地した。一瞬後にアスピシア。
目を丸くしている一同に、 エスカは指示を出した。
「僕が呼ぶまで、扉を開けないでね。アスピシアも待て」
エスカは扉を僅かに開けると、室内に身を滑り込ませた。息は止めている。
手を横に振って、バルコニーの窓を開ける。腰の短剣を抜いて真っ直ぐ前に構えると、一回転した。
室内に蔓延していた呪詛が、外に流れ出て行く。次に、扉以外にバリヤーを張り巡らした。
「お入りください」
エスカは扉に向かって叫ぶと、室内に倒れているふたりに駆け寄った。
クリステルは、シェトゥーニャを抱き抱えている。クリステルの方が余力があると咄嗟に判断したエスカは、シェトゥーニャに人工呼吸を始めた。
全員が入室したのを確認して、扉にもバリヤーを張る。アスピシアが、クリステルの頰を舐める。
エスカは、マティアスと目を合わせると、手でクリステルにも同じ処置を施すよう、指示した。
マティアスは、一瞬怯む。
「あ、ではわたしはシェトゥーニャを。てっ!」
言った途端、クリステルに向こう脛を蹴飛ばされた。エスカは笑ってしまった。
その元気があれば大丈夫。唇を放すと、シェトゥーニャが咳き込み始めた。
「背中をさすってあげて」
エスカはクリステルの介抱に取りかかった。上着のボタンを外し、喉をさする。クリステルは小さな呼吸を繰り返し、苦しそうである。
「大丈夫。ゆっくり深呼吸して。部屋中にバリヤーを張ったので、もう呪詛は届きませんよ。マティアス、呪術師を使うのは誰?」
「
「女性……」
意表を突かれて、エスカは呟いた。
「では、大后と呪術師を逮捕してください。一緒にいるはずです。僕から合図があるまでは、ドアの前で待機ということで。
連行する際に、あのバルコニーの下を通ってね。担架が必要になるかも知れないけど」
マティアスが、疑問の目を向ける。
「シェトゥーニャに、父親の仇を討たせたい」
一同納得したようだ。エスカはウィッグをかなぐり捨て、ドアとバルコニーのバリヤーを解除した。
ひとりの兵士が、部屋を飛び出して行く。マティアスが携帯で指示を飛ばす。
上空から、ヘリのエンジン音が聞こえた。シルデス軍警察の大型ヘリだ。
「マーカスか!」
マティアスが破顔一笑した。
「やるな、マーカスボーイ!」
長兄マティアスにかかっては、マーカスもボーイなんだ。この緊張した場面で、エスカの気持ちがほぐれた。
「大后の部屋は?」
「南西の方向です」
残るひとりがバルコニーの窓に近づき、外に出た。
「あちら……」
言いかけた時、飛び出したエスカが、兵士を突き飛ばした。ほぼ同時に、エスカは左腕に熱い衝撃を感じた。
「大丈夫?」
倒された兵士に声をかける。
「平気だ! 君は?」
兵士は起き上がりざま、庭に向かって発砲した。
「何ともない」
腰の短剣を抜き、応戦する。敵の数が多い。大后の権力が強いようだ。
直系の子か孫を王位につける。そのためには手段を選ばない。人間性など、どうでもいいのだろう。
応戦していると、庭から援護してくれている者に気づいた。以前から潜伏している砂漠の民か?
暗闇で見え隠れするのは濃い金髪。いい腕だ。
援軍が来たのだろう。マティアスが参戦する。
「援護よろしく」
言うとエスカは、南西に向きを変えた。足を開いてしっかり立つ。
短剣を両手に持ち、上空に掲げる。古代イシネス語の祈りを唱え、短剣をまっすぐ前に持ち直した。
直後、どかんという衝撃が地面を揺るがした。よろめかなかったのは、エスカのみである。
見ると、南西の宮殿が傾いている。エスカはマティアスを見た。
「よし、逮捕しろ!」
伝令が走る。エスカは短剣を鞘に収めると、室内に戻った。クリステルに数人の護衛が付いたのを、確認する。
「よく聞いて、シェトゥーニャ。お父さんの殺害命令を出したのは、国王じゃない。お后だよ。今下を通るから」
エスカは、クリステルが自分を凝視しているのを感じたが、今は無視。
「アスピシア、行くよ」
再びバルコニーに出る。
「しっかり掴まってね」
腰の反重力ベルトを操作し、シェトゥーニャを抱えて一気に飛び降りる。
アスピシアが続いた。訓練しておいてよかった。
少し離れた所から聞こえるのは、ウリ・ジオンの狙撃銃だろう。確実に命中しているのがわかる。
近くで援護している男が、視界に入った。黒い肌、金髪。エスカに、数年前に女神殿で聞いた話が甦る。
それは後だ。エスカはアルトスに交信した。
『黒幕は大后だよ。シェトゥーニャの霊力補助をお願い。クリステルの寝室の下』
シェトゥーニャは、小刻みに震えている。武者震いか。何年もかけてきた計画が、今実行されようとしている。
南西の方角から、ざわめきが近づいてきた。アルトスが走り来て、シェトゥーニャの肩を抱いた。
車椅子に乗せられた、大柄な老女。
泡を吹きながら、何やら呪文を唱えている。あまりのおぞましさに、周囲の者は一歩引いた。
「大丈夫。呪詛返しをしたから、この人の呪いは、すべてこの人に還るよ」
その言葉に、大后はきっとエスカを睨みつけた。どうやって生きてきたら、あんな悪相が出来上がるのだろう。
「この、
唾を飛ばして喚いた。一同の視線がエスカに集まる。年の功か、正鵠を射ているではないか。
「くたばれ、クソ婆ァ」
冷静に放たれた罵倒に、真っ先に反応したのは、やはりアルトスだった。爆笑である。
続いて、騎士団から歓声が上がった。
「出ました!」
「悪口雑言のエスカ!」
やんやの喝采である。イシネスでのクーデターの際の椿事を、再現しているようだ。
駆けつけた近衛師団長殿マティアス閣下は、最初笑っていたが、手を振って騒ぎを収めた。エスカは数歩下がった。
大后が、シェトゥーニャに気づいたのだ。シェトゥーニャは、誇り高く美しく、気品に満ちていた。
ややあって、シェトゥーニャの目が半眼になる。開かれた口から、男の声が聞こえた。
「砂漠の民の長である我を殺した罪を、我が民は未来永劫忘れぬ。子々孫々、末代まで祟ると思い知れ」
大后が身震いした直後、シェトゥーニャとアルトスの背後から、眩い光が差し込んだ。見る間に、光はふたりの背後いっぱいに拡がる。
「爺さま龍……」
エスカはひざまづいた。一同も続く。突然、世にも怖ろしい絶叫が響きわたった。
瞬時に光は消えた。ふたりの老女は身を震わせ、断末魔の様相を呈している。
エスカは身を翻してその場を去ろうとした。アスピシアが続く。
「エスカ」
呼ぶ声に振り向くと、クリステルである。何やら不思議なものを見るように、エスカを凝視している。
不意に、何の脈絡もなくエスカは悟った。このお方だったのか。何故か心底ほっとした。
「お元気で」
にこりとして言うと、クリステルが一歩踏み出す踵を返した。
中庭の喧騒を背に、脱兎の如く走る。アスピシアと一緒に、三十メートルほどジャンプすると、目の前を金髪が走っている。
「イレ!」
呼びかけると、驚いた顔で男が振り向いた。
「この先に車があるんだけど、乗ってく?」
「おう! 助かる!」
端正な顔が綻んだ。
エスカの左腕から出血しているのを見たイレは、無言で運転席に乗り込んだ。
助手席にエスカ、後部座席にアスピシアである。
「女神殿のエスカだな。撃たれたのか?」
「かすっただけだよ」
「少し離れてから手当てしよう」
イレは静かに発進し、低空飛行に移った。
「立派な龍だったな」
「え、あれが見えたの? 普通の人には、光しか見えないんだよ。悪しき者には、怖ろしいものが見えるそうだけど。
ひょっとして、霊感ある?」
「子どもの頃、少しはあったようだ。だが自然に消滅したらしい。知ってたのか、俺のこと」
「噂で聞いていた。黒い肌、金髪、ゴールドアイの優秀なラヴェンナの神学生。それと若い頃の武勇伝をね」
エスカは、くすくす笑った。
「でも、タンツ商会ラドレイ支社長のイレ・ハウゼンとは気づかなかった」
イレはともかく、ハウゼンは偽名だろうけど。
「あの事件は握り潰されたはずだが」
昔話のせいか、イレも笑っている。
「世間一般には知られていなくても、神殿繋がりのゴシップでね」
「はは。俺はあの
家族の中で、そのケのあるのは俺だけだった。何代か前に、そういう人がいたそうだから、先祖返りみたいなものだと言われたよ。
その霊感のせいで、ああした呪い師が、俺を養子に欲しがった。両親は呪いの類を嫌っていてね。
いや、呪い師は役に立つんだよ。軽い怪我や病気を治せるし、村人の相談相手にもなる。だが呪詛もやるからな。
で、父は、俺を問答無用で、神学校に押し込んだ。それも全寮制のさ。
まだ幼かった俺は、親を恨んだもんさ。だが神官になれれば、食いっぱぐれはないからな。
頑張って勉学に励んだのに、卒業間際にアレだ。俺も動機が不純だったから、文句は言えないが」
イレは、空き地を見つけて車を停めた。エスカは、トランクから救急箱を取り出す。水を取り出して、イレに渡した。
アスピシアの皿に水を淹れる。アスピシアが飲むのを確認してからエスカも飲む。イレの視線を感じた。
「この服はどのみち駄目だな」
呟いてイレは、いきなり左袖を肩の縫い目から引きちぎった。しまった。左腕だった。息を飲んだ空気が伝わってくる。
「……かすったにしてはえぐれてるな」
「道理で、急に痛くなってきたよ」
笑うエスカに、イレは無言で処置を始めた。古傷について、何も聞かないでいてくれるのは、ありがたかった。
「熱が出るかも知れないから、寝てろ」
イレが包帯を巻き終えると、エスカはアスピシアにフードを与えた。
人間たちは、車に積んで置いたパンとりんごで、腹ごしらえをした。
「今、仕事は何やってるの?」
後部座席で、アスピシアと寝ながらの会話である。
「モリスさんが、廃船寸前の魔女号を買ったんだ。昔取った杵柄で、船長に雇われたよ。アダの紹介だ。
修理が一ヶ月後に終わる。それから積み込みやら何やらやって、十日後に出航の予定さ」
「すると、一ヶ月はヒマ? 霊力の訓練、受ける気ある?」
「霊力って……俺にはもう」
「いや。爺さま龍が見えたってことは、あるよ。僕が戦ってるとこ見た?」
「もちろん。短剣の先から何か出てたな」
あれが見えたのか。
「あれを覚えてほしいんだけど」
「俺にできるなら、ぜひ頼む!」
翌々日、イレは張り切ってやって来た。エスカは、育児と家事の合い間に、 イレを訓練することにした。
リトヴァとシウスは、イレが気に入ったようだ。子守りをしてもらって、ありがたい限りである。
それに、イレは動物好きでもあった。アスピシアもカエサルも、すぐに懐いた。
その夜、アダからウェブ会議の招集があった。イレも同席してほしいと言う。
子どもたちを寝かしつけ、ふたりはタブレットの前に座った。アダが口を開く。
「最初に紹介するよ。イレ・ハウゼン」
イレは神妙に頭を下げた。他のメンバーの自己紹介を終え、アダは続けた。
「イレは約一ヶ月後に出航する魔女号の初代船長だ。以前は半年に一度の旅だったが、これからは三ヶ月に一度の出航になる。次は俺が船長な。その次はセダ。三交替制だよ。
俺が留守の時、イレに、モリスの店で店長をやってもらう。セダが留守の時、イレは農場で働いてもらう。セダ、これで納得してくれ」
さてはセダがゴネたな。セダはにやりと笑って頷いた。
モリス社の社員ですらない、セダの抜擢。アーロン・モリスは大物かも知れない。
「ラヴェンナを出た後で、農園で働いた事があるんだ。年ごまかしてな。だから経験者だ」
イレは得意そうだ。
「そのラヴェンナを出るきっかけになった件を、何故かエスカが知っていた。どういう話になっているのか、聞きたいんだが」
「みんなの前でいいの?」
「構わない。俺は、その後のことを何も知らないんだ」
「わかった。以前話したと思うけど。
主神殿のエラい神官さまたちは、時々婆巫女さまたちとお茶しに見えていた。
僕はお茶やお菓子を運んでたんだ。その時に小耳に挟んだんだよ。
十七年くらい前のことだけど。ラヴェンナ神殿の神官長が、神学生に手を出そうとしたって」
「げ」
とセダ。
「その神学生は卒業間近で、まだ未成年だった。黒い肌、濃い金髪でゴールドアイの、美しい若者だったそうだ」
イレは、さすがに恥ずかしそうに、下を向いた。
「神官ていうのは、金髪が好きなのかねぇ」
アダがセダをからかう。
「ほっとけ」
セダは赤面した。イレが、興味深そうにセダを見る。
「それでその神学生は、相手の急所を蹴飛ばして遁走した。そのまま行方知れず。
神殿としては、非常に不名誉な話だから、この件は握り潰した。
神官長には、一ヶ月の減給のみ。神学生は破門だってさ。酷いハナシ」
「やっぱり破門されてたのか」
今さらながらに納得するイレ。
「のんきなヤツだな」
セダが呆れる。
「神官長の怪我は?」
アルトスは興味津々である。
「ん。急所が半壊だってさ」
のけぞる一同。エスカは、小気味よさそうに一同を見回し、お茶を飲む。イレの愉快そうな笑い声が響いた。
「僕からひとついい? 前の情報が間違ってた」
一同、怪訝そうにエスカを見る。
「砂漠の民の長を殺した罪は、子々孫々にまで祟ると言ったような気がする。でもそれは、先々代の国王が主犯だった場合でね。
実際は、その王妃だったから、祟られるのは女性だけだよ。ミトコンドリアDNAの関係でね。
王妃の実子の女の子と言えば?」
「お袋か?」
ウリ・ジオンの反応に、イレがぴくりとした。
「そう。グンナルと息子の亡き王太子は、祟りから免れる。あの変死は、自業自得と言っていいだろう。
グンナルの実妹のヴィットリア、その娘のオッタヴィア。
ヴィットリアに同母妹がいるよね。その方に男女の双子がいるでしょ。アルトスに情報をくれる子たち。その女の子の方に」
「おいっ。他にも実子の女の子がいるぞ。その子たちもか?」
「だから女の子代々……」
「酷くないか?」
エスカは、白い目でアルトスを見た。
「それが道理だよ。人ひとりの命を奪って、
誰も反論できなかった。
「あの、何とか罪を軽くしてもらう方法はないかな?」
おずおずとウリ・ジオン。
「清廉潔白、清く正しく生きていれば、そういうものは近づけないよ」
「具体的には、どうやって?」
エスカは笑った。
「身近に、いいお手本がいるじゃないか。善良であらんと生きているひとが」
一同、お互いに顔を見合わせた。
「いい検事になれるよサイムス」
一番驚いたのはサイムスだった。狼狽している。
「俺? 俺は別に、普通に暮らしてるだけで」
セダが、サイムスの肩に手を回した。
「うん。確かにな。年下なのに、考え方やモノの見方なんか、よく見倣わなくちゃと思うことがあるよ」
サイムスは照れて下を向いたが、顔を上げて言った。
「あの。将来、何かマズいことしでかしたら、呼んでくれよ。不起訴にするから」
爆笑の渦である。
「それで俺からなんだが。シェトゥーニャの件だ」
笑いが収まったところで、アルトスが手を上げる。
「話を聞いたよ。ラヴェンナで公演した日の夜、クリステルに呼ばれたそうだ。開口一番叱られたと。
『何という危険なことをするのだ。王宮には、未だ砂漠の民を敵視している者がいるというのに。
王家に対し、復讐の機会を狙っているのではないかと疑ってな』
シェトゥーニャは、返事ができなかったそうだ。
『復讐に協力はできないが、そなたを逃がすことはできる。チャンスを狙おう。安全のため、わたしの傍にいなさい』
というわけで、シェトゥーニャは常にクリステルの傍にいることになった。これが『ご寵愛』の真相だ。
シェトゥーニャが言うには、ふたりきりの時には決して触れなかったそうだ。他人の前ではいちゃついて見せたようだが。
クリステルは、さっさとシェトゥーニャを逃がすことができたはずだが、何故かそうしなかった。
むしろ、復讐の機会を窺ってくれているように感じたと、シェトゥーニャは言っていた。
国王が亡くなったことは知っていたので、シェトゥーニャが狙ったのは、直接手を下した男だった。
調査の結果、車のエンジンに細工したその男は、定年退職。息子が仕事を引き継いでいた。
あの騒ぎの後で、一味は芋づる式に逮捕されたそうだよ。
中継ぎをした伯爵も逮捕。ほぼ証拠は固まっているので、まもなく裁判が始まるってさ。
呪詛婆さんも大后も、それまで保たないようだ。どのみち、王族を死刑にはできないからな。自死に持っていくしかないし」
「……シェトゥーニャは今どこに?」
サイムスが聞いた。ウリ・ジオンは聞きづらいだろう。
「シボレスの家にいる。しばらく休んだら、舞踊団に復帰するってさ。団長に話したら、たいそう喜んでくれたそうだ。
そう言えばエスカ、クリステルが会いたがっていたぞ。ヅラ忘れただろう? 取りに来いってさ」
「あ、そうだった。捨ててくださいって言っといてよ」
「会いたいってさ」
アルトスは、いつになく執拗である。何か知っているのか。調べたのか?
「この前お会いしたよ」
「ちゃんと話してないだろ?」
「なんで僕が、クリステルと話さなくちゃいけないのさ。そんな義理はないでしょ。
第一、僕は二度とラヴェンナには行かないつもりだったのに。
一度目は無事だったけど、今回は怪我したし。三度目は頭に
「怪我したのか?」
一同青くなる。エスカは、えへらと笑った。
「かすっただけだけどね」
イレが、首を横に振る。
「自分の傷は治せないもんな」
アルトスの言葉に、サイムスが驚く。
「え、そういうもんなの?」
「治療するってことは、患者の症状を一旦自分で引き受けることになるんだ。
だから、左手の怪我を自分の右手で治そうとすると、痛みが左から右に移るだけなんだよ。
エスカ、明日の朝行くから」
「え〜別にいいよ」
「治療してもらえ。古傷の上をえぐられたから、痛かっただろう」
と、バラすイレ。
「それが、夢中でわからなかった」
エスカは、笑って誤魔化そうとする。
「あそこか!」
一同愕然とした。
「あのさ。ちょっと聞きたいんだけど。ウェブ会議、これで二度目だよね。
以前は盗聴されないようにって、直接連絡してたのに、なんで?」
話題をそらす魂胆のエスカ。アダが答えた。
「前ほど危険性がなくなったからな。いろいろあった問題が、ひとつひとつ片付いたし」
「ふ〜ん」
「それでさっきの話だが」
アルトスが話を戻した。
「とにかくクリステルと会って、ちゃんと話をしろよ」
エスカは、一同が真剣な目で、自分を見つめているのに気づいた。
「へぇ。僕に隠して、何こそこそやってんのさ」
「あ、あのな。まだ最終確認が取れていないんだ。はっきりしたら話そうと」
サイムスが、しどろもどろである。
「僕になにか聞く時は、可能性だけでもいいからって、無理言うのに?
僕がクリステルに会えば、はっきりするとでも?」
「あのな。俺の父親とウリ・ジオンの父親のことでごたごたあっただろ?
だから、エスカの父親についても、一応調べ直してみようかと。
それで、思い出したことがあったんだ。グンナルの王太子の結婚式の時のことだ。
グンナルが俺の部屋に入って来てエスカを見て、えらくお気に召しただろ?
あれは、単に気に入っただけだ。懐かしい人に会ったという印象ではなかった。
エスカも、俺と一緒に寝室に呼ばれた時、グンナルに対して格別な思い入れがあるようには見えなかった。
淡々と睡眠薬を飲ませ、何事かあったような現場を作り出しただけだったよな」
「そう言えば、特別な感情は湧かなかったな」
「それにエスカには、あのグンナルの薄穢い雰囲気はこれっぽっちもないからね。何か違うんじゃないかと」
とウリ・ジオン。頷く一同。
「あの、ちょっといいか?」
イレが手を挙げた。
「それって、ラヴェンナから帰る時、エスカが言っていた寝言と関係あるかな?」
「え、僕寝言言ったの?」
「傷の治療した後で、眠っただろう」
「僕、寝言に責任はもてないよ!」
何を言ったんだろう。全員がイレを見て、先を促す。
「『よかった。グンナルじゃなかった』と」
エスカは狼狽した。セダが膝を打つ。
「決まりだな」
「あの。それで俺、親父に再確認したんだ。そしたら、現場を見たわけではないって言うんだよ。
物音で駆けつけた親父とタンツ氏が見たのは、去って行くグンナルの後ろ姿。それは間違いないそうだ。
拒絶されたグンナルが腹を立てて、イシネスの王妃を殴り飛ばしたようだ。頬に殴られた形跡があったという。
倒れた王妃は頭を打って、一時的に脳震盪を起こしたということも、考えられるだろ。
親父たちは、暴行されて失神したと思ったそうだ。
だがそうなると、王妃を妊娠させたのは誰かということになる。
それで親父に訊いてみた。『あの時、ラヴェンナからイシネスに行った王族は、グンナル王太子おひとりだったの?』とな。
そしたらなんと、クリステル殿下も同行されたと。クリステルは大の旅行好きでね。
イシネスに行く機会なんか滅多にないからと、三十過ぎの大人が、国王に駄々をこねたそうだ。
元々、クリステルはグンナルと違って、わがままを言うお人ではない。たまのことだから、国王も許可を出されたそうだ。
副師団長の傍にいることが、条件だった。親父は、グンナル付きだったからな。でもエスカ、なんでわかったんだ?」
「わかったんじゃないよ。感じただけ。直に会ってみてね。画面越しでは気づかなかったけど」
「だからエスカ。お会いして確認してこいよ」
「へぇ。『あなた、イシネスの王妃とキスしましたか?』って聞くの?
そんなら、ウリ・ジオンもヴィットリアに『パルツィ氏と浮気したの?』って聞けよ。
サイムスも親父さんに『ヴィットリアと不倫したんですか』って聞いてみろ!」
これには、イレが目を剥いた。初耳だったようだ。
「エスカお得意の、怒濤の反撃だな」
サイムスが可笑しそうに笑う。
「ところで、クリステルのお子は何人?」
セダが話題を変えるべく、アルトスに話を振る。
「三人。王族にしては少ないんだ」
「十分でしょ」
「それがな。三番目の子はエスカよりひとつ上なんだが。あ、エスカは四番目な。
それ以来、生まれないんだよ。流産したり、死産したりさ。
側室と愛妾合わせて七人はいるのに。少ない方だけど」
エスカは「おえ」と言ったが、小首を傾げて少し考え込んだ。
「大丈夫だ。これからは、ぽんぽん産まれるよ。あの呪詛婆さんは、もう何もできないから」
「呪詛されてたのか!」
「うん。随分長いことね。でも、もう終わった」
次々と子どもが産まれて、自分のことなど忘れてくれますように。本気でエスカは願った。
「僕とのことも終わりね。別れの挨拶はしたから」
「なんて言ったんだ?」
アダの冷静な声。
「『お元気で』って。タンツ氏にも言ったよ」
ウリ・ジオンが深く頷いた。
「それ、多分通じてないぞ。普通の言葉じゃないか」
セダが呆れたようだ。
「かもね。でも僕にとってはこれで終わり。関わりなく暮らしたい」
よかった。僕は父殺しではなかった。エスカは、肩の荷が少し軽くなった気がした。
翌朝、アルトスがやって来た。自ら氷入りの洗面器をリビングに運ぶ。
「イレ、見てて。僕の傷口とアルトスの手の間ね」
頷いて、イレは立ったまま覗き込んだ。アルトスの右腕がみるみる赤くなっていく。
痛いだろうに、アルトスは眉毛ひとつ動かさなかった。ややあって、左手に換えた。赤くなった右手を氷水に漬ける。
左腕もほぼ赤くなったところで、治療は終わった。エスカの傷は、完全に塞がっている。
「ありがとうアルトス。ああ、楽になった」
「凄いな~」
イレは感心することしきりである。
「俺もできるようになるかな?」
「これから一ヶ月の頑張り次第だよ」
「楽勝とは言えないが、頑張れ。仲間が増えて嬉しいよ」
いい仕事をしたアルトスは、満足そうな笑顔を浮かべた。
一ヶ月後、予定していた以上の成果をあげて、イレは引き上げて行った。帰り際に、感謝の言葉を残して。
「ありがとうエスカ。霊術のことだけじゃなくて、家族として過ごさせてもらったことに、心から感謝してるよ。
俺、六才で神学校の寮に入れられたんだが、それ以前のことは、あまり覚えていないんだよ。だから、家庭というものをよく知らなかった」
それは、エスカも同様である。
「ここで、みんなと仲良く暮らさせてもらって、幸せってこういうものなんだなと思った。
お陰で吹っ切れたよ」
イレはそう言って、エスカの頰にキスをした。思わぬ副産物があったのだ。本当によかった。
「では、アドバイスをひとつ」
「うん?」
「据え膳は食うな」
イレは爆笑した。
「肝に銘じるよ。またな」
「うん。またね」
再会を期す言葉を交わしあった。
自分は役に立った。その思いが、エスカを幸福感で満たした。午後のニュースを見るまでは。
子どもたちにおやつを与え、テレビをつけた時だった。
『……文化団体のレセプションが行われました』
知的な雰囲気の女性キャスターの背景。華やかなパーティのようだ。エスカの目に留まったのは、ひとりの制服姿の男。マーカスである。
略綬が増えている。黒のドレスをさらりと着こなしている女性と歓談していた。
その女性に、既視感があった。一瞬後、エスカは思い出した。シボレスでの学生時代に担任だった、ラサリ先生ではないか。
エスカが休学した際に、保証人だったマーカスが呼びつけられ、激しく叱責されたと聞いた。こういうことになっていたのか。
「お似合いです」
心からそう呟いた。だのに、アスピシアとカエサルがやって来て、エスカの頰を舐めた。
リトヴァとアンブロシウスもやって来て、膝に縋りつく。
そこでエスカはやっと、自分が泣いていることに気づいた。涙が、後から後から流れ出る。
なぜ自分が泣いているのか、すぐには理解できなかった。
勝手に期待した自分が、馬鹿で愚かで軽率だったのだ。振られたの、これで何人目かなぁ。
「えへ」
と笑って、エスカはふたりと二匹を抱きしめた。
その夜、エスカは自分が身籠ったことを知った。悲しみの中での朗報。複雑な感情が湧く。
傷つかないためには、どういう心持ちでいたらいいのだろう。取り敢えず、エスカは感情に蓋をした。
数日後の週末、ウリ・ジオンから連絡があった。
「これから行っていいかな? 僕ひとりだけど、ちょっと込み入った話があって。ホロのランチ持って行くよ」
ウリ・ジオンが来るなら、マーカスの件ではないだろう。ホロのランチはありがたい。
エスカはふたつ返事で返した。気持ちを明るく保たなくては。
子どもたちは、ウリ・ジオンを「ウリパパ」と言って歓迎した。そう言えば、イレのことも「イレパパ」と言って懐いていたっけ。
成人男子は、みんなパパだと思っているのだろうか。可愛い。
ランチを終え、子どもたちはお昼寝タイムである。お茶をしながら、ウリ・ジオンは本題に入った。
「エスカさ。何処かでサインした?」
意表をつく質問である。
「え〜。大学の願書とか、免許取る時とか。
あ、例の爆破された家買う時もね。僕未成年だったから、アダに代理人頼んで、委任状にサインしたけど」
「その辺だな。実は親父から、エスカ名義の権利書が送られてきたんだ。例の土地の隣。
訴訟沙汰起こした、老夫婦の家屋敷だよ。親父が買い取ったのは、知ってるよね。権利書といっても、もちろん電子書類だけど。
贈与税は払い込み済み。リフォームも済んでいる。
直接エスカに送ると、拒否されると思ったんだろう。一旦、僕に送付したということなんだよ」
エスカは、ぷ〜と頰を膨らませた。
「理由は?」
「お詫びだってさ。乳母の妹云々の件だ。親父は、まるで気づかなかったって。
申し訳なかったと言っていた。あの人、けっこう脇が甘いからな」
育ての親をかばおうとしている。あんな目に遭ったのに。
「お詫びとか、そういうの全部含めて、終わりにしたつもりだったけどね。
本当にそう思うなら、僕に関すること全て、忘れてほしい。それが一番ありがたいんだよ」
「気持ちはわかるよ。でもね。この際、一番大切なのは何かってことじゃないか?
エスカの意地とか、我を張るとかいうことより、これからの生活のこと。
何年かしたら、子どもたちは、 幼稚園か保育園に通うだろ?
ここは不便すぎないか?
たまに別荘として使うなら、静かで快適だと思うんだ。でも常駐となると、どうかな?
何処へ行くにも二時間半。モリスもそれを心配して、物件探しを始めようとしていたから、ストップをかけた。
あそこからなら、市街地にも農場にも約一時間。半分の時間だよ。市街地に行く途中に、幼稚園や学校もある。
それに隣接しているのは、エスカの土地。いい話だと思うけどなぁ。
エスカから親父に、直接礼とか言わなくていいから。僕が言っておくよ」
「……考えさせてくれる?」
「もちろん!」
真っ向から拒絶されなかったせいか、ウリ・ジオンは喜色満面である。
ひとりになって、エスカは気づいた。相談する人がいないのだ。農場の仲間を除くと、マーカスのみ。
でも、マーカスは遠いところに行ってしまった。そろそろ、転勤話が出るかも知れないし。
どのみち、もうマーカスと会うことはないだろう。
二十歳になったばかりのエスカは、ひとりで決断しなくてはならない。これまでと同じようなものだ。一番大切なこと。リトヴァとアンブロシウス、そしてお腹の子。意地もプライドも、その前では何の価値もないと思った。
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