第14話 有名教授の孫

 主担当として初めての発明ヒアリングには、奏多だけではなく、サポートとして中橋も同行することになった。


「よろしくお願いします」


 奏多が緊張した面持ちで頭を下げると、中橋みのりはいつものようにふんわりとした笑顔で言った。


「初めてだと緊張しますよね」

「そうですね。石田教授のときのように、失敗しないように気を付けます」

「永瀬さんなら、大丈夫ですよ」


 農学部の建物に入ると、目的の部屋を探す。相変わらず長い廊下に似たような扉が並んでいて、うっかりすると迷いそうになる。


「環境微生物学研究室……金子先生の部屋はここか」


 奏多は部屋の前で深呼吸をした。手のひらに汗をかいている。それは、暑さのせいばかりではなさそうだ。


「よし」

 

 奏多は気合を入れると、背筋を伸ばし、扉をはっきり二回ノックした。ほどなく「どうぞ」と部屋の中から男性の声が聞こえた。


「失礼します。サンレン知財の永瀬です」

 

 奏多は扉を開いて、そっと部屋の中をのぞきこんだ。

 金子教授の部屋も、研究者の居室にありがちなように、壁際には本がぎっしり並んだ本棚があり、奥には執務用デスクがあった。

 デスクの角に、微生物が登場する有名な漫画のキャラクターの人形が置かれているのが目に留まる。さすが微生物学の研究室だ。とぼけたキャラクターが雰囲気を和ませていて、この部屋の主の人柄を感じさせた。


「ああ、永瀬さん。よろしくお願いします」


 デスクの向こうから、五十過ぎくらいの小柄な男性が顔を出した。

 眼鏡をかけていて、やせ型の引き締まった体形をしている。顔はよく日に焼けていて、アウトドアスポーツをする人のような風貌だった。


「環境微生物の金子です」

「サンレンの永瀬です。……さすが微生物の研究室ですね。やはり、あの微生物キャラの出てくる漫画がお好きなんですか?」


 名刺交換をするときに、奏多は意識して場をほぐすために、雑談をはさんだ。


「そうですね。あの漫画は学生に教えられて読んだのですが、なかなか興味深いですね。そのとき、学生がおもしろがって、人形をくれまして。ネタになるので、飾っているんです」


 金子先生は穏やかそうな笑みを浮かべてそう説明した。

 学生が人形をくれたというエピソードからも、慕われているのだろうことがうかがえる。きっと、いい先生なんだろう。そのことに、奏多はほっとしていた。

 正直に言うと、気難しかったり、こだわりが強い先生だったらどうしようと思っていたのだ。


「早速なのですが、今回の発明について、お話を伺ってもよろしいでしょうか」


 奏多がそう切り出すと、金子教授は困ったように視線を入り口の方に向けた。


「この研究は、学生が進めてきたものでしてね。打ち合わせにも参加するよう言ってあるのですが……まだ来ないようですね」

「この西崎さんという人ですか」

「ええ、そうです」


 なるほど、金子教授の口ぶりからして、学生の貢献度が70%というのは、間違いではないらしい。しかし、打ち合わせに遅れてくるとは……先日の石田教授もそうだったが、なかなかマイペースなタイプの学生なのだろうか。


「先生の研究室には、学生さんは何人おられるのですか?」


 場つなぎのために、中橋が訊ねている。


「全部で十五人ほどですね。ただ、この研究を進めている西崎さんは……」


 金子教授が言いかけたところで、廊下の方から「あー、やっちゃった!」という声とともにバタバタと足音が聞えた。金子教授が優しげな苦笑を浮かべた。


「ああ、来ましたね」


 金子教授の部屋の扉を元気よくノックする音がして、返事を待たずに扉が開かれた。


「すみません! 実験をしていたら時間を忘れていました!」


 現れた人物を見て、奏多は目を見開いた。

 そこにいるのは、明るく染めたサラサラの茶髪を肩の辺りで切りそろえ、小脇にパソコンを抱えた女子学生だった。目が大きくてやや釣り上がりぎみで、意志の強さを感じさせる。

 間違いない。サンレンの面接の日に、学食横の茂みで落としたイヤホンを探していた子だ。

 発明届の「西崎陽」という名を見て、てっきり「ニシザキヨウ」という男子学生かと思い込んでいたが……まさか彼女だったとは。


「ほら、サンレンの方がもう来られているよ」

「こんにちは。サンレン知財の永瀬と申します」


 奏多が名刺を差し出すと、彼女は慌てたように名刺を受け取った。その拍子に持っていたペンを床に落として、「ああっ」と焦りながら拾っている。ちょっと抜けているのは、相変わらずらしい。


「初めまして。西崎陽にしざき はるです!」

 

 彼女はハキハキとした声で自己紹介した。それで、「ハル」という名前なのだと知る。


「あの、以前お会いしましたよね……?」


 奏多が遠慮がちに訊ねると、西崎陽は初め、きょとんとした顔をしていたが、「ほら、学食の横でイヤホンを探していて……」というと、彼女はぱっと顔を赤らめた。


「あっ、イヤホンを見つけてくれたお兄さん! サンレンの方だったんですね」

「あのときは、面接の日だったんです」

「そうなんですね、これもご縁ですね!」


 にこっと明るい笑顔で言われて、奏多は思わず目をそらして咳払いする。

 こういう明るくて元気な女の子が、どうにも苦手なのだ。


「永瀬さん、この学生さんとお知り合いなんですか?」


 中橋が驚いたように訊ねてくる。


「たまたま、サンレンの面接の日に会ったんですよ。工学部で道に迷っていたので、三号館まで案内しました」

「そうなんですか。すごい偶然ですね」

「本当に」


 奏多たちは改めて、打ち合わせ用のテーブルについて、発明ヒアリングを始めた。

 金子教授と学生がテーブルの一方の、向かい合って奏多と中橋が座っている形だ。


「まずご確認したいのですが、今回の発明の貢献度が、西崎さんが70%となっているのですが、間違いはありませんか?」


 奏多が訊ねると、金子教授はうなずいた。


「ええ。元々、彼女が持ち込んだ研究テーマなんですよ。それを私の研究室でサポートしていたという形です」

「あの、でも確か彼女は、学部の二年生だと伺ったのですが……研究室配属は四年生からですよね……?」


 奏多が疑問に思って訊ねると、金子教授は西崎陽の方を見てから、「そうですね」と肯定した。


「正式に配属はされていませんが、研究費は彼女自身が獲得したものがあったので。実験設備を貸してあげて、実験手法のアドバイスをしたという形ですね。ちょうど彼女のおじいさんが、私もよく知っている研究者で、紹介を受けたということもあります」

「おじいさんが研究者……西崎ってもしかして、あの西崎教授ですか!?」

 

 奏多は「西崎」という名の研究者に思い当たるところがあって、まさかと思いながらも訊ねた。中橋も同じように、「もしかして……」と目を丸くしている。


「ええ。彼女は、かの有名な国際化学賞の候補にもなった、西崎先生のお孫さんですよ」


 



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