第16話 「魔の川」を渡れるのか
「まず、『食品廃棄物からエチレン』なのですが、実際には何なら分解できるのか、その辺りの検討はどのくらい進んでいますか?」
食品廃棄物といっても幅が広い。
米やパンといった炭水化物に含まれるデンプンなのか、肉や魚などの動物性タンパク質、野菜くずのような植物性のものでも分解できるのか。
あるいは、糖分を多く含んだような食品でないと分解できないのか。
「正直に言いますと……すでに事業化もされている『バイオエタノール』やそこから作る『バイオエチレン』と対抗できるのかどうかが、実用化を目指す上で、課題となるように思われます」
奏多は言葉を選びながらも、率直に課題を指摘した。
トウモロコシやサトウキビに含まれる糖を、微生物でバイオエタノールに変換する技術は、すでに世界中で研究され、実用化もされている。
そのバイオエタノールをさらに反応させ、脱水することで『バイオエチレン』が得られる。バイオエチレンを用いたバイオプラスチックやバイオ燃料の開発には、国内外の名だたる企業が、すでに取り組んでいる……。
そんな現状を考えると、既存の技術に対抗できる特徴やメリットがないと、企業はなかなかこの技術に手を出さないだろう。それこそ、コストが安いか、プロセスが簡単であるか。
奏多の質問に、何か否定的なものを感じ取ったのか。
今までにこやかで楽しそうだった西崎陽の表情が、すっと硬くなった。
「対抗する必要がありますか?」
彼女は奏多の目をまっすぐに見つめ、強い声でそう言った。
「これだけ、フードロスが社会問題になっているんです。一年で、日本では500万トン、世界では10億トンもの食べ物が捨てられていると言います。私の研究は、その解決に役立つ技術になると信じています。サトウキビからエタノールやエチレンを作る技術とは、そもそも出発点が違うんです」
西崎陽の目には、なんの疑いもない澄んだ光が宿っている。自分の技術が、きっと世の役に立てると、自信があるのだろう。
その様子があまりにも純粋でまぶしくて……奏多は思わず目をそらした。
彼女は研究者としてはとても優れているが、まだ若い。これでは、実際に企業と連携しての技術開発が始まったとき、大きく落胆してしまうのではないか。奏多はそう危惧した。
企業は、なによりもまず、ビジネスになることを重視する。
つまり、お金にならないことは、基本はやらない。
だが……今それを言ったところで、彼女は受け入れないだろう。
それにこの技術が業界の人々からどう評価されるか、未知数だ。もしかしたら、とても興味を持たれるかもしれない。
そんなことを素早く考えて、奏多は言葉を探した。
「そうですね。食品廃棄物の処理は、企業にとって『コスト』です。そこから価値のあるものが生み出されれば、それは非常に意義のあることだと、私も思います」
奏多がそう言うと、西崎陽はほっとしたような表情を浮かべた。
「色々な廃棄物を分解できれば、その方がいいというのは、私も理解しています。今のところは、ご飯やパン、それに果物からもエチレンができることを確かめています。あと、量は少ないですが、野菜くずからも」
「なるほど、となるとデンプンや糖が含まれていることが重要そうですね」
西崎陽は「その通りです」とうなずいた。
「今は、果物を加工するときに出る搾りかすに注目しています。農家や加工工場では、搾りかすの処理に困っていると聞きますので」
「なるほど。それはよい着眼点ですね」
他にもいくつか、技術的なことを確認してから、奏多はヒアリングの締めに入った。
「色々と教えていただき、ありがとうございます。今後の流れなのですが、頂いた情報を元に、まずは私の方で、特許性と市場性の調査を行います。その際には、いくつかの企業にヒアリングをして、この技術に関心を持つ企業がいるか、見ることになります」
奏多がこれから先の進め方について説明すると、西崎陽は困惑したような表情を浮かべた。
「出願するのに、企業からの評価が必要なんですか?」
「ええ。技術開発は、大学だけではできません。どうしても、企業との連携が必須になります。ですのでP大学では、出願時から連携先企業の探索をする方針なんです」
「それで、もし企業が見つからなかったら……?」
奏多は答えをためらった。この若き研究者は、きっと怒りだすのではないか。
だが、事実は事実として、答えないわけにはいかない。
「その場合は、出願を断念する、という結論になるかもしれません」
「……そうですか」
西崎陽は強い光を目に浮かべ、奏多を鋭くにらみつけた。
「いい技術かどうかよりも、企業がつくかどうかが、結局重要なんですね」
その言葉に、奏多はいら立ちを覚えた。彼女は優秀かもしれないが、世間を知らなさすぎる。技術開発がどれだけ難しいか、わかっていない。技術さえよければ、実用化できるというのは、甘い見識だ。
「どんなにすばらしい技術でも、世に出ていくためには、『魔の川』を渡らないといけないんです」
奏多は感情を抑えた声でそう言った。
魔の川とは、技術開発の障壁を揶揄した言葉だ。
新しく生まれた技術の多くは、『魔の川』を渡れずに押し流されて、泡となって消えていく。
おまけに、事業化、産業化を目指すとなると――さらに『死の谷』と『ダーウィンの海』と呼ばれる、魔物がうようよする危険地帯を乗り越えていかなければならない。
「私の研究は、その『魔の川』を渡れっこないと、永瀬さんは言われるのですか?」
「簡単ではないのは、間違いありません」
「そんなの、やってみないとわからないじゃないですか!」
西崎陽はがたんと椅子を鳴らして立ち上がり、奏多をきっとにらみつける。
奏多ははっとして口を閉ざした。
いけない、またやってしまった。正論を突き付けては、相手の感情を害するだけだ……。
石田教授のときの失敗を、繰り返してはいけない。
奏多はすっと短く息を吸って、できるだけ静かな声で言った。
「魔の川を渡れるように、私もできるだけのご支援をしたいと思っています。ただ、まずは特許出願が大学から認められないことには、前に進みません。ですので一旦は持ち帰って、調査をしたいと思います」
西崎陽はまだ納得できないように、立ち上がってテーブルに手をついたままだ。
奏多も席を立って、金子教授と西崎陽に向かって、すっと頭を下げた。
「できる限りの努力をするので、一旦はお任せいただいてもよろしいでしょうか」
しばらくの間、沈黙があった。
西崎陽が、硬い表情のまま言った。
「わかりました。よろしくお願いします」
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