第1章 6-1 鳳家の謎
皆に秘密を話してから、私の仕事は楽になった。
考えて話さなくても良くなったからだ。今までは、説明する時、頭で考え、言葉を変換しながら喋っていた。
勿論、今でも師匠達が分からない言葉は変換しなくてはいけないが、変な言葉を使っても、周りを気にしなくて良くなったからだ。
石鹸の工房も郊外に新しく建てられる事になり、然周(ゼンシュウ)様がドタバタと工房を行き来している。
石鹸は貴族のお嬢様方に大人気で、うちの工房では、もう手が足りないのだ。
師匠は、石鹸の型を新しく作っている。花形だけでも数十種類。元々、木型を作るのが好きな人なので、楽しんで作ってはいるようだが、型は他の工房に頼んでも支障はないのに、今も自分で作っている。
そのうち飽きるだろうと、今は見守っている段階だ。
鉛筆はまだ、商品化してはいない物の、宇航(ユーハン)様も朱家の事務方にも人気で、商品化して欲しいという声も上がっている。
が、取りあえずは石鹸の工房が出来て、落ち着いたら、商品化も考えようと思う。
とにかく、私の周りが忙しすぎて落ち着かない今、鉛筆まで商品化したら、然周(ゼンシュウ)様が灰になってしまう。
季節は、本格的な秋を迎え、時々冷たい風が吹くようになった。
それでも、朱有は黄仁の南に位置するせいか、黄泰にいたときよりは、まだ暖かさが残っている。
紅葉や銀杏はまだ色づいてはいないが、竜胆や金木犀、彼岸花が咲き始め、風の薫りも変わった。
少しずつではあるが、季節は変わりつつある。
華羅はこの頃、やけに流暢に話すようになった。前のままの方が、可愛かったが、それは本人に言うと傷つきそうなので、胸にしまっておこう。
「桜綾(オウリン)、師匠が呼んでる。宇航(ユーハン)も一緒にいるから、師匠の部屋に来いって。」
そう思っている矢先に、華羅が私を呼びに来た。相変わらず、フォルムは丸いし翼も短い。話し方だけ変わった感じだ。
まるで、子供が成長して行く過程を見ているような気分になる。
(子供産んだことないから、ほんとの所はわからないんだけど。)
自分の思いに、突っ込みを入れながら、肩に乗っかって、私の顔に頭をグリグリ押しつけてくる華羅の背中を撫でながら、立ち上がる。
「何かあったのかな?二人揃ってなんだろ・・・」
「知らないけど、宇航(ユーハン)、不機嫌だった。」
「華羅、宇航(ユーハン)じゃなくて、様を付けなさい。宇航(ユーハン)様でしょ?」
「宇航(ユーハン)がそう呼んで良いって言った。だから宇航(ユーハン)。」
変なところで頑固なんだから。普段は言うことをよく聞くし、良い子なのに。
華羅と話をしながら、師匠の部屋までたどり着くと、軽く戸を叩く。
「桜綾(オウリン)か?入れ。」
宇航(ユーハン)様がそう言ったのを聞いてから、扉を開ける。
「私をお呼びだそうで・・・」
師匠の隣の席に着くと、確かに二人とも険しい顔をしている。
(私、また何かやらかしたかな・・・最近は大人しくしてるんだけど・・・)
「桜綾(オウリン)、君に報告がある。」
いつになく真面目で固い口調に緊張する。
「少し、不快な話だがな。」
師匠も声が低い。という事は、怒っているんだろう。
二人がこんな感じになる事なら、よっぽどの事なのだろうが、全く心当たりがない。
「あの・・・私、何かやらかしました?」
「いや、君がどうということではない。その・・・春燕(シュンエン)のことなんだが・・・」
その名を聞いて、背筋が凍るほどの寒気が襲う。今度はなんだというのだ。
「実は、春燕(シュンエン)が文葉(ブンヨウ)と共に莫家から姿を消した。方法は分からない。が、今のところ、実家にも帰っていないようだ。」
「それは・・・どういう・・・」
病気で伏せっていたはずの春燕(シュンエン)が、莫家から消える事などありうるのか・・・使用人が許可なくその家を出れば、待っているのは牢屋か僻地送りだ。さすがの春燕(シュンエン)もそのくらいは分かっているはず・・・
「詳細は今、調べている所だが・・・この件に論家はどうも関係していないようなのだ。」
論家が関係していない?それなのに、どうやって抜け出した?いや、今どこにいるというのか・・・
「春燕(シュンエン)がいなくなれば、俺だって実家を疑う。だが、論家を調べた大理司からの知らせでは、春燕(シュンエン)の失踪に、父親も驚いていたようだと。そう聞いた。」
師匠はそういうが、上手く隠しているだけではないのだろうか。
「論家の屋敷は勿論、別宅や、その他の空き家なども探してはいるが、見つかっていない。」
「いつ?いつ、いなくなったのですか?」
「約15日程前だ」
15日・・・私の誕生日ぐらいか。都も中秋節を控えて、多くの人出があったはずだ。それに紛れたか・・・
しかし、もし本当に論家が関わっていないとしたら、一体、どうやって逃げた?
「まだ都からの連絡はないが、注意はしておいた方がいいと思って、憂炎(ユウエン)とも話し合って、君に話しておこうと、いうことになったんだ。ここまで来るとは思えないが、念のためだ。」
その言葉に再び、背筋が凍る。体が固まり、言葉が出てこなくなる。
「桜綾(オウリン)、大丈夫。僕が守るから。」
華羅は話を理解してそう言っているのか、私が怖がっているのを感じて言っているのかは分からないが、一生懸命に私の耳元で話す。
だが、トラウマというのは、自分が思いもよらない所で発動するようで、私の筋肉が動くのを拒否してしまっている。
まるで金縛りに遭ったようだ。脳内では、あの殴られ、蹴られている時の、春燕(シュンエン)の細く光る目と笑みを浮かべる唇が駆け巡る。しっかりしなくてはと思えば思うほど、硬直してしまう。
息が出来ずに、苦しくなる。
「桜綾(オウリン)、しっかりしろ!落ち着いて息を吐くんだ。いいかい?背中を叩くから、それに合わせて息を吐け。」
宇航(ユーハン)様が、私の背中を優しく叩く。宇航(ユーハン)様の手に合わせて息を吐き出す。それからもう一度、息を吸う。
それを一時続けて、漸く、呼吸が楽になった。
筋肉の緊張もほどけ、何とか体を動かすことも出来る。
「急に話してすまない。だが・・・」
「すいません。もう大丈夫です。取り乱しましたね。自分ではもう大丈夫だと思っていても、体が反応してしまって。」
急須からお茶を注いで、一口飲み込んだ後、宇航(ユーハン)様達に言う。
「つまり、春燕(シュンエン)と文葉(ブンヨウ)が逃げ出して、行方不明で、私の所へ来る可能性があると言うことですか?」
「その可能性は否定できない。お前を逆恨みしている可能性もあるからな。」
でも宇航(ユーハン)様が言うように、ここまで来るのは難しいだろう。まず都から出られる可能性も低い。
通行書をとるにしても、誰かの手助けが必要だ。
でも、父親ではなくても、他に手助けした人間がいたとしたら・・・
そう考えると、師匠が言うように、可能性はなくはない。だが、今はどうすることも出来ない。
「とにかく、単独での行動は慎む様にしてくれ。決して一人にならないように,気を付けて欲しい。」
宇航(ユーハン)様の言う通り、今はそれしか方法がない。
「私は皇居へ出向かなければならない。1月半程は、朱有を留守にする。その間、外に出るときの護衛は増やしておいた。皇居での勤めが終わり次第、こちらへ戻るが、何かあれば、必ず優炎か炎珠(エンジュ)に報告するように。」
心配しすぎだとも思わなくはないが、私自身も恐怖を感じていたし、異論はない。
「わかりました。何かあれば必ず相談いたします。宇航(ユーハン)様もお気をつけて。」
それだけいうと宇航(ユーハン)様は部屋を去っていった。
一難去ってまた一難。春燕(シュンエン)達には本当に頭を抱えさせられる。
しかし、宇航(ユーハン)様も忙しい。この間、黄有に出向いたのに、また出向くとは、領主とは本当に大変な仕事なのだと、改めて感じる。そのうえ、私達の商売まで取り仕切っていては、余計に大変ではないかと思うが、他に誰か任せられる人はいないのだろうか・・・
私も師匠の部屋を出て、内工房へと出向く。
今日は、然周(ゼンシュウ)様と材料についての基本を教えてもらうことになっている。
書物でいくらかの知識はあっても、私の知っている材料と名称が違うものもあり、とにかく、現場で実際に見ている然周(ゼンシュウ)様に教えを乞う事にした。
私が行くと、もう然周(ゼンシュウ)様は来ており、お茶を飲んでいた。
「遅れてすいません。」
「おう、来たか。事情は聞いた。そんなに待ってもおらんし。で、今日はわしに材料の事を教えてほしいって?」
「そうなのです。あまり材料には詳しく話していなかったので、どんなものがどれくらい採取できるのか、前よりももう少し詳しく聞きたくて。」
華羅は然周(ゼンシュウ)様の前に置かれた菓子が気になっているらしく、そこへ飛んでいく。然周(ゼンシュウ)様がそれを差し出すと、喜んで食べ始めた。
私は然周(ゼンシュウ)様の前に腰掛け、聞く体制に入る。
「どう詳しく話せばいい?まずはそっちから質問してくれ。それに答えたり補足したりでいいか?」
「はい。それで十分です。」
まずは鉱石の類から質問を開始した。
黄仁には多くの山が存在し、鉱石や宝石の類は他の国よりも豊富にあるようだ。鉱石は銅、鉄、銀、金の他、石灰石や石英、鉛、すず、花崗岩や孔雀石、宝石では七光石(ダイヤモンド)紫鉱石(アメジスト)緑鉱石(エメラルド)紅鉱石(ルビー)などは希少ではあるが、採れる事があり、他にも用途不明な鉱石らしきものも発見されてはいるが、不用品として捨てられる。
鉄を加工したものには鋼があり、セメントの様な物は聞かれなかった。
ガラス製品は国外から多少の入ってくるものの、国内で作っていることはなく、希少価値が高い。
西に砂漠地帯があるので、珪砂は手に入るはずだが・・・
技術面においては、鉄を加工するだけの温度は扱えるということ、陶器などの焼き物については、日本とそう変わりはなさそうだ。焼く方法は違うようだが。宝石については、そのままの形で使われることが多く、研磨できる素材は限られるという。
燃料は主に木炭で、鉱石の加工には石炭が使われるようだ。稀に黒油と呼ばれる液体が発見されるが、その量は少なく、手に入ることはまずない。多分石油のことだと思うのだが・・・
黄仁では主に建物を木材で建築する。木材は特殊な物でない限り、手に入れるのは、難しくなさそうだ。技術も大工は多いし、細工師も多い為、よっぽど複雑でない限りは、加工できるだろう。
石材もそれなりには、加工ができるようだ。
町には石畳が引かれている場所もあるし、階段なども石造りのものが見受けられる。真っ平にするのは難しそうだが、それなりに平らになるよう、加工されている。
また衣服に関して言えば、生地は麻、木綿、絹で、染色に使われるのは主に植物。お香や薬も植物から作られる。植物については、種類が多すぎて把握しきれないからと、それについては、また後日、薬師をこちらへ派遣してくれるという。
食事は、それほど困った印象はない。日本にいたころと同じような調味料があるので、味の濃い薄い、の違いはあっても、気にはならないが、他国の食が入り交じって、多くの種類があった日本に比べれば、物足りない気もする。
医療に関して言えば、対処療法が主な治療法で、高度なものは少ない。針や灸などもあるにはあるが、それも結局、対処療法で、手術や傷を縫うなどの方法は確立されていない。また、ウイルスや菌などの知識はなく、精神を病んだりすれば、祈祷師が呼ばれたりすることもある。消毒や清潔の大切さの知識もなく、医療に関しては、必要最低限な知識もないようだ。
それは何となく分かってはいたが・・・
話を聞いていれば、まだまだ作れそうな物は多いと気がつく。
しかし、何を作るべきかは、やはりその時に応じて作る以外なさそうだ。
基本の材料の説明をあらかた聞いていたら、外はもう暗くなってしまっていた。
「申し訳ありません。大変、お時間を取らせました。良ければ夕食はここで食べていってください。」
「いや、役に立ったなら、それでいい。食事は遠慮なく頂こう。」
そう話した所へ、灯鈴(トウリン)が来たので、食事の準備をお願いした。いつもより遅めの食事なので、皆、食べたのかと思っていたら、師匠達もやってきて、一緒に食事の席に着いた。
どうやら、待ってくれていたようだ。
華羅は一頻り、おやつを食べていたのに、夕食は別腹と言わんばかりに、机の定位置について、運ばれてくるのを待っている。こんなに太って・・・いや、ぽっちゃりで病気にならないか心配ではあるが、初めて会ったときと、見た目は変わっていないので、元々こういう体型なのだろう。見た目が変わるようであれば、注意すれば良いことだ。
ルンルンで食事を待つ華羅の前に、夕食が置かれると、皆に食べ物が渡るのを待って、食事に手をつける。
こういう所は律儀だ。
皆で食事を取り終えると、師匠と然周(ゼンシュウ)様の飲み会が始まったので、然周(ゼンシュウ)様にお礼だけ言って、その場を後にした。
宇航(ユーハン)様は、今頃どうしているだろうか。
そう言えば、私は乗馬を習っていなかった。馬に乗って駆けたらきっと、楽しいだろう。
(炎珠(エンジュ)にでも習うか・・・この足でも乗れるかな?)
明日にでも聞いて見よう。そう思いながら、流れる星を見つつ、部屋へ戻った。
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