3:水無月
梅雨が間も無くといったころ、どこからか有名な童謡が聞こえてくる。
「雨雨降れ降れ母さんが__」
「本当に
釣られてか歌い始めるのは、幼馴染の蓮。赤みがかった前髪を緩く上げ、丸い目を晒している。170cmに届かない身長も相まって少々幼い印象を与えるが、自分と同じ高校2年生の男だ。まあ本人にそんなことを言えば、苦言が返ってくるが。
「雨が好きだからね。この歌ほど嬉しそうなものもそうないしね」
「そのわりには傘は差さないよな」
「歌も好きだけど、それよりも雨が好きだからね。合羽の方が雨の中にいる感じがする」
「……いつ聞いてもわからないな」
「分からなくていいでしょ、そういうものさ」
そう笑い合う。この問答も何回目だろうか。毎年している気もするが、まあ楽しそうならいいかという結論に毎度行き着く。
「な、
稔秋さんの占いは当たる。特殊な方法を使うし、知り合いには不確定なことは言わないからだ。
割と信頼していい、そんなことを言いながら彼を紹介してしまい、蓮が恋愛運について"近く出会う。辛抱強く待て"なんて言われたせいで、蓮は彼の下に何回も通っている。
「行かない。どうせいつものだろう?」
「いや今日は違うんだ、失せ物を占ってもらおうかと」
「そうなのか」
予定調和で進むと思っていたため、不意を突かれた気分になってしまう。億劫になりつつある問答以外となると少し気になるが、今日は出勤すると言ってある。多少後ろ髪を引かれるが、世話になっている以上不義理をしてはいけない。
「……今日は予定があるから一緒に行けないが、別の日ならできることならなんでも手伝う」
「ありがとう」
そう蓮はニカっと笑みを浮かべた。
蓮が占い行くと言った日から一週間ほど経った。あれから特に相談されることもなかったが、失せ物が見つかったとも聞いていない。明日一度聞いてみるかと思案しながら放課後、出勤する。
暗い空模様の中、事務所に行けば入り口に繋がる階段の前を行ったり来たりする小さな人影があった。その人影は青いランドセルを背負い、その上に黄色い帽子が乗って、続く少しくたびれた白いゴム紐が首に掛かっている。
横を通り抜ける訳にはいかないだろう。
「君、なにか相談事でもあるのか?」
そう問えば、顔色の悪い少年はランドセルを握って、わずかに頷いた。
こういう駆け込みの依頼というのは、このひと月では何回かあったが、依頼主が小学生というのは初めてだ。まあ、特に異例というわけではないようで、
今日
半ば彼女の城になっている給湯室の戸をいくつも開けながらどうにか茶を淹れて戻れば、ある程度話が終わったようだ。
「__まとめると、帰りの遅い両親を待つ雨の日に毎回、雨合羽を被って顔の見えない男が来るってことだね」
「はい……」
応える少年の目は不安のせいか泳いでいる。
「今日も夜まで1人なの?」
それに対しても少年は頷く。
「うぅん。これは現場を見ないとなんとも言えないしねえ」
末本さんは頭を抑えていう。どうも乗り気ではないようだ。
駅から離れる方に多少歩いて、マンションに着く。入り口では皺の目立つ女性が掃き掃除をしている。彼女はどうやらゾロゾロと3人で来た自分たちに気がついたようで、顔を上げる。
「あら、末本さん」
彼女は末本さんの姿を見て手を止め、朗らかに笑った。
「こんにちは、管理人さん」
「こんにちは。今日はどうされたの?」
「この子の依頼でして」
末本さんそう依頼主の少年を示す。
「あら、***号室の。そうね引っ越してばかりだものね。不慣れなこともあるでしょう、部屋のことで何かあったら私にも教えてね」
「……はい」
そう投げかけられた少年は、俺の後ろで萎縮して応えた。
「それでなんですが、最近入居者以外の人が出入りしてませんか?」
「うーん、どうかしら。最近はお引越しが多くて人の出入りが多いのよ。それに雨が多いじゃない? 傘や合羽で顔が見えなくて。挨拶したら返してくれる人ばかりだから変な人はいないと思うけど。でも、何かあるとじゃ困るわよね。こっちでも確認しておくわ」
「助かります」
そうにこやかに末本さんが言うのに対して、お互い様よなんて女性は応えて会話を終える。
「ここが君の部屋?」
モダンな黒い扉を前に末本さんが問えば少年は頷く。なんて事のない一般的な玄関に見える。足元は若干湿っていえるが、泥や足跡などない。だがどこか違和感はある。
「確かに"何か"が来ている。……そうだね君、最近川とか池にいったかな? それともこの前の祭りで買ったものを捨てたとか」
「そんなことしてないです! あの、川とか池も登下校で通るくらいで」
本当に不本意なのかまっすぐと末本さんの方を見て強く言う。だが、末本さんの川や池とい言葉に妙に納得を得た。うまく言い表せないが、ここには水生生物の気配がうっすらとある。
「だよねぇ。ごめんね、ちょっと可能性としてあって確認したんだ」
心当たりもないとすれば、打つ手はないはないだろう。額に手を当てる末本さんを見ながらそう思った。
「……もう待ち伏せするしかないかな。すまないけれど、中に入ってもいいかな?」
玄関を潜り抜け少年が脇のスイッチを押せば、少し黄色い照明が玄関を照らす。靴箱の上にはおしゃれな小物と少年と両親らしい写真が置いてあり、傘立てには黄色いものが1つ。
「インターホンは確認してもいいかな?」
末本さんは顔を上げ見渡すように首を動かし言う。それに対して少年は頷いて、廊下を先導した。と言っても2mほど奥に行っただけで、インターホンは廊下の奥、リビングらしい扉の前にあるようだ。
「録画とかはできないはずです」
「そうなんだね。ごめん津々琉くん1回鳴らしてきてほしい」
「はい」
真意は掴みきれぬまま、従う。
ボタンを押せば、扉の奥でチャイムが鳴るのが聞こえた。ついでインターホンからピっと短い電子音が鳴ってから、末本さんの声が届く。
「音はした?」
「はい、チャイムも起動音も」
「なるほど。ねえ津々琉くんって身長何cm?」
「177cmですね」
「そうか。このカメラ、魚眼でわかりにくいね。……君、来るのはこのくらいの高さだった?」
「ううん。もうちょっと下の方だった」
「津々琉くん、ちょっとずつ頭を下げていって」
「はい」
ゆっくりと段階的に腰を曲げていく。
「あ、このくらいです」
「津々琉くん、どのぐらい下がった?」
「10cm位ですね」
「じゃあ、170弱くらいかな。津々琉くん中に入ってきて」
「はい」
入る直前、雨がポツポツと降り始めた。
「それなりに情報が集まりましたね。顔は分かりませんが、雨合羽を来た170cmほどの男」
そう漏れた自分の言葉に少年も頷いた。だが、対して末本さんは顎に手を当てる。
「男か。__ねえ君、言ってない事があるよね」
末本さんが唐突に問うた。それに少年は大きく肩を揺らす。
「なに依頼主が都合の悪いことを隠すなんてのはいつものことだよ。大人の方がタチが悪いなんてザラだ」
言葉が続けられても、少年は両の手をそれぞれ強く握り、掠れた声を出すだけ。
「合羽を被って顔も体型もわからないなら、170cm位ってだけで男とは言い難い。その位の女性もいるし、靴によっては高く見えることもある。そもそもあのカメラじゃ比べでもしない限り身長なんてわからない。でも、君は確信もって男だと思っている。__声でも聞いたのかな」
淡々と彼は言う。その言葉に少年は酷く狼狽し、目が泳いで何度もある扉に視線がいっては外れる。外からは雨が床や手すりを叩く音が聞こえてきた。
「ここの部屋、君の部屋かな。ここに何か持ち込んでるだろう」
__それで、それは何といったのかな。
少年が息を呑んで口を開こうとした時、チャイムが響いた。つい肩が跳ね、冷や汗が背中に滲む。
沈黙が数秒続けば、もう一度チャイム音が響く。身構えていてもしょうがない、末本さんがインターホンのカメラのスイッチを押した。
「……なんでしょうか」
「すみません。そこに、10歳ちょっとの男の子はいますか? お返しいただきたいものがあります」
恐る恐るといった風な末本さんの声に対して、返ってきた男の声が思いの外軽いもので虚を突かれる。確かに声は男性のものだ。いや、むしろ聞き覚えがある。
「……蓮?」
「津々琉?」
漏れたように出たひ弱な声に返事があり、予測が確信に変わる。
「ねえ津々琉、男の子はいる?」
いつもの調子で声がかかる。ああ、確かに彼だ。だが知っているからこそ、いつも通りだからこそ、彼と少年がつながらず不気味に思う。ワイシャツの上から胸元を掴んだとて声が出ない。彼が異様なものに感じる。
「__君、本当に人間か?」
そう問いかけたのは末本さんだった。何を言っているんだと思うが、彼がそうだと言いきれない自分がいる。
「人間か、って? どうだろう。でも前は魚だったな」
独りごつような、言われて初めて意識したようなそんな声だ。
「なるほど。君がこの"訪問者"か」
末本さんは納得したように言うが、自分は情報と情報がつながらない。ただ真白な頭に蓮の言葉が入ってきただけ。
「それよりも、結局男の子はいるんですか? いますよね。返してもらわなきゃいけないものがあるんです」
__ここを開けてください。
末本さんが少年を後ろ手に隠しながら、顎で玄関を示す。それに従って、扉に手をかけた。
ゆっくりと扉を押す。途中で手がかかるだとか、彼の姿が異形だとかではなく、彼はただ、そこに立っていた。いつものような笑みを携えて。
「やあ、津々琉」
今、彼がとても怖い。
「君、10日くらい前に盗って行った物があるでしょ」
蓮が少年をその目に収めると、途端に真剣な面持ちで瞬きもせずに言う。彼の指から滴るものが、彼がドアの縁から一切入り込んでいないことを示している。
「そ、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりだったの」
蓮は少年の語尾を喰らって問いかけを重ねる。
「迷い込んだ家では、とったほうがいいって……」
蓮が怪訝な顔を少年に向ける。自分だって納得がいかない。だが、その疑問を破ったのは末本さんの落ち着いた声だった。
「"迷い家"か」
「それはなんですか?」
蓮が問う。"迷い家"、聞いたことはあるが、詳細は知らない。
「東北や関東の異界だよ。与うために迷い込ませるとされて、何か持って帰ると良いと言う」
「へえ。でもあそこは"店"だよ。"家"じゃない」
__それにここは東じゃない。
「勘違いしたのはしょうがないが、責任はとってもらわないと」
その言葉に少年は身を強張らせた。
「なにもそう難しいことじゃないよ。自分の足お店に謝りに行って盗んだものを返す。それが筋ってもんでしょ」
「まあそうだねえ。それじゃあ、保護者がついて行くってのも自然じゃないかい?」
続けざまの末本さんの言葉に、蓮はなんてこともないと言った風に賛同の言葉を返した。
自分たちが傘だのなんだと用意している間に、少年も支度を終えていた。ランドセルはそう重くなさそうだ。
先導する蓮のすぐ後ろを自分がついていき、その後に少年、末本さんと続く。雨音は自分たちを包み、前からは鼻歌が漂ってくる。
雨雲が空に蓋をする中、狭い路地に入り込む。どこか先の見えないトンネルに入ったような心地になる。だんだんと激しくなった雨が、先を白く濁らせていった。
「__着いたよ」
その声に改めて前を見れば、そこには古い瓦葺きの建物。その軒先にはいくつか壺や信楽焼などが並び、入り口には木をそのまま縦に切り出したような板。それには趣ある字で"遊水庵"と彫ってある。
軒先で先頭の彼が軽く雨を払い、燻んだガラス張りの引き戸に手をかけた。ガラガラと大きな音が鳴り、室内に響く。それがドアベルの役目を果たしているのか、紐暖簾が覆う奥のカウンターから両手が出てきた。軽く振られるそれは長く白い手袋を纏っており、薄暗い室内では浮かび上がって見える。
「店長さん。返しに来させたよ」
蓮のその言葉に、店主はその両手を小さく広げ、後ろの少年は肩を竦める。ついで、店主は軽く手招きし、カウンター前の丸椅子を手の平で示す。
少年は恐る恐るといったように座る。ただでさえ大きくない身を小さくして、膝の上に乗せたランドセルから物を取り出す。取り出されたのは少年の両の手より2回りほど小さい鈍い金色を発する蛙の置物。それは少しばかり少年の手を凹ませており、軽くはないようだ。それが白い手袋の上に渡る。蛙の背を優しくひとつ撫ぜ、揺らさぬように共に紐暖簾の奥に入った。
そこをじっと見ていれば、すぐに手だけが戻ってきて、右手の人差し指と親指が輪を作る。
つい息が漏れた。少年も同じようで、寄せていた肩が少し緩んだ。そして、何かに気がついたように、背を伸ばしたと思えば、そのままカウンターに強張る両手を揃えてつけて、頭を下げる。
「あの、お店の物盗ってすみませんでした!」
その言葉に、白い手袋の手はゆっくりと動き、少年の手を上から包み込んだ。掴むでも、抑えるでもなく、ただ添えるだけ。そして、ひとつ撫でる。先ほどの蛙のように。言葉はなくとも、少年の謝罪が受け入れられ、そして許されたことが伝わった。
「うんうん。これで責任は果たされたね。こんなこと二度とするんじゃないよ。また、どこまでも取りにいくからね」
蓮のその言葉に少年は、コクコクと大きく頷く。その目には涙が浮かんでいるようだ。
何もそこまで言わなくても、彼はきっと二度とそんなことはしないだろう。それなのに言及したのは、念押しなのかそれとも別の目的があるのか。ともあれ彼の言葉で、一区切りがついた。長居する理由もないので、帰りの支度をする。
さあ出るぞと入り口に向かう。すると少年や自分には手を振った店主は、末本さんに対してだけ手招きした。そして、手の平を上にして両手を広げる。
「……この件の賠償ですか?」
近づいた末本さんが疑問を投げた。それにパッと両の手は返され、手の平がこちらを向く。そして慌てた様子で振られた。
「……それなら、まだこれは手放すつもりはありませんので」
末本さんがそういうと店主は軽く手を組み、その後末本さんにも手を振った。
帰り道、見慣れた道に出た頃には雨が止んでいた。そう時間が経っていなかったようで、西日が眩しい。
傘を畳む少年に末本さんは口を開く。
「素直に謝ってくれてよかった。ああいうのには嘘も誤魔化しも、人よりよっぽど反感を買う」
「そう、たとえ店長さんが許しても俺が手を出したろうね」
蓮がそう続けたのに対して、少年は身を震わせる。
「まあ、人にもこんな罠みたいなのが居るから今回みたいなやり方はよろしくはないけれど、相談してくれてよかった。人は一人では生きられない。未成年なんてもっとそうだから。いつでもなんでも誰でも相談する選択肢を忘れないでほしいな」
少年を送った後、末本さんが蓮に話があると言って、3人で事務所に戻る。
店で事が済み、少年と別れ改めて蓮を見ると、彼はいつも通りと言った風だ。いつも通りに見えるからこそ気まずい。だって、あの異常な感じが彼にとっていつも通りなのだろう? そんなこと知らなかった。
先頭の末本さんの後ろを蓮が行く。自分はその一歩後ろを行く。蓮は何も言わない、事務所の看板を見た時に感嘆を一つ漏らしただけだった。
ソファーに互いに座り、お茶も出して一息つく。
「改めて、ここ末本相談所の所長をしています。末本
「どうも。俺は
「さて早速だけれども、君のことを教えてくれないかい。主に、前のことやあのお店とのことについて」
「はい。特に隠してませんからね」
__前、前世というやつです。そこで俺は金魚でした。なんの変哲もない、祭りの縁日などでよくみる和金です。自分はまさしくそれで、気が付いたら、ある女の子に持ち帰られ、ある日猫に生きたまま食われ、腹の中にいると思ったら、人として生まれてました。
「明確に区切りがないからか、己が人という感じがしないんですよね」
彼はそうごちる。祭りを避けるのはこのためかと思うが、腑に落ちない。それでも口を挟んでもしょうがないと浮かんだものを飲み込む。
__
「……彼は、冗談を言ってるのかな」
「面白がってはいるでしょうが、本気だと思います」
「そうか、そうかぁ。丁稚ねえ……」
彼の言う"前"のことは知らないが、自分が物心ついた頃には、女の子に声をかけ、動物もどこで見分けているのか雌にだけ甘い言葉を吐き、さらには特定の道具にも褒め言葉を囁いていた。
「……蓮くん。君の状況は客観的に見て異様な状況にいるんだ。そしてそんな"人"を保護している機関があって、僕はそれに繋げられる。津々琉君だって間接的には支援を受けているよ」
提案だ。協会への招待だ。俺の名前を出したのはきっとハードルを下げるためだ。詐欺師のようにも思えるが、きっと異端を自覚している蓮には末本さんの言葉が真であることはわかるだろう。
だが、末本さんの真剣な声音に対して蓮はおかしなことでも言われたように、口角を上げて言う。
「"人"扱いなら遠慮させていただきます。俺のことを知っていながら、"人"として扱われるのは不本意です。そもそもなんですけど、保護と言いつつ管理の面が強いんじゃないですか?」
管理。思考の虚を突いた言葉だ。思えば自分はこれまでに色々な調査をし、妖の管理に貢献してきていただろうが、それが人にも及ぶとは考えてみもしなかった。
「痛いところを突くねぇ。確かにそうだ。あの人たちは上手く使うために管理している。人も妖もひいては神も」
「はっは、不遜だぁ。でもいいですね、囲い込まれる気はありませんが報告でもなんでもしていいですよ!」
「支援を受けるでも、協力するでもなく、ただ知られるって?」
「そう! 貴方達とは付かず離れず。そういう人も多いでしょ?」
「そうだね。そこが互いに丸いといったところかな。……でもいつでも頼ってね。ここはなんでも受け入れる」
そう続けられた末本さんの言葉に蓮はにっこりと笑みを浮かべ返事をした。
不意に扉の外から、階段を駆け上がる音が聞こえる。一段飛ばし程度はしていそうな様子だ。
「遅くなりました」
そんな声を伴って勢いよく戸が開けられる。新しい空気が入ってきて、ようやく緊張が張り詰めていたと気が付いた。
「希ちゃん、来客中だよ」
「すみません」
そういう彼女は息も表情も乱れていない。本当に反省しているのかと思うが、こちらとしてもそんな雰囲気ではない。用意した茶も互いに底が見えている。
「でもまあ、今日はお開きかな」
「では、そちらの方は?」
自分と蓮は頷くが、希に疑問と一緒に蓮が示される。
「こいつは依頼人じゃなくて俺の友人且つ、今日の案件の関係者。話も終わってる」
「そうなんですね。私は大呑希と言います。お騒がせしました」
名乗る希に対して蓮は何も言わない。むしろ黙り込んで若干俯いている。
「蓮?」
「……俺! 金城蓮って言います! その、一目惚れしました! 付き合ってください!」
声を掛けると、堰を切ったように話し出す。それもいつものどこか余裕げな雰囲気を投げ打って、顔を真っ赤にして声量に自制が効いていない。それよりも、こいつは今何て言った? 一目惚れ? こんなのに?
俺がたぢろいているのに対して当の希は豆鉄砲を喰らったように目を見開いたまま、半開きの口からつい溢れたように言う。
「え、無理です」
「そんなあ」
蓮は膝を着いた。
「不思議な人だったなあ」
そんな希の呟きが届いたのはきっと自分だけだろう。
引き摺るように蓮を連れて事務所を出て、電車の中でも項垂れていた彼を最寄り駅から家の途中にある見知りのラーメン屋に連れ込んだ。彼と一緒に入るのはいつぶりだろうか。
平日の少し早い時間だからか、客は疎らだ。大将の出迎える声が響く店内を進みカウンター席に共に着いて、いつも通りの注文をする。
「俺、蓮のこと全然知らなかったな」
「別にぃ、知ることだけが仲の良さじゃないでしょ。知ってるからには考慮してもらいたいけれどさ。それに、それに俺もこんな俺知らない」
席についた直後から、頭を抱えて俯く彼は確かに見たことのない姿だ。
「あんな恥知らずな姿なんて、知りたくなかった」
「それなりの醜態だったな」
「そうなんだよ……。……ねえ、津々琉はさ、希ちゃんと頻繁に会うってことだよね?」
「まあ。同僚だし」
このひと月で希とはそれなりに顔を合わせている。仕事だったり、その後の食事だったりと。これからもそう頻度は変わらないし、一緒に出かけるだろう。
「いいなあ。俺もなあ、行こうかなあ」
「さっきあんなこと言って断ったくせに?」
「それとこれはなんか違うじゃん! それにあの、末本さんのこと好きになない」
「へえ」
「あんまりにも"大人"すぎる。津々琉は大人になってもああ扱わないでね」
「友達である限り、そう接するよ」
彼の口から人に対して否定的な言葉が出ることは珍しい。悪口ですらないこんな言葉も出す前に対処してしまっていた。彼のことを碌に知らないと思い知ったと同時に、彼とのこれからを考えられた。
「おまち!」
大将が丼を二つ、それぞれの前に置く。チャーシューに煮卵、メンマと正統派の醤油ラーメン。安心感さえも与える。
「ありがとうございます」
「あれ? チャーシュー多い」
お礼を言っていると、蓮が声を上げる。確かに彼の器を見れば、己のものよりも1枚多い。
「蓮くん、失恋したんやろ? これ食べて次を探しぃ!」
それなりの声の大きさで話していたから、知られてしまったのだろう。納得している自分に対して、蓮は顔を赤くし、大口を開ける。
「まだ! 諦めてない!」
「へえ。どう? 脈ある?」
店主そうこちらに尋ねる。それに首を横に振るう。
「ないですね」
「いいでしょ! 脈がなくても、生き返るかもしれないし!!」
大声に思わず、彼のいない方へ仰け反ってしまう。
「うるさ」
対して店主は楽しそうだ。それを見て、蓮は少々俯いて、ブツブツ何か言っている。だが、仕草だけでもうるさい。
「いやあ、恋に浮かされとるねえ。津々琉くんはそう言うのある?」
大将はニヤニヤと問う。
「ありません」
「いつか津々琉くんの話も聞きたいねぇ」
「聞きたいなら、ここの店続けててくださいね」
そう割り箸を割った。
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