第1章5-7

宇航(ユーハン)様が戻ってきたのは、私が目覚めて10日ほどたった頃だった。

鉛筆の出来具合を師匠と試しながら、使い方や色の濃さの相談をしていた時、突然、走る足音と共に現れたのだ。

宇航(ユーハン)様に気がついて、挨拶しようと立ち上がった瞬間に、抱きしめられた。

その展開に、私も師匠も驚いたが、急なことで対処できない。

「無事で良かった。」

目をひんむいている私にはかまわず、開口一番にそう言われる。それから私を離して、腕の傷を確認する。

「痛かっただろう・・・。色々すまない。護衛が十分ではなかったな。」

宇航(ユーハン)様が謝ることなど何もないのだが・・・

その様子を見ていた華羅(カラ)が、私の肩に飛んできて、嘴で宇航(ユーハン)様を威嚇する。

「誰?コイツ知らない。でも皆と違う匂いする!誰?」

華羅(カラ)が嘴で宇航(ユーハン)様を攻撃する前に止める。

「華羅(カラ)、この方は宇航(ユーハン)様だよ。私を助けてくれた人。私の味方だから、威嚇しちゃ駄目。」

華羅(カラ)に驚いたのか、握っていた私の腕からパッと手を離した。

「この鳥は?匂いが違うってどう言う意味だい?あ、いや、その前に喋っているのか?」

珍しく宇航(ユーハン)様が焦っている。

ん?華羅(カラ)の言葉が分かるの?

「宇航(ユーハン)様、華羅(カラ)の言葉が分かるのですか?」

「あっああ、分かるというか・・・いや、そもそもこの鳥はなんだ?」

「さぁ。私にも分かりません。倒れて起きたら、もう居たので。でもかわいいし、ここに居たそうだったので、置いてもいいですか?面倒は私が見ますから。」

小学生が犬を拾ったときに言うような頼み方になってしまった。

「いや、置くのはいいが・・・それよりも、この鳥はどこから来た?」

「華羅(カラ)は華羅(カラ)なの!鳥じゃないの。僕は気づいたらここにいたの。桜綾(オウリン)の側がいいの!」

一応。宇航(ユーハン)様の質問に答えようとはしているようだが、宇航(ユーハン)様は逆に混乱しているように見える。

「あぁ華羅(カラ)・・・というのだな。」

それっきり黙ってしまった。

「お前ら、何話してるんだ?鳥が喋るとか何とか・・・鳥ってコイツか?」

師匠が華羅(カラ)を横からつつくが、華羅(カラ)は何故か喜んでいる。

華羅(カラ)が師匠を気に入っているのは、なんだかんだで、華羅(カラ)の寝床や止まり木や玩具を作ってくれたからだ。

それからは師匠にも何をされても、喜ぶようになったが、声は聞こえていない。

「ああ、いや、憂炎にはどう聞こえるんだ?」

「チーチーとかチュンチュンだな。怒ってるときは猫みたいにシャーって言ったりしてるが・・・」

私も同じ質問を最初に灯鈴(とうりん)にした。やはり、ここでは、私と宇航(ユーハン)様以外には声が聞こえないらしい。

「そうなのか・・・桜綾(オウリン)には分かるんだな?華羅(カラ)が何を言っているかが。」

「分かりますよ。でも、こんな鳥は見たことがなくて・・・でも悪い子じゃないんです!ずっと私の側にいますし、別に悪さはしません。」

「えっコイツ喋ってるのか?」

師匠が今度は驚く。反応を見ていたら、師匠も聞こえてないようだったので、敢えて華羅(カラ)が話しているとは言っていなかった。

だから、私達の会話を聞いて驚くのも無理はない。

「華羅(カラ)は鳥じゃないよ。華羅(カラ)だよ。」

鳥と言われるのが、どうも嫌らしい。会話の腰は折ってくるが・・・悪気はない。

「今は何て言ったんだ?」

「華羅(カラ)は鳥じゃないって。鳥って言われるのが嫌みたい。」

師匠は宇航(ユーハン)様の方を見て確認するように視線を送る。それに気がついた宇航(ユーハン)様は大きく頷く。

「お前、実はすごいやつなのか?」

華羅(カラ)は師匠にすごいと言われて、喜んでいる。宇航(ユーハン)様はその様子を見ながら、じっと華羅(カラ)を観察しているようだ。

「華羅(カラ)は、五色で体が覆われているな。尾も長い・・・」

宇航(ユーハン)様は私の肩に止まっている華羅(カラ)を見回しながら、品定めをしているような目つきでこちらを見ている。

華羅(カラ)は嫌そうだが、宇航(ユーハン)様は興味があるようだ。

「華羅(カラ)は桜綾(オウリン)にしか乗らないのかい?私の手に乗ってみて欲しいのだが?」

「華羅(カラ)は、桜綾(オウリン)と一緒。でも少しなら乗ってあげてもいい。」

何て失礼な事を・・・しかも上から目線で話してるし・・・

「じゃあ、ここに乗ってみてくれないかい?」

華羅(カラ)の言葉には動じず、右腕を華羅(カラ)の前に差し出すと、華羅(カラ)は羽をばたつかせて、宇航(ユーハン)様の腕に止まる。

それをいいことに、今度は宇航(ユーハン)様が華羅(カラ)を、上から下までしっかりと観察し始める。

その上、そこに師匠まで加わって、ああだ、こうだと話ながら、華羅(カラ)を調べる物だから、途中で華羅(カラ)が逃げてきた。

「華羅(カラ)は、見せものじゃない。華羅(カラ)は桜綾(オウリン)がいい。」

華羅(カラ)は私の頬に頭をぐりぐりしながら、宇航(ユーハン)様達に不満を言う。

確かに、あんなにジロジロ見られたら、いい気はしないだろう。

「あの・・・華羅(カラ)も嫌がってるので、この辺にしてもらっていいですか?私も作業に戻りたいのですが・・・」

そう言われて、我に戻ったのか、宇航(ユーハン)様が慌てて引き留める。

「あぁ。あまりにもビックリしすぎて、華羅(カラ)の事ばかり、話してしまったね。大事な事を話に来たのに。作業に戻るのは、もう少し待ってもらっていいかい?」

そういうと、工房の外にある椅子に腰を掛ける。

それを見計らったかのように、灯鈴(とうりん)がお茶と菓子を運んできた。

(侍女の鏡だな。うん。)

「久しぶりに興奮してしまった。炎珠(エンジュ)、鈴明(リンメイ)、いるか?」

そう呼ばれて、炎珠(エンジュ)は私の部屋から、鈴明(リンメイ)は自室から、宇航(ユーハン)様の側へやってくる。

ここに工房の全員が集まる形となった。

「私がいない間に、色々あったようだが、それについて話したい。」

宇航(ユーハン)様はそういうと、静かに茶を一口飲んだ。華羅(カラ)は私の肩で菓子を上手に食べながら、大人しくしている。

「莫家から報告があった。」

その内容は、春燕(シュンエン)と文葉、そして父の現状だった。

事実、春燕(シュンエン)は使用人の部屋の一室で寝込んでいるらしい。医者の話では、脈は落ち着いているが、急激に痩せたせいで、気が乱れているという事だったらしい。それで、莫家の使用人頭が滋養の薬と食事を与えたらしいが、口に合わないと拒否しているらしい。食事は2食で、十分な栄養を取れる物を用意しているという。週1回は鳥肉や魚も出されているし、米や麦などの穀物もしっかり出されている。他の使用人達の健康被害はなく、たまに風邪をひく者がいれば、きちんと医者に見せ、薬も処方されている。休んだ分、給金は減らされるが、使用人としての待遇は悪くない。

確かにお嬢様として育った春燕(シュンエン)にしてみれば、狭い寝床で寝かされるのも、労働を強いられるのも、食事が質素なのも初めての経験だろうし、あの性格ではプライドがズタズタにされたことだろう。

しかも、お嬢様気質が抜けないせいで、周りの使用人達からも煙たがられているらしい。

私には、春燕(シュンエン)が莫家を出たいが為に、あえて食事をしていないのではないかとさえ思える。

正直、莫家も手を焼いていて、他の使用人からも不満が出ているが、このまま食事を取らないと、死んでしまう可能性もあり、対処に困っているらしい。文葉は、食事はしているようだが、こちらも気位ばかり高く、しょっちゅう仕事をさぼり、罰を受けているようだ。母には1日に判刻だけ会う許可を出しているが、こちらに文をどうやって出したのかは、文葉が口を開かないため、分からないらしい。

論家は春燕(シュンエン)の状況を、同じく文葉の文で知り、娘を助けるべく、方々に手を回しているようだが、朱家に逆らうほどの力の持ち主はおらず、仕方なく、宇航(ユーハン)様に直談判すべく、こちらへ使者を送ったようだ。

父は今のところ、他の罪人と同じように働いているが、問題は起きていない。騒動も起こしてないようだ。

「莫家には負担を掛けているが、論家に帰せば、戻ることはないだろう。病気だと偽って、帰さないのは目に見えている。」

確かにその可能性の方が高い。だが、私に断られた今、論家がどう出るのかと言う方が問題だ。

論家はあれから沈黙している。もう術がないと諦めたのか、それとも・・・

「論家には見張りを立てておいた。何かあれば、報告が来る。当分、私も朱有にいるから心配はない。だが、予想外のことが起きる可能性もある。桜綾(オウリン)の身辺には気を付けてくれ。」

炎珠(エンジュ)もいるし、工房にも護衛の人が巡回してくれているし、門番さんも見張ってくれているのに、これ以上何に気を付けろと?

「桜綾(オウリン)、特に君は単独で街へ行くなど、絶対にしないように。必ず、炎珠(エンジュ)と護衛を連れて行くように!」

痛いところを突かれてしまった・・・

「はい。二度と一人では行きません。なるべく、然周(ゼンシュウ)様に材料を手配してもらいます。」

その言葉に宇航(ユーハン)様は頷くと、取りあえず私達は解放された。



鉛筆はことのほか上手くいった。墨は入れすぎると柔らかすぎるので、多少、調整はしたが、試作第3号で、私の思った濃さで強度がある鉛筆になった。鉛筆削り何てものはないが、小刀で簡単に削れるので、手間はない。

これには思った以上に、師匠が大喜びで、木材に印を付けたり、図面に書き加えたりするのに便利だし・・・で、試作品3号は師匠が持って行ってしまった。

だが、木材で外側を沢山作ってくれたので、私の分は少し遅れてもいいかと、今は自分の分を作っている。

石鹸も宇航(ユーハン)様の許可を得て、無事に商品化が進んでいる。貴族様達への商品は、なんと、炎麗(エンレイ)様が間に立ってくれることになった。ただし、石鹸の新商品は、まず炎麗(エンレイ)様に献上することが条件だ。

お世話になっているので、それくらい何でもないが、炎麗(エンレイ)様の手を煩わす事にならないか心配した。

だが、どうやら貴族の奥様方に商品を紹介するのが、ことのほか楽しいらしく、私達よりも炎麗(エンレイ)様に売ってもらった方が、信用も付くので、一石二鳥と言ったところか・・・。

庶民用の方は、丸と四角型でクチナシと金木犀の香りの物は80丁、蓬の物は50丁で売る事になった。蓬は薬用にもなるので、多くの人が手に取りやすく、尚且つ、原価を割らない価格に設定した。香り付きは一個につき20丁、蓬は一個につき12丁の利益が出る。そんなに大した金額ではないが、消費する物でもあるので回転率を考えれば、悪くないだろう。

貴族様用の物は、形にこだわり、見栄えも良くして、クチナシや金木犀なら3銅丸、バラの香りは10銅丸とした。バラだけは、原価が高いため、少し高めに設定した。

形を変えただけだが、貴族様は見栄えにもこだわるので、少しだけ高くしたが、貴族様からすれば、安すぎる品物だろう。

渡すときの包装代を込めれば、これくらいだろう。

炎麗(エンレイ)様に、他に作って欲しい香りなどの意見や感想なども、聞いてもらえるようにお願いしておいた。

これで取りあえずは、商品化出来る物は卸せた事になる。

無論、石鹸も新しい工房で集中的に作られるため、私達は、新しい香りや材料の研究のみ、すればいいように手配もされた。

こんなにも大規模になるとは、正直思わなかったが。

コック付きの陶器も売れ初め、立水巾棒の利益と合わせて、私達は初めて、その利益の配当金を受け取った。なんと、金板が3枚。日本円で30万円だ。本当に自分で稼いだお金だ。

その中から、1銀板を鈴明(リンメイ)に渡す。師匠からも1銀板を渡しているので、合計2万円。

鈴明(リンメイ)は最初、受け取りを断ったが、いつも迷惑を掛けている分と、帳簿の管理費としての正当な報酬として、受け取ってもらった。勿論、炎珠(エンジュ)や灯鈴(とうりん)にも1銀板ずつ渡した。皆で作った物だから、利益も皆に配当するのは当たり前だ。

配当を渡しても私には金板2枚以上残った。28万ほどだ。

こんな大きなお金を持っているだけでも不安で、どこに保管しようか迷ってしまった。

そこで宇航(ユーハン)様に相談をしたら、宇航(ユーハン)様の保管庫で預かってもらえる事になった。銀板を3枚ほど手元に残して、後は朱家の家職に渡して、預かり証を受け取った。

仕事も一段落したし、ここ最近、色々あったので、一回、実家に帰ることにした。

実家と言っても、同じ朱有の中にあるし、往復しても1日かからないが、当分帰っていないので、休暇も兼ねて1週間ほど。

宇航(ユーハン)様に、その旨を伝えると、護衛を付ける事を条件に許可してくれた。

実家にも護衛はいるのだが、道中に狙われでもしたら大変だから、それだけは譲ってくれなかったので、受け入れる事にした。

ぞろぞろと大所帯で移動するのは抵抗もあるし、私は馬車に乗って帰るので、そんなに危険には思えないが、これも私を心配しての事だろう。

鈴明(リンメイ)と師匠は、工房で留守番。炎珠(エンジュ)と灯鈴(とうりん)、華羅(カラ)は私と一緒に、実家に行く事になった。

華羅(カラ)に関しては、どこへ行くにも一緒だが、厠にまで付いてくるので、厠の入り口に止まり木を作ってもらったほどだ。

華羅(カラ)は初めての外に興奮しているのか、馬車に乗っている間も大はしゃぎ。

華羅(カラ)は雑食で、私が食べるものなら何でも食べる。言いにくいが、鳥肉は大好物だ。

そんな華羅(カラ)からしてみれば、見たこともない食べ物が目に入る度に、あれは何か、食べたいと駄々をこねる。

全部は買ってあげられないので、串焼きとお焼きを買ってやると、機嫌が直った。

それを私の衣の上で食べるので、灯鈴(とうりん)が華羅(カラ)用の手巾を何枚も用意している。華羅(カラ)が止まる場所には必ず、その手巾を置いて、汚れが付かないようにしてくれた。

最初は華羅(カラ)を嫌がっていた灯鈴(とうりん)も、最近は華羅(カラ)に食事を用意してくれるほどになった。

華羅(カラ)も灯鈴(とうりん)の作るご飯が好きなようで、灯鈴(とうりん)が来る度に「ご飯!」といって、灯鈴(とうりん)に叫んでいる。

灯鈴(とうりん)には、その声は届いていないが、私に華羅(カラ)の言っている事が分かると、今では工房の皆が知っているので、時々、灯鈴(とうりん)は華羅(カラ)の食べたい物を私に聞いてきたりするようになった。

今も私の膝でお焼きを食べている華羅(カラ)を見ながら、微笑んでいる。

何はともあれ、華羅(カラ)が受け入れられて良かった。

華羅(カラ)がお焼きを食べ終えた頃、馬車が止まり、炎珠(エンジュ)が屋敷に着いたことを、伝えてくれる。

華羅(カラ)に、残りは私の部屋に着いてからねと伝えると、黙って肩に移動した。

灯鈴(とうりん)と私が馬車から降りると、すでに母が門の前で待ち構えていた。

私の姿を見るなり、駆け寄ってきて、抱きしめられる。

(朱家の人のスキンシップは何故、こんなにも大袈裟なのだろう・・・)

そう思いながらも、母の温かさは嬉しかったりもする。

「桜綾(オウリン)、誰?」

肩から頭に移動した華羅(カラ)が聞いてくる。

「華羅(カラ)、私のお母様だよ。お母様、この子が華羅(カラ)です。」

そう言って頭の上を指すと、今度は華羅(カラ)を抱き上げて、頬ずりし始める。

「あなたが華羅(カラ)ちゃんね。まぁ何て、かわいらしい子なのでしょう。華羅(カラ)ちゃんは桜綾(オウリン)と会話が出来るのでしょ?なら、私とも仲良くしてくれるかしら?」

母がそういうと華羅(カラ)はまたも上から目線で答える。

「桜綾(オウリン)の味方?おいしい物くれたら仲良くしてもいい。」

「お母様は私の味方だよ。お母様、華羅(カラ)はおいしい物をくれるなら、仲良くすると・・・」

「勿論、用意させるわ!それより取りあえず中に入りましょう。疲れたでしょ?」

(いや、引き留めたのはお母様だし、疲れるほど距離はないのだが)

門をくぐると、何だか色々と飾り付けが進んでいる。

(何かあるのかな・・・あぁ、中秋節か!)

今年の中秋節は申月の21日。日本で言う十五夜だ。黄仁では中秋節を祝う行事がある。家族と共に月餅を食べる日。

これは桜の知っている中国という国にもあったお祭りだ。

私が胡家にいた頃にも毎年あったお祭りだが、屋敷から出ることは出来ず、月餅も食べることなく、塀の上から見える天灯を眺めるのが私の中秋節だった。

朱家の屋敷では3日後に控えた中秋節の準備のため、門先から提灯が飾られ、垂れ幕やら、縁起のいい剪紙を飾ったりしている。

朱雀や幸の文字、金魚や兔などの可愛い剪紙もある。

そこを通って自分の部屋へとたどり着く。

荷物を下ろして、机に腰を掛けると華羅(カラ)が膝の上へ乗る。母も一緒に腰を掛けた。

「お母様、中秋節の準備ですか?」

「ん?あぁまぁ、中秋節の準備でもあるけど、明日の為の準備よ。」

明日?

ぽか~んとしている私を、母が不思議そうに見る。

「もしかして・・・桜綾(オウリン)、明日がなんの日か分からないの?」

「えーっと・・・明日・・・は、なんの日ですか?申月の19日・・・あ!もしかして、私の・・・」

忙しさもあるが、いつも自分の事なんて忘れてしまっていた。

いつもいつの間にか過ぎていて、気がつくと歳を取っている事が多い。

「私の誕生日・・・ですよね?」

「もしかして、忘れていたの?母はてっきり、誕生日だから帰ってきたのかと思っていたのに。」

母が驚いた様な顔でこちらを見る。

「すっかりと。いつもは、いつの間にか歳を取っていたので・・・」

「いつの間にかって・・・誕生日は何をしていたの?」

「別に、これと言って何も。敢えて言うなら仕事・・・です。」

私の誕生日なんて誰も覚えてはいなかった。自分さえ忘れてしまうくらい、忙しい毎日だったし。食べるだけに必死で、そんな物にかまけている暇などなかった。

「何てひどい・・・。明日は今までの分、しっかり楽しまなくちゃ。今日の晩にはお父様も帰ってくるから。」

そういってまた私を抱きしめる。

華羅(カラ)は私の肩で、「明日はご馳走?」なんて気の抜けた事を言っているが、何だか自分の誕生日を祝われることに、現実味がなくて、不思議な気分だった。

「桜綾(オウリン)も17歳になるのね。もう立派な女性だわ。そろそろ結婚も考えなくてはね。でも、もう少し私達の側にいて欲しいわ。でも好きな人が出来たら、ちゃんと教えてね。」

「お母様・・・私は、嫁に行く気はないのです。何せ、この体ですから。今はお母様やお父様と一緒にいたいし、商品も開発しなきゃ!ですしね。」

自虐的といえばそうなのだろうが、事実、この国でも容姿を重視する傾向にある。それはどこの国でも同じだろう。文化が違えば、美に関する嗜好も変わるが、黄仁では、体型はある程度、肉付きがあり、色白で、背丈のある女性が好まれる。つまりグラマーな方が好まれる。顔に関しては、それぞれの好みがあるが、目は切れ長で鼻筋の通った顔・・・可愛いよりも、綺麗と言われるタイプの女性が人気だ。

実際、街を歩けば、妓楼の入り口に立っている女性は皆、そんな感じだったし、男性の目線は、そういう女性の方に集まることに気がつく。

そこへ持ってきて私はと言うと・・・体は細く、胸は・・・言うまでもない。骨張った体格に、低い身長。肌の色は日に焼けて、お世辞にも色白とは言えない。

人の趣味は色々だろうが、こんな傷の多い体で、しかも足の悪い人間を嫁に迎える物好きはいないだろう。

「それに、結婚だけが幸せとも限りません。多くの友や家族に大事にされることだって、十分幸せなことです。」

「そうね。でも、もう少し歳を重ねれば、きっと桜綾(オウリン)を心から愛する人が現れるわ。それまでは、いえ、それからだって、私達が愛すれば良いことね。」

そういうと、母は私の肩をそっと撫でる。そんな母の肩に頭を乗せると、母は頭を撫でてくれる。

(こんなにも今、私は幸せなのだから・・・)

温かな母の手に癒やされていると、遠くからドタドタと大きな足音が響いて、近づいてくる。

そして、それは私の部屋の前で止まると、ドカッと扉が開いて、大男が侵入してきたかと思うと、私を華羅(カラ)ごと抱き抱えた。

ビックリして、母も灯鈴(とうりん)も固まってしまったが、炎珠(エンジュ)だけが笑っていた。

それもそのはず。私を抱え上げたのが父だったからだ。

「お父様!」

叫び声に近い声で父を呼ぶ。

「元気にしてたか?父は淋しかったぞ!」

相変わらず、豪快で、登場も派手だが、その後、母に叱られたのは言うまでもない。

父が落ち着いて、私を下ろした頃、華羅(カラ)が父に驚きすぎて、めちゃくちゃ文句を言っている事に気がつく。

「誰だ!桜綾(オウリン)をいじめるな!桜綾(オウリン)、コイツ悪いやつ!桜綾(オウリン)をさらおうとした!」

敵認定された父に、華羅(カラ)が嘴で攻撃を仕掛けるが、父は華羅(カラ)がじゃれていると思っているのか、物ともしていない。

その様子があまりにもおかしくて、止めるのを忘れていた。

華羅(カラ)が父に敵わず、私の元へ戻って来た所で、華羅(カラ)に父は敵ではなく、さらおうとした訳でもないと説明をした。

「華羅(カラ)はやんちゃだな。これからも桜綾(オウリン)を守ってやってくれ。」

そう父が言うと、華羅(カラ)はまた上から物を言う。

「言われなくても守る!華羅(カラ)は桜綾(オウリン)が好き。だから守る。華羅(カラ)は桜綾(オウリン)の味方!」

「守ってくれるそうです。」

ありのままを話すのも気が引けて、要約して答える。

「旦那様、お帰りは夜のはずでは?まさか・・・」

母が細い目で父を睨む。

「そう、怒るな。仕事はちゃんと終わらせた。桜綾(オウリン)が帰って来ると聞いて、急いで帰ったんだ。」

そういう父に、母も困った人とだけ返したものの、微笑んでいる様子から見て、本気で怒っているわけではなさそうだ。

別にすぐ帰るわけではないし、晩に帰ってきても、十分に時間はあるのに、私に会うために仕事を終わらせて、早く帰宅したのだと思うと、照れくさいけど、嬉しかった。

これまでに味わったことのない、感覚で、上手くは言えないが、ここにいていいんだという安心感を与えてくれる。

「旦那様、桜綾(オウリン)ったら、自分の誕生日を忘れていたのよ。私達も、宇航(ユーハン)様も知っているのに、当の本人はすっかりと。明日は、盛大にお祝いして、二度と忘れないようにさせなければいけませんわ!」

何故か張り切っている母がすごく楽しそうに見えるが、一体、盛大に何をするつもりなのか・・・

物心ついた時から誕生日に縁のなかった私には想像も付かない。

「明日はご馳走を用意しないとな!あぁ明日の晩には宇航(ユーハン)様達も来られるそうだ。客室の用意を頼む。明日は、のむぞぉ

~!!」

「旦那様!旦那様の誕生日ではないのですよ!もう。」

「ご馳走!明日はご馳走!」

母と華羅(カラ)が大騒ぎする。

おかげで嫌なことは忘れて、楽しい再会となった。

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