第6話

 ホロは、予想より早く到着した。すっ飛ばして来たようだ。

「危ないのは誰だ!」

 ドアを開けると叫ぶ。

「シェトゥーニャとクリステルだよ」

「クリステルって?」

「ラヴェンナの国王陛下」

 ホロはのけ反った。イモジェンとグウェンも車から降りる。

「早く行って、エスカ!」

「ホロ、アダに連絡お願い!」

 三人に追い立てられるように、エスカのエアカーは空中に舞い上がった。目指すはラヴェンナ王宮である。


 エスカは、途中で一時間ほど仮眠をとったのみで、ひたすらエアカーを飛ばした。通常なら一日半の行程を、一日で飛んだことになる。

 以前、王宮に来たことが役に立った。周辺の地理や王宮の間取りを知っていたからだ。

 王宮から少し離れた大木の陰に、エアカーを停める。

 アスピシアを連れて、音もなく、壊れかけた裏門近くの塀を乗り越えた。

 シェトゥーニャに交信を試みた。出て、シェトゥーニャ! 聞こえてきたのは、弱々しく息継ぎがやっとの喘ぎである。間に合った! 

 エスカは方向を見定めると、走り出した。アスピシアが続く。

「何者か!」 

 離れた所からの誰何すいかである。エスカは本能で判断し、一歩前に出た。

「女神殿のエスカ」

「お、お嬢ちゃんか!」

 近衛兵のようだ。当たりである。

「シェトゥーニャは?」

「陛下のお部屋だが」

「陛下のお部屋はどこ?」

 付いて来いと、兵士は走り出した。エスカと並んでアスピシアも走る。階段を二段飛ばしで上り、上階に出る。

 二十メートルほど先の廊下に、マティアスと二名の騎士がいた。

「ありがとう」

 言うとエスカはジャンプして、マティアスの前に着地した。一瞬後にアスピシア。 

 目を丸くしている一同に、 エスカは指示を出した。

「僕が呼ぶまで、扉を開けないでね。アスピシアも待て」

 エスカは扉を僅かに開けると、室内に身を滑り込ませた。息は止めている。

 手を横に振って、バルコニーの窓を開ける。腰の短剣を抜いて真っ直ぐ前に構えると、一回転した。

 室内に蔓延していた呪詛が、外に流れ出て行く。次に、扉以外にバリヤーを張り巡らした。

「お入りください」

 エスカは扉に向かって叫ぶと、室内に倒れているふたりに駆け寄った。

 クリステルは、シェトゥーニャを抱き抱えている。クリステルの方が余力があると咄嗟に判断したエスカは、シェトゥーニャに人工呼吸を始めた。

 全員が入室したのを確認して、扉にもバリヤーを張る。アスピシアが、クリステルの頰を舐める。

 エスカは、マティアスと目を合わせると、手でクリステルにも同じ処置を施すよう、指示した。

 マティアスは、一瞬怯む。

「あ、ではわたしはシェトゥーニャを。てっ!」

 言った途端、クリステルに向こう脛を蹴飛ばされた。エスカは笑ってしまった。

 その元気があれば大丈夫。唇を放すと、シェトゥーニャが咳き込み始めた。

「背中をさすってあげて」

 エスカはクリステルの介抱に取りかかった。上着のボタンを外し、喉をさする。クリステルは小さな呼吸を繰り返し、苦しそうである。

「大丈夫。ゆっくり深呼吸して。部屋中にバリヤーを張ったので、もう呪詛は届きませんよ。マティアス、呪術師を使うのは誰?」

大后おおきさき。先々代の王妃で、先代の国王グンナルの母君だよ」

「女性……」

 意表を突かれて、エスカは呟いた。

「では、大后と呪術師を逮捕してください。一緒にいるはずです。僕から合図があるまでは、ドアの前で待機ということで。

 連行する際に、あのバルコニーの下を通ってね。担架が必要になるかも知れないけど」

 マティアスが、疑問の目を向ける。

「シェトゥーニャに、父親の仇を討たせたい」

 一同納得したようだ。エスカはウィッグをかなぐり捨て、ドアとバルコニーのバリヤーを解除した。

 ひとりの兵士が、部屋を飛び出して行く。マティアスが携帯で指示を飛ばす。

 上空から、ヘリのエンジン音が聞こえた。シルデス軍警察の大型ヘリだ。

「マーカスか!」

 マティアスが破顔一笑した。

「やるな、マーカスボーイ!」

 長兄マティアスにかかっては、マーカスもボーイなんだ。この緊張した場面で、エスカの気持ちがほぐれた。

「大后の部屋は?」

「南西の方向です」

 残るひとりがバルコニーの窓に近づき、外に出た。

「あちら……」

 言いかけた時、飛び出したエスカが、兵士を突き飛ばした。ほぼ同時に、エスカは左腕に熱い衝撃を感じた。

「大丈夫?」

 倒された兵士に声をかける。

「平気だ! 君は?」

 兵士は起き上がりざま、庭に向かって発砲した。

「何ともない」

 腰の短剣を抜き、応戦する。敵の数が多い。大后の権力が強いようだ。

 直系の子か孫を王位につける。そのためには手段を選ばない。人間性など、どうでもいいのだろう。

 応戦していると、庭から援護してくれている者に気づいた。以前から潜伏している砂漠の民か? 

 暗闇で見え隠れするのは濃い金髪。いい腕だ。

 援軍が来たのだろう。マティアスが参戦する。

「援護よろしく」

 言うとエスカは、南西に向きを変えた。足を開いてしっかり立つ。

 短剣を両手に持ち、上空に掲げる。古代イシネス語の祈りを唱え、短剣をまっすぐ前に持ち直した。

 直後、どかんという衝撃が地面を揺るがした。よろめかなかったのは、エスカのみである。

 見ると、南西の宮殿が傾いている。エスカはマティアスを見た。

「よし、逮捕しろ!」 

 伝令が走る。エスカは短剣を鞘に収めると、室内に戻った。クリステルに数人の護衛が付いたのを、確認する。

「よく聞いて、シェトゥーニャ。お父さんの殺害命令を出したのは、国王じゃない。お后だよ。今下を通るから」

 エスカは、クリステルが自分を凝視しているのを感じたが、今は無視。

「アスピシア、行くよ」

 再びバルコニーに出る。

「しっかり掴まってね」

 腰の反重力ベルトを操作し、シェトゥーニャを抱えて一気に飛び降りる。

 アスピシアが続いた。訓練しておいてよかった。

 少し離れた所から聞こえるのは、ウリ・ジオンの狙撃銃だろう。確実に命中しているのがわかる。

 近くで援護している男が、視界に入った。黒い肌、金髪。エスカに、数年前に女神殿で聞いた話が甦る。

 それは後だ。エスカはアルトスに交信した。

『黒幕は大后だよ。シェトゥーニャの霊力補助をお願い。クリステルの寝室の下』

 シェトゥーニャは、小刻みに震えている。武者震いか。何年もかけてきた計画が、今実行されようとしている。

 南西の方角から、ざわめきが近づいてきた。アルトスが走り来て、シェトゥーニャの肩を抱いた。

 車椅子に乗せられた、大柄な老女。大后おおきさきだろう。続いて、担架に載せられた老婆。

 泡を吹きながら、何やら呪文を唱えている。あまりのおぞましさに、周囲の者は一歩引いた。

「大丈夫。呪詛返しをしたから、この人の呪いは、すべてこの人に還るよ」

 その言葉に、大后はきっとエスカを睨みつけた。どうやって生きてきたら、あんな悪相が出来上がるのだろう。

「この、男女おとこおんなが!」

 唾を飛ばして喚いた。一同の視線がエスカに集まる。年の功か、正鵠を射ているではないか。

「くたばれ、クソ婆ァ」

 冷静に放たれた罵倒に、真っ先に反応したのは、やはりアルトスだった。爆笑である。

 続いて、騎士団から歓声が上がった。

「出ました!」

「悪口雑言のエスカ!」

 やんやの喝采である。イシネスでのクーデターの際の椿事を、再現しているようだ。

 駆けつけた近衛師団長殿マティアス閣下は、最初笑っていたが、手を振って騒ぎを収めた。エスカは数歩下がった。

 大后が、シェトゥーニャに気づいたのだ。シェトゥーニャは、誇り高く美しく、気品に満ちていた。

 ややあって、シェトゥーニャの目が半眼になる。開かれた口から、男の声が聞こえた。

「砂漠の民の長である我を殺した罪を、我が民は未来永劫忘れぬ。子々孫々、末代まで祟ると思い知れ」

 大后が身震いした直後、シェトゥーニャとアルトスの背後から、眩い光が差し込んだ。見る間に、光はふたりの背後いっぱいに拡がる。

「爺さま龍……」

 エスカはひざまづいた。一同も続く。突然、世にも怖ろしい絶叫が響きわたった。

 瞬時に光は消えた。ふたりの老女は身を震わせ、断末魔の様相を呈している。

 エスカは身を翻してその場を去ろうとした。アスピシアが続く。

「エスカ」

 呼ぶ声に振り向くと、クリステルである。何やら不思議なものを見るように、エスカを凝視している。

 不意に、何の脈絡もなくエスカは悟った。このお方だったのか。何故か心底ほっとした。

「お元気で」

 にこりとして言うと、クリステルが一歩踏み出す踵を返した。

 中庭の喧騒を背に、脱兎の如く走る。アスピシアと一緒に、三十メートルほどジャンプすると、目の前を金髪が走っている。

「イレ!」

 呼びかけると、驚いた顔で男が振り向いた。

「この先に車があるんだけど、乗ってく?」

「おう! 助かる!」

 端正な顔が綻んだ。

 エスカの左腕から出血しているのを見たイレは、無言で運転席に乗り込んだ。

 助手席にエスカ、後部座席にアスピシアである。

「女神殿のエスカだな。撃たれたのか?」 

「かすっただけだよ」

「少し離れてから手当てしよう」

 イレは静かに発進し、低空飛行に移った。

「立派な龍だったな」

「え、あれが見えたの? 普通の人には、光しか見えないんだよ。悪しき者には、怖ろしいものが見えるそうだけど。

 ひょっとして、霊感ある?」

「子どもの頃、少しはあったようだ。だが自然に消滅したらしい。知ってたのか、俺のこと」

「噂で聞いていた。黒い肌、金髪、ゴールドアイの優秀なラヴェンナの神学生。それと若い頃の武勇伝をね」

 エスカは、くすくす笑った。

「でも、タンツ商会ラドレイ支社長のイレ・ハウゼンとは気づかなかった」

 イレはともかく、ハウゼンは偽名だろうけど。

「あの事件は握り潰されたはずだが」

 昔話のせいか、イレも笑っている。

「世間一般には知られていなくても、神殿繋がりのゴシップでね」

「はは。俺はあのまじない師のいるような、昔からラヴェンナに住みついている部族の出身なんだ。

 家族の中で、そのケのあるのは俺だけだった。何代か前に、そういう人がいたそうだから、先祖返りみたいなものだと言われたよ。

 その霊感のせいで、ああした呪い師が、俺を養子に欲しがった。両親は呪いの類を嫌っていてね。

 いや、呪い師は役に立つんだよ。軽い怪我や病気を治せるし、村人の相談相手にもなる。だが呪詛もやるからな。

 で、父は、俺を問答無用で、神学校に押し込んだ。それも全寮制のさ。

 まだ幼かった俺は、親を恨んだもんさ。だが神官になれれば、食いっぱぐれはないからな。

 頑張って勉学に励んだのに、卒業間際にアレだ。俺も動機が不純だったから、文句は言えないが」

 イレは、空き地を見つけて車を停めた。エスカは、トランクから救急箱を取り出す。水を取り出して、イレに渡した。

 アスピシアの皿に水を淹れる。アスピシアが飲むのを確認してからエスカも飲む。イレの視線を感じた。

「この服はどのみち駄目だな」

 呟いてイレは、いきなり左袖を肩の縫い目から引きちぎった。しまった。左腕だった。息を飲んだ空気が伝わってくる。

「……かすったにしてはえぐれてるな」

「道理で、急に痛くなってきたよ」

 笑うエスカに、イレは無言で処置を始めた。古傷について、何も聞かないでいてくれるのは、ありがたかった。

「熱が出るかも知れないから、寝てろ」

 イレが包帯を巻き終えると、エスカはアスピシアにフードを与えた。

  人間たちは、車に積んで置いたパンとりんごで、腹ごしらえをした。

「今、仕事は何やってるの?」

 後部座席で、アスピシアと寝ながらの会話である。

「モリスさんが、廃船寸前の魔女号を買ったんだ。昔取った杵柄で、船長に雇われたよ。アダの紹介だ。

 修理が一ヶ月後に終わる。それから積み込みやら何やらやって、十日後に出航の予定さ」

「すると、一ヶ月はヒマ? 霊力の訓練、受ける気ある?」

「霊力って……俺にはもう」

「いや。爺さま龍が見えたってことは、あるよ。僕が戦ってるとこ見た?」

「もちろん。短剣の先から何か出てたな」

 あれが見えたのか。

「あれを覚えてほしいんだけど」

「俺にできるなら、ぜひ頼む!」


 翌々日、イレは張り切ってやって来た。エスカは、育児と家事の合い間に、 イレを訓練することにした。

 リトヴァとシウスは、イレが気に入ったようだ。子守りをしてもらって、ありがたい限りである。

 それに、イレは動物好きでもあった。アスピシアもカエサルも、すぐに懐いた。

 その夜、アダからウェブ会議の招集があった。イレも同席してほしいと言う。

 子どもたちを寝かしつけ、ふたりはタブレットの前に座った。アダが口を開く。

「最初に紹介するよ。イレ・ハウゼン」

 イレは神妙に頭を下げた。他のメンバーの自己紹介を終え、アダは続けた。

「イレは約一ヶ月後に出航する魔女号の初代船長だ。以前は半年に一度の旅だったが、これからは三ヶ月に一度の出航になる。次は俺が船長な。その次はセダ。三交替制だよ。

 俺が留守の時、イレに、モリスの店で店長をやってもらう。セダが留守の時、イレは農場で働いてもらう。セダ、これで納得してくれ」

 さてはセダがゴネたな。セダはにやりと笑って頷いた。

 モリス社の社員ですらない、セダの抜擢。アーロン・モリスは大物かも知れない。

「ラヴェンナを出た後で、農園で働いた事があるんだ。年ごまかしてな。だから経験者だ」

 イレは得意そうだ。

「そのラヴェンナを出るきっかけになった件を、何故かエスカが知っていた。どういう話になっているのか、聞きたいんだが」

「みんなの前でいいの?」

「構わない。俺は、その後のことを何も知らないんだ」

「わかった。以前話したと思うけど。

 主神殿のエラい神官さまたちは、時々婆巫女さまたちとお茶しに見えていた。

 僕はお茶やお菓子を運んでたんだ。その時に小耳に挟んだんだよ。

 十七年くらい前のことだけど。ラヴェンナ神殿の神官長が、神学生に手を出そうとしたって」

「げ」

 とセダ。

「その神学生は卒業間近で、まだ未成年だった。黒い肌、濃い金髪でゴールドアイの、美しい若者だったそうだ」

 イレは、さすがに恥ずかしそうに、下を向いた。

「神官ていうのは、金髪が好きなのかねぇ」

 アダがセダをからかう。

「ほっとけ」

 セダは赤面した。イレが、興味深そうにセダを見る。

「それでその神学生は、相手の急所を蹴飛ばして遁走した。そのまま行方知れず。

 神殿としては、非常に不名誉な話だから、この件は握り潰した。 

 神官長には、一ヶ月の減給のみ。神学生は破門だってさ。酷いハナシ」

「やっぱり破門されてたのか」

 今さらながらに納得するイレ。

「のんきなヤツだな」

 セダが呆れる。

「神官長の怪我は?」

 アルトスは興味津々である。

「ん。急所が半壊だってさ」

 のけぞる一同。エスカは、小気味よさそうに一同を見回し、お茶を飲む。イレの愉快そうな笑い声が響いた。

「僕からひとついい? 前の情報が間違ってた」

 一同、怪訝そうにエスカを見る。

「砂漠の民の長を殺した罪は、子々孫々にまで祟ると言ったような気がする。でもそれは、先々代の国王が主犯だった場合でね。

 実際は、その王妃だったから、祟られるのは女性だけだよ。ミトコンドリアDNAの関係でね。

 王妃の実子の女の子と言えば?」

「お袋か?」

 ウリ・ジオンの反応に、イレがぴくりとした。

「そう。グンナルと息子の亡き王太子は、祟りから免れる。あの変死は、自業自得と言っていいだろう。

 グンナルの実妹のヴィットリア、その娘のオッタヴィア。

 ヴィットリアに同母妹がいるよね。その方に男女の双子がいるでしょ。アルトスに情報をくれる子たち。その女の子の方に」

「おいっ。他にも実子の女の子がいるぞ。その子たちもか?」

「だから女の子代々……」

「酷くないか?」

 エスカは、白い目でアルトスを見た。

「それが道理だよ。人ひとりの命を奪って、あがなうのにひとりの命で足りると?」

 誰も反論できなかった。

「あの、何とか罪を軽くしてもらう方法はないかな?」

 おずおずとウリ・ジオン。

「清廉潔白、清く正しく生きていれば、そういうものは近づけないよ」 

「具体的には、どうやって?」

 エスカは笑った。

「身近に、いいお手本がいるじゃないか。善良であらんと生きているひとが」

 一同、お互いに顔を見合わせた。

「いい検事になれるよサイムス」

 一番驚いたのはサイムスだった。狼狽している。

「俺? 俺は別に、普通に暮らしてるだけで」

 セダが、サイムスの肩に手を回した。

「うん。確かにな。年下なのに、考え方やモノの見方なんか、よく見倣わなくちゃと思うことがあるよ」

 サイムスは照れて下を向いたが、顔を上げて言った。

「あの。将来、何かマズいことしでかしたら、呼んでくれよ。不起訴にするから」

 爆笑の渦である。

「それで俺からなんだが。シェトゥーニャの件だ」

 笑いが収まったところで、アルトスが手を上げる。

「話を聞いたよ。ラヴェンナで公演した日の夜、クリステルに呼ばれたそうだ。開口一番叱られたと。

『何という危険なことをするのだ。王宮には、未だ砂漠の民を敵視している者がいるというのに。

 王家に対し、復讐の機会を狙っているのではないかと疑ってな』

 シェトゥーニャは、返事ができなかったそうだ。

『復讐に協力はできないが、そなたを逃がすことはできる。チャンスを狙おう。安全のため、わたしの傍にいなさい』

 というわけで、シェトゥーニャは常にクリステルの傍にいることになった。これが『ご寵愛』の真相だ。

 シェトゥーニャが言うには、ふたりきりの時には決して触れなかったそうだ。他人の前ではいちゃついて見せたようだが。

 クリステルは、さっさとシェトゥーニャを逃がすことができたはずだが、何故かそうしなかった。

 むしろ、復讐の機会を窺ってくれているように感じたと、シェトゥーニャは言っていた。

 国王が亡くなったことは知っていたので、シェトゥーニャが狙ったのは、直接手を下した男だった。

 調査の結果、車のエンジンに細工したその男は、定年退職。息子が仕事を引き継いでいた。

 あの騒ぎの後で、一味は芋づる式に逮捕されたそうだよ。

 中継ぎをした伯爵も逮捕。ほぼ証拠は固まっているので、まもなく裁判が始まるってさ。

 呪詛婆さんも大后も、それまで保たないようだ。どのみち、王族を死刑にはできないからな。自死に持っていくしかないし」

「……シェトゥーニャは今どこに?」

 サイムスが聞いた。ウリ・ジオンは聞きづらいだろう。

「シボレスの家にいる。しばらく休んだら、舞踊団に復帰するってさ。団長に話したら、たいそう喜んでくれたそうだ。

 そう言えばエスカ、クリステルが会いたがっていたぞ。ヅラ忘れただろう? 取りに来いってさ」

「あ、そうだった。捨ててくださいって言っといてよ」

「会いたいってさ」

 アルトスは、いつになく執拗である。何か知っているのか。調べたのか?

「この前お会いしたよ」

「ちゃんと話してないだろ?」

「なんで僕が、クリステルと話さなくちゃいけないのさ。そんな義理はないでしょ。

 第一、僕は二度とラヴェンナには行かないつもりだったのに。

 一度目は無事だったけど、今回は怪我したし。三度目は頭に弾丸たまが当たるかもね」

「怪我したのか?」

 一同青くなる。エスカは、えへらと笑った。

「かすっただけだけどね」

 イレが、首を横に振る。

「自分の傷は治せないもんな」

 アルトスの言葉に、サイムスが驚く。

「え、そういうもんなの?」

「治療するってことは、患者の症状を一旦自分で引き受けることになるんだ。

 だから、左手の怪我を自分の右手で治そうとすると、痛みが左から右に移るだけなんだよ。

 エスカ、明日の朝行くから」

「え〜別にいいよ」

「治療してもらえ。古傷の上をえぐられたから、痛かっただろう」

 と、バラすイレ。

「それが、夢中でわからなかった」

 エスカは、笑って誤魔化そうとする。

「あそこか!」

 一同愕然とした。

「あのさ。ちょっと聞きたいんだけど。ウェブ会議、これで二度目だよね。

  以前は盗聴されないようにって、直接連絡してたのに、なんで?」

 話題をそらす魂胆のエスカ。アダが答えた。

「前ほど危険性がなくなったからな。いろいろあった問題が、ひとつひとつ片付いたし」

「ふ〜ん」

「それでさっきの話だが」

 アルトスが話を戻した。

「とにかくクリステルと会って、ちゃんと話をしろよ」

 エスカは、一同が真剣な目で、自分を見つめているのに気づいた。

「へぇ。僕に隠して、何こそこそやってんのさ」

「あ、あのな。まだ最終確認が取れていないんだ。はっきりしたら話そうと」

 サイムスが、しどろもどろである。

「僕になにか聞く時は、可能性だけでもいいからって、無理言うのに? 

 僕がクリステルに会えば、はっきりするとでも?」

「あのな。俺の父親とウリ・ジオンの父親のことでごたごたあっただろ? 

 だから、エスカの父親についても、一応調べ直してみようかと。

 それで、思い出したことがあったんだ。グンナルの王太子の結婚式の時のことだ。

 グンナルが俺の部屋に入って来てエスカを見て、えらくお気に召しただろ? 

 あれは、単に気に入っただけだ。懐かしい人に会ったという印象ではなかった。

 エスカも、俺と一緒に寝室に呼ばれた時、グンナルに対して格別な思い入れがあるようには見えなかった。

 淡々と睡眠薬を飲ませ、何事かあったような現場を作り出しただけだったよな」

「そう言えば、特別な感情は湧かなかったな」

「それにエスカには、あのグンナルの薄穢い雰囲気はこれっぽっちもないからね。何か違うんじゃないかと」

 とウリ・ジオン。頷く一同。

「あの、ちょっといいか?」

 イレが手を挙げた。

「それって、ラヴェンナから帰る時、エスカが言っていた寝言と関係あるかな?」

「え、僕寝言言ったの?」

「傷の治療した後で、眠っただろう」

「僕、寝言に責任はもてないよ!」

 何を言ったんだろう。全員がイレを見て、先を促す。

「『よかった。グンナルじゃなかった』と」

 エスカは狼狽した。セダが膝を打つ。

「決まりだな」

「あの。それで俺、親父に再確認したんだ。そしたら、現場を見たわけではないって言うんだよ。

 物音で駆けつけた親父とタンツ氏が見たのは、去って行くグンナルの後ろ姿。それは間違いないそうだ。

 拒絶されたグンナルが腹を立てて、イシネスの王妃を殴り飛ばしたようだ。頬に殴られた形跡があったという。

 倒れた王妃は頭を打って、一時的に脳震盪を起こしたということも、考えられるだろ。

 親父たちは、暴行されて失神したと思ったそうだ。

 だがそうなると、王妃を妊娠させたのは誰かということになる。

 それで親父に訊いてみた。『あの時、ラヴェンナからイシネスに行った王族は、グンナル王太子おひとりだったの?』とな。

 そしたらなんと、クリステル殿下も同行されたと。クリステルは大の旅行好きでね。

 イシネスに行く機会なんか滅多にないからと、三十過ぎの大人が、国王に駄々をこねたそうだ。

 元々、クリステルはグンナルと違って、わがままを言うお人ではない。たまのことだから、国王も許可を出されたそうだ。

 副師団長の傍にいることが、条件だった。親父は、グンナル付きだったからな。でもエスカ、なんでわかったんだ?」

「わかったんじゃないよ。感じただけ。直に会ってみてね。画面越しでは気づかなかったけど」

「だからエスカ。お会いして確認してこいよ」

「へぇ。『あなた、イシネスの王妃とキスしましたか?』って聞くの? 

 そんなら、ウリ・ジオンもヴィットリアに『パルツィ氏と浮気したの?』って聞けよ。

 サイムスも親父さんに『ヴィットリアと不倫したんですか』って聞いてみろ!」

 これには、イレが目を剥いた。初耳だったようだ。

「エスカお得意の、怒濤の反撃だな」

 サイムスが可笑しそうに笑う。

「ところで、クリステルのお子は何人?」

 セダが話題を変えるべく、アルトスに話を振る。

「三人。王族にしては少ないんだ」

「十分でしょ」

「それがな。三番目の子はエスカよりひとつ上なんだが。あ、エスカは四番目な。

 それ以来、生まれないんだよ。流産したり、死産したりさ。

側室と愛妾合わせて七人はいるのに。少ない方だけど」

 エスカは「おえ」と言ったが、小首を傾げて少し考え込んだ。

「大丈夫だ。これからは、ぽんぽん産まれるよ。あの呪詛婆さんは、もう何もできないから」

「呪詛されてたのか!」

「うん。随分長いことね。でも、もう終わった」

 次々と子どもが産まれて、自分のことなど忘れてくれますように。本気でエスカは願った。

「僕とのことも終わりね。別れの挨拶はしたから」

「なんて言ったんだ?」

 アダの冷静な声。

「『お元気で』って。タンツ氏にも言ったよ」

 ウリ・ジオンが深く頷いた。

「それ、多分通じてないぞ。普通の言葉じゃないか」

 セダが呆れたようだ。

「かもね。でも僕にとってはこれで終わり。関わりなく暮らしたい」

 よかった。僕は父殺しではなかった。エスカは、肩の荷が少し軽くなった気がした。


 翌朝、アルトスがやって来た。自ら氷入りの洗面器をリビングに運ぶ。

「イレ、見てて。僕の傷口とアルトスの手の間ね」

 頷いて、イレは立ったまま覗き込んだ。アルトスの右腕がみるみる赤くなっていく。

 痛いだろうに、アルトスは眉毛ひとつ動かさなかった。ややあって、左手に換えた。赤くなった右手を氷水に漬ける。

 左腕もほぼ赤くなったところで、治療は終わった。エスカの傷は、完全に塞がっている。

「ありがとうアルトス。ああ、楽になった」

「凄いな~」

 イレは感心することしきりである。

「俺もできるようになるかな?」

「これから一ヶ月の頑張り次第だよ」

「楽勝とは言えないが、頑張れ。仲間が増えて嬉しいよ」

 いい仕事をしたアルトスは、満足そうな笑顔を浮かべた。


 一ヶ月後、予定していた以上の成果をあげて、イレは引き上げて行った。帰り際に、感謝の言葉を残して。

「ありがとうエスカ。霊術のことだけじゃなくて、家族として過ごさせてもらったことに、心から感謝してるよ。

 俺、六才で神学校の寮に入れられたんだが、それ以前のことは、あまり覚えていないんだよ。だから、家庭というものをよく知らなかった」

 それは、エスカも同様である。

「ここで、みんなと仲良く暮らさせてもらって、幸せってこういうものなんだなと思った。

 お陰で吹っ切れたよ」

 イレはそう言って、エスカの頰にキスをした。思わぬ副産物があったのだ。本当によかった。

「では、アドバイスをひとつ」

「うん?」

「据え膳は食うな」

 イレは爆笑した。

「肝に銘じるよ。またな」

「うん。またね」

 再会を期す言葉を交わしあった。

 自分は役に立った。その思いが、エスカを幸福感で満たした。午後のニュースを見るまでは。

 子どもたちにおやつを与え、テレビをつけた時だった。

『……文化団体のレセプションが行われました』

 知的な雰囲気の女性キャスターの背景。華やかなパーティのようだ。エスカの目に留まったのは、ひとりの制服姿の男。マーカスである。

 略綬が増えている。黒のドレスをさらりと着こなしている女性と歓談していた。

 その女性に、既視感があった。一瞬後、エスカは思い出した。シボレスでの学生時代に担任だった、ラサリ先生ではないか。

 エスカが休学した際に、保証人だったマーカスが呼びつけられ、激しく叱責されたと聞いた。こういうことになっていたのか。

「お似合いです」

 心からそう呟いた。だのに、アスピシアとカエサルがやって来て、エスカの頰を舐めた。

 リトヴァとアンブロシウスもやって来て、膝に縋りつく。

 そこでエスカはやっと、自分が泣いていることに気づいた。涙が、後から後から流れ出る。

 なぜ自分が泣いているのか、すぐには理解できなかった。

 勝手に期待した自分が、馬鹿で愚かで軽率だったのだ。振られたの、これで何人目かなぁ。

「えへ」

 と笑って、エスカはふたりと二匹を抱きしめた。

 その夜、エスカは自分が身籠ったことを知った。悲しみの中での朗報。複雑な感情が湧く。

 傷つかないためには、どういう心持ちでいたらいいのだろう。取り敢えず、エスカは感情に蓋をした。


 数日後の週末、ウリ・ジオンから連絡があった。

「これから行っていいかな? 僕ひとりだけど、ちょっと込み入った話があって。ホロのランチ持って行くよ」

 ウリ・ジオンが来るなら、マーカスの件ではないだろう。ホロのランチはありがたい。

 エスカはふたつ返事で返した。気持ちを明るく保たなくては。

 子どもたちは、ウリ・ジオンを「ウリパパ」と言って歓迎した。そう言えば、イレのことも「イレパパ」と言って懐いていたっけ。 

 成人男子は、みんなパパだと思っているのだろうか。可愛い。

 ランチを終え、子どもたちはお昼寝タイムである。お茶をしながら、ウリ・ジオンは本題に入った。

「エスカさ。何処かでサインした?」

 意表をつく質問である。

「え〜。大学の願書とか、免許取る時とか。

 あ、例の爆破された家買う時もね。僕未成年だったから、アダに代理人頼んで、委任状にサインしたけど」

「その辺だな。実は親父から、エスカ名義の権利書が送られてきたんだ。例の土地の隣。

 訴訟沙汰起こした、老夫婦の家屋敷だよ。親父が買い取ったのは、知ってるよね。権利書といっても、もちろん電子書類だけど。

 贈与税は払い込み済み。リフォームも済んでいる。

  直接エスカに送ると、拒否されると思ったんだろう。一旦、僕に送付したということなんだよ」

 エスカは、ぷ〜と頰を膨らませた。

「理由は?」

「お詫びだってさ。乳母の妹云々の件だ。親父は、まるで気づかなかったって。

 申し訳なかったと言っていた。あの人、けっこう脇が甘いからな」

 育ての親をかばおうとしている。あんな目に遭ったのに。

「お詫びとか、そういうの全部含めて、終わりにしたつもりだったけどね。

 本当にそう思うなら、僕に関すること全て、忘れてほしい。それが一番ありがたいんだよ」

「気持ちはわかるよ。でもね。この際、一番大切なのは何かってことじゃないか?

 エスカの意地とか、我を張るとかいうことより、これからの生活のこと。

 何年かしたら、子どもたちは、 幼稚園か保育園に通うだろ?  

ここは不便すぎないか?

 たまに別荘として使うなら、静かで快適だと思うんだ。でも常駐となると、どうかな? 

 何処へ行くにも二時間半。モリスもそれを心配して、物件探しを始めようとしていたから、ストップをかけた。

 あそこからなら、市街地にも農場にも約一時間。半分の時間だよ。市街地に行く途中に、幼稚園や学校もある。

 それに隣接しているのは、エスカの土地。いい話だと思うけどなぁ。

 エスカから親父に、直接礼とか言わなくていいから。僕が言っておくよ」

「……考えさせてくれる?」

「もちろん!」

 真っ向から拒絶されなかったせいか、ウリ・ジオンは喜色満面である。

 ひとりになって、エスカは気づいた。相談する人がいないのだ。農場の仲間を除くと、マーカスのみ。

 でも、マーカスは遠いところに行ってしまった。そろそろ、転勤話が出るかも知れないし。

 どのみち、もうマーカスと会うことはないだろう。

 二十歳になったばかりのエスカは、ひとりで決断しなくてはならない。これまでと同じようなものだ。一番大切なこと。リトヴァとアンブロシウス、そしてお腹の子。意地もプライドも、その前では何の価値もないと思った。

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