小話 芸術鑑賞会

 いつもならば午後の授業が始まる頃、ゾロゾロと傘が列をなして高校から近隣の市営ホールへ移動する。降り頻る雨が空気を冷やす。ワイシャツ一枚では肌寒いなと一抹の後悔を抱きながら、歩みを進める。

 毎年恒例の芸術鑑賞会。芸術といえば秋なのにこの雨の時期に行うのは、受験のせいか台風を避けたせいか。とかく去年もこの時期にあったが、内容は異なる。今年は音楽鑑賞。卒業生というヴァイオリニストとピアニストが講話を交えつつ何曲か奏でるらしい。学校行事であるという体裁が残ったままだが、このような演奏会は楽しみだ。


 構内に入ると途端に雨音が遠くなった。だがそんなことがどうでも良いほどに、気圧される。思い出されるのは先月の案山子の神。それよりもじめついた見られているという感覚。一つ息を飲んで緊張を持って席に着く。開演前なのにざわめきは薄い。[[rb:蓮>れん]]に目をやれば彼も表情を固くしている。誰もが前を向いて、ステージに上がるものを今か今かと待っている。

 司会の教頭が開始が開演を知らせる。いつもの集会よりも強張った声だ。淡々とした紹介のもと、フォーマルなスーツとドレスと着た男女が現れる。

 彼女だ。彼女が異様な雰囲気の核だ。ここを離れたいと思う反面、彼女から目を逸らしてはならぬと強く思った。

 彼女がこちらの方を向いて一つ微笑む。そして構えた。構内を占めていた雰囲気が別のものに変わる。あの何かに踏み込んでしまった時のものではなく、単なる演奏の緊張感に。

 そのまま弦に弓が触れ、演奏が始まる。いつの間にかピアノに向かっていた男性とのセッションの音が構内に満ちる。キャッチーで激しい音楽が走り去る。揃って大きな音が鳴る。音が溶けきり、拍手が聞こえてきたところでようやく1曲目が終わったことを察した。万雷の拍手が響く構内に余計な緊張感はなかった。


 演者たちの休憩も兼ねているのか、1曲2曲弾いては短い講話が挟まる。

 テーマは、迫る進路選択。うちは普通科であるのもあって、定まっていない者も多い。自分もその一人だ。そんな中、音楽家という特殊な職に就いている人から話を聞けるということは大きな価値があった。


「このような場に呼ばれ、ピアニストとして立っていることを喜ばしく思っているよ。僕は兼業でピアニストをしていて昔からピアノに向き合っていたけれど、これで食っていけるとは思って無かったんだ。才能も覚悟も要る狭き門だからね」

「それで教師の道に?」

 語るピアニストの男性にそうヴァイオリニストの女性は問う。

「まあ、そうだね。でも教師っての生半可な気持ちで目指すもんじゃない。ですよね?」

 頭に手をやりながら男性は裾にいる教頭を見る。教頭も苦笑いをして頷く。

「免許だけでもと思って実習を受けたんだけど、案外向いているように感じて教師になった。好きなことを続けることは夢の実現に繋がるけど、視野を広げて他にも好きなことを見つけるってのも良いことだよ」

「懐かしいですね。高校時代にもそんな話を伺いました」

 そんな女性の言葉に、男性は胡乱げな眼差しだ。

「今回みたいなエールじゃなくて、嗜めだったけどね」

「それは私の視野が極限まで狭かったせいでしょう。私は高校を卒業して音楽大に入り、ヴァイオリニストになることしか考えてなかった。だから自分に進路について話させてもしょうが無いと思うけれど、ただ1つ言えることは、周りの大人の言うことをよく聞くべきです。それに従えという事では無い。参考にしろ、なんでそう言うか想像にしろ。逆に反抗しても良い。それでもきっと糧になる」

 この言葉自体も好きに使ってください。

 そう続けた。

「さて、演奏に戻ろうか」

「はい。説教くさいのは終わり、これからは言葉のないエールです」




 演奏で浮ついた気持ちのまま現地解散となる。

 周りの“大人“に話を聞いてみようか思うと末本さんの顔が浮かぶ。用事もあるので事務所に向かおうと思い、習慣でスマホを確認すると通知が1つ。末本さんからのメールだ。業務連絡がそれで知らされることが殆どで、これもそうかと読んでみれば臨時休業の文字。曰く母親が熱中症で病院に搬送された。心配は要らないが、付き添いのために事務所を閉めていると。

「それはちょっと、困るな」

「なんかあったの?」

 つい声を漏らせば、蓮がのぞき込んできた。

「事務所に電子辞書を忘れてたんだが、今日は開いてないって」

「明日古典あるじゃん。大丈夫?」

「出来ないことはない」

 そうは言うがそれなりの手間がかかり、億劫ではある。

 考えを巡らせながら、ぼんやりと画面を眺めていると、メールがもう一件。

”りょーかーい 勝手に借りてくね”

 その送り主のメールアドレスは見覚えの無いものだったが、その響きは先ほど紹介されたものと同じだった。

「なんであのヴァイオリニストから? 同名の人か?」

「いやあ、違うよ」

 後ろから声がかかる。緩く波打つ髪を掻き上げながら、着崩したオフィスカジュアルといったような女性、先ほどの演奏会のヴァイオリニストがいた。格好は違うが初めての見たとき感じた雰囲気と同じものを纏っていた。

「ねえ、君がしじま君?」

 その問いかけに恐る恐る頷いた。

「改めて、傍島そばじま真白ましろだよ。是非とも下の名前で呼んでよ」

「真白さん……。自分は志島しじま津々琉つづると言います」

「俺は金城きんじょう蓮です」

「ツヅくんにレンくんね。今から事務所に行くけど来る?」

 そう広げられた手の指には鍵が掛けられていた。


「あの、なぜ俺のこと"しじま"ってわかったんですか」

 道中、若干の気まずい沈黙を破るためにも疑問を投げかけた。

「なに。君のメルアドがわかりやすかったし、そんな会話が聞こえてきたからね。それに__」

 ここで、真白さんの言葉が途切れる。

「それに?」

「__そうだなぁ。2人とも事務所に向かっているなら、こっち側に多少足を踏み入れているでしょ?」

 彼女はニヤリと笑みを浮かべた。近くで見るとその目はどこを見ているでもなく、見透かしてくるようなそんな眼差しだ。

「私は""がわかるんだ。正確には正しいことしかわからない。過保護な保護者がフィルタリングしてるからね」

「水中のようにくぐもって、聞こえない。口元すらも濁って見える。さっきのツヅくんの"あのヴァイオリニストから"というのは聞こえても、その次の言葉は何か言ったんだろうとしかわからない。でもだからこそ違うとわかる。そしてその前の言葉が真であるともわかる」

 それはきっとすごいことなのだろうが、何とも不便そうだ。会話をしていて急に何も聞こえなくなることも多々あるだろう。

「それで発言からあのメールが届いてたんだなって、じゃあ知らないメアドのどっちかだよなぁ。まだ読める方で聞いてみればいいっしょって声をかけた。最悪間違っててもその名前は知ってるだろうと思ったからね」

「なるほど」

「発言者が真偽を知らなくても、嘘と思ってなくてもわかるんですか?」

「そうだよ」

「じゃあ、津々琉は今ラムネを持ってるってのは?」

「偽だね」

 彼女はまっすぐと蓮を見たまま、こちらにチラリとも目を向けずに言い切る。

「ほんと?」

「ああ、丁度切らしてる」

「珍し。でも本当にわかるんですね」

「そうそう。ていのいい真偽判別機としてくれてもいいよ」

「それは」

 よくないことじゃないか? と思い言葉が漏れるも言い切れずに詰まる。それが面白かったのか彼女はケラケラ笑う。

「真面目だねえ。別に外的要因のせいとはいえ、私の能力だからね。大いに活用するべきだよ。末本君も使ってる」

 そういうものかと思うと同時に、"末本君"という呼称に面食らう。演奏会の紹介からも高く見積もっても30歳くらいの彼女が、50手前の末本さんをそう呼ぶと想定していなかった。

「末本さんとどういう仲なんですか?」

 蓮が俺の疑問を拾う。彼がこうもずけずけ行くのは珍しい。真白さんが一種同類だからなのか、そもそも気にしなさそうな性格を読み取ったのか。

「気の置けない仲なんだよ。私の保護者、フィルタリングの保護者じゃないよ、その人に末本君も世話になってるからね」

 兄弟分さ。そういいながら事務所の鍵を開ける。扉も開け、それを抑えながら彼女は再び口を開いた。

「はい、用があるんでしょ? 私は地下室にこもってしまうから気にしないで」

「弾くんですか?」

 そう答えたのは蓮の方だった。

「そう。短くても夜までは弾くよ。聞きたいならお好きにどうぞ」

「本当ですか! 是非!」

 蓮が向こう側についた。俺が興味ないことであるなら、そのまま解散であるが今日の演奏会を思うとこのまま帰るのは惜しい。そう思い2人を残して、そそくさと事務所内に入った。


 ゆっくりと音を立てないように扉を開ける。漏れ出ていた音がはっきりとしたものになり、演奏する真白さんが目に入る。

 演奏会では丁寧に髪をまとめ、地に足ついた優美な姿だったが、今はざっくりと髪を一つにまとめ、生き生きとしステップを踏み始めそうなほどだった。

 優劣があるで訳ではない。それでも独奏であるならばこちらの方が鑑賞していて楽しいと思った。

 きっと楽譜のない演奏だ。思うままの抑揚で、突き進んで息が上がればゆっくりと。思いのままに、それでも一つの物語のように楽しんで演奏されている。

 手が止まっても、その間を演出しているだけで、彼女の手が下ろされることはなかった。それに聞き入って、飲み込まれる。

 どれほどの時間が経っただろうか、不意に扉が大きな音を立てて開かれる。

「ストープ。いつからここにいるの?」

 その声に真白さんが手を止め、下ろした。

「4時前くらい?」

「今、7時過ぎなんだけど」

 え、と思いスマホを見ると確かにそうだ。

「夕飯は食べたの?」

「んー、食べないつもりだった」

「お前はそれでいいかもだけど、2人はどうさせるつもりだっんだ」

 "お前"と呼ぶ末本さんに、ああ本当に気安い仲なのだと感じる。まさに兄弟と言ったようだ。

「お腹空いたら帰るかなって」

「もうちょっと周りのことを気にしろ。大人として年下に気にかけろ」

「いえ、勝手に時間を忘れていただけなので」

「そうそう、聞かせてもらってたんだし、自分たちの責任だよ」

 つい口を挟めば後に蓮も続く。流石に自己責任だ。

「それでもだ。未成年を遅くまで残すんじゃない」

 このくらいは部活やアルバイトでよくある時間帯だ。だが、遅くまで出歩いて補導された身としては耳が痛いと同時に、末本さんの心配が刺さる。対して蓮は子供扱いに不満げだが。

「それで、お母さんは大丈夫だったの」

 お説教が糠に釘と言ったような態度で真白さんが問う。ただ、話を逸らすというよりも純粋な問いであった。

「ひとまず、家に帰ってるよ。明日何事もなかったら大丈夫」

「へえ、よかったね」

「まあ、一安心だ」

 真白さんがその言葉を引き出す頃には末本さんの昂った感情も収まったようだ。末本さんは調子を崩されたように頭を掻き、こちらを見る。

「もう大分暗い。気をつけて帰りなさい」

 いつにも増して柔らかな声。それに促されるがままに2人で帰路についた。


 空はまだ鮮やかな色を呈しているが、足元には暗がりだ。

「津々琉、俺は自分の異常が人の役に立つなら喜んで使うよ。それを生業にしたっていい」

 地下室の独奏の感想を演奏会の感想を交えて話し、その後も他愛のない会話をしていると蓮が言う。その表情は逆光で見えない。

「そういう選択肢を忘れない。ないものにしないってのも大切だと思うよ」

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