2:皐月

 5月1日。世間はゴールデンウィークに入っている登校日。だらけた雰囲気が漂う中で、己も落胆を隠せずにいる。手慰みに紐を弄っても気は晴れない。

「なんかあったの津々琉つづる?」

 幼馴染が前の席に座り声をかけてくる。彼のその顔には心配が浮かんでいるようだ。

「電話が通じないんだよ」

ほのかさんに?」

「いや」

 携帯電話には洸さんの実家の電話番号。そして弾かれたようなアイコン。

 頭に手を当てて深いため息が出る。

「……どうすればいいんだよ」

 結局、洸さんが不在の中約束の4月29日を迎えた。募る不安に目を逸らしつつ、29、30は約束を果たそうした。だが、電話はいつかけても繋がらない。ひたすらに呼び出し音が鳴り続け、昨夜の9時の20回目で諦めた。

 洸さんに託されたのは、贈り物という紙袋と電話番号だけ。

 あと3日。


 まっすぐと歩けていないことを自覚しながら行く。息を吸っては、吐く。どうにか胸の内にある物を落ち着かせながら、トベの下に訪れる。

「……大丈夫?」

 労る言葉に碌に返事もできないまま、音を立てて席に着き、大きくため息をついた。重い空気が漂う。

「ちょっと、ここで振りまかないでよ」

「すみません。その、行き詰まっていて。……それで今日はあるんですよね」

 最近、4月の中頃から受けられる依頼も少なくなっている。焦燥は募っていくばかり。

「あるよ、先を越されなければね。それよりも今日は君に伝えるべきことがあるんだよ。朗報だ。きっとね」

「というと」

 少し歯を覗かせながら宣う彼に、適当なことを言うならただじゃおかないという気持ちも込めて答える。

「最近、"大呑ほのか"の名を聞くようになった」

 それが本当ならば、衝撃の事実だ。でも__

「__なんの連絡も来てない」

「そう、多分“洸さん”じゃない。でも大きな手がかりだろう?」

 __この界隈じゃ大呑はなんの理由もなしに名乗れる名じゃない。

 そう言う彼はわざとらしく片眉を上げた。




 __鬼の大呑

 __餓鬼の大呑

 __足らぬ足らぬとふらふらと傍若無人に彷徨う、鼻つまみもの

 トベから聞く"大呑"に対する評価は、聞いていて気分のいいものではない。

 結局のところ噂は噂でしかなく、その"大呑"が誰なのか、どこにいるのかは分からずじまい。

 今できることは、ひたすらに依頼を受けて、かち合うのを期待するくらい。

 依頼を受けて妖未満を潰したり、僅かに残る残骸に落胆したりいったように過ごして、5月3日。憲法記念日。洸さんの姪のお誕生日の前日。未だ洸さんからの連絡はない。

 今日の依頼主は田園の中にある神社の神。田植えが終わって仕事が一段落したその神はこの時期はよく試合を望む。

 試合__要するに殴り合いのお遊び。暴れたいだなんだを発散するために一部の神や妖が依頼してくる。今回の試合は鴉が巣に帰ってから先着1名だけ。遅くとも草木おも寝静まる前には終わるといった、お手軽なものだ。


 まだ鴉の影が見える頃にそこに着けば、そこには人影2つ。先を越されたかと面倒に思うとともに、どこかで不明瞭な気持ちが湧く。

 一つは蓬頭にくたびれたスーツの成人男性。もう一つは煤けた色のざんばら髪にラフなパンツスタイルのおそらく少女。

「__いい匂い」

 暫定少女は呟きながら振り向いた。

 あの人と同じ、はっきりとした眉に大きな垂れた目。別人だと分かりつつもつい名前が漏れそうになる。

 ああ、お前が"姪"か。

 見知った顔の呆けた表情に感情が爆発しそうになる。

 一先ず深呼吸。胸元を握って、薄く開いた口から深く深く息を吐く。そのまま小さく息を吸って、口を開く。

「お前が"大呑"か?」

 それは頷いた。あちらも警戒しているようで口を閉ざして、小さく。

 なぜか落胆が浮かぶ。確かに手がかりなのに、きっと約束を果たすことに繋がるのに。噂の"大呑"が洸さんじゃないなんて。

「そういうお前は?」

 その問いは大呑の奥にいた男から投げかけられた。その姿は蓬髪が目を隠し、見える口元にはタバコに無精髭と怪しさ満点。まあ、こんな時間に辺鄙な神社にいる以上、皆不審であるものだが。

 だが、そんなことを気にしている余裕はない。この問答の時間さえ惜しい。

「__別に知られた名じゃない。……ここは俺が入る」

「横暴だねえ。多少の要求にも答えず、自分のは通す。そんなことがまかり通るとでも?」

 男は灰皿にタバコを押し付けて言う。語尾で明らかに威圧している。全くもってそうだ。だがもう余裕がない。

「それでも譲れない理由がある」

「何を熱り立っているのかな。それにこっちだって理由があるんだよね」

 あちらが何か構えをとった。こちらもそれに応える。どちらが動くのが先か、張り詰めた緊張感が漂う。

「__両方とも入ってこればいいんじゃないか」

 鳥居の奥から、投げかけられた声が一触即発の雰囲気を霧散させる。

 声の主は深緑の着物を纏い、顔は包帯が乱雑に覆い、隙間から見える口元はにんまりと笑みを携えていた。

「別にお金欲しさってわけじゃないんだろう。報酬は山分けになっちまうが、二人がかりでやればいい」

 __君たちまだその程度だし。

 時期はずれの稲穂が揺れる音を伴って、それは言った。何もかも知っているような口ぶりに一抹の不快感があるが、実際にそうなのだろう。彼が今回の依頼主。比喩ではなく真に"案山子の神"。

「こちらとしては構わないよ」

 そう言って蓬髪がこちらに目を向ける。

「こっちも」

 頷いて答え、共に鳥居を潜った。


 神社の裏、所謂鎮守の森。まばらな木の間に、お焚き上げの跡や誰も採らなかったどんぐりがある。何か人の営みを感じ、身近に思うのに、それでも何か異界にいる感覚が湧いてくる。

 ああ確かに、この場は彼のもの。社を背にする彼に畏怖してしまう。そんな自分の体を奮い立たせる。

「__我が末本すえもと嗣郎しろうの名を持って此度の試合を見届ける。それでは__始め!」

 蓬頭の男__末本の合図と共に踏み込む。

 間合いに入り構えて一閃__そのつもりで木刀を強く握ったところで、少女が視界に入ってくる。自分が踏み込んだよりも先に入りこみ、彼の横腹に蹴り上げた。このまま木刀を薙げば彼女の頭に当たってしまう。そう判断し、咄嗟に手を止めた。

 そんな行動を笑うように、彼の神は希の蹴りを容易く避け、木刀を抜くよりも早く、目の前に現れては、己の額を弾いた。重心が後ろにいってしまい、たたらを踏んでどうにか持ち堪える。

「分かってはいたけど、君たち本当にまだまだだね」

 彼は口元に手を伸ばして笑う。覗く口からは歯が見えた。

 このままでは足を引っ張り合って終わりだ。

「おい"大呑"」

「なんですか」

「俺は右下から」

「なるほど」

 多少でも伝えわれば、さっきのようなことはないだろう。

「おいおい、君たち試合中に作戦会議かい」

「やらないよりはマシでしょう。行くぞ」

 強く木刀を握る。

 まず自分が、右下から木刀を振り上げる。当たらないのはわかっていたが、ヒョイと道端のもののように避けられて、舌打ちが漏れる。

 ついで、避けた側から細い足が頭を狙う。それに合わせて胸元を狙って突く。

 しかし、対象はそれおも簡単に避けた。風に揺られる穂のように、迫るものに煽られたようにゆらりゆらりと動き、届かない。

「はぁあ⁉︎」

 頭ではそんなこと言ってもしょうがないとわかりつつも、苛立ちが声になる。

 そんな自分対して、彼の神は手を口元に持って嗤う。

「こちらが手を出すまでもないね。そうだ、私にどちらか一回でも攻撃を当てたり、手を使わせたりしたら君たちの勝ちでいいよ」

 そう言って腕を組んだ。

 試合の勝敗は依頼の達成に関係ない。しかし、勝った時に報酬に色がつくのが慣行になっている。手加減は無意味にはされない。

 でもきっと侮りではなく、きっと今の俺たちの実力がそんなものなのだ。

「右から突き!」

 3つ先がダメなら、5つ先。そう考え声を出す。それでもゆらゆらと捉えどころなく動き、避けられる。


 何度仕掛けても、無為に終わる。段々と息が上がっていくこちらに対して、彼の神は余裕なのかダメ出しさえもする。

 __少年、君は今不調だろ? 気づいてないかもだけど、癖から伺えるものより満足に動けてない。だからイマイチ決め手を欠く。

 __大呑の君は、そこの末本やらに霊力を貰ってるだろ? 匂う、不意打ちはできないと思いな。それに君、ケンカは不慣れかな? 身体能力任せで動きが拙い。そんな大振りじゃあ隙が増える。


「まあ、運動程度だねぇ」

 くすくすと肩を揺らす。そんなとき、唐突に彼が口角を下げた。

「__あ?」

 その一言で体が固まり、冷や汗が滲む。

「待て」

 彼の神が手の平を出した。これまで固く閉ざしていたそれを唐突に崩した、試合終了だ。それでも緊張は解れず、むしろより張り詰める。

「何か入ってきた」

「結界は?」

 そう末本がジャケットの中に手を伸ばしながら問う。

「いや何、外からじゃない。内から内にだ。それも相手方は彼の山の武神」

「あの……」

 末本の声も揺らぐ。

「でも、あれは君たちの縁者だね」

 そうにやりと笑う。

 靴が石畳を叩く音が聞こえてきた。その足音に頭の中に一つ思い浮かぶ。

「餓鬼の大呑」

 そう言ったのはどっちだったか。そんなことを気にする前に、音源の方を向く。

「……髪切ったんだね、のぞみちゃん」

 聞き馴染みのある声が、若干の揺らぎと共に響いた。

 ああ、あの人だ。

 その人物__洸さんが鳥居からこちらに来ている。

「叔母さん」

 隣の"大呑"も少し目を見開いて呟く。ああやはりこれが"姪"。

 でも、そんなことはどうでもいいほどに、ひどくひどく安堵した。

 ああ、彼女が帰ってきた。無事にいる。

「ああ! 君っ!」

 男の声が聞こえたと思えば、地面が揺れるのを感じて咄嗟に木刀を杖に蹲る。いや、揺れていたのは自分か。どうにか立ちあがろうにも、自分の体が、糸が切れたように動かない。

「津々琉、ただいま」

 洸さんの声が降ってきて、その温かな手が触れたのを感じる。

 だんだんと視界が暗くなって、感覚が薄くなっていった。




 目を開くとそこは、いつも通りの自室。ただ、最近は見慣れてきたテーブルの上の紙袋がない。立ち上がっても、この頃常駐していた澱みを感じない。溜まったものがなくなったようだ。

 リビングに向かえばあの日のように洸さんがいた。

「おはよう」

 マグを片手に、いつものように。

 ああ、日常に戻ってきたのだ。そう実感した。

「おはようございます」

 滲む目はきっと朝日のせいだ。


「10時に末本さんのところに行くよ。30分前には出るから、下の駐車場集合で」

 それに頷けば、洸さんは部屋から出ていった。今はおおよそ8時。これだけ時間があればシャワーも浴びれる。そう思い、脱衣所に向かう。ふと洗面台の鏡を覗けば、隈のない腑抜けた顔があった。


「お前も行くんだよ!」

 その声が響くのはマンションの駐車場でも、末本氏の元でもなく、駅前の商店街の近くのアパートの一室。初めてきたがここは、トベの棲家らしい。

「嫌です! なんで俺が末本さんとこ、行かなきゃあかんのですか⁉︎」

「お前にもお話があるからだよ、稔秋としあき!」

 無理やり押し入った上に、柱にしがみつくトベの首根っこを引っ掴んで問答をしている。朝の9時過ぎとはいえ、それなりに気になる音量だ。

「あの、トベさんそろそろ近所迷惑になりますよ」

「そうだ」

「大呑さんは何正論言ってやったって顔してるんですか⁉︎」

 それでも、彼は観念したように渋々柱から手を離した。


「ああ、稼ぎ時なのにな」

 5人乗りの車の後部座席で、トベと共に揺られておおよそ5分。駅前の通りから一本入ったところ、末本相談所の看板を伴う小さいビルの前で車は停まった。

 一階部分は駐車スペースになっており、すでに黒い車が占領している。その脇の少し急な階段を登れば、臨時休業の看板を掲げた無骨な扉。

 先頭を行く洸さんがインターフォンを鳴らす。

 パタパタと足音が近づいてくる。

「どうぞ、お入りください」

 あの低い声が招き入れた。


 広くはない事務所内。ローテーブルを挟んでソファーに洸さんと自分が座る。その向かいには末本氏と"大呑"、基希が座る。トベはこちら側のソファーの横、入り口側に立っている。

「__この度は、このような場を設けていただいてありがとうございます」

 洸さんが切り出す。向かいの彼らは特に表情を浮かべていない。もっとも、末本氏の目元は髪に隠されよく見えないが。

「今回のことは私の至らなさが招いたもので、大変申し訳なく思っております。そして、改めて希のことを保護していただきありがとうございます。これは感謝してもしきれないことです。それでは、説明責任を果たさせていただきます」

 事情がよく見えない、どういうことなのだろうか。

「まず最初に、"大呑"ついてです」

「うん。あなた方の名は知られているけど、こっちとしては把握しきれていない。__稔秋くん、協会ではなんて噂されてる?」

「__素焼きの水瓶、霊力の生産が少なく、基礎代謝でさえ足りない。だから、他からもらう悪食。それでいて身体能力は高い。なりふり構わず振る舞って、やっとこさ生き延びてきた、大喰らいの鬼ども」

「うん、僕の認識もそう変わりない」

「思っていたよりも把握されているのですね。加えるならば、短命さと髪に対する慣行くらいです。大呑の寿命は無茶をするかによって上下しますが、平均するとざっと30くらいになります」

 その言葉にギョッとする。洸さんは今32歳だったはずだ。

「自分は未婚ですから、このままいけばもうちょっと長くなるしょうね」

 そう心配しなくていいと、目配せされる。

「髪については、まあ今となってはおまじない程度ですが、長く伸ばすのが常です」

 チラリと希の方を伺う。彼女がボサボサのショートヘアなのは常ならぬ事態なのかと、洸さんの昨日の第一声が腑に落ちる。

「__髪には霊力が宿るというやつか」

「はい、それです。生産も容量も少ない"大呑"が少しでも蓄えられるようにと伸ばし、この霊力の出入りを抑える髪紐で括っています」

 そう懐から銀糸混じりの平紐を出した。

「ああ、それで。それは希ちゃんのまさしく命綱になりましたよ」

「ああ、それは良かった。なんの説明もなしに持ってくれていた希に感謝するしかありませんね」


「それで、大呑の"悪名"ですが、先祖がこれまで必死に生きてきたこともありますが、おおよそ自分のせいになります」

「__餓鬼の大呑の異名がものをいってますね」

「ええ、やらかしたのが10代だったのもあって、そんな名がつきましたね。私は彼の山の武神と個人的に契約してしまいまして」

「ばっ! それは、まあ、随分と。教会の目標に真っ向から反してますね」

「ええ、それで強欲だ、顧みぬバカだなんだと結局協会から出禁されたんです」

 トベの方を見れば、小さく頷いた。それは、大それたことじゃあないのか。そう思い冷や汗が出る。

「と、このようなことを希の16の誕生日、つまり今日に母と伝える予定でした。まさか、自分が居らぬ間に母が他界するとは」

「まあ、それを組み込めというのは酷ですね。しかし16では遅いのでは? あなたの話では大呑の人生の半分が過ぎる」

「それは、私で失敗したからかもしれません。それに両親のいない彼女に対してどう接すればいいか揃って手探りでして」

 これは、己が聞いていいものか。希の方を伺うも表情は読めない。

「__希ちゃん」

 洸さんが少し体を向き直って、紙袋から薄い箱を出す。

「これは、絶対必要かと言われれば違うけど、あると便利かもしれないもの。他にもなんでも用意する。だから、電話線を抜いたり、髪を自分で切ったりとか無理な節制はいらない。大変な時にいなくてごめんね」

 __誕生日おめでとう。

 そう差し出され、希は少し目を見開き、ぎこちなく受け取った。

「末本さん、自分は協会と碌に関われません。もしよかったら希のことをお願いしてもいいでしょうか」

「仮にも雇用している身だ、無碍にはしない」

 その言葉に洸さんは息をついた。

 一つ話が終わったのを感じて、つい口を開く。

「__あの、自分は志島しじま津々琉といいます。自分からも先日の無礼を謝罪させてください」

「うん、それで君の気が楽になるなら受け取ろう。でも、君の責任は大呑さんにとってもらう。気にしなくて大丈夫だよ。君もいっぱいいっぱいだったろう」

 先ほどまでと変わり柔らかな声音だ。

「ありがとうございます……」

 末本氏は一つ頷き、自分でもどこか落ち着きを得た。

「それにだ、"うらべ"くん」

 うらべとはと疑問が浮かぶが、横に立つ彼が嫌そうな顔をしたのが見えて納得した。なるほど卜部うらべ

「なんですか、改まって」

「なに、君は彼らに卜部の名で仕事をしていたんだろう?」

「……そうですね、一応」

「なら、君なら僕に繋げられたんじゃないか? 少なくとも一度でも頭に浮かんだはずだろう」

 __私情を挟んで、この子達を危険に晒したね?

「すみません。反省します」

「次はないよ」


「__さて、なんでこの子の霊力はこうも歪なのかな?」

 __大呑とまるで逆だね。

 急に冷えた声音に戻る。緊張が走る。

「それも、私のせいです」

 洸さんが口を開く。

「その、出会ったころから、彼から霊力をもらってました」

「へえ、随分歪ませたね。いつから?」

「10年前です」

 末本氏から息の抜ける音が聞こえる。

「__そう」

 特に低いわけではない。むしろこれまでより軽い一言。それでも底冷えを感じる。

「稔秋くん、僕は彼女と話がある。2人を連れて席を外して欲しいな」

 そういうと末本氏は洸さんを示した。

「下にですか?」

 希が問うのに対し、末本氏は首を振る。

「いや、近くの喫茶店にでも行ってきて。稔秋くんにたかっちゃいなさい」


 店内のアンティーク調の時計の短針は、そろそろ真上を示すと言った頃。その喫茶店は空席を多少残し、落ち着いた雰囲気を漂わせている。それぞれ、コーヒーやカフェラテ、レモネードと軽食を注文して一息つく。

「改めて、卜部稔秋といいます。卜部でも稔秋でも、トベでも好きに呼んでね」

 __津々琉くんには騙すようなことをしてすまなかった。

 そう器を口元に運ぶ。

「いえ、元はといえばこちらが勘違いしていただけなので」

「……なぜそのような勘違いを?」

「それはね、俺がこんな看板を掲げてるからだよ」

 希が疑問を呈したのに対して、トベ基稔秋さんは名刺を出した。そんなものもあるのかと、多少驚いているとこちらにも一枚渡される。

「なるほど"占い卜べうらべ"」

「そう、もしよかったら来てよ。高校生に人気なのはやっぱり恋愛関係だよ」

「いえ、恋愛に興味はないので」

 バッサリといった希に稔秋さんは落胆を示す。

「……あの、友人にそういうの好きなのがいるので今度連れてきますよ」

「ありがとう……、津々琉くん」


 他愛もない会話以下が、一言二言挟まりつつ、食事を終えた。まだ連絡が来ないことを良いことに、もう1杯注文する。

 一旦卓上が浚われたのを見て、希が何かを取り出した。洸さんからのプレゼントの箱だ。

「これ開けてもいいですか?」

 その問いに軽く頷くと稔秋も同様だったようで、では、と一言断りを入れて希は箱に手を掛けた。

 中に収まっていたのは艶やかな革のグローブ。手首でベルトを締めるためそれなりに大きさの融通が利く作りのもの。

 色は深いブラウンと無難なものだが、見覚えがある。

「洸さんのと同じ?」

「ああ、確かに彼女のものは真っ黒いそれだ。となると特注品。きっといいものだよ」

 希は箱からそれを取り出し、ベルトは閉めないものの手にはめる。丁寧になめしがしてあるらしいそれは、柔らかくしなやかのようだ。

「あ、説明書が入ってる。読んでもいい?」

 稔秋さんが、箱に残る紙を示していうと、希は了承する。もらった本人はそのもの自体に夢中なようだ。

「へえ、面白い。本当に特注品だ」

 曰く、そのグローブはフィルター。霊力を濾過する逸品。

「こんなグローブが必要になるのは、きっと大呑くらいだね」

 その呟きに微かに希が表情を綻ばせたように見えた。


 2杯目が届いてから幾分が経ち、ふいに稔秋さんがこちらを見て口を開く。

「これから君はどうする?」

 そんな問いかけの意味が汲みきれない。ただ、質問者の彼は、作り笑顔を脱いで、わずかな微笑みを携えている。

「いやなに、津々琉くん。前々から思っていたけれど、君に置かれている環境というのはよろしくない。君は身体的にも精神的にも大呑さんに依存しすぎている」

 __彼女がいなくなった時どうするの?

 そんな言葉に背後から殴られた。

 先ほどの寿命の話が頭によぎる。あの人はいつまでいるんだ? いなくなったら自分はどうなるんだ?

 少なくなってきたアイスコーヒーを覗いても、答えは出てこない。

「俺も今回のことで軽率だったと反省してるし、やっぱり今の俺じゃ責任負えない。そこでだ、一つの提案として聞いてほしい。末本さんとこに行かないか?」

 末本氏。正直に言えば彼のことは何も知らない。昨日の邂逅で感じた胡散臭さも、今日の話で掴んだ印象もきっと対外的なものでしかない。それに、一度や二度会っただけの自分が頼っていいものかという申し訳なさもある。

「いいですね」

 止まった会話を継いだのは、空いたグラスの氷をストローで玩ぶ希だった。

「あの人はお人よしですから。なにせ担ぎ込まれてきた厄介者の子供を懐に入れてしまうような人です。きっと津々琉さんも受け入れてしまいますよ」

「……そんな経緯だったんだ。それにしても相変わらずだ。俺が知ってるだけでもそんな例が4つあるよ。でもまあ、今すぐ決めることでもないさ」

 顔を顰めながら含んだコーヒーの苦味が口内に広がる。

 沈黙の中、時間は刻一刻と過ぎる。おやつどきが近付き、一度減った客が増えてきた。むしろ昼時よりも多い。気まずさを覚える中で、稔秋のスマホから通知音を鳴る。

「戻ってきてってさ。長かったね」


 改めて、ソファーに座る。二者のどちらを見てもこれまで何があったのか測りきれない。

「呼び出した方がいうもの変だけど、わざわざ戻ってきてくれてありがとう」

 これまでの雰囲気と変わって、末本氏は柔らかなそれを纏っている。

「津々琉君にこれだけは直接言いたくてね。君も大変だったろう。何かあったらいつでも頼ってほしい」

 一つひとつの言葉、仕草がなんというか教師のようで、大人然としてる。ああ、この人には頼ってもいいと安心感を与えてくる。

「ありがとうございます。……さっそくわがままで申し訳ないんですが__」

 つい、口火を切る。そんなことをさせる雰囲気を彼は持っている。

「__ここに置かせてもらえませんか」




 ゴールデンウィークの連休が終わり、半端に残った平日。若干のだらけた空気が漂う中、晴れやかな気分で教室に入る。

「おはようれん

「お、津々琉。なんだいい顔をしてるな」

「そうか?」

「そーだ」

 自分でも口元が緩んでいるのを感じている。

 それでも、ニヤニヤとこちらを覗く蓮を軽く小突いた。

「ともかく解決したみたいで良かった。もう連休は終わったけど、今週末どっか遊びに行かない?」

「いいな。それに丁度いい。なあ、占いに興味ないか?」

「ある! 最近女子達が噂してるしね」

 蓮はしたり顔でいう。彼はこういう話にめざとい。

「相変わらずだな。それで、行ってみないか」

「津々琉がそう言うのに乗り気なのめずらしいね」

「あぁ、実を言うと洸さん経由で知った」

「なーるほどね」

 見慣れた教師が教壇に立つ。チャイムがHRの始まりを告げる。

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