おんぼろ新聞社
政治やスポーツ、事件や事故などの一般的な内容を取り扱う傍らで、オカルト雑誌さながらの眉唾な記事も掲載している、一風変わったところでもある。大手新聞社は真実面をして嘘ばかり書くとひねくれた年寄りや、オカルト趣味の人間、契約の際にもらえるおまけのトイレットペーパー目当てで取っている一人暮らしの大学生などが主な顧客である。
事務所は元雑居ビルの二階。現在は他のテナントが撤退しており、安く買い叩いて従業員専用の住居や物置に改装している。一階はガレージと雑物置き場。三階は簡易居住スペース。四階に資料室がある。
小さいながらエレベーターもついているが、従業員は全員一階から四階まで階段を利用している。というのもこのエレベーターは、扉が薄く開いたまま動き出したり、目的階に到着しても数センチずれた位置で停止したりと、だいぶ危険な挙動を見せているのだ。あまりに古い型であるため、メンテナンスをするより工事して全て新品に入れ替えたほうが早いとまで言われている。だがその工事の目処がなかなか立たない現状、デスクワーカーたちは運動不足になる暇がない頻度で階段を昇降していた。
現在エレベーターが使えるのはもの言わぬ荷物だけで、従業員たちは段ボール箱や機材をエレベーターに積み込んで扉を閉め、移動先の目的階で改めてエレベーターを呼び出すという使い方をしている。多少面倒だが、山のような紙束や印刷機を人力で運ぶよりは遙かにマシというものだった。
雪乃が新聞社に到着したとき、まさに荷物だけのエレベーターが到着していた。
一階でそれを呼び出した男性は面倒くさそうに溜息を吐いて中に乗り込もうとした――――が、首の後ろを雪乃に引っ掴まれて、そのまま背後に倒れ込んだ。
「おわ!?」
直後。
ガゴン! という凄まじい音がして、目の前から筐体が消えた。男性は、その場に尻餅をついたまま、起きた出来事が信じられないといった顔で呆然としている。中に積んでいたのは書き損じた書類や封筒、コピーミスで使えなくなった紙類の詰まった段ボール箱で、紙ゴミの日まで雑物置き場で保管すべく移動させるところだった。
それが、一瞬で消えた。恐らくは地下にある機械部分へ。
「危なかったな」
「は……ぁ、ああ、嬢ちゃんか……」
ようやっと我に返った男性が、よろけながら立ち上がる。
したたかに尻を打っていたようだが骨には響いていないようだった。雪乃が男性を地面に叩きつけないよう掴んだ首根っこを最後まで持っていたためでもあるだろう。柔道の投げ技を八倍くらい乱暴にした受け身の取らせ方だ。
「大丈夫か?」
「蒙古斑復活しそう」
「大丈夫そうだな」
一瞬体重がかかった喉元を摩りながら軽口を言う男性を見上げ、それから真っ暗な穴だけとなったエレベーターを見る。
「とうとう駄目になっちまったかぁ……」
「社長は?」
「今日はお休み。連絡だけ入れて、明日相談するわ」
んで、と男性は改めて雪乃を見下ろした。
無精髭の散った顎と、白髪交じりの灰髪、気怠げな垂れ目によれたブルーグレーのシャツとダークグレーのスラックス。全身隙なくくたびれた社会人の姿をしている。
彼の名は宮沢蓮史。帝都新陽新聞社に勤める記者だ。
「最近、
「あー……あれねえ。纏めてあるよ」
ついてきな、と言って歩き出した蓮史の後ろに続いて階段を上る。コンクリートが剥き出しの薄暗い階段は、相も変わらず大人がギリギリすれ違えるかどうかの幅しかない。夜に来ると暗さは更に増し、電灯の点滅が目を突き刺す仕様もついてくる。
備品や設備が整っていないのは、なにも此処の社長が社員を蔑ろにしているからというわけではない。買い取った当初から幾度となく、整備をしようとしていた。だがこの建物が、或いは此処に染みついているナニカが、それを許さなかった。
エレベーターの整備を頼めば整備会社に突然事故車が突っ込み、階段の電球を交換しようとすれば、脚立が突然倒れて社員が怪我をする。電動だったガレージは壊れて手動シャッターとなっており、立て付けの悪い扉は開閉の度にか細い悲鳴を上げる。
しかし、染みついているナニカはどうも新聞社を恨んで追い出したいわけではないようで。オフィス内部のメンテナンスは許されている。例えばコピー機が壊れたので買い換えようとしたときや、蛍光灯を交換しようとしたときに、同様の事故が起きることはない。
それどころか、本社を別の建物に移そうとしたときなどは引っ越し予定先で火事が起きたほどだった。
微細な不便を押しつけながら、生かさず殺さず建物に縛り付けている。
だが、今回は違った。エレベーターに乗り込んでいたら、危うく死者が出るところだった。それとも雪乃が気付いて止めることまで織り込み済みで脅したのか。
飼い殺しのターンは終わったということなら、本格的に対処を考えるべきなのかも知れない。
頭の片隅で思考を回しつつオフィスに入り、蓮史は目的の資料を手に取った。
「此処一ヶ月、春盟地区で起きた飛び降りのまとめだ。事実と所感、それぞれ並べて書いてある」
「助かる」
雪乃が記事に目を通しているのを横目に、蓮史は彼女の傍らで所在なげにしている愁作を見た。
彼は此処に来てからずっと、オロオロハラハラしているだけで自ら発言することもなく、カルガモの雛のように雪乃の背後にくっついているばかり。見たままの新人。しかも此方側につま先しか触れていないようなひよこちゃんだ。
そう踏んだ蓮史は、「なあ」と愁作に声をかけた。
「お前さん、なにしについてきた?」
「えっ……お、俺ですか……?」
頷く蓮史に、愁作は答えに窮した顔で「仕事で……」と細く返した。
「ほう。坊ちゃんにとっての仕事ってのは嬢ちゃんの後ろにくっついてぼうっとすることなのかい。いい身分なこって」
「っ……」
「ああ、学生さんの社会科見学だってんなら悪かったなァ」
軽口のつもりで吐いた蓮史の言葉は、図らずも愁作の心に深く突き刺さった。
何故ならつい先日の屋敷の調査で、愁作は文字通り雪乃の後ろをくっついて歩き、最後の戦闘でもぼうっと突っ立っていることしか出来なかったからだ。あの日雪乃は初日は無事生きて帰れただけで充分だと言ってくれたが、それを真に受けて及第点をもらえたのだと舞い上がれるほど、愁作は無邪気な脳味噌をしていなかった。
「蓮史、その辺にしておけ」
「へいへい。んで、どうだった?」
蓮史に資料を返しながら、雪乃は「多いな」と呟く。
春盟地区では此処一ヶ月足らずで、五件の飛び降り自殺が発生していた。それらは共通して「天使様」という単語を口にしており、知人や関係者の目撃情報を洗えば、飛び降りた日の一週間から十日ほど前辺りから人が変わったようになるとのこと。
具体的には、発言や態度が異様なほど尊大になる。承認欲求がそれまでと比べ物にならないほど大きくなる。顔色の悪化に反し、目が異様にギラつくなど。
「先日見た件とも特徴が一致するな」
「女装コンカフェ嬢の飛び降りか。ネットに動画が上がってたヤツ」
「ああ。うちに来た相談者の、相談対象だった」
其処まで話してから、そう言えばと雪乃は愁作を振り仰いだ。愁作は先ほど蓮史に言われた言葉を反芻しており、眉間に皺を寄せて俯いていたがハッとして顔を上げ、雪乃に「どうしました?」と訊ねた。
「あのときお前も見ただろう。調査対象から這い出て、別の人物の眼前で羽ばたいたあと口に潜り込んだ奇妙な白い虫を」
「あっ、は、はい。蛾のような、お伽噺の絵本とかで見る妖精のような、細身で白い虫でしたね。…………あの、……」
愁作は遠慮がちに雪乃を、それから一瞬チラリと蓮史を見てから、怖ず怖ずと口を開く。二人は視線を寄越すことで先を促し、黙って愁作の言葉を待った。
「あ……あのとき見た虫、手足と顔が人間のものだったんです」
「それは本当か?」
「はい。改めて思い出しても間違いありません。あの、俺、一度見たものは何度でも思い出せるんです。ついさっき見たばかりのように、鮮明に……だから……」
徐々に語尾が消えていき、愁作は百八十近い長身が嘘のように縮こまった。蓮史は僅かに瞠目し、雪乃は少しだけ表情を歪める。
「瞬間記憶か。……なら、初回がアレではキツかっただろ。悪かったな」
「えっ! い、いえ! いい経験になりました。俺一人だったら、怪我どころか命があったかもわからないような現場で、なにも知らない俺を導いて頂いたので……」
恐縮仕切りな愁作を、一度淡く微笑を浮かべて見上げてから、雪乃はスッと表情を引き締めた。
人の顔と手足を持つ、白い虫。飛び降り死体の口から這い出て、別の人間の眼前で羽ばたき、当該人物の口内に潜り込むという挙動。まだまだわからないことが多い。
なによりあの虫が原因だとするなら、次はあの撮影者が天使の幻覚に取り憑かれて飛び降りることになりかねない。
「お坊ちゃん、瞬間記憶があるってんなら、うちの似顔絵師に会ったらどうだ。俺の大学時代の後輩なんだが、腕は確かだ」
「似顔絵師……ですか?」
「その虫が羽ばたいたっつう撮影者。ソイツの面が割れりゃ、ネットとリアル双方で次を探すことが出来るだろ。ついでに虫の面のほうもな」
「な、なるほど……そうですね」
愁作が感心したように頷くと、蓮史は名刺を一枚取り出して裏になにか書き込み、愁作に投げ渡した。慌てて受け取って裏を見れば、其処には走り書きで住所と名前が記されていた。
「あっ、名刺……すみません。俺、まだ自分の持ってなくて」
「いらんいらん。自力で事件の一つでも解決出来たら持ってきな」
「わかりました」
蓮史の、ともすれば無礼だと立腹しかねない物言いにも真っ直ぐ受け答える姿に、蓮史はくつくつ喉を鳴らして笑った。いまの何処に笑いどころがあったのかわからずきょとんとする愁作に向け、手をヒラヒラと外側へと振って『はよ行け』と示す。
雪乃が「行くぞ」と言えば愁作は「はい」と短く答えてあとに続く。
そんな二人の後ろ姿を見送った蓮史は、
「やっぱひよこちゃんじゃねぇの」
そう言って、出会った頃に見せた嫌味っぽさが消えた、穏やかな笑みを浮かべた。
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