第20話 やり切る覚悟
調査が甘い。
真方からの指摘に、奏多は顔をこわばらせた。
「……そうでしょうか。どの企業も食品ロスの課題や、バイオプラスチックのニーズは認めており、この技術が実用化されれば、画期的だろうというコメントももらっています」
奏多が熱を込めて説明すると、真方は困ったように、ふうとため息をついた。
「私たちが求めているのは、特許技術のライセンスを受けてくれる企業よ。単に『興味がある』だけだと弱いわね。環境系の技術は、興味だけはある企業は多い。その辺りもっと踏み込んで聞かないと」
真方は、奏多がモニターに映している企業ヒアリングの結果のスライドを見て、指さした。
「例えばこの赤山食品という会社。『興味あり』となっているけど、彼ら自身で微生物を使ったエチレンの製造をする可能性は、本当にあるの? 地元の食品加工系の中小企業でしょう」
「それは……」
そこを指摘されると、奏多は言葉が出なかった。
確かに、「食品廃棄物のサンプルを提供できる」とは言ってもらったが、彼ら自身でこの技術の開発をできるかと言われると……難しそうだと言わざるを得ない。
「ですが、特許も出していない現時点で、技術の詳細を紹介するわけにもいきません。詳細不明な技術の『ライセンスを受けたい』なんて企業は存在しないと思います」
奏多は思わず反論した。
企業にヒアリングするときも、「食品廃棄物からエチレンを製造する画期的な方法」としか言っていない。それ以上を話して、技術の核心部分がばれてしまったら大問題ではないか。
「もちろん、技術の詳細は話せない。それは正しいわ。でも少なくとも、将来的に、共同開発や特許ライセンスを受ける可能性があるかどうか、聞くことはできるでしょう」
「それは、聞くだけならできますが……」
企業の研究所にいた奏多からすると、こんな研究の初期段階にある技術の「特許ライセンス」の話をするなんて、とても現実的だとは思えなかった。
企業は普通、他社技術のライセンスを積極的にはしたがらない。なぜなら、製品化したとしても、ライセンス費用が上乗せされて、どうしても利益が少なくなるからだ。
「永瀬くんも知っていると思うけれど、大学の予算は限られている。いたずらに特許出願をするわけにはいかないから、こうして事前調査が大事になるの。簡単ではないけれど、なんとか連携先を見つけ出すのが、私たち知財コーディネーターの仕事よ」
真方はにこりともせず、厳しい言葉を奏多に突き付けた。
悔しいが……真方の言っていることは正しいと、認めざるを得なかった。
ずっと黙ってふたりのやり取りを聞いていた河内が、ぽりぽりと頬をかいて苦笑した。
「初案件やし、今回はこのくらいで通してもええ気がしてんけどな……ま、真方の言っていることが正しいわ。もうちょっと、突っ込んで聞いたほうがええな」
「この案件は、一旦持ち帰って追加調査ね」
真方にばっさりと言われて、奏多はすごすごと引き下がるしかなかった。
「くそ、予想はしていたけれど、真方さん、むちゃくちゃ厳しいじゃないか……」
奏多は自席に戻ると、がっくりとデスクに突っ伏した。
「永瀬さん、ミーティングの洗礼を受けていましたね」
隣の席の中橋が、気の毒そうに奏多を見ている。
「私も、担当案件が持ち帰りになってしまいましたし……お互いに頑張りましょう」
「はい、そうですね」
中橋に慰められると、少しだけ元気が出てくるようだった。
「こうなったら、手当たり次第に問い合わせてやる……」
一旦は落ち込んだが、その後メラメラと負けん気が湧いてきた。
奏多はがばりと起き上がって、猛烈な勢いでパソコンに向き直った。
*
しかし。二週間ほどかけて再調査を行ったものの、雲行きは怪しかった。
何社か「興味深い技術ですね」と言ってくれる企業はあったが、「今後の共同開発にご関心はありますか」と聞くと、「すみません、弊社では難しいです」「実用化されたら使いたい」といった回答ばかりだった。
「実用化されたら使いたい……でも、誰かがその『実用化』をしないと、使える技術にならないんだよ」
すでに、発明届が提出されてから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
金子教授から「例の件、進捗はいかがですか」という様子伺いの連絡がきてしまい、奏多は一旦、現状報告のために、金子教授のラボを訪問することにした。
約束の時間に研究室のドアをノックすると、今回はすでに西崎陽も席について、奏多を待っていた。
「調査にお時間をいただいており、申し訳ございません」
打ち合わせの冒頭で、奏多はそう言って頭を下げ、調査の状況とミーティングで真方から受けたコメントを報告した。
「それでは、特許出願は難しいかもしれない……ということですかね」
金子教授が穏やかな口調で訊ねた。
「まだ決まったわけではありませんが……現状の結果では、学内会議の審査で、不利かもしれません」
「そうですか。微生物が専門の僕から見ても、この研究成果は非常におもしろいものです。なんとか、特許を出してあげたいのですが……」
それが彼女の実績にもなりますから、と金子教授が西崎陽を見やって、そう言った。この教授は、本当に学生思いのいい指導者なんだなと感じさせられた。
金子教授の若い研究者を育成しようとする姿勢、西崎陽の熱意……この研究を、なんとか応援したい。今や奏多は、心の奥底からそう思っていた。しかし、自身の力不足で、実用化どころか、特許出願すらも危うい……。
教授室に、しばらくの間沈黙が流れた。
「金子先生」
西崎陽が、静かな声で言った。
「私、特許にはこだわりません。それよりも、学会で発表してみんなに知ってもらって、誰でも使える技術になれば、それでいいです。お金儲けに、興味はありません」
凛とした表情で、彼女はそう言った。
金子教授は、諦めたようにため息を落とした。
「そうですね、それでもいいかもしれませんね」
「いえ、ダメです!」
金子教授が同意しかけたのを、奏多は思わず大きな声で遮った。
「特許なしに発表しては、結局、使われない技術になるか、企業にとられるか、どちらかで終わってしまいます」
西崎陽が、怪訝そうな目で奏多を見た。
「どういうことですか? むしろ、特許がない方が、誰でも使えて世に広まるのではないですか」
「そんなに甘い世の中ではないんです」
奏多はできるだけ気持ちを落ち着けて、真剣な声で訴えた。
「特許は、企業の競争力になります。誰でも使える技術だと、他社の参入を防止できず、競争力を失います。企業は、利益にならない技術は、例えよい技術だったとしても、事業にはしません」
そう説明しながら、奏多は皮肉な思いで口元をゆがめた。
『利益にならない技術は、例えよい技術だったとしても、事業にはならない』
企業の研究所にいたときに、嫌というほど痛感したことだった
「ですので、特許なしで発表して、実用化に興味を持つ企業がいた場合……結局は、その企業が特許出願をするでしょう。もし、権利を企業にもたれてしまったら――例え発明者であっても、その技術を自由には扱えなくなります」
「意味が分かりません」
西崎陽が、納得がいかない、という顔で眉をひそめた。
「だって、この技術を最初に見つけたのは、私です。学会や論文で発表すれば、それは明らかじゃないですか。それなのに、どうして私が、自由に扱えなくなるんですか」
「それが、特許というものです」
「理不尽じゃないですか!」
西崎陽が、立ち上がってテーブルに手をついた。
奏多はその勢いにたじろがず、冷静な口調で答えた。
「だからこそ、特許戦略は重要なんです」
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「私に、もう少し時間をいただけないでしょうか。なんとか、学内会議を通せるように、追加で企業ヒアリングをします。ただ、それまでは、学会発表は待っていただきたく」
ひとたび発表してしまえば、特許出願は絶望的だ。
特許権は、未公開の技術にしか認められない。
発表しても出願する方法がないではないが……P大学では原則としてそれを認めていないし、わかっていて出願前に発表することを勧めるわけにはいかなかった。
西崎陽はしばらく、じっと奏多の顔を見ていたが、やがてこくりとうなずいた。
「……わかりました。本当は、十一月の学会で発表したかったんだけど、延期して、春の学会まで待ちます」
「ありがとうございます」
奏多はほっとして、肩の力を抜いた。
「私、ビジネスのことは何もわかりません。きっと、永瀬さんの言われる通りなんだと思います。……学生なのに、生意気なことを言って、ごめんなさい」
西崎陽が、神妙な面持ちで頭を下げた。
「西崎さんが、謝ることではないですよ。むしろ、研究者として、当然のことだと思います。むしろ、私の力不足で申し訳ないです」
奏多はすっと息を吸い込んで、肚に力を込めた。
「この技術を特許出願できるよう、私がなんとかします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます