人間球体論
私が常々考えているのは、人間は「球体」である、ということだ。人間が球体「であった」と考えるのはプラトンの説だが、私の場合はそれとは全く異なる考えであることをまず言っておく。
さて、人間は球体である。人は他人と接触する際、その球体のとある一面だけが見えるように常に気を使っている。そして相手も同じようにしている。目は一対しかなく、一人が一度に立てる位置も一か所だけなので、人もその相手も、一度にお互いの一面しか認識することが出来ない。
時々、球体がくるっと回って裏の面を晒す場合がある。それはその人が隠していた、いわゆる「裏の顔」が露呈するような場合である。この時、人は裏の面を目にすると、それが相手の本性に違いない、と思い込みがちである。それは普段見えない面だからである。それが真新しく映り、さらに表とはかけ離れた色をしているからである。しかし、裏面=その人の本性、ではありえない。その人の本性とは「球体それ自体」であり、裏面ではありえないのだ。普段は見れない月の裏面が月の真の姿ではないように。あなたが球体(本性)をその視界に収めている以上、表面もその人の「本性の一部」であり、裏面もその人の「本性の一部」である。どちらかが「真の姿」である、ということはない。もし、その人の真の姿、つまりその人の本性を知りたいのであれば、球体のあらゆる面を一度に視野に収めるしかない。しかし、それは不可能である。なぜなら前述のように、人の目は一対しかなく、一人が同時に立てる場所も一か所のみだからである。ゆえに人は、相手を100%理解することは出来ない。
しかし、努力すれば99%までは理解することが可能である。相手という球体が回るのを待つのではなく、自ら立ち位置を変えて、様々な面を眺めてみるのである。そして、同時にあらゆる面を見るのは不可能でも、記憶することは可能である。違う一面を、自ら一歩踏み出し立ち位置を変えて観察し、記憶にとどめ、その上でまた別の面を見る。こうすることで、仮想的にだが、同時に様々な面を一挙に視界に収めることが出来る。しかし、記憶とは曖昧で移ろいやすく、薄れるものである。さらに、見る面を取りこぼしてしまうこともある。ゆえに、この方法をとったとしても、その人を完全に理解できるわけではない、ということに留意すべきである。
パイオニアの周遊 トロッコ @coin_toss2007
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