第5話

 その夜、アルトスから電話があった。

「寮に戻ることになったよ。明日引っ越しだ。空きが出たんだよ。学年が上がったら、優先的に防音室使えるようになったからな。

 ウチの寮は、朝晩食事付きだ」

 声が弾んでいる。

「週末には、これまで通り、農場に手伝いに行くよ。エスカの家までは二時間半近くかかるけど、必要な時には行けるから大丈夫だ。愛してる」

 この『愛してる』は、挨拶のようなものだ。アルトスの明るい声に、エスカはほっとした。


 数日後、アルトスから連絡が来た。今度は交信である。意外に慎重だ。

 『モリスから連絡があった。十月の第一土曜に王太子の結婚式。ヴァルス公爵はその前日、金曜の夜ラドレイにお越しだ。

 空港近くのキングスホテル。詳しいことは、追って連絡するよ』

 一歩一歩近づいて来る。今できることは何もないが、心積もりだけはしておこう。

 その夜、マーカスから電話が来た。職場からのようだ。

「電話で話すことではないんだが、忙しくてね。そちらに行く時間がとれない。かい摘んで話すよ。

 証拠が固まったので、シボレス署に連絡して、タンツ会長夫人を任意同行してもらった。が、嗅ぎつけた会長がすぐに手を回して、二時間後に夫人は釈放。

 今の署長は、わたしが、ラドレイに異動した後に赴任して来た御仁でな。以前から、金で動く人だという噂はあったんだ。

 それで今日、わたしが、夫人をシボレスに迎えに行って来た。明朝から尋問を始めるよ。

 進展があったらまた連絡する。会長がプレスを抑えてくれているのは、こちらにとっても好都合でね。

 会長から、エスカに助命嘆願の電話があるかも知れない。思い切り反逆してやれ」

 軽く笑って、マーカスの報告は終わった。


 案の定、その翌日タンツ会長から電話があった。

「久しぶりだね」

「はい」

 余計なことは言うまい。

「単刀直入にお願いする。告訴を取り下げてくれないか」

「僕の子どもたちを、拉致しようとしたのに?」

「全くもって申し訳ない。気づかなかったわたしが、悪かった。

 『この件については、暫く様子を見よう』ということで、妻は納得してくれたと思っていたのだよ。

 ラドレイ署長はパルツィの息子でね。いやはや手強い」

 当たり前だよ。

「乳母の手配をしていらしたようですね。奥さまは、ご自分で育てられる気は毛頭ない。

 愛情ゆえの犯行ではないようですね。血筋の問題ですか?」

「そうなのだよ。エスカの両王族の血だ」

「だから、砂漠の民であるシェトゥーニャとウリ・ジオンの仲に、反対したんだ。

 善良なこと、この上ないウリ・ジオンを、あんなに苦しめて」

 怒りの籠もったエスカの言葉に、タンツ氏は絶句したようだ。

「シェトゥーニャは、砂漠の民の長ですよ。どこに不足があるんです? 

 王族出身の奥さまご自身は、大金持ちとは言え、一般人のあなたを選んだじゃないか」

「誠に申し訳ない」

 平身低頭している姿が見えるようだ。ついでだから、もっと言っちゃえ。

「だいたい、天下のタンツ商会会長が、女房の尻に敷かれてどうするんです! 

 僕が告訴を取り下げるかどうかは、ひとえに奥さまの態度如何にかかってます」

 そこでエスカは電話を切った。久しぶりに感情を爆発させて、すっきりはしたが、いささか疲れた。


 翌日の午後、何故かニルズ曹長から電話が来た。何やら苦笑いしている。

 声を潜めている様子からして、職場からのようだ。

「今朝から、会長夫人の尋問を始めたんだよ。夫人には、五十代のイケメン弁護士が付いた」

 ははぁ、自分で選んだな。

「こちらは、署長とわたしだ。しばらくは、ごく普通の尋問だったんだが、途中で風向きが変わった。

 それまで、夫人はしおらしい姿勢で受け答えしていた。

 それが少しずつ、やたら濡れたような目で、署長を見るようになったんだ。色仕掛けで乗り切ろうみたいな。

 弁護士は、面白そうに見ていたよ。夫人の得意技なんだろうな」

 そうやって、恋愛慣れしていないイレ・ハウゼンを引っ掛けたんだ。イレはイケメンなのだろう。

「そしたら署長が『ちょっと失礼』とか言って退出した。わたしも追って出た。

 署長は執務室に戻ったが、不機嫌な顔だった。

 『寒気がする。熱が出る前兆だ。急用ができたことにして、尋問を代わってくれ』と仰っしゃる」

 ここで、ニルズ曹長はくすくすと笑った。

「噂で聞いたことがあったんだよ。鬼署長殿は、言い寄るタイプの女性はお好みではないと。

 つまり、難攻不落の女性がお好きなようだ」

 エスカも笑ってしまった。

「それで、未だに独身って?」

「そうそう。いい男なのにな。で、ああいう女性は、どうやったら落ちるかな?」

 結局ヒント狙いか。プロなんだから、自分で考えろよ。素人に聞いてどうする。

「頭の切れる女性刑事はいる?」

「いる! そうか、同性か!」

「少なくとも、泣き落としは通用しないでしょ」

「サンキューな!」

 電話は切れた。エスカは、マーカスの当惑した顔を思い浮かべ、しばし笑った。あとは待つだけだ。


 三日ほどして、マーカスから報告があった。

「美人の女性准尉に尋問してもらったよ。助言ありがとう。

 ニルズが同席したんだが、その美人准尉ミズ・ジョンソンを見た途端、弁護士の表情が和らいだそうだ」

 男ってヤツは。

「それで、ミズ・ジョンソンが穏やかに少しずつ、夫人を追い詰めていった。

 三日後、頃合いを見計らって、わたしが尋問室に入ったら、夫人は元気を取り戻したように見えたよ。

 チョロい男が来たと思ったのだろう。わたしは、背後から夫人に囁いた。誰にも聞こえないようにね。

 『子どもたちは、タンツ氏の孫ではない。あなた、ご存じでしょう?』

 みるみる夫人の顔から血の気が引いて、椅子から滑り落ちそうになったよ。慌てて弁護士が支えた。

 弁護士は、『ふたりきりにしてください』と言う。

 わたしたちは退出した。執務室で待っていると、弁護士が来た。

『夫人は、理由を言うつもりはないようです。何を仰ったんです?』

『守秘義務があるんでね』

 そこでしばらく押し問答をしたが、弁護士が折れた。

『夫人は、その件を決して口外しないという条件で有罪を認め、取り引きに応じるそうです』

 完全勝利だよ!」

 マーカスの声は弾んでいる。

「取り引きって?」

「裁判なしで決着をつけるということだ。裁判にかけて無罪になることもあるが、これだけ証拠が揃っていれば、それは難しい。

 裁判で懲役三十年のところ、交渉次第で十五年になるとかな」

 あの夫人が刑務所に? それほどまでに、知られたくないことだったのか。

「告訴を取り下げます。これで終わりにしてください」

 エスカの声は、悲鳴に近かった。そういうことを望んだのではない。そっとしておいてくれれば、それでいい。

「わかった。では釈放するよ。今度こそ一件落着だな。それにしても、おっかなかった」

「は?」

「あの真っ赤な唇が、 うわばみに見えたんだよ」

 それで背後から話しかけたのか。マーカスの弱点が、少なくとも三つわかった。

 積極的に迫る女性。化粧のケバい女性。そして大蛇うわばみ。エスカは思い切り笑った。マーカスが可愛く思えた。

 通話を終えて、エスカはソファにへたり込んだ。終わった。今回も、いろいろな人のお世話になった。

 頭も心も空っぽの状態で、エスカは目を閉じた。数分うたた寝をしていたようだ。

 携帯の呼び出し音で目が覚めた。画面を見ると、タンツ氏である。この人との会話は、これで最後になるだろう。エスカは通話ボタンを押した。

「ありがとうエスカ」

 いきなり、お礼の言葉が耳に入った。

「心から感謝する」

「そんな。元々僕が告訴した話なので、引っ込めただけですから。 

 二度としないと約束していただければ、それでいいんです」

「わかっているよ。今後困ったことがあったら、遠慮なく何でも言ってほしい。この恩は忘れない」

「ありがとうございます。お元気で」

 タンツ氏は、本当に何にも知らないのか。それでいいのだが、エスカは、何となくタンツ氏を気の毒に思った。

 これで縁が切れたことを、理解してくれただろうか。

 その夜、また携帯の呼び出し音だ。今日は千客万来だな。ウリ・ジオンだった。

「ありがとうエスカ」

 仮の父と同じ滑り出しである。

「本当にありがとう。あんな人でも、僕を産んでくれた母親だからね。エスカには、感謝してもしきれないよ」

「もう終わったから、忘れようよ。なんだか会長が気の毒になってしまって」

「そうなんだよ。僕にとって、父はあの人しかいない。それがよくわかったよ」

 エスカは、ウリ・ジオンの言葉を噛みしめた。


 エスカが、ヴァルス公爵に会いに行く日の夕方、アルトスから連絡が入った。

「これから行く。ウリ・ジオンも一緒だ。すまんバレた。ホロの食事持って行くから」

 声が笑っている。はなから隠す気はなかっただろう。父親同士なのだから。

「最近ウリ・ジオンのヤツ、えらく元気なんだ。元々明るいヤツではあったんだが、カラ元気じゃなくて完全復活したぞ。何かあったのか?」

「さぁ? 吹っ切れたんじゃないの」

「どのみちよかったよ」

 アルトスは、いつもの如く黙って心配していたのだ。原因が自分の姉だから。

 アルトスが引っ越した理由のひとつには、それもあったのだろう。居づらかったのだ。

 エスカは、黙って耐える性分のアルトスの方が気になった。

 夕食時に、ふたりは到着した。

「アルパパとウリパパだよ」

 子どもたちに紹介する。ふたりのパパにいい子いい子してもらい、抱きしめられて、リトヴァとアンブロシウスはご機嫌だ。アニタのご飯を美味しそうに食べる。

「出発は何時?」

 とウリ・ジオン。

「七時過ぎ。片道ゆっくり飛んで二時間半だから、約束の十時には十分間に合うよ」

「モリスが手配してくれたんだが、ホテルの裏口駐車場に行ってくれとさ。案内の者がいる。監視カメラは操作して、何も映らないようにしておくそうだ」

 ウリ・ジオンが説明してくれた。そう言えば、窓口はウリ・ジオンだったのだ。どだい、隠すのは無理だった。

「勝算はどうだ?」

 興味津々のアルトス。

「半々かな。イシネス人同士は難しいかも」

「砂漠の民は楽勝だったけどな」

「ラヴェンナ人もだよ。キスだけでオーケーだったし」

「そうそう……え?」

 アルトスのアンテナは性能がいい。ウリ・ジオンの言葉に、即反応した。

「お前、シルデス人とのハーフだろ?」

 思わず口を押さえるウリ・ジオン。ばか〜! ここは三十六計逃げるに如かずを決め込んだエスカは、食器をワゴンに載せて退出した。

 どのみち、アルトスには隠し通せないだろう。エスカには、 関わりないことでもある。

 片付けを終えると、エスカは子どもたちを寝室に運んだ。

 リビングを振り向くと、アルトスは愉快そうに笑っている。ウリ・ジオンはと言うと、すっきりした表情である。いい方向に話が進んだようだ。

 エスカはふたりを寝かしつけ、二匹にマッサージを施した。外出の支度をしてリビングに戻ると、アルトスとウリ・ジオンは和やかに寛いでいた。

「エスカ。また家族が増えたぞ」

 アルトスは嬉しそうだ。少し照れているウリ・ジオン。

「内緒だけどね」

「うん。それが残念だが」

「ふたりとも、立派なお父さんで羨ましいよ」 

 エスカは、本気でそう思った。アルトスとウリ・ジオンは顔を見合わせる。

「ほんとにグンナルなのか?」

 エスカは頷いた。

「他に考えられないもの」

 アルトスは小首を傾げ、エスカを凝視した。目に困惑の色がある。 

「朝までには戻るから、よろしく」

 せっかくカシュービアンさまにお会いできるのだ。気を取り直して、エスカはハンドルを握った。

 キングスホテルの裏口駐車場に着いたのは、午後九時半過ぎ。順調なエアドライブである。係の男性が走り寄り、誘導してくれる。

 車を降りたエスカは、その男性に既視感を覚えた。男性は帽子に手をかけ、にこりと笑った。

「あ!」

 思い出した。数年前、大学入試のための健康診断で出会った。元傭兵と思われる案内係だ。

「転職したの?」

 懐かしむような相手ではないはずだが、エスカは何故か気持ちが弾んだ。

「ああ。今はフリーでね。元気そうだな、韋駄天のエスカ」

 新しい呼び名である。そう言えば、全力疾走でこの男から逃げ出したんだった。

 それが今では(たまたまだろうが)エスカを守る側のようだ。ふたりは、何の屈託もなく笑いあった。

「あのドアから入ると、右手にエレベーターが二基ある。向かって左が最上階直通だよ。廊下でミューレン少佐がお待ちだ」

「ありがとう」

 礼を行って、エスカは小走りに入り口に向かう。ミューレン少佐。ディルは昇進したんだな。

 指示通り、最上階でエスカレーターを降りると、ディルがいた。ふたりは抱き合って、再会を喜んだ。

 室内では、カシュービアン・ド・ヴァルス公爵が今や遅しと待ち構えていた。

 半端ない気品。エスカの周囲の人たちは、みんな品がいい。下品な者はひとりもいない。

 だが公爵の気品は格が違う気がした。生まれながらに備えているものに加え、自らの努力によって得たもの。

 公爵は歓喜の表情を浮かべ、無言でエスカを抱きしめた。

「今日は、子種をいただきに参りました」

 エスカの言葉に、公爵とディルは怪訝な表情を浮かべた。エスカは、にこりと笑って見せる。

「ウリ・ジオンの時も、キスだけでできましたので」

 言うとエスカは、いきなり公爵にキスをした。悟った公爵は、エスカを強く抱きしめてキスを返す。随分と長い時間のように、エスカは感じた。

 そうだ。この人と結婚する事もできたはずなのだ。その案を示してくれた人もいた。

 そしたら、この調子でぽんぽんと子どもを産む。イシネス万々歳だ。

 その道を断ち切ったのは、エスカ自身である。エスカの人生には『イシネス』という選択肢はなかったから。

 ようやく唇を放し、公爵は満足そうな笑みを浮かべた。ディルは、遠慮したのかこちらに背を向けていた。終わったらしい空気に気づき、振り向く。

「ごめんねディル」

「いやいや。十分許容範囲ですよ」

 三人は、笑い転げた。


 早朝帰宅したエスカは、そっと裏口からキッチンに入った。足元にアスピシアとカエサルがいる。気配を察して待ち構えていたようだ。

「お留守番ありがとう」

 二匹を撫で、少し早いが朝のマッサージを施す。終えると二匹は、元気よく外に飛び出して行った。

 水を替え、フードを用意する。それから人間たちの朝食の支度を始めた。

 ドアが開いて、ウリ・ジオンが顔を出した。まだ眠いようで、大欠伸をする。

「お帰り。早かったね」

 アルトスも顔を出した。目を擦っている。

「ふたりともありがとう。一応上手くいったよ。あとは結果待ちだ」

「僕の時も、気づいたの半年後だったっけ?」

「そう。どうなることやら」

「午後結婚式で、その後パレード。夕方からお披露目のパーティだろ。前回と同じだな」

「銃撃戦はなしで」

 大笑いで子どもたちと一緒に朝食を済ませ、ふたりは一緒に帰って行った。土曜なので、アルトスも農作業を手伝うのだ。

 ふたりが帰った後、エスカはタブレットを開いた。アルトスとウリ・ジオンの口座に、かなりの額を振り込む。

 タンツ氏に教えてもらった。気持ちを表すのに、最も手っ取り早く、かつ単純なやり方なのだ。

 夕食後、 エスカがキッチンで洗い物をしていると、珍しくサイムスから電話が入った。

「テレビつけてくれ。ニュースやってる」

 些か焦っている口調である。急ぎリビングに戻ってテレビをつける。

 リトヴァとシウスは、おやすみ前のひと時、ぬいぐるみで遊んでいた。

「今日の披露宴の様子だ。国王の隣見てみ」

 見たエスカは仰天して、後ろのソファにへたり込んだ。国王クリステルの隣で、婉然と微笑む艶やかな美女。シェトゥーニャではないか。

「しばらく噂を聞かないと思ったら、ラヴェンナにいたんだな」

「ウリ・ジオンは?」

「部屋に引きこもってしまったよ。やっと吹っ切れて元気になったっていうのに」

 アルトスもつらいのではないか。

「それで今アルトスが、例のお喋りの甥っ子と姪っ子に連絡を取っている。後でかけなお……あ、戻って来た。スピーカーにするよ」

 アルトスは、すぐに電話を引き継いだ。

「俺だ。双子の話によるとだ。王妃は例の一件で実家に帰ったきり、王宮に戻っていないそうだ。つまり、クリステルの許可が下りないんだな。

 クリステルにすれば、側室数名と愛妾数名で間に合っているから、敢えてトラブルメーカーを呼び寄せる必要はないようだ。

 そこで最近、シェトゥーニャの舞踊団がラヴェンナで公演した。評判の舞姫をひと目見ようと、お忍びでクリステルがお出ましになった」

「どこかで聞いた話だね」

「そう。母親のアイラと違うところは、王宮に呼ばれたシェトゥーニャが、喜んで参上したことだ」

 シェトゥーニャは、上昇志向のひとだったのか。

「でもな。側室も愛妾も、貴族の出がほとんどだよ。砂漠の民の長といっても、今は一般人。愛人がせいぜいだ。

 その分、自由が効く。地方公演にも行けるし、王宮に帰れば贅沢三昧で、生活の心配はない。願ったり叶ったりだろうな」

「シェトゥーニャって、そういうひとだったの?」

「姉ではあるけど、俺はよく知らないんだ。ただウリ・ジオンみたいに、ひとりの人をひとすじに、というタイプではないんだろうな。

 如何にも砂漠の民らしいよ。俺は、ウリ・ジオンに申し訳なくて」

 さすがのアルトスも、参っている様子が伝わってくる。

「アルトスが責任を感じることはないよ。しばらく落ち着いて様子をみよう」

「そうだな。今のところ、クリステルに寵愛されてるんだってさ」

 泣き笑いのような声。

「まずは、ウリ・ジオンを元気づける方法を考えようじゃないか」

 サイムスの前向きな意見で、通話を終えた。


 翌早朝、セダから連絡が来た。

「朝早くからすまん。ウリ・ジオンは大丈夫だ。『これで本当に終わったことがわかったよ。心配かけて申し訳なかった』と言っていた。あれは本心だな。

 むしろ、アルトスが心配だ。ひとりで抱えこむタイプだからな」

 気づいていたのか。

「それで、今夜八時からウェブ会議を開くから、参加してくれ。アダが司会をする」

「あの、何で僕まで?」

「紅一点じゃないか。参考までに、女心を聞かせてもらおうと」

 言い終わらないうちに、セダは吹き出した。無礼者め。ま、女の端くれだもんね。エスカも笑って、通話を終えた。

 確かにエスカは女の端くれなのだが、男の部分も僅かながら残っている。みんなは、それはもう自然消滅したと思っているだろう。 

 誰も気づかないし、話す必要もないことだ。

 短い期間だったが、共に暮らしている間、シェトゥーニャが贅沢嗜好だと感じたことはない。ウリ・ジオンさえいれば、幸せそうにいつもにこにこしていた。

 それに、何か他の目的があるにせよ、気に入らない男に身を任せるひとではない。余程の理由がなければ。

 復讐。その言葉がエスカの脳裡をよぎった。シェトゥーニャとアルトスの父は、先々代のラヴェンナ王に殺されている。

 かれこれ二十年以上前のことではあるが。そういうものに時効はあるのか? 感情面で。

 砂漠の民は、復讐心を忘れないと聞いたことがある。現国王クリステルは、先々代の庶子。

 いくら何でも、シェトゥーニャは犯人の息子に復讐するなんてことを考えるひとではない。何か考えがあるのだろう。

 今夜の会議が待ち遠しいエスカだった。

 会議は定時に始まった。メンバーは、司会のアダ、セダ、サイムス、アルトス、ウリ・ジオン、そしてエスカの計六名である。格式ばった会議ではないので、いきなり本題に入る。

「まずは僕から報告」

 ウリ・ジオンが乗り出すように、話し始めた。

「舞踊団の団長と連絡が取れた。顔見知りだったからね。団長は六十代の男性で、昔の事件の時もいたから、事情を知っていた。

 幼かったシェトゥーニャを預かってくれてたのも、若かった団長夫妻だったんだって。砂漠の民でもある。

 だから、ラヴェンナに公演に行くつもりは、さらさらなかった。ところが、事情を知らない若い団員たちから、要望が出た。

 なぜラヴェンナに行かないのか。周辺国はほぼ回った。次はラヴェンナだよねと。

 団員たちの中には、ラヴェンナ人もいる。いないのはイシネス人だけだな。

 そしたらシェトゥーニャが『いいじゃないの。ラヴェンナ』と言ったそうだ。

 けろりとしていたから、団長は『あれから二十年以上経つから、時効かな』と思ったと。

 で、首都を皮切りに、ラヴェンナの主だった都市を回る計画を立てた。出発の前日、シェトゥーニャが団長に耳打ちしたそうだ。

『あたしに何かあったら、すぐに予定をキャンセルして、みんなを引き連れて帰国してね』

 団長は、体が震えたそうだ。やっぱり、このひとは忘れていなかったのだ。

『あたしは大丈夫よ。長いこと計画を練ってきたから、勝算があるの』

 むしろ、団長は慰められたという。で、シェトゥーニャが王宮に呼ばれた時点で、荷造りをして引き上げた。

 後悔していたよ。なぜあの言葉を聞いた時に、公演を中止しなかったのか。

 それとは別に、シェトゥーニャの思いを遂げさせてあげたいとも思ったそうだ」

「何でひとりでやろうとするんだよ。俺にとっても親父じゃないか!」

 アルトスの絞り出すような声。

「巻き込みたくなかったんじゃないかな」

 サイムスが宥める。

「なら、勝算なんてないんじゃのか」

「だから、これから話し合うんだよ。『シェトゥーニャ救出作戦』」

 とセダ。

「でもシェトゥーニャは、誰に対して復讐するつもりなの? 殺害を命令した先々代の国王は、とうの昔に亡くなってるでしょ」

 エスカの疑問に、アダが手を上げた。

「当時の長が事故を装って殺された時、ルシウス・パルツィ氏が近衛師団長を務めていた。

 俺の父は、最初からパルツィ氏の従卒だった。で、当時の話を聞いたよ。

 近衛師団というのは、いわば表の軍団。その他に、国王が直接指揮を執る影の集団がいたそうだ。

 影だから、表沙汰にできない案件を取り扱う。人数は十人未満。知る者が少ないほど、秘密は守られるからな。それに、大規模な戦いをするわけじゃない。

 そのグループは、国王の命令によってのみ動く。だから一生のうち、数回仕事がある程度だ。

 普段は、王宮の使用人や、市井の職人として働く。従僕、庭師、コック、厩務員とかな。

 正体がバレにくいのは、彼らがごく普通の人たちで、特別な訓練を受けていないからだそうだ。

 だから、殺害方法も一般的。事故や自殺に見せかける。病死と思われるような毒薬を使うとかな。

 これについては、法医学の権威も見破れないレベルだという。仮に見破っても、家族の安全を考えて、何も言えなかったのかも知れないが。

 それでそのメンバーは、世襲制だそうだ。親が引退したら、息子か娘が引き継ぐ。一子相伝だな。

 これは、ラヴェンナ王宮に務める者、ほぼ全てに当てはまると言っていい。

 長男が拒んだら、次男が受け継ぐ。大抵子沢山だし、安定した職場だし、就活しなくて済む。

 雇う側も、募集をかけなくて済むし、信用できるというわけだな。シェトゥーニャは、実行犯を狙っているのかも知れない。

 引退した者、亡くなった者、まだ現役で何らかの命令を待ちながら働いている者。

 問題は、どうやってそいつらを見つけるかだ」

 セダが手を挙げた。

「グンナルの王太子の結婚式の時、俺は庭師として潜り込んでいたんだが。

 アルトス、砂漠の民というのは、ひとり残らず赤毛か?」

「いや。赤毛率が高いというだけだよ。何世代にも渡って混血してるからな。黒髪も金髪もいる」

「そうか。その時、使用人の中に赤毛が多いように感じたんだ。実際は、もっといたかも知れないな」

「砂漠の民が入りこんでいたと?」

 とアダ。

「今にして思えばな。長を殺されて、悲しんだのはアイラとシェトゥーニャだけではないだろう。

 砂漠の民は、何代も前から世界中に散らばっていたんだろう? ラヴェンナの王宮で、何らかの伝手つてで働いていたとする。

 事件の事で、昔の仲間から連絡が来たら、協力するかな?」

「するだろう。砂漠の民は、結束力が強い。どこで暮らしていようと、末代までその魂は保ち続けるよ」

「シェトゥーニャは、それでターゲットを絞れたんだ。後はラヴェンナに行くチャンスを待つのみ。

 だが俺たちは、どうやってその影の集団を調べたらいいんだ?」

 サイムスが挙手する。

「あのさ。仕事に成功したら、報酬が出るんじゃないのか。それも多額の。だからそいつらは危険を承知で動くんだと思う」

「裏帳簿か!」

 アダが膝を打つ。

「頭いいなサイムス!」

 嬉しそうな声はセダである。苦笑する一同。そこへ、ウリ・ジオンが疑問を呈した。

「その使用人たちって、身分が低いだろう? 直接国王に会えたりするのかな?」

「あ!」

 アルトスが声を上げる。

「中継ぎの貴族がいるな。国王に謁見できる高位の貴族が」

「よし。そのセンでも調べてみるか」

「あの〜」

 エスカが遠慮がちに手を挙げた。

「代々の国王がそのグループを率いるなら、現在はクリステルなんじゃないの?」

「それだよ」

 アダが答えた。

「親父によると、クリステルは引き継いでいない。前王のグンナルでさえもだ。つまり、先々代で留まっている。が、活動はしていると」

「なんだそれ?」

 一同不審顔である。

「先々代の死後、きさきが横から掻っさらったんだとさ。権力もカネも全て。

 だから、あの件以降に奇妙な事件があったとすれば、主犯はその后ということになるな。

 先々代の后とグンナルの后は、仲が悪かったそうだから、渡さなかったのさ。ましてや、クリステルは別腹だ」

「こわ〜」

 一同怯えた。

「だいぶ煮詰まったな。準備が整い次第、ラヴェンナに出発するぞ」

 有意義な会議だった。

 会議の後、エスカはもやもやしていた。なぜシェトゥーニャにも電撃を教えなかったのだろう。

 なんとなく、女性だから戦う機会はないだろうと思い込んでいた。思い込みは危険だと知っていたのに。まさに後の祭りである。

 いつ出かけてもいいように、エスカはリュックに荷造りをした。無論、短剣とウィッグも入れた。みんなと一緒に行くつもりだったからだ。


 二日後の昼過ぎ、アダからウェブ会議の招集があった。ふたりを寝かしつけて参加する。

「明朝出発する。サイムスとウリ・ジオン、セダは農場から出てほしい。俺とアルトスは街から出る。エスカは現在地から頼む」

 アダの説明を聞いていたエスカの脳裡に、声が響いた。守護神である。

『急げ。それでは間に合わぬ。そなただけ先に行け』

 理由がわからないだけに、みんなに説明はできない。ここは喧嘩してでも会議から抜けなくては。

「え、僕も行くの?」

「はぁ?」

 一同の目が見開かれた。

「本気で、僕にシェトゥーニャを助ける義理があると思ってんの?」

 話しながら、エスカの頭脳は急速回転する。子どもたちを誰に頼むか。手順はどうするか。

「あ、あのエスカ」

「戦闘ならアルトスがいる。どの面さげて、僕を頼るのさ」

 エスカは、傷ついたウリ・ジオンを見ないようにした。

「で、でもエスカ。俺は戦闘以外に大したことはできないし。エスカが一緒に行くことは、大前提だよ」

 アダ、セダ、サイムスは、固唾を飲んで聞いている。予想もしない展開になった。

「必要なことは教えたはずだよ。グッド・ラック」

 タブレットを閉じ、エスカはホロに電話した。緊急事態であることを説明し、グウェンとイモジェンに留守を頼みたいこと。

「わかった。グウェンを乗せて、イモジェンを迎えに行くよ。連絡しておいてくれ」

 さすが隠れ諜報員のホロ。イモジェンに連絡して了解を得ると、エスカはリュックを背負った。居ても立ってもいられない心境である。

 何か柔らかい物が脚に触った。見るとアスピシアである。訴えるようにエスカを見上げる。

「ごめん。連れていけないんだ。お留守番頼むよ」

 どうしたことか、今日のアスピシアは聞き分けがない。頭でぐいぐいとエスカを押してくるではないか。エスカはアスピシアを抱きしめた。

 その時にふと気づいた。連れて行く方がいい。今回は、アスピシアがいる方がいいような気がした。

「わかった。行こう。でも危ないことはしない約束をしようね」

 アスピシアは、エスカに頬ずりをした。カエサルがじっと見つめている。

「後は頼んだよ」

 カエサルは、納得しているのが哀れでもあり、頼もしくもあった。

 市街地から二時間半。待ち切れないエスカは、アスピシアと外に出た。車庫から車を出し、上空を見上げる。ホロを待ちながらエスカは、ラヴェンナに着いてからのシミュレーションをした。

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