4:文月

 七夕が曇り空で終わってしまった頃、勤務を始めてまもなく、特に依頼があるわけでもないため外に出ようかと思っていると末本すえもとさんから声がかかった。

「二人ともこのお祭り興味ある?」

 ちょっと車はタバコ臭いかもだけどと前置いて、ある葉書を示す。半月後にある県内有数の祭りの招待状。開催地はここから車で2時間ほどかかるが、機会があればとも思っていたものだ。

「自分は行ってみたいです」

「わかった。のぞみちゃんはどうする?」

 希は何を考えているかわからない表情でいるが、その葉書から目を離さない。

「……この葉書、うちにも来てたような」

「おっとそれは」

 厚い前髪で見えないが末本さんの顔がしかめられたように思う。

「行ったほうがいいですかね」

「……喪中、いやだからこそか? __うん、できれば行ったほうがいい」




 希によって開けられた左側の窓から夏の湿度を持った空気が入り込む。

 後部座席、タバコというよりは消臭剤の匂いが漂う車内に2人並んで揺られている。フロントミラーから見える末本さんの前髪は珍しく上げられていたが、代わりに大きなサングラスがあって目元はよく分からない。

 今から向かう神社は龍を主神としている。先にある台風からの水害から守って貰うための祈祷の祭りなのだ。

「大昔にあった人身御供を舞で再現をするんだ」

「人身御供」

「うん。所謂生け贄なんだけど、一応本人が志願したって事になってる」

 恣意的なものを感じ眉を顰める。もし仮に本当だったら酔狂だ。

「5年に一度配役が決められて、その生け贄__かんなぎ役を務めるのはがいつもは髪の長い女性。だけど今年からのは別に髪も長くない男性なんだ。曰く主神の思し召し」

「今回はその調査ですか?」

「そう。と言っても簡単な聴取位だけどね。多少動かなきゃ本部がうるさい」

「大変ですね」

 神や妖怪などを管理する"協会"の本部というのは、大分心配性だ。

「まぁ、いいのいいの。普段行けないお祭りに行く口実になったしね」

「あんまり行かないんですか?」

 これまで黙っていた希が口を開く。

「いやぁ。毎年葉書を頂いてはいるんだけど、僕は鼻つまみ者だからねぇ。……おっと、気にしないで、僕個人のことだから」

 常に目元を隠していたりと、末本さんは秘密主義だ。その割には時々こぼして気にしないでくれと言う。ラインはここだというように。それを不器用な誠実さだと思うことにした。


 駐車場からいくらか歩くと大きな鳥居があり、その奥へ人が進んでいく。最近本格的に鳴くようになった蝉の声が青い空と緑の木々を彩っている。既に13時ごろと最高気温には達するころで、ジメジメした暑さがある。

「あ、杉屋酒造の」

 そういう希の視線の先には、奉納された酒樽が積んであった。

「ああ、この辺りの老舗だね、甘口で飲みやすい」

「へぇ、飲んでみたいな」

「いつかね」

 そのいつか、__おそらく4年後というのは想像がつかない。きっと大学生をしているだろうが何を専攻しているのか、相談所で働いているのか。ただおそらく4年後の舞をするのも今回の人なのだろう。


「ごめん、タバコ吸ってくるから先行ってて」

 そう言って、末本さんは鳥居の手前でひっそりと隠れた小屋に入って行った。多少呆れを覚えるも、おそらく運転中は我慢していたのだろう。

 末本さんの言葉のままに、先に鳥居をくぐる。人が奥へ引き込まれていく道の傍にある立て看板曰く、手水はこの先の小川らしい。

 小道に沿って降りれば涼しい河原に出た。そこは広く周囲は瑞々とした緑に飾られている。また、小川と言っても幅は2、3mあり、そのせせらぎは蝉の声と共にこの場を外界から分断している。

 キラキラ鱗のように光る水面に手を入れれば予想に反さず水は冷たく、ゆったりとした流れを感じる。

 何か視線を感じあたりを見渡すも特にこちらを見ている人はいない。代わりに希が隣から消えている。いつの間にか手から水滴を垂らしながらよたよた先に進んでいた。

「おいおい」

 逸れるわけにもいかない。手早く手を拭いてから駆け足で追いかける。改めて彼女が行く先を見れば、白い衣装の若い男性がいる。そして希はその男性に手を伸ばしている。

「ばっか……!」

 どうにか手が届く前に希の頭をはたく。多少乱暴だが仕方ない。

「あの、濡れてたりは……」

「いえ。大丈夫ですよ」

 男性はそのアーモンドアイの目尻を下げながら、穏やかに言う。

「よかった。すみません」

「その失礼ですが、そちらの方は大呑おおのみ様ですか?」

 その言葉に希の方を見れば、男性を見て呆けている。まあいつも呆けているような顔だが。進まない会話に呆れ、肘で彼女の脇を小突くとようやく頷いた。その様子に男性は愛想笑いと言ったように眉を下げる。

「勘違いでないようでよかった。私は船渡ふなわたし水貴みずき、招待状を送った船渡です。この度は当催事に足を運んでいただきありがとうございます」

 これまでより少し、かしこまった上品な態度で言い、礼をする。

 思わず目を見張るが、いつまでも続く沈黙が苦しくなってくる。

 チラリと希を見れば、顔が赤い。

「まさか……!」

 思わず声が漏れた。下世話というか、変な考えが浮かぶ中、ようやく希は口を開く。

「__水貴さん、いい匂いですね。お酒みたい!」

 何を言うかという衝撃と、珍しく跳ねた声音と綻ぶ笑顔に対する動揺とが己を襲う。

 そして一瞬固まっている間に希は崩れ落ちた。

「おい、大丈夫か⁉︎」

 受け止めた肩を揺するも、目は開かない。顔は真っ赤になっており、漏れる息は熱い。

 どうすれば、と思っていると、肩を持っていた手に冷たく白い手が重なる。

「揺らさないで、落ち着いてください。社務所に連れて行きましょう」

「いいんですか」

 そう見上げれば、彼は眉を下ろした微笑で頷いた。

「もとを言えば、私のせいかもしれませんから」


 希が倒れてから30分ほど経った頃、本人が目を覚ます。それに最初に気がついたのは俺ではなかった。

「気分は大丈夫?」

 そう声をかけたのは、長い髪をポニーテールでまとめた、淡い色の近隣にある高校の制服を着た女性。

「……水貴さんは?」

 希は半開きの目で辺りを見渡した。そんな様子に女性は眉間に皺を寄せる。

「私は貴方の気分を聞いてるのだけど」

 怒気の孕んだ声だ。

「熱さはなくなりました。多分大丈夫です」

「そう」

「あの、貴方は」

「私は船渡泉美いずみ。こういうのって自分からじゃないの、大呑さん」

「すみません。私は大呑希です」

「重ね重ねすみません。あと、場所を貸していだだき、ありがとうございました」

「別に志島しじまさんが謝ることじゃないでしょ? それに、兄さんが決めたことだし。……そろそろ舞が始まるから、見に行ったら? 主役はお探しの兄さんだし」

 どこか嫌味たらしい言い方だ。だが14時からの舞まであと15分ほどと、移動や場所とりを考えるとギリギリ出る。

「水貴さんが、あの」

 希の言葉に、泉美さんの眉間の谷間が深くなっていく。

「ぜひ見させていただきます」

 そう言って、希の手を引っ掴みそそくさと出る。

「なんで兄さんばっかり」

 そんな声が扉の奥から聞こえた。


 小学校の頃に学んだことであるが、この土地は水害が多い。明治に根本的な治水がされるまで、洪水ありきの生活であった。それでも、明治以前にも大きな治水は行われていた。そのきっかけになったのがこの舞の主題である。

 土砂降りの太鼓の音の中で、その巫は袖で目元を隠しながら踏み切って跳ぶ。

 資料で見たことのあるその場面は、口を一文字を描き、決心したようであった。だが実際に目にしているそれは、溜まらぬ高揚が白い歯と一緒に見えていた。

 バラバラであった太鼓が一斉に大きな一音を鳴らし、巫が台から飛び降り、着地してはけていく。台自体はそう高くない、二、三十センチでしかない。しかし、踏み切りと落ちた瞬間の2回、揃った大きな太鼓の音に背筋が凍る。ああ、落ちたのだと。

 余韻の後の静寂が舞台を包んでいくらか経ち、思わず止まっていた息を飲み込むと、一筋の笛の音が舞う。それに続き鈴や笛の音が鳴る。先ほどまでとは夜が明けたような雰囲気の変わりようだ。

 誰かが舞台に入ってくる。巫の妹役だ。巫に似ているものの色の違う衣装で、ゆっくりと楽しげな音に合わせて舞う。音楽に似合わず悲しげに見えた。


 舞が終わり、舞台周辺から観客が徐々に減っていく。それでも、その場を離れられずにいると、後ろから声がかかった。

「2人とも、どうだった?」

「末本さん。……いや、なんというかすごかったです」

 そういえば、希も頷いた。

「ただ、なぜ巫はあのとき笑ってたんですかね。資料で見たことあるのはその、覚悟したような感じでしたけど」

「……本望だったんじゃないですか? 龍神に会えるっていう」

 希のがいう。だが、その意見は容易に飲み込めるものでない。

「災害の原因だろ、そんなものに?」

「どうだろうね。当時の巫の気持ちっていうのは色々考えられるけど、どういう意図で演じたかは本人に聞いてみたらどうかな」

「あ、そういえば、本部からの依頼でしたね」

 ああ、祭りの雰囲気に浮かされて、本題を忘れていた。巫に選ばれた水貴さんも参考人である。

「そうそう、ついでに希ちゃんの挨拶も済ませよう」

 重ね重ね忘れていた。先ほどの船渡家への無礼を思い出し、血の気が引く。

「そう固くならなくても、相手は悪意がなければ寛容だよ」

「そうですかね」

 ともあれ出来ることは、先程の悪印象を雪げるように振る舞うだけであるだ。


 舞台の裏に行けば、身支度をする水貴さんがいた。遠くにいても目を引く雰囲気がある。

「すみません、今よろしいでしょうか」

「はい、大丈夫ですよ」

「末本相談所よりきました、末本嗣郎しろうと言います」

 そう名刺を差し出す。

「ああ、末本様。ようこそおいでなさいました」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」

「……あの、大呑様、お加減はいかがでしょうか」

「はい、大丈夫です。今はこの道具も付けてますし」

 そう希は組紐を示す。霊力の出入りを防ぐものだ。

「ああ、よかった。大呑様の体質や自分の性質知りながら、不用意な行いで大変申し訳なく思っておりました」

「性質?」

 思わず繰り返す。

「ええ。先ほど大呑様が酒のような匂いと言われたように、私の霊力は度々酒のようだと言われるのです。普段はもう少し自制が効くのですか、本番を前にして、気が立ってまして」

「なるほど」

 納得すると同時に、それほどまでの影響を与えるものを持つというのは大変だろうなと、多少親近感を覚える。自分も道具に頼りっきりでなく、自分でどうにかできるようにならなければ。

「いえ、当てられたのは私が勝手に吸ってしまったからですから。それにさっきの舞、すごかったです」

「恐縮です」

 自分が思索する中、希が会話を続けていく。確かにあの舞は素晴らしいものだった。さて、どうしようかとも思うが、ええいままよっと言ったように勢いのままに会話に入る。

「あの、先ほど飛び降りる瞬間、笑っていたと思いますが、あれはどのような意図であのように表現されたのですか?」

 先ほどの疑問を問う。きっとこの機会を逃したら聞けないと思ったからだ。すると水貴さんははにかみ口元に手を当てる。

「ああ、そんなところまで見られてしまうとは、分かってはいましたが恥ずかしいですね。あれは、なんというか飛び降りることに対する高揚感で笑ってしまって。私が至らぬが故なのです」

 白い肌が赤らんでいく。無粋な質問だったのかもしれない。

「教えていただき、ありがとうございます」

 気まずいというか、面映いというか、そんな雰囲気が漂う。そんな中、さて、と末本さんが口を開いた。

「本題になりますが、単刀直入に聞かせていただきます。なぜ今回、貴方が舞を?」

「それは、ご指名いただいたからとしか言い様がありません。主神たる貴い方がお選びなさったからには、私は全うするのみです」

 それまでの和やか雰囲気から切り替わり真剣に、確かに本人の考えだろうというものを得る。だが、疑問の解消にはならないものだ。

「それでは、なぜ例年からは大きく異なる髪の短い男性を指名されたかはご存知ですか?」

「いえ、伺っていません。お考えを推しはかることもできません」

「そうですか」

 手がかりなしかと落胆していると、一つ足音が聞こえた。

「__つれないなぁ」

 背後からかかる声に背筋か伸びる。不意をつかれたからではない。その声が畏怖の念を起こさせるものであったからだ。

三恵みつえ

 これまで崩れなかった丁寧な口調と打って変わって、砕けた言い方だ。ああ、身内なのだなと感じる。それと同時に、神々しい何者かにそんな態度であることにも衝撃が走る。

 名前を呼ばれたそれは、宙を蹴るような軽やかな足取りで、ひとくくりにした髪を揺らしながら自分たちの横を通り抜け、自然な動きで水貴さんの肩を抱く。

「俺がお前以外を選ぶ道理の方がないだろう」

 そう言ったのは今し方やってきた男性。その首元には鱗の模様が見え、話す口に鋭い犬歯が見える。

 二人が向き合っている距離は当然近く、妖艶な雰囲気があった。

「三恵殿、私は末本嗣郎、末本相談所からやってきました。貴方に直接お伺いしたい。なぜ彼を?」

 末本さんが固い声で聞く。

「はっはっは。そう改まるな先代の頃に何度か会ったことがあるだろう。それにしても久しぶりに招待に乗ってきたかと思えば何を言うか。あのときの巫本人がいるなら、それが演じるのが一番だろう?」

 ニヤリと鋭い犬歯を覗かせながら言う。それに背中に汗が伝う。彼にこそ何かあってはならない。

「彼があの巫本人であると?」

「そういっているだろう」

「彼は人間ですよね?」

 そうだ、本人であればなぜ生きているのか。

「生まれ変わりと言うやつだ。あのとき"約束"してくれたからな。俺は死んだ程度で約束を反故にさせん」

「それは、思い違いではなく?」

「俺が耄碌したとでも?」

 彼の目は釣り上がり、大きく開かれた口から鋭い犬歯が、牙が顕になる。今にでもここから逃げ出したいと本能的に思うが、足がすくんで動かずに済んだ。

「三恵、やめなさい。……すみません。彼方方はきっと心配していらっしゃるのだと思います。ですが、私自身そのような前世を持ち、むしろ地続きで今を歩んでいると認識しています。誓って、義務感を感じているわけでも、浮かれているわけでも、我を失っているわけでもありません。本望なのです」

「そう、ですか」

 神の前での"誓い"である。信じる他はない。

「まあいい、"札付き"のお前が面倒な立場にいることは知っている。こちらに降りかかるものを減らすためだ、なんでも聞いておけ」

 先ほどの怒気は消えている。寧ろ憐れむような、見下すような笑みを浮かべている。

「では、お言葉に甘えて。それならば、なぜこれまでは髪の長い女性を選んでいたのですか」

「なに、あのときの巫に似たもの、__髪がまっすぐ綺麗なものをを選んでいただけだ。いつからか、髪が長いのは女ばかりになっていただけで、別により好んで女を指名していたわけではない」

「あーなるほど。勝手にこちらが思い込んでいただけですか」

「分かればいい」

 後頭部を搔く末本さんに、彼は満足げだ。

「いやぁしかし、これまでと大きく違うとなると、それなりに影響を与えていますよ。一旦は本部も飲み込んでくれると思いますがしばらくはちょっかいがかかるかと」

「ふうん、まあいいんじゃないか? 忘れられて理性を失うよりも断然。その点はその協会に賛同している」

「そうですか、そのことも伝えさせていただきます」

「好きにしろ。__ところで、だ」

 三恵は目を細め、希の方を見る。

「お前、大呑だろう?」

「はい、大呑希です」

「ふっふっふ。大呑の血筋のものが来るのも久しぶりだ。どうだ、酒でも呑まないか?」

 そう彼は盃を煽るような仕草をする。それに対して末本さんが割って入る。

「いえ、彼女はまだ未成年で」

「なんだつまらん。その名の通りの姿を見られるかと思ったのに」

「致し方ないことですね。……希ちゃん、いい機会だ、挨拶を」

 そう手で促された希は一歩前に出る。

「遅ればせになりますが、代替わりしました。このような不格好なままですみません」

「なんだ、"餓鬼の"ではなくお前がか」

「はい、弱輩ながら努めさせていただきます」

「そうか。俺は三恵。この神社及び、そこの川の主だ。何、別に気負わなくていい。暴れ回ってその名を轟かせておけ」

「では、そのように。今後もお世話になります」

 いつもよりも格式立って丁寧な言葉遣いなのに、不遜な態度にみえる。しかし、彼女の叔母であるほのかさんを思えば、大呑というのはそう言うものなのかもしれない。

「お前は?」

 不意に自分に向けて声がかかる。驚いて開いた口を一度閉じて、どうにか声を出す。

「自分は志島津々琉つづるといいます」

「いい名だ。名は体を表すとはよく言ったものだ。ここら一帯は俺がみている。健やかに生きろ」

「ありがとうございます」

 彼は泰然と笑っている。これまでのどこか乱暴さを伺わせるもの違い、どこまでも見通しながら、寛容さを感じさせるものだった。


「水貴」

 聴取も挨拶も終わり、解散といったところで壮年の女性が駆け足気味に近づいてくる。それに対して、三恵は一歩下がってから姿を消した。きっとそんなに姿を晒す気は無いのだろう。

「皆様お集まりの中すみません。泉美、一つ結びの制服を着た子を見ませんでしたか?」

「見てないよ」

「最後に会ったのは舞の前に社務所でですね」

 水貴さんに続いて答える。

「そうですか、ありがとうございます」

 女性の言葉は感謝のものであるものの、どこか落胆が乗っていた。

「泉美がどうかしたの?」

「またあの子どっか行って。まったくいつまで拗ねてるのかしら?」

「まあ、それまで期待されてたから」

「そんなの他の子もよ。ここで話していてもしょうがないわ、見つけたら教えてちょうだい」

「うん」

 そう女性は行ってしまう。それを見送り、水貴さんが眉を下げながらこちらを向く。

「見苦しい姿を見せてしまってすみません」

「いえ、妙齢の女性がいないとなると大変なことでしょう」

 末本さんの言葉に全面的に同意だ。それに対して水貴さんはさらに眉を下げる・

「そうなんですが、ここ最近よくあることで。三恵もわからないほどに近いと言っております」

「そうはいっても」

 よくあること、近くにいるからで済ましてしまって、何かあったらと思うと恐ろしい。何か手伝えることはないかと思案していると希が口を開く。

「あの、よければたどりましょうか? 泉美さんの霊力なら覚えてます」

「……お願いします」

 水貴さんは控えめに言った。


 先導する希について行けば、せせらぎが聞こえてくる。たどり着いた先は手水をした小川の上流。丁度段差があり、流れが早くなっているところだ。そこに、人影が2つ。それも川の中の飛び石に立っていた。

 その姿を見て水貴さんが、河原にかけて出る。

「泉美、危ないよ」

「ほっといてよ」

 泉美さんは厭いげだ。

「その子は?」

「兄さんは関係ないでしょ」

「それでも、そんな格好だと危ないよ」

 もう一つの人影であるその少年は、オーバーサイズのTシャツと白いマスク、その下のものは見えないと言った少々珍妙で川辺に不向きな格好である。

「好きにさせてよ! ……兄さんはなんでもできて、なんでも持ってるんでしょ! 私が期待されてたことも掻っ攫って! この子まで奪ろうっていうの⁉︎」

「そんなことないから、早く」

 水貴さんが2人に手を伸ばす。それに泉美さんは背をむけ、少年は顎を引いてジッと見つめる。

「いつもいつも自分が正しい、当たり前なんて顔でさ。ぞろぞろ他人を連れて人の個人的なところに踏み込んで! 私の気持ちなんて考えたことないでしょ!」

 泉美さんはどんどん語気を強めていく。動作も大きくなり、傍目から見てヒヤヒヤする。

 確かに家族の話であるならば、部外者が関わるのは見当違いだ。だが足を滑らせればどうなるかわからないところに興奮した彼女がいると言う状況は、この場から離れることを許さない。

「でも、やっぱりその子危ないよ、上がってきなさい」

「だからぁ! それなら直接言いなよ! 結局自分本位! 身勝手で、一人で突っ走って! 置いてかれた方が何も言えないかったら何もしないんだ!」

 水貴さんが息を呑む。そして彼は、伸ばした手のひらを強く握って下ろした。自分たちはその背中しか見えない。

 水貴さんが手を下ろしたのと対照的に、少年がゆっくりと泉美さんに手を伸ばす。それは何かいけないものように見える。

「あれは」

 姿を消していた三恵が神妙な面持ちで呟く。

 何だと思って問おうとすれば、川から慌てた声が聞こえた。

「っ、静流しずる!」

 振り向けば、川に背中から落ちそうな少年とそれに手を伸ばす泉美さんの姿があった。小さな段差とはいえ、水がたたきつけるそこはどれだけ深くなっているか分からない。きっと人の命を奪えるものだ。

 あっと言う間といういうものか。少年が大きな音を出して水しぶきを上げたと思えば、打ち上げられた水が落ちきる頃には水面で白い大きな蛇が泉美さんを抱えていた。川の流れや深さなぞ関係ないように、そこに留まっていた。

 白い蛇はゆったりとした動きで泉美さんの体をすくい上げ、泉美さんの瞳を見つめる。頭を下げ、どこか申し訳なさげに見えた。

「静流……?」

 さざめきに溶けてしまうような泉美さんの掠れた声が一つ。それに対して白い蛇はゆっくりと頷いた。

 白い蛇__静流が泉美さんを乗せたまま河岸につき、先に泉美さんをあげ、自分が水から引き上がると同時に少年の姿をとった。先ほどとは違いマスクが無く、口からうっすらと耳まで切れ込みが見えた。

「お前、この川のものか?」

 三恵の問いかけに静流は目を逸らしながら、先が二股に分かれた細い舌を一瞬チロリと見せた。おそらく是である。


 とりあえずといった風に本殿に向かう途中で2人について聞く。

 泉美さんが言うに、静流と出会ったのは去年、水貴さんが選ばれた日。手水の小川の、誰にも会わないように少し川上で、潤む瞳と熱くなった顔を誤魔化すために顔を洗っていた時だったらしい。

「いつの間にか近くにいて、心配そうに覗き込んで来て。わたわたと綺麗な石を見せてくれて。なんだか笑顔になれて。それからよく会うようになった」

 泉美さんは静流の頬を手の甲で撫でる。それに対して静流は大きな目を細める。

「何も喋らないし変な格好だし、何より口がこうだから、普通の子じゃないな、なら私と兄さんを比べないかもなって安心できた。不便だから呼び名も考えて、川で遊んだり、色々聞いてもらったり、なんかいっつもほっぺに手を当てて隠してるから大きめのマスクあげたりもして、楽しかった」

 同世代で尚且つ真面目そうな彼女がするにしては、無邪気な内容である。だがきっとそんなことだからこそ彼女の気を晴らしていたのだろう。

「でもバレたらまずい気もしていて。今日兄さんがやってきて、それが壊されると思った。静流も兄さんの方に行くと思った。……だけど川に落ちて、静流が助けてくれて、なんか冷静になった気がする。まあいっか、って。命あっての物種っていうし」

 泉美さんは憑き物が落ちたようなそんな顔をしていた。

「まあ、静流がお前を離れることは無いだろうな」

 三恵が呟くのに対して、静流は目を細めて頷き、泉美さんはきょとんとしている。

「どうして、そう言い切れるのですか?」

「お前、それを名付けただろう? 未熟な神が己を確立させてくれる名付け親、それも名前を5人もの人間で共有したものに懐くのは道理だ」

 その言葉に静流はもちろん水貴さんも頷いている。しかし雛の刷り込みのようなものなんだろうか。名付けにはそれなりの責があるようだ。

「これまでは知らんが、少なくともお前を一番に思うものはいるって話だ」

 __蛇神は執着するものだしな。

 三恵はそう続ける。少し恐ろしく感じ、静流の方は見られなかった。

「雰囲気を壊すようで申し訳ないんですが」

 末本さんが切り出す。

「その立ち会って、出会ってしまった以上。静流君と泉美さん、君たちのことも報告せざるを得ないんだよね」

「真面目め」

 三恵が鼻で笑う。それに対して末本さんは曖昧に笑う。

「ですがいずれ、教会の者が派遣されますから遅かれ早かれですよ。それで、大丈夫かな?」

「私は結構です。静流は?」

 静流も頷く。末本さんは少し安堵したような声音で礼を言った。


 本殿に着いて、諸々挨拶などを済ませて、売店でお守りを買ったりと過ごして16時頃になった。

「じゃあ、そろそろ帰るか」

 末本さんが切り出す。まだまだ日は高いものの、移動距離や夕食を考えるといい時間だったのかもしれない。

「そうですね」

「なんだ、もう帰るのか」

 三恵がヌッと出てくる。

「ええ、お邪魔しました」

「もっといればいいのに。まあ、また招待してやるから気が向いたら来い。大呑の、その時は盃を交わそう」

「はい。呑めるようになったら、そのときに」

「楽しみにしている」

 4年後の自分というのは相変わらず想像がつかない。

「そこのお前も、いつでも大歓迎だ」

「はい」

 それでも将来のことがわからなくとも、4年後は絶対にここに来ようと思った。

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流れる水は 稲荷田 @17rida3

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