08 鏡越しの声

「あ!」


 突然、なぎが声をあげた。

 客間の静けさを一変させるその声に、皆の視線が集中する。


「これ……」


 なぎは自分のリュックを引き寄せると、その中から一枚の鏡を取り出した。


「それは……!!」


 善三ぜんぞうが身を乗り出す。

 震える手でそれを受け取り、まじまじと見詰めると――その表情はすぐに落ち着きを取り戻した。


「違う、か……これは、御神体ではなかった方だな」


 ぽつりと零した声に、なぎは申し訳なさそうに目を伏せた。


「うん……多分ずっと昔から井戸の中にあったやつ。

 なんとかこれ一枚だけ持って来れたんだけど、もう一枚は……」


 その先を言う必要はなかった。

 さとる未久みくも、そして善三ぜんぞうも――それに続く言葉を理解している。


 イザナミとともに封じられた、もう一枚の鏡。

 二枚の鏡が揃わなければ、時間を越えることはできない。


 それきり、客間は沈黙に包まれる。

 誰も言葉を発さず、ただ鏡だけが卓の上で静かに光を返していた。

 静寂の中、家の柱がぱきり、と乾いた音を立てる。


 やがて――さとるがゆっくりと鏡へ手を伸ばした。


「……これ、俺たちが使ってた方なんだよな」


「そう、だと思う」


 なぎが頷くと、さとるは鏡の奥を覗き込むように目を細めた。


「だったらさ……これでメッセージ、送れるんじゃないか?」


 なぎ未久みくが同時に顔を上げた。

 過去へとつながる鏡。

 確かに、メッセージだけなら飛ばせるかもしれない。


 それができれば、その『過去』に待つのは――清吉せいきちだ。


「――やってみよう!」


 なぎは紙と鉛筆を借り、短い言葉を丁寧に書き記した。



 “清吉せいきちさん、見えてますか

  なぎです

  鏡で飛んで、今は昭和十二年にいます

  イザナミも追って来たけど、井戸に閉じ込めました”



 鏡に紙を映すと、思った通り反応してくれた。

 善三ぜんぞうが興味深そうに覗き込む。


「水害を知らせた文章も……こうやって送ったのか」


「うん。ここに映せば、過去の鏡にも同じ文字が出るはずなんだ」


 そう言って、なぎは返事を待つ。

 その時間は息が詰まりそうだった。


 やがて鏡を光にかざすと、清吉せいきちの達筆な文字が浮かび上がった。



 “よくやった

  あとはもう一度、

  その時代の鏡を使ってこちらへ飛べ“



 胸に安堵の気持ちが広がる。

 自分たちはまだ、孤立していない――その事実が、なぎの心を強く支えた。


 しかしすぐに、現実はその安堵に影を落とす。

 一枚しかない鏡。

 なぎたちの前には、どうしようもない問題が立ちはだかっている。



 “でも、鏡は一枚しかありません

  もう片方はイザナミと一緒に井戸の中です “



 重苦しい沈黙。

 それに対する返事は短く、重かった。



 “イザナミは

  いずれ出てくる

  急げ 道を探せ”



「探せ、って言われても……」


 なぎが頭をかきむしる。


「どこかにもうワンセット、あったりしないかな」


「いや、聞いたことは……ないな」


 さとるの疑問に善三ぜんぞうが答えた。

 長く神社を管理していた善三ぜんぞうですら、“二枚目”の存在を知らなかったぐらいだ。その可能性は限りなく低いだろう。


なぎちゃん、もうすぐ誕生日でしょ?

 神様になったら、鏡がなくても飛べたりしない?」


 未久みくの言葉に、なぎは小さく首を振る。


「それができるなら、清吉せいきちさんの方からこっちに来てくれてるよ。

 あの人……“イザナギ”なんだから」


「でもイザナミは、鏡を使わないでもこっちに来たじゃん!」


「確かにイザナミは時代を飛び越えてきたけど――あいつはもう黄泉津よもつ大神おおかみの力を取り込んで、イザナギでも敵わないほどの力を持ってるらしいから――」


 未久みくはため息をつくと、不安そうに呟いた。


「そんな強いの……? あの黒いやつも、また出てくるのかな」


 先ほど遭遇した異形――あれは本当にイザナミの分身だったのだろうか。

 なぎ清吉せいきちに、見たままを伝えた。



 ”イザナミは閉じ込めたはずなのに

  黒い女の形をしたものに襲われました

  霧が形になったようなやつでした”



 すぐに応答が返る。



 “それはおそらく黄泉醜女よもつしこめ

  イザナミが使役する黄泉よみの眷属で、

  かつてイザナギを追い詰めた軍勢の一部だ



「よみ……しゅう……?」


 未久みくが眉を寄せる。


「『よもつしこめ』。日本神話で、黄泉よみの追っ手として出てくる化物だ。

 黄泉よみから逃げる者を、決して逃がさない存在だよ」


「なるほど――そんなところまで伝承の通りか」


 さとるの言葉に、善三ぜんぞうが低く唸る。


 なぎは鏡を見つめ直した。

 そこに映っていたのは、焦りと恐れ、そして――

 それでも前に進もうとする、自分自身の顔だった。


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