第9話 波乱の発明ヒアリング

「今日お話しする石田教授は、これまでにも特許を出されているんですか?」

「いえ。だいぶ前に何件かあったみたいですが、最近は出されてないですね」


 中橋も会うのは初めてだという。


「石田先生のお部屋は……ここですね」


 大学の建物は、長い廊下に似たような部屋が並んでいて分かりにくい。

 中橋は部屋番号を確認して、とあるドアの前で立ち止まった。「木質材料機能学」という研究室名が木の板に彫りつけられていて、いかにも木材を扱っていそうな部屋だった。


 ドアをノックするが、返事がない。ドア横のガラスののぞき窓から中を伺うと、部屋の電気が消えていて、どうも不在らしい。


「あれ……アポの時間は間違えてないと思うのですが……」


 中橋は慌ててメールをチェックして、アポの内容を確認したが、やはり時間も場所も合っている。電話をするも、誰も出ず連絡がつかない。約束の時間を過ぎても、教授が戻ってくる気配はなかった。


「どうしましょう。諦めて、一旦戻りますか……」

「すっぽかされたということですか?」

「忘れておられるのかもしれません」


 中橋は特に怒ったりもせず、仕方ないですね、と慣れたように言った。


「こういうことは、よくあるんですか?」


 アポの時間に現れず、連絡もないなど、なんて非常識なんだろう。奏多が眉をひそめて訊ねると、中橋は困ったように眉尻を下げて、「そうですね、たまにあります」との返事だった。


「大学の研究者は、なんというか、自由な方が多いんですかね」


 奏多は皮肉を込めてそうコメントした。

 正直に言うと、多少なりと非常識なイメージは持っていた。企業と違ってマナー研修もなければ、厳しく管理する上司もいないから、良くも悪くも適当な人間が多いという偏見がある。


 ふたりが諦めて引き返そうとしたとき、廊下の向こうからせかせかと歩いてくる男性が見えた。綿の黒いパンツに白いTシャツという、なんともラフな格好だ。彼は奏多たちの姿を見て、声を上げた。


「あ、もしかしてサンレンの知財の方ですか」

「はい。お約束していた中橋です」

「すみませんね。うっかり忘れていました」


 まったく悪びれずに「忘れていた」と言われて、奏多は呆れてしまった。

 だが、中橋はまったく気にした様子もなく、「よろしくお願いします」と挨拶をしている。


 教授室に通されて、奏多は中橋の後について足を踏み入れた。

 部屋の両側の壁際には、全面に本棚があって、大量の本が並んでいる。奥の窓の前に大きなデスクがあって、パソコンのモニターの周りにも、本や書類が山積みになっていた。書類の間には、なぜかアフリカ風の木の彫刻が飾られている。


「いかにも研究者の部屋だな……」


 奏多は感心して、口の中で小さくつぶやいた。


 部屋の中ほど、教授のデスクの前に置かれた小さな机のところで、石田教授と向かい合って座り、発明ヒアリングが始まった。


「今回は、発明届をご提出いただきありがとうございます。早速、研究内容について教えていただいてもよろしいでしょうか」


 中橋が丁寧に言って、発明の内容について訊ねると、石田教授は楽しそうな笑みを浮かべて説明を始めた。


「いや、非常におもしろいものができまして。これは特許になるかもなと思って、届け出をしたんですよ」

「なるほど。それは、どんなものですか?」

「それがね、伸びる木材なんですよ」

「え、木材は普通、硬いものですよね?」


 中橋はいかにも興味津々という様子で、相槌を打って話の続きを促す。


「そう。ご存じの通り木材は硬く、ゴムのような粘弾性はないのが普通ですが、とある処理をすることで、木材由来なのに、ゴムのように伸びて縮む材料ができたんですよ」

「へえ、それはおもしろいですね!」


 中橋が身を乗り出して、教授の話に調子を合わせると、教授は喜々として、今回の材料が見つかった経緯を語って聞かせた。


「これがね、完全に偶然の産物なんです」


 曰く、本当は別の目的で薬剤処理をしていたところ、学生が条件を間違えた結果、今回の発見につながったという。


「学生は『失敗しました』と捨てようとしていたので、『ちょっと待った』と慌てて止めましてね」


 研究成果とは直接関係のないストーリーを含めて、細々とした説明が続いて、おもしろくはあるものの、奏多は段々とじれてきた。

 おもしろいのはわかった。で、この材料は何の役に立つのかという質問が、喉元まで出かかって、ぐっとこらえる。

 大学の研究というから、どんな最先端の素晴らしい材料が得られたのかと思ったら、偶然見つかった遊びのような研究じゃないか。


 企業の研究所で、事業に資するような技術を開発しようと日夜努力していた奏多からすると、「こんなことに税金を使っているのか」と、うらやましい気持ちと腹立たしい気持ちが半々で、いら立ちを覚えた。


 中橋はまったく涼しい顔で、丁寧に質問をして研究の詳細を聞き取ってはノートにメモをしていく。


「ほんとおもしろいですね。同じようなモノがなければ、特許になる可能性は十分にありますね」


 中橋がそう前向きな見解を伝えると、石田教授は嬉しそうににっこりと笑った。


「いや、少なくとも私は、こんな方法でこんな面白い材料ができるなんて、初めて知りましたから。きっと、他にはないと思いますよ」

「ええ。調査をしてみないと、現時点で確証はありませんが……」


 ふたりのやり取りを横で聞きながら、奏多は呆れずにはいられなかった。

 確かにおもしろいが、細かいところは全く詰められておらず、あまりにもアーリー過ぎる研究だ。しかも聞いた限り、何に使えるかも不明とくる。

 大学は、こんな技術でもほいほいと特許出願をするのだろうか。

 奏多は我慢ができなくなって、横から口を挟んだ。


「あの、質問よろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」


 石田教授が奏多の方に視線を向けた。


「とてもおもしろい材料ですが、これはどういった産業で活用できるんですか?」

 

 奏多が真面目な口調で問いかけると、石田教授は「いやー」と首を傾げた。


「それがわからないんですよね。使い道はあると思うんですが」


 実用をまったく考えていないことが明らかな答え。

 奏多は思わず、声を強めて問いを投げかけた。


「活用方法によって、耐久性など求められる性能は異なると思います。その辺りの検討はされていないんですか?」


 奏多の言い方が、問い詰めるような色を含んでいたからだろうか。

 石田教授が笑みを引っ込めて、むっとしたような顔になった。


「それはもちろん、追々検討は必要ですがね。まずは、特許を出しておくべきかと思ったもので」

「まだ使えるかどうかわからない技術を、今、特許出願する必要がありますか。もっと研究が進んでからではいけませんか」

「ちょっと、永瀬さん!」


 中橋が奏多の服の袖を引いた。奏多ははっとして口を閉じた。

 石田教授は明らかに不服そうな、固い表情でこちらを見ている。

 




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