第二章 若き天才研究者

第13話 変わった発明届

 奏多がP大学の産学連携室に就職して、早くも一ヶ月が経とうとしていた。

 十月に入って残暑も和らぎ、ようやっと秋らしい風が吹くようになっていた。


「気持ちのいい風だな」

 

 奏多は自転車をこぎながら空を見上げて、目を細めた。

 自転車通勤の奏多は、朝早めの時間に、海を横目に見ながら愛車のクロスバイクを走らせる。

 転職して初めのころは、緊張もあって景色を味わう余裕もなかったが、最近は職場の人にも、仕事の内容にも慣れてきて、秋晴れの空を見上げるだけのゆとりが出ていた。


「永瀬くんか、おはよう」


 奏多が自転車をオフィス裏の駐輪場に停めていると、低音のエンジン音を響かせて、青いボディのスポーツバイクが滑り込んできて、奏多の隣に停車した。


 ヘルメットのシールドをあげて挨拶したのは、サンレンの同じ知財チームの先輩、小野保孝だ。彼は人当たりのよい兄貴分で、体格がいいからか、バイクにまたがる姿も格好よくきまっている。


「小野さん、おはようございます」

「自転車通勤なんだね。大学の門を入ってからの坂が、キツいだろう」

「いい運動になります」


 大学のキャンパスは山の近くにあって、土地が平坦ではなく、あちこちに坂がある。こいでいると軽く息切れがするので、運動不足の解消にはもってこいだった。


「どう、仕事には慣れてきた?」

「はい、なんとか。少しずつ、おもしろくなってきました」


 建前ではなく、本心から奏多は答えた。

 初めは、産学連携の業務は一体どんなものかと不安が大きかったが、最近は研究のサポートというのも悪くはないかもしれないと感じていた。ときどき、自分の専門に近い分野の研究に触れると、「自分ならこうするかも」などと考えて、研究者としての心がうずくときもあったが……。


「いいね。頼もしいね」

「といっても、まだ自分が主担当の案件がないので、みなさんほど苦労はしていませんが……」


 先輩方はみな、たくさんの案件を抱えて忙しそうにしており、あまり戦力になれていない自分を、もどかしく感じ始めていた。

 チームリーダーの真方からは「そろそろ、担当案件を割り振ってもいいかもね」というコメントをもらっている。


「まあ、焦ることはないよ。じきに、案件をたくさん振られるから」

 

 小野がさわやかな笑顔で、さらっと恐ろしいことを言う。奏多はうっとうめいて、首をすくめた。


「それはそれで、怖いですね」

「ま、ゆっくりとね」

 

 こんな風に、チームメンバーと軽口も叩けるようになってきた。

 サンレンは以前所属していた研究所に比べると、風通しがよくからっとしていて、そのことにも居心地のよさを感じていた。


 *


「新しい発明届がきたよ。農学の金子先生って、最近担当している人いたっけ?」

「聞かないね」


 朝のメールチェックをしていると、少し離れたところで、真方と事務担当の藤田が話しているのが、耳に入ってきた。

 ふと視線を感じて顔をあげると、ふたりがこちらを見ている。目が合うと、真方が意味ありげににっこり笑った。


「永瀬さん、デビューかな」

「そうだね、そろそろいいんじゃないかな」


 奏多はどきりとして背筋を伸ばした。

 入職して一か月は、先輩方の業務についてやり方を学ぶOJT期間だったけれど、いよいよ担当の先生を割り振られるらしい。


 ほどなく、新しい発明が開示されたことを知らせるグループメールが、奏多の手元にも届いた。

 奏多はすぐに発明届のファイルを開いて、内容を確認する。


「発明の名称は、有機物を分解する酵素および微生物。発明者は、農学研究科 環境微生物学研究室 金子隆一教授と……西崎陽というのは学生か」


 発明の概要を見ると、菌類と共生している特定の微生物が、食品廃棄物を分解しエチレン等の有用な炭化水素を生成することを見出した、とある。


「なるほど、廃棄物の活用――今注目されている、カーボンニュートラルの技術だな。しかし、エチレンが食品廃棄物から直接できたのか? それはすごい話だな」


 エチレンというのは、プラスチックの原料にもなる物質で、現状はその多くが石油や天然ガス等の化石燃料から製造されている。もしそれが、食品廃棄物から製造できて、そのプロセスが簡単であれば、かなりおもしろそうだ。


「まあ、本当に実用的かどうかは、詳細を聞いてみないとわからないが……」


 奏多は、自分自身もカーボンニュートラル関係の研究をしていたことから、こうした技術にはとても関心があった。だからこそ、環境系の技術の実用化が、簡単ではないこともよく知っている。

 手放しに「すごい」と称賛はできないが、ぜひ応援したいという気持ちも強かった。


「……ん? 貢献度がちょっと変だな」


 書類を確認しているうちに、奏多はおかしな点に気が付いた。

 発明届には「貢献度」という、その技術の創出に、誰がどれだけ貢献したかの割合を記載する部分がある。これまで見た発明届では、研究室の教授や担当の教員の貢献度が高いことが多いのだが……これは、学生の貢献度が70%になっているのだ。


「この、ニシザキヨウというのか? たぶん彼が博士課程の学生で、研究テーマを主担当として進めてきた、ということか」


 そういうことも、もちろんないではないと思うが……。


「その辺り含めて、確認が必要だな。まずは、打ち合わせのアポをとるか」


 奏多はメールソフトを立ち上げると、金子教授宛に、発明届の提出のお礼と、面談のお願いメールを送った。

 昼前には返事があり、何度かやりとりをしたのち、来週早々には研究室を訪問することで決まった。


「よし、ヒアリングの準備をしっかりしないとだな」


 初めて自分が主で担当する案件だ。不安もあるが、できる限りを尽くそう。

 奏多は心地よい緊張を感じながら、改めて発明資料に向き直った。


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