第17話 同僚の想い
「また相手を怒らせるところだった……」
発明ヒアリングが終わり、金子教授の部屋を辞したあと、奏多は肩を落としてため息をついた。
どうしても、自分が正しいと思ったことをストレートに言ってしまう。
といって、本当は課題があるのに、「すばらしい技術ですね!」なんて褒めるのは、ご機嫌取りのごますりだ。それはそれで、違うのではないか。
ある技術が本当に育っていくためには、ときには厳しい現実に直面しなければならない、というのが奏多の信条だった。
「初めてにしては、うまくやられていたと思いますよ」
中橋が優しく慰めてくれる。奏多は力ない笑みを浮かべた。
「石田教授のときもそうでしたし、他の人たちのような、そつないコミュニケーションが苦手で」
「これが初めての担当なんですから。100点満点じゃなくても、大丈夫ですよ。むしろ、言うべきことを言えて、すごいと思います。私はどうしても、ネガティブなことを伝えるのが苦手で……」
「そうなんですか?」
新人の奏多からすれば、一年先輩の中橋は、すでに業務を完璧にこなしているように見えたから、意外だった。
「研究者の先生方に、どうにか特許出願をさせてほしいとお願いされると、『なんとかしてあげたい』と思っちゃって。ミーティングで、真方さんや河内さんに、『それじゃダメだよ』とよく言われます」
確かに、中橋みのりはおっとりとしていて、優しい性格なだけに、厳しいことを言うのが苦しいのかもしれない。
「あの、よかったら、お昼を食べてからオフィスに戻りませんか」
中橋がそう誘った。時計を見ると、十二時をすでに過ぎている。
奏多も、ヒアリングで緊張したのもあって、実はさっきから腹の虫が鳴っていた。
「いきましょう。どこにしますか? といっても、学食くらいしかないですが」
「田舎すぎて、キャンパス周りにほとんど飲食店がありませんもんね」
いつもの学食に行くと、またもやハラルコーナーの南アジア系のおじさんと目が合い、にかっと白い歯の笑顔を返される。すでに常連になっていて、間違いなく顔を覚えられていた。
「いや、今日は別のものを食べるぞ」
奏多は意思を固くして、なんとかカレーの誘惑を断ち切り、定食コーナーへ足を向けた。
十月に入って夏休みが終わったからか、学生たちの列ができていた。
奏多と中橋も、お盆を取って列の最後尾に並ぶ。
「今日はカレーじゃないんですね」
中橋がくすっと笑ってそう言った。
たまに一緒に学食へ来ると、大体がなりゆきでインドカレーを食べていたから、「カレー好きな人」と認識されているらしい。
「カレーが特別好きなわけではないのですが」
「えっ? じゃあ、どうしていつもカレーなんですか?」
「あの南アジア系のおじさんの呼び込みに抗えなくて……」
「なにそれ。永瀬さんって、案外押しに弱いんですね」
中橋がおかしそうに、手を口元に当てて笑った。
そういった仕草が、きっと育ちのいいお嬢様なのだろうなと感じさせる。
奏多はお盆に、麻婆豆腐と小鉢のおひたし、ご飯のМサイズと豚汁を取った。これで五百円ほどだから、学食は安くて野菜もとれて素晴らしい。
普段から自炊で、ジムにも通い、食と健康には気を遣っている奏多には、ありがたいことだった。
いつもの窓際の席に並んで座り、秋の色に染まりはじめたキャンパスを眺めなら、箸をとった。
「中橋さんは、どうしてこの産学連携の仕事をされているんですか?」
ふと気になって、奏多は質問を口にした。
出身地や大学時代の専攻といった、当たり障りのないことは知っているものの、そういえば、同僚に個人的なことを聞くのは初めてだった。
山菜うどんを口に運んでいた中橋は、箸をおろして遠くを見た。
「実用化を目指す研究者が、悔しい思いをしないように、お手伝いできたらなと思っているんです」
「それはまさに……研究支援のお仕事は天職じゃないですか」
「天職、だといいですね。やりたいことと、向ていることは別なのかもとも思いますが……」
中橋は苦笑して、話を続けた。
「先ほどの西崎さんじゃないですが……実は、私の父も大学教授だったんです」
「えっ、そうなんですね」
「小さな地方大学の、無名の研究者ですけどね。工学部で、機能性ポリマーの開発をしていて、それをなんとか世に出したい、といつも言っていました。だけど……特許も出していなくて、企業に技術情報を教えたら、企業のほうで改良して、独自技術のように製品化をされてしまって……とても悔しい思いをしていたんですよね」
「それは、ひどい話ですね……」
ひどい話だが、よくある話でもあった。
特許は、発明者の権利を守り、産学での健全な連携を進めるために、ビジネスをしない大学にとっても、とても重要な仕組みだ。
だが一昔前は、大学の技術は「公のもの」といったイメージもあって、企業側にも、技術に対して正当な対価を払うべき、という意識が薄かったのだろう。
「そんな父の姿を見ていたので、研究者のサポートをする仕事があると知ったとき、ぜひやりたいと思ったんですよね。でも、助けたいと思うせいか、厳しい判断をするのは苦手で」
「そうだったんですね」
おっとりとした中橋の背景に、そんな熱い想いがあるのだと知って、奏多はなんだか羨ましくなってしまった。
想いを持って仕事に取り組めるのは、幸せなことだ。
自分もいつか、産学連携の仕事に情熱を傾けられるようになるのだろうか。
奏多は未だに、自信を持てずにいた。
「それにしても、さっきのヒアリング。すごい学生さんでしたね。まだ学部の二年生なのに、あれだけしっかりして、自分の研究を進めているなんて」
中橋みのりが感心したように、西崎陽のことを口にした。
奏多もそれには完全に同意だった。
「こういうと彼女は嫌がるかもしれませんが、さすが西崎教授の孫だと思いました」
「本当に。それだけに、プレッシャーも大きいのかもしれませんね」
中橋の言葉で、奏多ははっとした。
確かに、高校生にして国際コンテストで入賞して、一見華々しい成果を上げているが……その分、コネだの七光りだの、揶揄されることも多いだろうことは、想像に難くなかった。
彼女の強気な姿勢も、きついと感じられる眼差しも、それをはねのけるためのものなのかもしれない。
そうだとすると……奏多は彼女の担当者として、敵対するのではなく、一番の味方でいなければならないのだと、今更ながらに痛感した。
「なんとか、彼女の研究が日の目を見るように、サポートします」
奏多は先ほど聞いた中橋の話も相まって、改めてそう宣言した。
中橋は「すてきな意気込みですね」とにっこり笑った。
「社会的な関心は高い分野ですよね。ただ……特許性や市場性について、真方さんや河内さんを納得させられるような材料を集められるか……」
中橋がふっと心配げな表情になって、奏多の顔をのぞきこんだ。
「まずは、定例ミーティングでヒアリング内容の報告ですね」
奏多は背筋を伸ばして、こくりとうなずいた。
進捗報告は、企業でも当たり前のようにやっていた。そこで上司から厳しい指摘を受けることにも慣れている。
とはいえ、今回の学生の発明について、どんな指摘を受けるか……仕事のできるチームリーダー・真方と、お茶らけているようで鋭い室長・河内の姿をそれぞれ思い浮かべて、奏多は身が引き締まる思いだった。
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