第25話 陽の素顔

「サウナで整っていく予定だったが……」


 奏多は困惑しながら、シャワーを浴びて身支度した。

 まさか、女の子と食事にいくという展開になるとは予想もしていなかったので、黒のスウェットにグレーのパーカーという、どうにもイケてない格好だ。せめて、コンタクトは外さず、そのままつけておくことにした。


「なかなか強引だよな、あの子も。――まあ、彼女らしいか」


 出会ったときから、かなり変わった子だなとは思っていた。仕事で言葉を交わす中で、意思の強い研究者だということも、十分すぎるくらい理解している。

 今回の、勘違いも含んだ強引な誘いも、「彼女らしいか」という言葉でなんだか納得できてしまった。


 更衣室を出てロビーに出ると、週末のこと、それなりに人が行きかっていた。

 銭湯とサウナも併設なので、家族連れも目立つ。


 奏多は壁際に立ってスマートフォンをいじりながら、西崎陽が出てくるのを待った。


「お待たせしました」


 目をあげると、ベージュのコートに赤いマフラーを巻いた西崎陽が立っていて、そのきっぱりとした赤色に奏多はどきりとした。

 奏多と目が合うと、彼女はにこっと笑った。リラックスしたその表情は、いつもよりも「女の子」に思えて、奏多は思わず視線を天井の方に泳がせた。


 この近くに、地元の農産物を使った創作料理のお店があるということで、そこへ向かうことになった。

 こぢんまりとした店はほぼ満席だったが、運よくカウンター席が空いていて、座ることができた。

 

 コートを脱いだ西崎陽は、裾が長めの白いセーターにデニムというラフな格好だった。


「何食べよっかな~どれもおいしそう!」


 彼女は目をきらきらさせて、楽しそうに、メニューをめくっている。

 そもそも女性とデートをした経験も豊富でない奏多は、どうしても落ち着かなくて、カウンターの下でソワソワと足を揺すった。


「永瀬さんは、何がいいですか?」

「えっと……好きなものを頼んでいいよ」


 こういうときに、何を注文するのが正解かわからないので、正直に言うと、選んでもらえたほうがありがたい。


「ほんとに? じゃあ、遠慮なく!」


 地元野菜のサラダ。

 明太だし巻き卵。

 胡麻さば。

 とり天。


 彼女はそんな地元色も豊かな定番メニューを注文していた。


「飲み物はどうします?」

「あ、ビールで」

「地ビールもありますよ」

「へえ、いいね。じゃあそれで」

「私もそうしよっかな~」


 学生がお酒を飲んでいいのかと思ってから、学部の二年生なら二十歳は過ぎているか、と思い当たる。


「西崎さんは……」

 

 奏多が言いかけると、西崎陽は急にこちらを振り返って、人差し指を立てた。


「『西崎さん』じゃなくて『ハル』って呼んでください」

「いや、それはちょっと……」


 奏多がとんでもない、というように両手を振ると、西崎陽はぷっとほおをふくらませた。


「だって名字で呼ばれると、すぐにみんな『西崎先生』のことを思い出して言ってきて、嫌なんだもの」

「あーまあ、西崎教授は、大学界隈では有名人だからな……」


 学会でも、何かと『有名教授の七光り』と言われて悔しい思いをすると言っていたな……だからこそ、プライベートくらいでは、ただの『ハル』という女の子でいたいのかもしれない。


 どうせ、プライベートで会うのは今回限りだろう。

 そう思って、奏多は素直に彼女の要望に従うことにした。


「えっと……ハルは、お酒好きなの?」

「んー、ちょっとだけ」


 陽は小さく首を傾げて、「ちょっとだけ」と言うときに、親指と人差し指をまるめてちょっとの隙間をつくった。


 やがて、グラスと地ビールの瓶が二本運ばれてきた。

 年下の女の子にお酌をしてもらう、という図にどうしても抵抗があった奏多は、陽より先にビールを手に取って、二つのグラスにビールを注いだ。


「あっ、ありがとうございます!」


 陽は気にした様子もなく、にこにこしている。


「かんぱーい」


 軽くちん、とグラスをあわせて乾杯し、ビールを口に運んだ。

 すっきりとしていて、フルーティな香り。どちらかというと、白ビールのような味わいだ。


「うまいな」

「ですね!」


 陽もおいしそうにビールを飲んでいるが、それほどペースが速くないのをみると、「ちょっとだけ」お酒が好きというのは、嘘ではないのだろう。


「永瀬さんは、お休みの日は眼鏡じゃないんですね。はじめ、誰だかわかりませんでした」

「プールやサウナに行く時だけな。にし……ハルは、休みの日はよくジムに来るんだ?」

「そうですね。今日は、午前中は研究室に行ってやりたかった実験を終わらせて、午後はお休みにしました」

「土日も実験か。熱心だね」

「だって、楽しいんだもの。今は、反応メカニズムの解明のために、色々と条件を変えて検討しているんです。弁理士の先生にも、反応するとき・しないときの条件が明確なほうが、有利になるって言われましたしね」


 特許出願の書類作成ため、弁理士の先生と打ち合わせをしたときにも、いくつかアドバイスをもらった。一年以内であれば、出願内容にデータを追加できるという話を聞いて、陽はできる限り実験を進めようと頑張っているらしい。


「あとは、お店で食品廃棄物をもらって、混合物からでもエチレンができるかどうか試したり。廃棄物は、単一の食品じゃない場合がほとんどでしょう?」

「それは間違いない。実用化を考えると、店や工場で出てくる廃棄物を、精製なしにそのまま処理できるのが理想的だろうね」  

「けっこう、いい結果は見えてきてるんですよ」


 研究のことを語る陽は、心から楽しそうで、やっぱり好きなんだなと感じさせられる。

 初めのころは、そんな姿を見てもやもやすることもあったが……今はただただ微笑ましく、応援したい気持ちの方が強かった。


「研究で、西崎教授からアドバイスをもらうこともあるの?」


 もしそうだとしたら、どれだけ有用なアドバイスをもらえることだろうか。正直うらやましい話だ。そう思ってうっかり訊ねると、とたんに陽はむっとしたような顔になった。


「あ、悪い。今の質問は聞かなかったことに――」


 奏多が慌てて質問を取り消そうとすると、陽は仕方なさそうに苦笑した。


「ううん。いいの。私がこうやって研究をできているのは、おじいちゃんのおかげだってこと、自分でもわかっているから」

「まあ、とはいえ、自分で研究予算を獲得して、やっているんだろう?」


 奏多がとりなそうとしてそう言うと、陽はひょいと肩をすくめた。


「でも、私は自分のラボもないし、試薬や実験器具を管理する資格もないもの。おじいちゃんの紹介がなかったら、金子先生もまだ学部生の私を、受け入れてはくれなかったかもしれない」


 『有名教授の七光り』と言われることに反発をしていた彼女だが――それは、祖父の恩恵をこうむっていることを、十分に自覚しているからこそなのだろう。

 もしかしたら「自分の力で実績を出さないと」と焦っているのかもしれない。


 強気でちょっと世間知らずな研究好きの天才。

 そんな風に彼女を見ていた奏多は、彼女の素の顔を見たような気がした。


「さ、おじいちゃんの話はやめて、ご飯にしましょ」


 折しも、注文した品が運ばれてきて、陽は素早く気持ちを切り替えたのか、明るい笑顔に戻った。

 奏多もそれ以上は西崎教授のことには触れなかった。


 地元産の食材をふんだんに使った料理は、どれもおいしかった。

 食べ物のこと、大学の授業のこと、陽のアルバイトのこと、水泳のこと、奏多の仕事のこと。

 思いついたままの話題に花を咲かせながら、奏多は陽との食事を、思いのほか楽しく過ごしたのだった。

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