第7話 猫のおっさん その7
9
ぐったりしきっている俺の体はいま、わけわからんチューブをつけられとる。これ多分、栄養補給の点滴じゃなくて、俺を殺すための薬なんやろうなあ。
正樹が涙を流しながら、俺を見つめとる。
ヤブ医者は手ぇ合わしとる。罪悪感あったんかい。
いままでの俺やったら、神さんに祈ったりしてたやろうな。いままで何回も、助けてくださいって言うてきた。
俺のダンボールハウスがヤンキーに囲まれとったとき。
ノリさんが俺の尻をずっと撫でとったとき。
隣のホームレス村の縄張りに入ってもたとき。
どんなときでも神さんは、助けてくれんかった。多分やけど、戦争とか貧困とか飢餓とか、発明したん神さんやないかな。それが一番しっくりくるもん。
せやから俺もう祈らんで。
「それじゃ坊ちゃん、猫に別れの言葉を」
「はい」
正樹は頷いて、俺の顔を覗き込んだ。目からずっと涙が出とる。
「君に初めて出会った日、僕は救われたんだ」
おう、俺は殺されるとこやけどな。
「運命は残酷だね」
いや、だいたいお前のせいやねんけど。
「神さまなんて、どこにもいないんだね」
残酷な運命はあるのに? おるよ、多分いま腹抱えて笑ってるんちゃうかな。
「君の名前、知りたかったよ……」
田中高志や。間違ってもインターネットで検索するなよ。しょうもないコソ泥の記事なんか見たくないやろ?
「それじゃお別れだね。先生、お願いします」
「わかりました」
ヤブ医者は安楽死装置のスイッチに指かけよった。それから申し訳なさそうな顔で、俺の顔を見てん。あれ、よう見たら口をパクパク動かしとるやん。
その瞬間、直感したんや。いまからメッセージがくるってな。
そらそうか、だってヤブ医者かて人間やもん。さすがに人殺しなんかできんわな。多分メッセージの内容は、あとで助ける、とかやろうな。
「ご」「め」「ん」
殺す気満々やん! 人の命なんか屁とも思ってないやん! 罪悪感どこ行ってん?
あかん、このままやったらほんまに殺される。
俺は最後の力を振り絞って、正樹の顔を見た。メッセージを送るんや。
「に」「ん」「げ」「ん」「に」「ん」「げ」「ん」
真剣な顔でそうメッセージを送り続けたら、正樹の顔がだんだん変わり始めた。わかりやすく驚いとる。もしかして通じてるんか?
「せ、先生……。猫がなんか、僕に言葉を伝えようとしてるみたいなんですけど」
「どんな言葉ですか?」
「そ、それが……信じられない内容なんです」
正樹はぶるぶる震えながら、そう言うてん。よっしゃ、これは命拾いしたで。
まあ信じられんのも無理ないわ。だってこれまで猫やと思って飼ってたもんが、ただのおっさんやってんからな。
「インゲン、って言ってます」
「や、野菜の……?」
言うてない言うてない! 死ぬ前に「インゲン」って、俺がほんまにインゲンでも言わんやろ。あと冷静に考えてくれ。仮に俺がほんまに「インゲン」って伝えたとして、それどういう意図で言うてんねん!
もう正樹には期待できん。こうなったらヤブ医者に命乞いするしかない。人を殺すことに罪悪感はあるみたいやから、こっちのほうがまだ助かる可能性ある。
「た」「す」「け」「て」「た」「す」「け」「て」
俺はヤブ医者に必死でメッセージを送ってん。でもこいつ、わざと俺の顔を見んようにしとる。ってぁあああっ、スイッチ押そうとしてるぅぅう。
「先生、待って」
そのとき、正樹がヤブ医者の手ぇ掴んでくれてん。
「坊ちゃん、まさか……」
「そのスイッチ、僕に押させてください」
この展開なんとなくわかってた! だって毎回こいつズレてるもん! どうせこのサイコ野郎のことやから、一回殺してみたかったとかやろ?
「僕が拾ったから、僕の手で殺してあげたいんです」
「坊ちゃんは優しいですね。その気持ちわかりますよ……」
なに一つわからへん。なにが一番わからへんって、殺すっていう方向性を変えへんのが一番わからへん。お前らに延命って選択肢はないんかい!
「でもね……」
ヤブ医者はその続きを言わんかった。それはもしかしたら、俺の意識がなくなっただけで、なんか医者らしいこと言うたかもしらんな。
10
目が覚めたら、俺は病院のベッドで寝とった。
普通の人からしたら、当たり前のことやろう。でも俺は自分が人間として扱われとることに違和感しかなかったんや。
「なにがあったんや……」
俺は寝る前のこと思い出そうとして、正樹とヤブ医者の顔を思い出してん。そうや、俺あの頭のおかしな二人に殺されたんや……。
「ここは天国なんか?」
「あ、目が覚めてる」
半開きのドアから顔を覗かせとんは正樹にそっくりな天使やった。
「ここ天国なん?」
「いや、ここは病院だよ」
「え、俺死んでないん?」
「うん、猫用の薬だったから、人間を殺しきるには少し量が足りなかったんだ」
「残念みたいに言うな、悪魔が」
そう言うて俺は、って、あれ?
「俺しゃべれてるやん! にゃあしか言われへんかったのに、日本語が出るようなってる」
「猫のフリじゃなかったんだ……」
「誰がするか、そんなイカれたこと」
「じゃあいったい、なんであんな耳つけて、草むらで全裸で寝てたの……」
正樹の言い分はもっともやった。でも全裸ちゃう。俺ちゃんとブリーフ履いてたやろ。汚いからって、徳さんが取らへんかったんや。
「耳で勘違いしたんか。でも俺には人間の耳もついてるやんけ。そのことについてはどう思っとってん?」
俺の鋭い指摘に、正樹は首をかしげよった。
「確かに」
「あと言いたいこと、他にも山ほどあるぞ。飯は少ないわ、セーターくれたと思ったら下半身が丸出しやわ、おまけに最後は動物病院で安楽死とか。頭おかしんか?」
「ごめんね、まさか人間だと思わなくて」
正樹はそう言うて、照れ笑いを浮かべとった。うーん、人命が失われかけたのにずいぶん軽い感じ。こいつは天使じゃなくて、ほんまもんの正樹やな。
「俺、生き残ったんか……」
窓の外を見てんけど、どんな感慨もないわ。またこの辛く寒い社会を生きていかなあかん。
「これからどうするの?」
「さあな。元のホームレス村には帰られへんし、他所のホームレス村行っても、この身なりじゃ他所モンや言うてしばかれる……」
そうや、忘れとったけど俺はどこに行っても上手くなんかやっていかれへん。そういうダメな人間やったんや。短い期間とはいえ、人間であることまでやめとったからな。
「僕にできることあるかな」
「もう一回、安楽死させてもらえる?」
うん、死の! もう俺にできることはそれくらいやろ。
「だめだよ。ちゃんと生きようよ」
「そのちゃんと生きるってのに、五十年以上も挑戦してきたんや。それで辿りついた地点がここやろ。俺にできることはもう、死ぬことだけやねん」
「だったらさ、本当に僕の猫になりなよ」
「え……」
「普通にしゃべっていいし、ご飯だって人間用にするからさ。ずっと僕のそばにいてよ」
正樹はいつの間にか、目に涙を溜めとった。
それを見て俺は思ったんや。
こいつもしかして、俺に父性を求めとんかなって。だってそうやろ?
あのブリーフ一丁のお父さんは、地元の名士で仕事が忙しいはずなんや。んでどうにもお母さんはおらんらしいし。だから正樹は甘えられる親がほしいんや。
「ええで……」
どうしてかな。正樹の顔見て言われへんかった。
俺は生きることすらできずに、死ぬことしかできひんダメ人間や。だから生活の面倒を見てくれるんは、すごい嬉しい。
三食も人間のご飯が食べられて、雨風もしのげて、寝るときにヤンキーに怯えずに安眠できるんは、ほんまに夢みたいな生活や。
でも俺が正樹の顔見られへんのは別の理由やねん。
どんないい生活をさしてもらうことより、自分が他人に必要とされとることに、心の震えが止まらへんねん。
俺という人間に価値がないっちゅうんは、もう疑いようもないほど証明してきた。それでもこんな俺に、そばにおってほしいって……。俺にもまだできることがあるって……。
「じゃあさ、名前どうすればいいかな」
「せやな……」
動物病院で名前がどうこう言うとったな。新しい名前つけるんも、前の飼い主に悪いって。もちろん本名の田中高志で呼んでもらってもええし、なんかマイケルとか猫みたいな名前でもええねん。
でも……呼ばれたい名前が他にある。それは多分、正樹にとっても呼びたい名前のはずなんや。
俺はぐるりと首動かして、正樹を正面から見てん。
「お父さんって呼んでくれるか……?」
「うん……」
正樹は思いっきり顔を輝かしとった。
金持ちで、見た目もよくて、性格も多分やけど優しい。そんな正樹でも持ってないもんがあったんや。
んでそれを持っとったんが、このなんにも持ってない俺やったなんて、皮肉な話もあったもんやな。
ぐぅう。
おっ、腹が鳴ってもた。
「後藤さん、さっそくなにか食べる?」
「おう、田中やけどな」
そうそう、こいつはおっさんを猫やと思うし、人間をインゲンやと思うねん。だからお父さんって呼んでくれ言うたのに、多分死ぬまで俺のこと後藤さんって呼ぶんやろなあ。
こうして俺は猫になったんや。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。もしよろしければ、☆評価とフォローをお願いします!
【完結】あの伝説のショートギャグ 猫のおっさん むれい南極 @nankyokumurei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます