似顔絵師、瀧内静烽

「夢野」


 新聞社を出たあと、雪乃は愁作と共に地下鉄に乗り込んだ。

 平日昼間の、主要路線や観光地同士を結ぶ路線から少し外れたこの路線は、全ての車両から人を一箇所にかき集めても席が余るほどに空いている。地下を行く車窓にはぼんやりと俯く愁作が映っていて、時折すれ違う反対路線に遮られる度、風圧で窓がガタガタと泣き言を漏らす。


「何でしょう……?」


 努めて平常を装い、愁作が隣を見る。だがその表情は精彩を欠いており、地下鉄の薄暗さだけでは言い訳にならないほど色がない。


「蓮史に言われたこと、気にしているのか」


 一切の躊躇なく直球が真横から飛んできて、愁作は苦笑いを浮かべた。


「気にしてない、と言ったら嘘になります。最初のときも今回も、俺は大してお役に立ててないですし……」


 顔を上げて正面を見れば、丁度駅に止まるところだった。降車駅の一つ前の駅で、乗車してくる客はこの車両にはいないようだ。


「一般の業種ならまだ研修期間だから、と言い訳することも出来ますけど、あんなに危険なことがあるこの仕事で、新人だからなにも出来なくても仕方ないなんて悠長なことを言っている余裕がないのはわかっています。でも……」


 ゆっくりと扉が閉じ、僅かな振動を伴って発車する。眩しい駅構内から暗闇の中へ移り、再び正面の窓には情けない表情の愁作が映った。


「手柄を立てようと躍起になっていい仕事でないことも、わかっているつもりです。初対面の人に多少言われた程度で、先走る気はありません」


 力強く言い切った愁作に、雪乃は一言「そうか」とだけ返した。

 前の駅から三分足らずで、目的の駅である賽河原さいがわら一丁目についた。

 似顔絵師の住所は、新聞社がある葦原地区の二つ隣、賽河原地区にある。

 賽河原地区は未だ昭和の面影を残す街並みが特徴の区画で、全長百メートルを越すアーケード商店街は地元住民のみならず、観光客にも人気が高い。しかし観光向けに積極的なPRをしているわけではないことと、最寄りの地下鉄駅が一つしかない上に主要路線からの乗り換えがやや不便であることもあって、観光客が大量に押し寄せることもなく落ち着いた雰囲気が維持されている。

 似顔絵師の住所は商店街から暫く歩いた先、閑静な住宅地の一角にあった。周囲と同様の、古びた平屋建て。重そうな瓦屋根に、木造の建物。狭いながらも庭があり、家を囲う壁を辿れば瓦屋根の門に行き当たる。古びた木製の表札には瀧内たきうちとある。

 そして名刺には瀧内静烽せいほうとあった。どうやら此処で間違いないようだ。


「ごめんください」


 呼び鈴を押して呼びかけると、奥からパタパタと駆けてくるスリッパの軽い足音が聞こえた。間もなく引き戸が中から開けられ、赤い着物姿の子供が二人を見上げる。短くおかっぱに切られた黒髪といい、七五三のような和服姿といい、まるで座敷童のような姿だ。可愛らしい子だが、しかし左目を囲うように大きな黒い痣があり、仮に先天性のものだとしても子供の顔にこれほど目立つ痣があるのは痛々しく映る。


「こんにちは。先生にご用事ですか?」

「ああ。帝都新陽新聞の紹介で来た綾辻という。先生はご在宅だろうか」

「あい。少々お待ちください」


 ぺこりと雪乃に頭を下げると、子供は奥へと駆け戻っていった。着物姿に似合わぬ三毛猫スリッパの小さな尻尾が、歩調に合わせてピョコピョコと揺れる。

 暫くしてから戻って来た子供は、二人を見上げて「中へどうぞ」と促した。


「失礼する」

「お、お邪魔します……」


 並べて置かれたスリッパを借りて、子供のあとについて板張りの廊下を進む。一度左に曲がって右手の扉を開けると、其処は一目見てわかる書斎だった。

 重厚な作りの机と椅子、書棚に詰め込まれた様々な専門書、机の上には手のひらに収まる程度の大きさの観葉植物があり、傍らの雑物箱には紙束が山のように詰まれている。文机と椅子は此方に背を向ける配置となっており、明治の文豪のような松染の羽織りと着物の背中が見える。


「先生、綾辻さんです」

「はいよ。お前はお茶をお出ししたら下がっていなさい」

「あい。承知致しました」


 振り返りながら指示を出すと、書斎の主は「よっこらしょ」と言いながら椅子から立ち上がり、緩慢な動きで近付いてきた。

 なにもなくとも笑っているような細い目元に、白髪交じりの黒髪、目尻の笑い皺と貫禄ある立ち姿。蓮史の二つ下の後輩にしては随分と年嵩に見える。


「どうも。先輩から話は聞いているよ。モンタージュ作成だって?」

「ああ。此処一ヶ月、春盟地区で起きている飛び降り自殺騒動に関するものだ。この夢野が記憶しているものを描きだしてもらいたい」

「心得た。では、部屋を移そう」


 此方へ、と案内されたのは先ほど曲がってきた通路の正面にある部屋だった。

 室内は洋風の内装で、革張りのソファと天板が硝子で出来たローテーブル、足元は板張りだが一面絨毯が敷かれており、冬でも冷気が上がってくることはなさそうだ。壁際のラックにはなにかの賞で得たと思われるトロフィーや盾が並んでいて、目線の高さに一つだけ猫の写真立てが置かれていた。

 周囲を良く見ると、飾られている絵はどれも同じ猫を描いたものばかりだ。小柄な三毛猫で、左目を囲うように大きな黒縁模様がある。


「その子は、うちの子なんだ。子供の頃からの付き合いでね」

「へえ、いい毛並みだな。名前を伺っても?」

美桜みお。美しい桜と書く。出会ったのが桜の木の下だったんだ」

「なるほど、名前も良いんだな」

「さあ、立ち話もなんですしどうぞ」


 ソファを薦められて二人が腰を下ろすと、正面に静烽も腰を下ろした。其処へ扉が開いて、丸いお盆を持った先ほどの子供が入ってきた。お盆の上には湯飲みが三つ。一つは円筒形の無骨な灰色の湯飲みで、釉薬が垂れたような翠色の模様がある。他の二つは茶托がついた来客用の口広茶碗で、青白い肌に藍色で花が描かれている。

 三人分のお茶がそれぞれの前に置かれ、テーブルの中央に敷かれた白い円レースのクロスの上に菓子盆が置かれる。内容は個包装の小さな和菓子で、何処か懐かしさを覚える光景だ。


「どうぞごゆっくり」


 三人分のお茶を並べ終えると子供は丁寧にお辞儀をし、部屋を出ていった。

 静烽はお茶を一口啜り、浅く息を吐く。ことりと微かな音を立てて湯飲みを置き、徐に書斎から持ってきていたスケッチブックと鉛筆を膝上に構えた。


「さて。先輩からは二枚と聞いているけれど」

「ああ。一枚は春盟地区飛び降り現場にいた人物、そしてもう一枚は……飛び降りの現場で不審な動きを見せた、恐らくは超常の存在と思われる人面の虫だ」

「人面虫……? それはまた、変わった依頼だね」


 鷹揚に言いながら、静烽は鉛筆を紙上に添えた。


「では、特徴を伺おうか。まずは現場にいたという人のほうから」

「はい。よろしくお願いします」


 まず静烽が質問をして、それに愁作が答える。輪郭は、目の形は、肌色は、鼻は、唇は、大まかにどんな形かを聞いて描き、一度見せたら細部を修正していく。目鼻の位置、唇の厚さ、髪型、髪色、耳は見えていたか。幾度もの修正を重ねて記憶の男を形にしていく。

 紙面を走る鉛筆の乾いた音と、静烽と愁作の手短な会話。合間に時計の分針が進む微かな音が聞こえ、時折手持ち無沙汰な雪乃がお茶を啜る。

 静かに、ただ静かに時間が過ぎ、やがて一枚の似顔絵が出来上がった。


「これは……白黒なのに、実写みたいですね」

「ありがとう。記憶とは相違ないかな?」

「はい。細部まで本当にそっくりです」


 完成した人物画は、写真をモノクロ加工したかのように写実的だった。髪の流れや肌の質感、冬用ニットのやわらかそうな手触りまで、見事に再現されている。

 件の人物は小鼻の左側に小さなほくろがある二十代半ばほどの男性で、髪は脱色を重ねたような乾いた金髪。無造作にセットされた髪型と派手目の服装、そして耳殻に並んだ左右で九個ものピアス。スマートフォンも最新型で、夢中になって飛び降りの現場を撮影、実況していたことから、普段から動画投稿や生配信をしている可能性がある。

 出来上がった絵をスケッチブックから破り取って傍らに置き、再び鉛筆を構えた。


「では、次は人面虫のほうを」

「はい」


 先ほどと同じ手順で、愁作の語る特徴を聞きながら静烽が鉛筆を走らせる。小さな手のひらサイズほどの蛾に似た虫だったが、その顔と手は人間のものだったという。前回に引き続き、虫のような人のような奇怪な生物を直視する羽目になった愁作は、時折気分が悪そうな表情を浮かべつつも記憶を明確に呼び起こしていった。

 そうして出来上がった二枚目の似顔絵を見て、愁作だけでなく雪乃も眉を寄せた。


「こう言ってはなんだが、特徴らしい特徴のない顔だな」

「そうですね……綺麗ではあるんでしょうけど、だからこそというか……整いすぎているというか」

「まるで無地の面のようだ」


 虫の顔は、つるりとした肌にスッと通った鼻筋、薄くも厚くもない唇に、目立った特徴もない一重の目元。強いて言うなら女の能面が近い。


「ともかく、この二枚は二人に預けるよ」

「すまない。代金は……」

「先輩から受け取るから大丈夫。まだまだ調査があるんだろう?」


 二枚の画用紙を受け取ると、雪乃と愁作は改めて深く頭を下げて礼を言い、静烽の家をあとにした。見送りには給仕をしてくれた着物の子供も来ており、静烽の傍らに控えるようにしながら手を振ってくれた。


「事務所に戻ったら蓮史にコピーを送る。我々でも調べるぞ」

「はい」

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