第27話 企業との交渉開始
「よしっ、今日は日環ケミカルとの面談だな」
朝、奏多はいつも通りその日のスケジュールを確認して、ひとり気合いを入れた。
陽の開発した新技術「食品廃棄物からエチレンを生成する技術」について、共同開発に関心を持ち、連携してくれる企業を探す――というのが、現在奏多が一番注力している業務だ。
他にも、新しく発明届が出てきた技術の対応や、業務調整で他の人から担当変更して引き継いだ案件などもあり、少しずつ、忙しくなってきている今日この頃だった。
「まずは、研究者側から技術の紹介をしてもらって、こちらは司会進行と、企業側の感触をつかむことが第一だな」
奏多はいつものように、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、段取りを確認する。
日環ケミカルとは一度オンラインで面談しており、バイオプラスチックへの展開可能性など、前向きに関心を示してくれているが――大手の化学メーカーなので、一筋縄ではいかないだろうと奏多は踏んでいた。知財の取り扱いや研究開発の進め方など、経験豊富な分、厳しい評価を下される可能性も想定している。
今日もオンライン会議の予定だが、奏多は金子教授の部屋に出向いて、こちら側は同じ部屋からミーティングに参加する手はずだった。
オフィスを出ると、寒風が吹きつけて、奏多は身をすくめる。
「もう、十二月も中旬だもんな……」
山の斜面にあるキャンパスは、ひと際風が冷たくてほおが切れそうだ。ちょうど授業の合間で学生たちが行きかっているが、寒そうに肩を縮める姿も目につく。
奏多は農学部の建物に足早で逃げ込むと、一息ついた。
初めのころは、長い無機質な廊下に似たような扉が並んでいて、すぐに迷いそうになったものだが、最近は慣れてきて、研究室ごとのカラーにも気がつくようになっていた。
昆虫学研究室では、教員や学生たちの在室/不在を示す表に、様々な昆虫のマグネットがはられていたり。土壌学研究室の前には、土の断面を示した標本が飾られていたり。
そうした研究室の前を通り過ぎて、金子教授のラボ、環境微生物学研究室の扉をノックする。返事を聞いて扉を開くと、すでに金子教授がいて、オンライン会議の準備をしていた。
「金子先生、よろしくお願いします」
「ああ、永瀬さん。よろしくお願いしますね」
部屋に陽の姿はない。遅刻常習犯の彼女のこと、またギリギリになって走ってくるのかもしれない。そう思っていると、案の定というのか、廊下をバタバタと誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。
「ああ、西崎さんが来ましたね」
金子教授も気が付いたのか、苦笑を顔をに浮かべている。
「す、すみません! 遅くなりました!」
パソコンを小脇に抱えた陽が、勢いよく飛び込んできた。
ゼーゼーと息を切らせて、乱れた茶髪を整えている。白衣を着ているところを見ると、今まで実験をしていたのかもしれない。
「まだ五分あるので、大丈夫ですよ」
「あ、永瀬さん。先日はありがとうございました」
奏多の姿に気づいて、陽はぺこりと頭をさげた。
「いえいえ。今日はよろしくお願いしますね」
「企業との面談は初めてなので、緊張します」
「ハル……西崎さんでも、緊張することがあるんですね」
「それは、しますよ! 私をなんだと思っているんですか!」
陽がむっと口をとがらせて、奏多の肩を叩く真似をする。
先日、プールで偶然出会って夕食を一緒にしたからか、以前よりも距離感が近いのは、気のせいではないだろう。奏多もうっかりと「ハル」と呼びそうになって、慌てて言い直した。
「さて、今日は初回の面談ですので、まずは技術内容についてノンコンで紹介してもらって、先方からの質問に、可能な範囲で答えていただく、という流れになります」
奏多がミーティングの流れを説明すると、陽がすぐさま手を上げた。
「すみません。ノンコンってなんですか?」
「あ、ノンコンフィデンシャル――つまり、未公開でコアな技術情報は伏せて、開示可能な範囲で説明する、ということです」
「スライドは事前に言われた通り簡単なものにしてありますが……質問されたときに、どこまで話していいんですか?」
「そうですね――今回の技術は、微生物がキーですので、微生物の種名やどのキノコの共存菌であるかは、伏せたほうがよいでしょうね」
奏多の説明を聞いて、陽は心もとなそうな表情になった。
「……私が説明していいのですか? 企業が相手なら、やっぱり金子先生からお話ししてもらった方が、よいのではないですか?」
陽は不安そうな顔で、金子教授に視線をやる。
金子教授はおどけたように、ひょいと眉を上げた。
「西崎さんから説明してもらっていいですよ。大丈夫でしょう」
「わかりました」
「あなたの研究ですから。自信を持ってやればいいですよ。もちろん、必要であればフォローはしますので」
「はい」
陽は真剣な面持ちでうなずいた。
オンライン会議用のアプリを開いて、ミーティングの準備をする。今回はこちらがホストだ。ほどなく、相手方が入室してきて、奏多も少々緊張しながら、入室許可のボタンを押した。
「日環ケミカルの吉岡です」
先日も話した日環ケミカルの担当者――縁の太い眼鏡をかけていて、スーツではなく薄いブルーの作業服を着た吉岡が、淡々と挨拶をした。機械越しの声だからか、くぐもって聞こえる。前回と同じで、他のメンバーは画面がオフになっている。
「P大学の永瀬です。先日はありがとうございました。今回は、研究者である金子先生と、学生の西崎さんにも同席いただいています」
奏多はできるだけにこやかな表情を作って、金子教授と西崎陽を手で示して紹介した。以前は自分も、この吉岡と同じで表情に乏しかったが、今では「営業っぽさ」が身に付きつつあった。
「微生物環境学の金子です」
金子教授が自己紹介をすると、吉岡がぴくりと表情を動かした。
「金子先生の技術でしたか。以前一度、学会で講演を拝聴したことがあります」
「そうでしたか、ありがとうございます」
そんな雑談を挟んでから、本題に入る。
「それでは早速ですが、技術について研究者からノンコンベースでご紹介させていただきます」
「学部二年生の西崎です。よろしくお願いします」
西崎陽がぺこりと頭をさげてスライドを共有すると、吉岡が画面の向こうで意外そうな顔をした。
「今、学部二年生とおっしゃいましたか? 学部生が実験を担当しているということなんですかね」
不審そうな響きが声にこもっている。
「ええ。彼女がこの研究を主導して進めています」
金子教授が、はっきりとそう説明した。
「そうですか」
吉岡の声には疑うような響きが残っていたが、それ以上は何も言わなかった。
陽は、奏多から見ても非常にうまくプレゼンを進めた。背景となる社会問題の説明に始まり、従来技術の課題から、自身の研究の新規性やメリットにうまく話をつなげていく。
ミーティング前は不安そうにしていたが、話しはじめると堂々としたもので、そのギャップがまた、彼女の才覚を示しているようだった。
初めは疑うような目で話を聞いていた吉岡も、陽の説明を聞くうちに、真剣な面持ちになっていって、発表が終わった後にも、熱心に質問を投げかけてきた。
陽は質疑にもうまく対応し、ときどきは金子教授もフォローを入れてくれて、奏多は安心してうやり取りを見守ることができた。
「改めて聞くと、興味深い技術ですね。以前、永瀬さんからお話を伺った時から、さらに研究も進展して、反応効率も想像よりはよさそうに感じました。また、西崎さんが高校の時から研究されているテーマだということにも、驚きですね」
ひと通りの質疑が終わったあと、吉岡が感心したようにそうコメントをまとめた。
「つかぬことをお聞きしますが……西崎さんは、親御さんか身近な方が研究者なのですか? 私が高校生の時は、研究など考えもしなかったものですが」
吉岡の問いかけに、陽がきゅっと唇を結んだのを奏多は見逃さなかった。一呼吸おいて、陽は低めのトーンの声で答えた。
「祖父が、研究者をしていました」
吉岡がくいっと眉をあげた。
「どちらの分野の研究者だったのですか?」
「化学です。触媒の研究をしていました」
「触媒……西崎……まさか」
吉岡が驚愕したような表情を浮かべた。
「まさか、あの西崎教授ですか? 国際的な化学賞の候補にもなった」
さすが化学メーカーの研究者だけあって、それだけの情報で「西崎教授」に思い当たったようだ。陽は複雑そうな表情で小さくうなずいた。
「そうですか、そうですか。それは……学部二年生にして、これだけの研究をしているというのも、うなずけますね」
奏多は吉岡の反応を見ながら、「なるほど」と心の中で陽を気の毒に思った。おそらく、こうしたやり取りが何度も繰り返されてきたのだろう。奏多自身も、西崎教授の孫だと知ったときは、同じように驚いたのだから。
「ところで、今回の技術はすでに特許出願をされているということで、間違いないのですね?」
吉岡が気を取り直したように、奏多に訊ねてくる。
「ええ。先月、出願をしたところです」
「それでは、機密保持契約を結べば、技術のさらなる詳細や、特許明細書を開示してもらうことは可能ですか?」
吉岡の質問に、奏多はごくりと唾を飲み込んだ。
それは、協議がさらに次の段階へ進めるかもしれない、ということだ。
「ええ。可能です」
「それではこの打ち合わせの後、契約書案をいただけますか? 我々としてはこの技術に関心があり、ぜひ微生物のサンプルなどをいただいて、反応を試してみたいと考えています」
奏多は金子教授と陽に視線を向けた。
「微生物株の提供は、可能そうですか?」
陽は心もとなさそうに、金子教授を見る。
金子教授はうなずいた。
「ええ。私どもラボでは、微生物のサンプルを提供することは、ときどきあります」
奏多はモニターの吉岡に視線を戻した。
「サンプル提供も可能です。ただ……その場合は有償でお願いすることになりますが」
ときどき、大学の研究成果を「タダ」で使えると思う人がいることを、奏多は知っていた。だから、ジャブを打つために「有償」という言葉を出したのだ。
「ええ、もちろんです……まあ、金額次第ではありますが」
奏多は手ごたえを感じて、「よし」と心の内で拳を握った。
「わかりました。では、まずは機密保持契約を締結し、その後で今後の進め方について詳細を協議する、ということでよろしいでしょうか」
「ええ、結構です」
その日の日環ケミカルとの協議は、予想もしなかった進展を見せて、終了した。
魔の川は渡れないだなんて言わせない さとの @csatono
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