第五十一話 魔術オタクは不埒を働く
学外活動へ出発する朝。普段は静謐に包まれている、だが時折とんでもない騒ぎが起こるタルグーム魔法学院の学び舎はこの日、早朝から実に騒がしい空気に満たされていた。多くの人々から発せられるざわめき、それに時折混じる大きな掛け声や怒鳴り声、更には馬の嘶きが「いかにも」という雰囲気を醸し出し、俺の足下をくすぐって浮き足立たせている。
(アルカライ村に出発した日の朝も、こんな感じだったか)
違うのは規模だな。学院本校舎と正門との間には広々とした前庭があるのだが、そこには四頭立ての大型馬車が何と八台も並んでいる。馬だけで合計三十二頭だぜ。当然、学院の外からこれらの馬車を運んできた人々がいる訳で、彼等が馬車の間を忙しく動き回って荷物を運び込んだり、馬の様子を見たりしている。そこに俺達一年生三十人弱と、引率の教授達十名以上が加わって、控えめに言っても大賑わいという有り様だ。
馬車は全て黒塗りで、客車が六台に貨車が二台。それぞれの側面に「二頭の竜に支えられる盾」という、学院の紋章が描かれている。こんな大貴族しか所持していないような馬車をこれだけの台数、一年生の学年行事に使うためだけに
「いやあ、壮観ですねサキ様。こんな豪華な馬車に乗るのは初めてですよ」
「いや、僕も初めてです。実家の馬車よりもずっと立派ですよ、これ」
旅立ちの準備が進められていくのを眺めている最中に、隣りに居た男子から声を掛けられた。彼の名はノアム・カラヴァン。俺の婆ちゃんの弟子であるアドラー
その出自からも分かるように、彼はアルカライ閥に属している。俺とも割と距離が近く、いつものメンバーを除けば喋る機会の多いクラスメートだ。平民の出身なので、俺やルリアに対し畏まった物言いをするのが残念な点だが、これはもう仕方ないのかも知れん。ラグ寮長みたいにフランクに話して貰えるようになるには、もう少し親しくならないと駄目だろうな。
「私は馬車なんて、学院の入学試験を受けに田舎から出て来た時に乗ったきりです。ルリア様は馬車には乗り慣れてらっしゃるんですか?」
「ん。何回も乗った」
「馬車って揺れますよね。私、あれが苦手で」
「慣れれば、平気」
俺の左側、いつもの場所に陣取るルリアに、さらにその向こうから話し掛けている女生徒。彼女はデヴォラ・ロートという名で、婆ちゃんの
ルリアと会話が成立していることからも分かるように、彼女はルリアの数少ない友人の一人だ。例のエリシェ嬢が主催する女子寮でのお茶会メンバー同士なので、自然と距離が近くなったらしい。デヴォラを見ているとさもありなんと分からせられてしまうあたり、俺も相当エリシェ嬢に染められてきている気がする。何と言うか、実に庇護欲を掻き立てられる子なのだ。エリシェ嬢とデヴォラは同い年のはずなんだが、あの変態は絶対ルリアに向けているのと同種の目線をこの子にも注いでいるに違いない。
ちなみにルリアの肩にはいつものようにイシスが、眠そうに欠伸をしながら腰掛けている。イシスのやつ、昨晩は学院の外に出れると聞いて大はしゃぎだったからな。遠足が楽しみすぎて眠れなかったとか、子供か。とはいえ、今この庭に集まっている一年生達も相当に学外活動を楽しみにしていたらしく、あちこちで欠伸をする姿が見られている。馬車に乗った途端に眠りこけてしまわないか、他人事ながら心配だぜ。
「自分は馬車自体が初めてです。本当に乗ってもいいんでしょうか?」
俺達の背後、相当に高い位置からおどおどした声が降ってくる。振り返ると、そこには身長百九十cmに近い長身の青年がいた。背が高い上に細身なので手足が長く見えるんだが、それが「スタイルが良い」とはならずヒョロガリな印象を与えるのは、全身から漂う自信無さげな雰囲気のなせる
「エリさんもこの学院の学生なんですから、堂々と乗り込めばいいんですよ。我々は同じく魔法を学ぶ兄弟、入学式の時の誓いにもあったでしょう?」
「いえいえそんな、自分のような者がサキ様と兄弟などとはおこがましい。元はと言えば、自分は農家の三男坊に過ぎませんので」
あー、駄目だこりゃ。学生同士で出自の違いはないというのが学院の方針なのに。やはり社会に出て過ごしたことがある人間は、身分社会の現実が身に沁みていておいそれと割り切れないんだろうな。
彼の名はエリ・コーヘン。これでも俺のクラスメートで、学院の一年生の中では最年長の十九歳である。十五歳が成人年齢のこの国では、もう立派な大人と言っていい。その彼が何故俺の同級生をやっているかというと、彼こそクラスでたった一人の、魔法使いの私塾出身ではない学生なのだ。
つまりは学科試験で非常に優秀な成績を修め、魔法を学ぶ機会が無かったハンデを克服した努力家である。学院都市近郊の荘園で裕福な自作農の三男として生まれたが、あまりに優秀なので周囲の勧めもあり、学院都市の商家で下働きをしながら苦学して学院に入学した立派な人物だ。
俺も前世では数年だけだが社会人をやっていた経験があり、働きながら勉学をする大変さは想像がつく。リスキルとか簡単に言ってくれるけど、そんなのは社員をきちんと定時に帰らせてから言ってほしいもんだ。退社する時「やったぜ、今日は日付が変わってない」とナチュラルに考えている自分に気づいた時は、本気でマズいと思ったもんな。
……いかん、何か黒いモノが身の内から湧き上がって来そうだ。俺は忌まわしい記憶を打ち消すように首を振ると、改めて俺とルリアの周囲に集まったメンツを見渡す。
「これから僕達五人は同じ班の仲間として、協力してこの学外活動に臨みます。是非優秀な成績を上げられるように、力を合わせて頑張りましょう」
「……」
「はいサキ様、よろしくお願いします」
「サキ様とルリア様がいらっしゃるんだから、絶対に私達の班が一番ですね!」
「足を引っ張らないよう、頑張ります」
俺の言葉に元気よく、あるいは控えめに返事をする仲間達。無論ルリアは黙って頷くだけだ。
学外活動では俺達一年生が幾つかのグループに分かれて行動するのだが、その班分けが昨日になってようやく発表された。残念ながら俺、ルリア、ロシェ、イサク、エリシェ嬢のいつもの五人組は同じ班とはならず、俺とルリアを除いてバラバラになってしまった。せっかく学院の外に出掛けて普段では出来ないことをするのだから、いつもと同じメンバーじゃ面白くないと思っていたが、
昨晩は寮でロシェから「いいですか?ルリアさんを除いた三人はサキのことをよく知らないんですから、手加減してあげて下さいね?敬語を使うなとかの無理を言って振り回したら、絶対に駄目ですよ?後は、教えてはいけないことを気軽に教えてたりしないで下さいね?それから……」と、くどいくらいに念押しをされた。イサクも心配そうに俺を見ていたし、友人間での俺の信用の無さに思わず涙しちまったよ。いや、嘘泣きだけど。
エリシェ嬢は予想通りというか、「何故
こうして俺達一年生、総勢二十八名は六つの班に分かれ、俺とルリア他三名は第一班に配属される事になった。ロシェは三班、イサクが四班、エリシェ嬢は五班だな。どうでもいいがユリは二班、取り巻き君が六班であっちもバラけてしまっている。
こうして見ると、教授陣はかなり苦心して今回の班分けを決めたに違いないと分かるな。いつも固まっているメンバーをバラけさせたり、それでいてルリアだけは俺と一緒にさせたり、俺の班が見事にアルカライ閥の学生で固められていたり。何と言うか、すごく配慮して貰っている気配がするのだ。率直に言えば、今眼の前に来たこの人に。
「おう、皆揃っておるな。もうすぐ出発じゃ、忘れたものはないか今のうちに確認しておけい」
言わずと知れたこの学院の主任教授、アハブ・アドニ・アザドその人である。
「一班の引率は儂が務める。目的地のメトゥラ砦までの一週間は、道中での講義も儂が担当するので気を抜くでないぞ」
「「「「はい!」」」」
アザド教授の発破に、俺達は揃って短く返事をする。危うく「サー!イエッサーッ!!」と返答しそうになったが、何とか思い留まったぜ。いい加減脳裏から、海兵隊ブートキャンプの幻影を振り払わないとマズいな。
やがて滞りなく準備も済み、俺達一年生は教授達に先導されそれぞれの班ごとに馬車へ乗り込む。雇われた御者さんが手綱を取り、学院の大門が静かに開いていく。こうして俺達は学院入学後に初めて外へと出る、学外活動の旅に出発したのだった。
今回の学外活動用に仕立てられたこの馬車は、非常に豪華で広い。席は前後で三席ずつの六席用意されており、座席も高く長身のエリさんが膝を曲げずに座れるほどだ。俺とルリア、デヴォラなんかは足が浮いてしまっている。座面と背もたれの部分には絹張りのクッションが設えてあり、長時間の旅程を少しでも快適に過ごせるよう配慮されていた。しかも下げ込み戸を有する窓が前後方に二面、側方に四面ついており、戸を引き下げることで明かりや風を車内に入れることが出来るという、至れり尽くせりの馬車だ。一言で言って、とんでもない。
ノアムやデヴォラは凄い凄いとはしゃぎ、エリさんは気後れしているのかしきりに身を
現在学院一年生御一行は俺達一班を載せた馬車を先頭に、学院都市の大通りを北へ向けて走っている。街行く人々が皆驚嘆の目でこの車列を眺め、それを高い所から見下ろすのは何とも心浮き立つような光景だ。思わず街の人達に手を振りたくなる気分を抑えつつ、俺は頭に浮かんだ疑問をそのまま、横に座るアザド教授にぶつける。
「ずいぶんゆっくり走るんですね。街中だからですか?学院都市の外に出たら、もっと急いで駆けるんでしょうか?」
この馬車は確かに驚くほど豪勢な造りだし、四頭の馬で引いているからスピードもそれなりに出ている。だがこんな速度では、話に聞く国境の砦まで一週間で着けるとはとても思えない。それこそ、昼夜を問わず駆け続けてもだ。しかし教授は顎髭を捻りながら、不敵な笑みで俺の問いに答えた。
「この大通りでは、そこまで速く走らせられんというのも確かじゃ。危ないからな。だがまあ
なんだよ、アザドの爺さん珍しく勿体ぶってるな。しかしそういうことなら、こちらもそれを楽しみに待たせて貰おうか。そうして俺達を乗せた馬車の列は学院都市中の耳目を集めながら、北の城壁にある貴族専用の門から外へと駆け出して行ったのだった。
学院都市を後にして、北街道を進むこと暫し。俺達は街道脇に作られている休憩所までやって来た。アルカライ村へ行った時にも見た、街道に隣接した場所を広く切り払って、旅人が休んだり場合によっては野営も出来るように整えてある場所である。
この学外活動最初の休憩ということで、学生達は皆馬車を降りて腰を伸ばしたり、街道の両脇に広がる田園風景を眺めたりしている。俺達一般のメンバーも馬車を降り、馬車に乗った感想などを言い合っているところへ、御者の人達と話し合っていたアザド教授が戻って来た。
「おうお前達、ちょっと集まれ。今から今回の旅程を可能にする秘策を見せてやろう。しかと目に焼き付けておくんじゃぞ」
そう言って教授は俺達を呼び集めると、馬車の方を向いて呪文を唱える姿勢を取った。俺は何事かと思いつつも、食い入るように教授の構えを注視する。そのままアザド教授は宙に指で二回<
「<
教授の詠唱とともに、馬車を支える車輪の一つが魔力を示す光で包まれる。<大気の膜>は第二階梯呪文だ。絶えず渦巻く風が対象を覆い、剣や槍で傷つけられるのを阻害する防御の呪文になる。特に矢などの飛び道具を風で逸らす効果があり、戦場に出る魔法使いはこの呪文と<
教授は続けて他の三つの車輪に対しても<大気の膜>を唱えると、今度は馬車を引く馬に近づいた。御者さん達が不安そうに見つめる中、教授は再び呪文の詠唱に入る。今度の<印>は青い真円が一つ、紫の楕円が二つ。三つの<印>を結んだということは、この呪文はおそらく第三階梯だろう。教授が「<
先程の<大気の膜>は、
俺は成る程と思いながら、呪文を掛け終わったアザド教授に声を掛けた。
「<加速>で馬の動きを速くし、速度を出す。馬車を速く走らせることで車輪を痛めてしまわないよう、<大気の膜>で保護する。これが教授の仰っていた秘策ですか」
周りを見渡すと、他の馬車でも乗り込んでいた教授達がそれぞれ同じ呪文を行使している姿が見える。どうして全教授の三分の一以上、十人を超える教授達がこの学外活動に同伴しているのか不思議だったが、こんな力技で旅程を短縮するつもりだったとは。
「今から説明しようと思ったが、サキに大体のところを言われてしもうたな。その通り。これは王国軍で、部隊の行軍速度を上げられないかという試みの中で生まれた手法でな。魔法で兵士の足を速めることは出来ても、補給を行う輜重部隊が随伴できなかった点を克服したものじゃ。残念ながら、数多くの高位魔法使いを揃えねばならん上に、実際に動かせる兵士の数は大したことがない。軍でも失敗扱いされておった策じゃが、学院であれば、そして運ぶのが一年生三十名程であれば、劇的な効果を発揮すると、こういうことじゃな」
アザド教授がたいそう自慢げに、胸を張って
(無茶苦茶なやり方だけど、理には
どうやら教授ご自慢の秘策は、イシスの目から見てもそれなりに効果があるものらしい。しかし馬車一台の速度を上げるのに、第三階梯呪文一つと第二階梯呪文四つが必要なのか。燃費という点では、とんでもなく効率が悪そうだけどな。ルリアならともかく、もともとの魔力が小さい俺では例え第三階梯に上がったとしても、一度にこれだけ唱えられるかどうか。
「よいか、
今度はアザド教授、御者さん達に指示を飛ばしている。速歩、駈歩は馬の駆け方、専門的に言うと歩法の種類だ。速歩は人間で言うところの早歩き、駈歩はジョギングみたいなものと言えるだろうか。普通の馬車は
なお、この馬車は四頭立てであり、前に二頭後ろに二頭の二×二の形で馬車に繋がれている。御者さんは御者台には座らず、前の二頭のうち一頭と後ろの二頭のうち一頭に、それぞれ一人ずつ計二人が搭乗するスタイルを取っている。御者さんは自分が乗る馬と並走する馬、二頭を制御する訳だ。ある程度移動したらそれまで乗っていなかった方の馬に乗り換え、負担を平等にするらしい。よく考えられてんな。
「どうやら、他の馬車も呪文を掛け終わったようじゃな。よし、では行軍再開と行くかの。お前達、馬車に乗り込めい」
教授教授、あんた行軍言うてますぜ。さっきからテンションアゲアゲの教授に促され、俺達は再度馬車上の人となった。ちなみにこの馬車内の席順は、進行方向に背を向ける形で教授、俺、ルリアが座り、向かい側にエリさん、ノアム、デヴォラが座っている。全員が席に着いたところで、教授が思い出したように口にした。
「おう、そう言えば教えておくのを忘れておった。お前たち――」
そこまで言いかけたところで、馬車の外から「ハッ」という掛け声とともに、手綱を当てる音が鳴り響く。次の瞬間、すごい衝撃が背中からガクンと襲いかかって来て、俺の体は前方に投げ出された。
「ぐえっ」
「うきゅっ」
眼の前が急に真っ暗になり、視界を小さな流星のように星が飛び交っている。腹と背に強い衝撃を受けて、息が出来ない。身動きも出来ずに呻いていると、背中にのしかかっていた重みが動いて体の自由が効くようになった。咳き込みながら息を吸い、何とか立ち上がろうと
「サキ様!サキ様!大丈夫ですか!?」
そばで誰かが叫んでいるのが聞こえる。この声は、俺の向かいに座っていたノアムか。その声とともに頭に被さっていたものがバサリと落ち、急に眼の前が明るくなった。そしてそこには、真っ赤な顔で自分のローブの裾を両手で抑えている、デヴォラの姿が。
「――<加速>を掛けた馬車は動き出す時、進む方向と逆に凄い力が掛かるから気をつけるんじゃぞ、と言いたかったんじゃがな」
隣でアザド教授が、のんびりとそんなことを
あー、分かった分かった。つまりはこういう事だ。馬車の急発進、急加速によるGで俺の体は投げ出され、馬車の床に叩きつけられた。俺の腕に掴まっていたルリアも釣られて引っ張られ、俺の背中に落ちてきた。衝撃で動けなかった俺はルリアがどいてくれたおかげで動けるようになったが、その際にデヴォラのローブの下に頭を突っ込んでしまったと。そういう事だな。
いやいや、そういう事じゃねえよ。何だこのラッキース◯ベ展開は。こんな旅のハプニングは望んでねえんだよ。本当だぞ?だってなあ、この後の展開を考えると、な。
俺は馬車の床に膝立ちのまま、ゆっくり背後を振り返る。そこにはやれやれと首を振るイシスを肩に乗せ、絶対零度の冷たさで俺を見つめるルリアの姿が。
「弁護士を要求する」
そう脳内で呟いてみるも、静かに激怒する幼馴染を前にして、実際に口に出すことなど出来るはずもない。そして馬車内には、ルリアに手を齧られる俺の苦悶の叫びが響き渡るのだった。
魔術オタクの魔法革命~魔法使いの世界の中で、たった一人の大魔術師~ カタリ @katari4413
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