第2話 灯油を配達に
当然だと言うように鍵を催促し、垣沼は無表情を決めている容子に戸惑い始める。
「え、何故鍵を?」
容子は分かっていたがあえて問う。職業上身に付いてしまった癖なので、仕方ない。
垣沼は、あ、そうか、という顔をした。
「鈴木さんの車で伺えば、配達料金にはならないそうですから自分が運転……あ、いやお嬢さんに運転して頂いてもいいんですけど」
いやいや、その前に、何故新人君が同行するのかを先ず述べて欲しいと容子は
「大丈夫ですよ。これくらいの荷物でしたら、慣れてますから」
にこりと笑顔を向けてはいるが、目は笑っていない。
親切心から申し出てくれているのは分かっている。がしかし、それに甘んじておいそれと初対面の者に我が家の車の鍵を渡して運転させようとするものか、と警戒心の方が勝る。
それに彼を乗せて祖母宅へ行ったら、帰りにまたこのスタンドへ帰って来なくてはならない。いくら暇でも、その時間が惜しまれる心の余裕の無さを自覚する容子である。
かたや垣沼は、こんな若い女の子がこんな重い荷物の上げ下ろしをして、しかも軽トラで配達するなどと思いもよらなかった。遠慮をしているのだろうと考えた。これまで、自分の周囲には逞しい女性が存在してはいなかった。
「いやあ、これは大変でしょう。自分がお届けしますよ。あ、そうか、帰りはここまでじゃなくて、鈴木さんのお宅まで乗せて頂けば近いですから歩いて帰れますし。じゃ、行きましょうか?」
有無を言わせない。配達に同行することが当たり前のようだ。
容子は諦めた。ああ、この人は純粋に親切心から申し出てくれるのか。今は甘えておこう。後日、父親に色々と報告されてはそれこそ面倒くさいというものだ。
「じゃ、お言葉に甘えて、お願い出来ますか?運転は私がしますので……」
他人に運転を任せるな。と万が一のことが起きた場合のこれまた面倒くささが頭をよぎる。
仕事で経験した数々の法律問題がまだ記憶に新しい。
仕方なく、容子は助手席に垣沼を乗せて、祖母宅へと向かった。
祖母は隣町に独りで住んでいる。同居していた叔父夫婦は、ただ今三年間の海外赴任中である。従兄弟たちは大学へ通う為にアパートを借りて別居している。
祖母宅は車で十分程度の距離であるがしかし、たかが十分、されど十分。
容子は職務上初対面の人間と毎日の様に出会ってはいるが、プライベートでは皆無に等しかった。
垣沼も同様で、勤務上とプライベートでは対応にいささか不具合が生じるくらい異性に不慣れだった。
軽トラ内に見えない緊張した空気が漂う。
「いやあ、鈴木さんにこんな大きなお嬢さんがいらしたんですね」
垣沼が突然言葉を発した。
容子は色々と考えてしまう。どういう意味なんだろうか?
父が若そうに見えたのか?それとも自分が実年齢よりも老けて見えたのだろうか?それとも。
「えーと、大きな、とは身長がと言うことですか?」
一応平均以上はあるけども、そんなに大きいとは思えない。職場では体格の良い人間ばかりに囲まれているし、小さい方である。
「あ、いえいえ、ご自宅へ配達に伺った時に中学生……かな高校生くらいのお嬢さんを見かけたので。その上のお姉さんがいらしたんですね」
……またか、と容子は面倒くさいなと心の中で舌打ちをする。
「……あー……アレね。姉なんです」
「え?は?あ……ね……ええええっ!!」
至近距離でいきなり叫ばれ、ハンドルをもう少しで妙な角度に切りそうになる。危ない危ない。事故でも起こそうものならば同僚から白い目と好奇な目で見られてしまう。
幼い頃から何百何千回と説明して来たことだろう。妹ではない。姉だと。私が妹だと。
実際に三歳離れているが、見比べると、確かに縦横ともにしっかり成長しボーイッシュな見た目の自分と、華奢で小柄、童顔で可愛らしい姉とでは彼女の方が五歳以上年下に見えるだろう。
「あっ、申し訳ありません!とんだ間違いをしちゃって」
横目でチラッと垣沼を見ると、頭を掻きながら顔を赤くして容子に身体を向けて頭を下げていた。
「いーえ、そんなのはいつもの事ですからお気になさらず」
「はあ……いつも、ですか……」
涼しい顔をして、垣沼を見る。あまり納得していなさそうな表情に変わっていた。
……でしょうね。アレは四捨五入すれば三十路入り。中学生か高校生に間違えられたと本人が知ったなら、「やだあ。そんな冗談言う人がいるのぉ~会ってみたいわねぇ」と、嬉しそうに呟くだろうと推測される。絶対に言わないけどね、と心の中で嗤い、何かが冷めつつある容子だ。
昔から姉の所業の尻拭いをさせられて来たのだ。異性にだらしない姉の協力者には決してなりたくはない。
真剣にお付き合いを考えていた男たちもいたが、彼女のひねくれてもつれてしまった心の糸を解くことが適う者は現れなかった。その都度、容子が彼らのすったもんだに巻き込まれて悪い影響を受け、姉とは真逆なしっかり者の逞しい妹が出来上がったのであった。
しょうがない。環境が人間を作るのだ。容子は半ば諦めている。
再び横を見て、腑に落ちなさそうな顔の垣沼が可笑しく思えて来た。
「これから向かう先で分かりますよ」
更に全く分からない顔をした垣沼を見て、フハッ、と笑いをこらえられずに声に出し、今度は彼の表情を曇らせてしまった。
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