10章:世界は僕と愛を隔てて
■
この話はこれで最後だ。
これ以上長く続かない。僕達の物語はこの話で幕を閉じる。
僕と愛子さんの話はこれで終わりだし、これからは僕の視点から語ることはない。
多崎信朗はこれでおしまいだ。
今まで僕のつまらない話を見てくれた人達には、申し訳ないけれど。でも、しょうがないから。
愛子さんと愛の誓いを果たしてから数週間後、僕の体に癌が見つかった。ステージ4。助かる確率はほぼ無いらしい。
いや、同情してほしいわけじゃない。もうそれは充分貰ったし、もう聞き飽きた。だから結局、全部無駄だったてこと。…そんなこと、彼女は認めないけれど。
この文章を読んでくれたあなたへ。勝手に病室から抜け出してごめんなさい。もう、僕のことは心配しないで下さい。
僕の居場所を探さないで下さい。尤も、見つかる筈はないんだけど。
僕は愛子さんと一緒に、好きな場所へ巡ることにした。最期の好き勝手を、母さんと父さんは許してほしい。あと、堀田さんに伝えてほしい。僕は幸せだった。あなたのお陰で、僕はこの短い人生を諦めずに生きられた。本当に感謝しています。
これ以上長く書くことも出来るけど、それは辞めておく。シンプルにまとめておきたいからね。
彼女のご家族へ。
もちろん娘さんは無事に返します。心中なんて馬鹿な真似はしません。憧れはしますけど。ほんの少しの間だけ、ワガママを聞いてあげて下さい。
ごめんなさい。さようなら。
□
多崎くんが死んだ。
昔からぽっくり死んだ。というのがよく判らなかったけれど、多崎くんの死に際をみると、たしかに「ぽっくり」死んでいた。
本当に海の波が砂を掴んでもとに戻っていくように、さっと消えていった。
葬式にも行ったが、途中の坊さんの話で涙が止まらなくなり、足早にでていった。葬式場から少し離れた樹の下で、彼の事を思い出して何度も泣いた。気が狂いそうだった。
わたしは何度も考えた。せめて一緒にわたしの病気も悪化すれば、同時に死ねるのに。
同じ棺桶に入りたかった。自分がこれから多崎くんのいない世界で、多崎くんを思い出しながら死ぬことに耐えられなかった。
今すぐに首でも吊りたかった。けど多崎くんがいなくなったように、わたしがいなくなった時、お父さんがあの涙を流すことは嫌だった。
あの痛くて熱い涙。出涸らしても、尚痛い。
多崎くんの席を開けた卒業式。わたしは、卒業生代表として話をした。
何を話したのか覚えていない。何だか「思い出」とか「将来」のことを話した気がする。死んだ多崎くんとの思い出、もう居ない彼との将来。
無意味な会話。卒業生の後、後ろを一度も振り返らず家に帰った。自室のベッドでまた泣いた。
大学に上がると、わたしにも何人か友だちができた。心に穴が空いて、笑顔もぎこちないわたしにも優しかった。その中の数人とは今でも会っている。
社会人になると、同期から何度か言い寄られたこともあった。良い人もいたと思う。けど自分には、愛することに意味を見出せなかった。これは本当にわたしが悪いと思った。
あれから何年経っただろう。あの世で会ったときにはもう、わたしだと多崎くんは判らないかもしれない。けれどいい。わたしだと判らなくても、もう一度だけでも会いたい。
それだけがわたしの夢だった。
わたしの夢はもう叶わなかった。わたしと彼の話はもう終わっていた。わたしだけが先に進めて、彼を置いてきてしまった。何で私はここにいるんだろう?どうしてわたしだけが助かったのだろう。
彼と同じ病気だったのに。私が治って、多崎くんが死んだのは何故?
わたしの茈色の血と、彼の茈色の血の違いは?
味なのか、色なのか、血液型なのか…。どれでも良い。もう、どうだって良い。
わたしはほんの世界の一部に過ぎず彼だって一緒の少しだけの生命。何千年もの紡いできたわたし達の物語の中の、ほんの一節。これからももっとわたし以外の誰かが彼以外の誰かと共に歩んでいくし、もしかしたら別れたり、居なくなったりするかもしれない。けれど、結局は全て無意味だった。
本の一文が赤だろうと青だろうと茈だろうと…一冊に違いはない。
どれも同じ古本屋に並ぶ無数の物語。いや、そうですら無いのかもしれない。
わたしの物語は何だったのだろう。ラブロマンスだったり、青春物語だったり、それとも悲劇?
桜の木の下で亡くなった人。バイク事故で亡くなった人。癌で亡くなった人。わたしは何で逝こう。
わたしはどう世界と折り合いをつけよう。見えない世界になんて言おう。狂ったり、壊れたりしたわけじゃない。普段からわたしはこうだ。
最初っからわたしはおかしいんだ。
血は茈色だし、恋人は数週間後に死んだし、もういい歳なのに一人ぼっちだし。けれど世界には同じ人間がごまんと居て、数万回同じ考えを経て、数万種類の最期を迎える。
皆そうなの?多崎くんもそうだったの?だったらちょっとはましかも。わたしは普通だったんだ。
何もしないより、こうやって考えにした方が楽だから、そうするだけなんだ。全部は同じ事なんだ。
長々とわたしのくだらない話を聞いてくれてありがとう。さようなら。
―――――――――――――――――――――――
卒業生代表、東雲愛子さん。
―――はい。
ええと、宜しくお願いします。
わたしは3年2組の東雲です。この卒業式をもってわたしたちはこの学校から卒業します。
どうですか、皆さん。楽しかったですか?この3年間は幸せでしたか?
わたしは幸せでした。そうじゃなかった人も、勿論居ると思います。けれど、多分その人達も一度も楽しくなかった訳じゃないと思います。これも、唯の個人の意見なんですけど。
世の中には、永遠なんて無いんですよ。
わたし達の思い出は永遠だ!なんて言う人もいますけど、そんな訳無いじゃないですか。だって、結局のところ、わたし達が卒業して、社会に出て、色んな人と出会って、色んな人と別れて…付き合ったり結婚したりして、いろんな経験をすると思います。
だから、わたしが今日話した事や、皆さんの3年間の学校生活も、いつかは忘れてしまうかもしれないし、もう思い出すこともないかもしれません。
けど、それで良いんです。
忘れたって良い。人間なんですから、色んなことを忘れて、色んなことを思い出して、そうやって自らの人生を紡いでいくんです。
照れ臭いことを言いますけど、わたしには好きな人が居ました。
その人は病気で亡くなりました。…けど、だからってその事を一生、憶えてられますか?人間が死んだって、全ては長い人生の中のほんのワンシーンに過ぎません。この卒業式だってそう!わたし達が今まで作ってきた思い出はいつか、消えてしまう少しの欠片なんです。
ですから大切にして下さい。
今日の日のことを、身に刻んで、忘れても、心に縫い付けていて下さい。わたしのことを、忘れてしまっても、このことは忘れないで下さい。
わたし達は、幸せなんです!疑わないで下さい。耳を塞がないでください。わたし達はどんな死に方をしても、不細工でも、哀れでも、辛くても、ほんの少しだけの幸せがこの場所で、この時間の、この時代にあった事を忘れないで下さい!
わたし達が全身全霊に生きた証を、わたし達は忘れずに過ごして下さい。
それで生きられるなら、わたしは何も悲しくありません。皆さんの隣りにいる大切な友だちと、もう二度と会えなかったかもしれなくても、絶対にこの日は幸せでしたと、死ぬ瞬間まで覚えておいてください。
未来のあなたへ!聞こえていますか!わたしはこの日、あなたにこう言いました。どうですか、あなたは胸を張って未来のあなたへ伝えられますか。
どうぞ、頭の中で言ってください。
未来のわたしへ。
幸せですか?
過去のわたしより。
おわり
茈色の血を舐めろ 静谷 早耶 @Sizutani38
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます