第2話

 夏目漱石、森鴎外、いろんな文豪の本がある。

 人間失格、たけくらべ、山月記、こころ、羅生門。最近かわいいカバーが付けられたことが話題になった本も。

 現代文の教科書に載っている本は少し読まれているみたいで、どれも少し汚れている。でも、これじゃあ誰も読みたがらない。みんなが好きなのは漫画。学校の図書館にそれは置けないから、せめてライトノベルにしなくっちゃ。タイムスリップものとかバトル系は人気のはずだ。

 本の山の中には、確かにラノベもあった。数は最も限られていて、でもそれらが一番汚れてる。

 昔、小学校では、ラクな委員会じゃなきゃ嫌と言う友達に合わせて、図書委員に入ったっけ。あの頃は全部強制だったな。

 いまだにテープの留め方は覚えている。

 あの時は、自分から手を挙げるということもわからなかった。

 これでも一応、変われているはずなんだけど、でも、まだ全然ダメ。私は何も言えないし何もできない。

 でも、今なら、ちょっとだけ勇気が出せると思う。さっき「お手伝いしましょうか」って、言えたから。

「あの、その、や、やっぱり図書室にいっぱい来てほしいですよね。」

「もちろん。」

「あの、私、この本の山見てて思ったんですけど」

「なに?」

「傷だらけになっている本は見た目も堅くて真面目です。でも多少は読まれているっぽいやつは、教科書に載っている本だったり、カバーの絵がかわいいです。」

「なるほどね。そういう違いか。」

「そうです。だから、学校には漫画が置けないんだったら、教科書に載ってる作家の本とか、絵がかわいいやつとか、そういう、手に取りやすいやつを増やすといいと思うんです。いや、わかんないですけど、なんとなく。本当になんとなくです。」

「委員の子が言うなら、きっとそうなんだよ。もっと取っつきやすい本を増やせばいいんだよね。」

 うーん、と司書さんは少し唸った。

「でもね、当番さん。最近はみんな古い文学を読まなくなっているでしょ。字が細かくて、これぞ本!みたいなやつには誰も興味ない。だからね、私はこの図書室で昔の良い文学に触れてほしいの。」

「えっと、でも……

 確かに、それはいいと思います。でも、私は確かに読書するけど、一番最初は、ここにあるみたいな薄い本だったし、かんたんなものからハマっていくと思うから。だから」

 言いながら目の前にあった派手なカバーの本を司書さんに見せた。

「最初が大事だ、と、思います。」

「最初かぁ……

 最初。最初ねえ。」

「一度ハマれば、だんだん難しいのも読むようになると、思います。」

「確かに、そうね。

 とっても的確ね。貴重な意見を、ありがとうね。」

「……」

 二人で黙々と作業を続ける。


 補修テープをだいたいの大きさにハサミで切って貼る。縁がぼろぼろになっていたり、酷いと破れているページがあったりする。どれもサイズに合わせて手作業で直していく。

 大きすぎて余ったテープはカッターで切る。うまくできると、さらに破れたりもっとボロくなることを防げる。テープは透明で、貼ってもほとんど気にならない。

 司書さんはさすが、お手のものだ。私は何年も前の感覚を呼び覚ましながら丁寧に作業を進めていった。一冊一冊、ゆっくりと。ときどき面白そうな本を見つけると、手を動かしつつ読んでみた。せっかくだし、今日直した本の中で何冊か借りてみよう。自分がその本をよみがえらせたのだと思うと、学校のものとはいえ愛着が湧いてしまう。

 私は、もしかしたら司書さんも同じ気持ちなのかもしれないと思った。

 ここで毎日一人で本を管理する。そんな仕事は絶対寂しいに決まってる。でも辞めないのは、この仕事が楽しいからなんだ。みんなは気付かないけど、本に触れることは楽しい。小さな液晶ばかりじゃなくて、昔ながらの紙にも良さはある。紙は、夏は冷たく冬は暖かい。

 二人で一山ずつ片付けていった。十分、三十分、一時間。


 外はまだまだ明るい。

 窓から差す陽光は青いままで、オレンジになるにはあと何時間もかかる。

 冬の夕方五時はなんだか切なくて、でも、それこそが冬の良さで。だけど、私は夏の方が好きだ。


 外はまだまだ明るい。

 窓から差す陽光は青いままで、オレンジになるにはあと何時間もかかる。

 冬の夕方五時はなんだか切なくて、でも、それこそが冬の良さで。だけど、私は夏の方が好き。

 

 一旦立ち上がり、鞄から水筒を出して水分補給する。中身はお茶ではなく、ただの水だ。体育の授業の時に飲み干してしまって、仕方なく運動場の東側に設置されたウォータークーラーで汲んだ。学校の水は大しておいしくないけど、飲めば体も頭も生き返る。砂漠のオアシスみたいだ。

「当番さん、立ってるついでにそこの窓開けてもらえる? ちょっと換気したらすぐ閉めて。」


 開けたとたんに、野球部のかけ声が聞こえてきた。

 バットで白球を打つ音もはっきり分かる。

 カーン

 気持ちのいい音。

 運動場のすぐ右側にはテニスコートがあって、あの子の姿が見えた。

 何の練習なのかはわからないけど、友達が緩く投げたボールを相手のいない反対側のコートに向けて打っている。

 今年あの子と友達になった彼女は、五月にバド部からテニス部に転部した。たぶん、それは友達だから。友達ができたら、部活だって変えちゃうんだ。今はあのふたりはいつでも一緒にいて、私はあの場所を、彼女に取られた。あの子の隣は、もう私の場所じゃない。

「何見てるの?」

 気が付いたら司書さんも立ち上がり、私のすぐ後ろに来ていた。

「あそこでずっとボール打ってる子」

 指をさして言った。

「私の友達です。」

「ふうん。」

 司書さんは一拍あけて、もうひとつ付け加えた。

「ボール出しの子と打ってる子、あのふたり仲良さげで、楽しそうね。」

 うん、そう。

 二人は仲が良くて、お似合い。

 私とあの子だと、あの子ばかりが明るくて私はいつもあの子のトークを聞いて相槌をうつだけ。私じゃなくて彼女なら、お互いたくさん喋っていつも笑ってて、あの子は彼女と一緒にいる方が心地いいんだ。

「私の友達だったんです。」

「そう。」

 二人が輝いて見える。


 あの子はまっすぐ相手側のコートを見つめ、自分の位置の対角線上を狙っている。彼女がふわっと投げる黄色い球はあの子のラケットの真ん中に吸い込まれ、そして大きくバウンドする。良い球が打てたのか、ときどき二人は顔を見合わせて笑う。微笑む。でもすぐに表情は元に戻って、また同じことを始める。

 二人が立つポジションには二人だけしかいなくて、他のテニス部員でさえ無関係に見える。男子に負けない力強い球は、きっとボール出しが彼女だから打てるんだ。


「今日はありがとうね。もう図書室を閉める時間だから、荷物片付けてね。」

「あ、はい。」

 いつのまにか、補修テープの端切れを、司書さんが集めてくれている。私は自分の荷物さえ片付ければ、もうする事はなさそうだ。

 私は一旦カウンターに出て、単語帳とペンポーチをしまった。スマホの通知を確認するが、メッセージは一件も来ていない。

「当番さん。」

「はい」

「お疲れ様。」

 司書さんは私の右手を取り、何かを掌に載せた。

 チョコチップクッキーだ。

 みんなが知っているような有名なものではなく、初めて見るメーカーの、至って地味な見た目。

 全体は透明で何も書かれておらず、縁のギザギザのところだけ白になっている。お徳用のものだろうか。

 カカオパウダーが練り込まれていて生地自体が茶色だ。その中にひときわ色の濃いチョコが入っている。パッと見る感じ、チョコは五つ、六つくらいだ。サイズの割には多い。

「あ、ありがとう、ございます……」

 そそくさと司書さんは出口に向かっていく。

 電気消すよと言われて、私も後に続く。図書室専用に用意されているスリッパからローファーに履き替えた。毎日一人使っているせいで、革はもうすっかり傷んでいる。司書さんは何も言わずに職員室の方へと歩いていった。

「あの!」

「ん?」

「また来ていいですか……?」

「いいよ。」

 司書さんはにっこりと笑った。


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