第5話 

オルグス帝国 教会領 とある奴隷商館


 身なりの良い男性と羽振りがいいのかゴテゴテした指輪をいくつも付けている肥満体の奴隷商が話していた。


「いやー、バラン殿のところの奴隷はどれも質がいい。先週買ったものがもう壊れてしまってね。今日も見に来たのだよ」

「それはそれは、大変申し訳ありません。剣闘士奴隷は大変需要が高く、現在ザイード様に紹介できる奴隷がいないのです」

「それは残念だ。そうだな、では今日は普通奴隷にしようかな」


 連れてこられた奴隷の中から気に入ったものを購入したザイードが退店しようとしたとき奴隷商が言う。


「本日は大変申し訳ありませんでした。良い剣闘士用奴隷が入ったときは必ずご連絡いたします」

「ああ、期待して待っているよ」


 ザイードはそう返し、馬車に乗り帰っていった。


 ザイードが帰ったあと、自室に戻った奴隷商の耳にある情報が入った。


 『王国が魔物のスタンピードによって壊滅。王国民の一部が帝国に流れてきている』とのこと。


「こうしてはおれん!おいっ、馬車と檻の用意をしろ。それとゴルドーを呼んでこい」


 使用人に命令すると身支度を済ませて急いで店の外に出る。既に馬車が用意されており、筋骨隆々の男が傍らに立っている。


「ゴルドー、今から仕事だ。ついてこい。」

「了解。獲物は?」

「流民だ」


 二人を乗せた馬車は帝国の門を抜け、街道を走る。




ーーー




 王国を出て二日目 空は既にオレンジ色だ。


 そんな中、ふと気付く。


「そういえば、まだ俺ら以外に逃げてきた人見てないよな?」


 よく考えてみたらおかしい。王都を出るときも死体ならいくつか見たが、生きている人間は一人も見ていない。


「確かにそうだが、そもそも俺たちは魔物が攻めてきてから暫くは牢屋の中にいただろ。他の奴らより出遅れているんだ。もう皆、帝国に着いているんだろうさ」


「ん〜そうかな?」


 納得いかないが今考えたって仕方がないか。そう自分を言い聞かせていると前方から何かが向かってきているのが見えた。


 こちらへ段々と近づいてくるのは金細工が施されている立派な馬車だった。乗客を乗せる箱の後ろには大きな荷台が連結されている。


 俺たちの前で止まった馬車から肥満体の男と体格の良い男が降りてきた。


「お前らが最後か?」


 体格が良い方が口を開く。


「なんの話だ?」

「王国から逃げてきたはお前らが最後かって聞いてるんだよ」

「あ、ああ。多分な。俺たちのあとには誰もいないと思う」


 そう答えると。


「だそうですよ。バランさん」


 バランと呼ばれた肥満男はニッと笑い、言う。


「では、そいつ等で最後だ。やれ、ゴルドー」


 その瞬間、ゴルドーと呼ばれた男が殴りかかってくる。


 咄嗟のことで上手くガードできず、もろに顔面に食らい盛大に飛ばされた。


「いきなり‥‥‥何のつもりだッ!」


 よろめきながらなんとか立ち上がり、剣を構える。


「ごたごた囀さえずるな雑魚が。お前らはもう俺たちの商品なんだよ!」

「ちっ、何を言ってるんだこいつ」

「トーマ、いけるか?」


 アルヴィは既に状況を察している様子。


 理解は追い付いていないがゴルドーとかいう奴が俺たちを害そうとしていることぐらい判る。


「ああ」

「じゃあいくぞ!」


 俺が前、アルヴィが後になる陣形で駆け出した瞬間、ゴルドーも駆ける。


 先制の一撃。


 トーマ目掛けて拳を放つゴルドーにアルヴィは槍を突き出した。


 トーマの脇から、つまり死角となる位置からの攻撃にゴルドーは急ブレーキをかけて真横に飛び回避する。


 俺はそれに合わせるように剣を振る。


 だが、


 俺の力が弱いのか、それともゴルドーが硬いのか。直撃した一振りはゴルドーの薄皮を切るだけに終わる。


「痛ぇじゃねぇかよッ!」

「ゴバッ‥‥‥!!」


 振り抜かれた拳はトーマの横っ面を正確に捉えていた。


 ただ頬を殴られただけ。ただそれだけがトーマの体を浮かし、数メートルも吹き飛ばした。


「がっ‥‥‥あ‥‥‥」


 ふざけんな一発でこれかよ‥‥‥。

 体が麻痺したかのように重い。これは倒すなんて無理だ。逃げるしかない。

 だが、俺はそんな体力残ってない。


 ならアルヴィだけでも。


「槍、貸してくれ」


 駆け寄ってきたアルヴィから槍を受け取り、代わりに剣を渡す。


「どうするつもりだ?あいつに勝てる策でもあるのか?」 

「‥‥‥俺がどうにかしてあいつを止めるから、その間にお前は」

「は?ふざけるな!一人で逃げろってか?」

「そうだ。どうせ二人いてもあいつには勝てない。ならお前だけでも」

「断るッ!そんな薄情な真似できな───」

「いいから行けッ!!」


 俺はアルヴィの言葉を遮って突き飛ばした。


「クソッ!」


 俺は走り去っていく背中を見送ると、アルヴィを追わせないためにゴルドーへと突進する。


「ガハハハッ!活きがいいねぇ!」


 正面から叩き潰さんとする拳をギリギリで回避しそのままゴルドーの脇をすり抜け、守られていたバランに槍を突き出した。


「なにッ!?」


 慌てるゴルドーの表情に俺は「獲った」と確信するが。


 ガンッ。


 槍はバランに直撃する手前で動きを止めた。 

 壁にでもぶつけたような感触だった。


 気付けばバランの周りには半透明の膜のようなものがあった。


「何だよこれ‥‥‥」


 そう呟いた瞬間、背後から強烈な衝撃が走り、俺は地面を転がっていた。  


「ぐふっ」

「ふぅ、ヒヤッとしたぜこの野郎。旦那、怪我はないですかい?」


 トーマの腹を蹴りながら主人の安否を確認するゴルドー。


「見ての通り無事だ。私のことはいいからさっさと赤毛の小僧を連れてこい」

「へいへい」


 ゴルドーがアルヴィの逃げた方へ走って行く。


 いけない。


 力が入らない体を無理矢理起こし足元に転がっている槍を拾う。


 狙いを澄ませ全力で投擲する。


 投げられた槍はまっすぐゴルドーへ向かうが、段々と高度を下げていく。

 しかし運良くゴルドーの足を巻き込んだお陰で転倒させることに成功した。


「ちっ、雑魚がァ!大人しく寝てろや!」


 もう一押しだ。


「偉大なる火の精よ。我に小さき灯火を与え給え」


 手のひらサイズの火の玉を放つと、それは目標へと一直線に走りゴルドーの頭部に着弾する。


「あああああぁぁぁぁぁあああァァァァ!!アツいアツいアツいィィィ!!」


 着弾を確認した俺は奴の最期を見届ける間もなく意識を手放した。




ーーー




 目覚めると檻の中にいた。


 なんというか懐かしい感じがした。ついこの間まで牢屋暮らしだったからか。

 しかも今度は個室だ。一人用の小さな牢。動物用の檻にも見えるが、このサイズなら後から人が増えることはないだろう。 


 そんなことよりここはどこだろう?

 あれからどうなった?

 あいつはちゃんと逃げられたのか?


 少し心に余裕ができたことで色んな思いが頭をめぐる。


 状況を整理しようとまずは自分の周りを見回す。


 いくつもの檻があり、人間や獣人といった様々な種族が囚われている。老人から幼子まで数多くの人がここにいる。

 どうやら俺のような一人で牢にいるのは珍しく、ほとんどは3〜6人で一つの牢のようだ。


 色々考えていると足音が近づいてきた。おそらく二人。何か話をしているようで聞き耳を立てていると知っている声が聞こえた。


「ところでバラン殿、剣闘士用の奴隷が手に入ったというのは本当かね?」

「ええ、もちろんでございます。昨日、偶然手に入りましてね。機転は利くし、度胸もあり、何より魔術が使えます。ここだけの話、我が商会で雇っていたゴルドーが不意打ちではありましたが倒されまして‥‥‥」


 声の主がだんだん近づいてき、やがて俺のいる檻の前で足を止めた。

 バランではないもう一人が見下ろすようにジッと俺を見る。


「ほう、この者が元Cランク冒険者のゴルドーを」

「はい。いかがですか?将来性がありますよ」

「よし、この者をいただこう」


 何が何だかわからないまま話が進んでいく。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺をいただく?どういう事だ。それにここはどこなんだ」


 俺の質問に対してバランが答える。


「ここは商館だ。ゴルドーを倒した後、意識を失ったお前を私が拾ってやったんだ。奴隷としてな。そしてここにおられるザイード様がお前を剣闘士としてお求めになられた。ただそれだけだ」

「ただそれだけって、ふざけるな!そんな勝手があってたまるか、ここから出せ!」


 檻の中で叫ぶ俺を余所にバランたちは支払いを済ませる。


 そのあとの展開は速かった。


 がたいのいい店員によって強引に檻から引きずり出されて暴れないように手足を縛られ、ザイードの乗ってきた馬車に乗せられ、そのまま闘技場へ連行され、そこで選手登録を済ませた。


 闘技場へ向かう途中ザイードから剣闘士についての説明を受けた。


 剣闘士とは、衆人環視の闘技場で戦かう人を指す。つまりは見世物だ。

 剣闘士の大半は貴族が所有する奴隷だったり、一獲千金を夢見る一般人だったりする。


 俺を買った理由は、明後日の試合に出す予定だった選手が先日の試合で死亡してしまい、その穴埋めだという。


 つまり明後日には出場しなければならないわけで、相手の情報が全くなく、対策の立てようもない状態。加えて、ゴルドー戦の傷が癒えていないためかなり不利なコンディションでの戦闘になる。


 命をかけた戦いに不安を積もらせながら、闘技場職員に案内された部屋で静かに目を閉じる。

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