第8話 大学知財担当の仕事
「えっ、営業もやるんですか?」
奏多は思わず声を上げた。
組織体制や業務内容について研修を受けていたときだ。
てっきりチームリーダーの真方から説明があるのかと思いきや、室長の河内から直々に講義されるという。いかにも関西人な河内に対して、少々苦手意識のある奏多は、緊張して研修に向かった。
「特許は出願しただけでは何も生み出さん。使う人がいてはじめて、意味があるのは、企業出身の自分ならわかるやろ?」
河内はどかっと椅子に腰かけて、癖のある関西弁で奏多に問いかけた。
彼は、サンレンのビジョンから始まり、知財チームの目指す目標について、強い言葉で語った。曰く、サンレンは「大学の研究成果の社会実装を支援」するのが大目的だという。そして、その根幹をなすのが、特許をはじめとした知的財産の戦略的管理と活用だ、と。
「それはもちろん、その通りですが……」
企業では当然、製品化のために特許を出願する。
製品に直接使う特許もあれば、他社の参入を防ぐための防衛的な特許もあるが、いずれにせよ、事業のために特許を取得していくのは、常識中の常識だ。
「うちら大学は、自分たちでビジネスをするわけにはいかん。だから、研究成果の社会実装を目指す上で、知財を企業にライセンスして技術移転をし、対価を得つつ事業化を目指すのが、まず最初に考える方策や」
「なるほど……」
河内の説明を聞きながら、奏多は眉をひそめた。言っていることはわかる気もするが、まだうまく飲み込めていない。
特許権というのは、ざっくりいうと、新しい技術を独占的に使用できる権利のことだ。特許技術を他社が勝手に使うと、「特許侵害」ということになる。
例えば、大学の特許を使用したい場合には、「実施許諾」つまりはライセンス受けることで、初めて商業的に使えるようになる。
「だけどな、待っていても、『ライセンスさせてください』なんて企業はそうそう現れん」
「ですが、本当に有望な技術なら、企業から声をかけてくることもあるのでは?」
奏多の前職の研究所でも、自社技術ではどうしても課題をクリアできないときに、大学に協力を打診することはあった。
奏多の疑問に、河内はくいっと眉を持ち上げた。
「ごくまれにな。だが、多くの技術は放っておけば、その存在すら知られずに終わる。だから、俺らのような知財コーディネーターが、積極的に売りに出さんといかんのや」
「つまり、営業をかけると」
「そうや。まあ、とりえずは百社あたって、一社見つかればいいとこやな」
河内はホワイトボードに「100」と大きく書いた。
「俺が現場をやっとったときは、企業の代表電話に、片っ端から電話をかけていったんもんや」
「百社!? しかも直接電話? それは本当に営業じゃないですか……大学で、そこまでやるんですか?」
奏多が目をむいて訊ねると、河内はにやりと口元に笑みを浮かべた。
「まあ、やらんとこが多いやろな。だけどうちは違う。この二年ほど改革を進めてきて、自前でライセンス活動をするようにしたんや」
「……私はてっきり、研究者の特許出願の支援が主な業務かと思っていました」
特許を出したいという研究者がいたらそのサポートをし、もし企業から問い合わせがあれば、研究者につなぐ。それが、奏多が想像していた「大学の知財担当者」の仕事だった。
それならば、企業で特許出願の経験のある自分にも、十分できそうだと鷹をくくっていたところ、技術を売り込む「営業」までさせられるという。
研究職としてやってきて、コミュニケーションにはあまり自信のない奏多は、「営業」が最も自分に向かない仕事だと思っていたので、思わず「詐欺だ」と叫びたくなった。
奏多が青い顔をしていたからだろう、河内が励ますように、奏多の背中をバシバシと叩いた。
「ここにいるメンツのうち何人かは、永瀬と同じ、研究出身や。慣れもあるし、まずは頑張ってみいや」
「は、はい。わかりました……」
研修が終わり、奏多は重い足取りで会議室を後にした。
「聞いてないよ……」
今日聞いた限りでも、業務内容は多岐にわたる。本当に自分にこなせるのか、猛烈な不安がこみあげてきた。
*
とはいえ、いきなり担当案件を持たされるわけではなく、しばらくはOJT期間で、先輩の業務に同行すればよいと真方に言われて、奏多はひとまず、胸をなでおろした。
「みのりちゃん、よろしくね。OJT第一弾」
真方が気安い口調で名を呼んで、奏多のことを中橋みのりに託した。
お堅いイメージの真方だが、仲良くなると意外とお茶目らしいことに、傍から観察していて気づく。
「中橋さん、今日はよろしくお願いします」
「はい、私もまだ入職して一年くらいなので、永瀬さんの勉強になるかはわかりませんが」
隣の席の中橋みのりは、ふわりとした笑顔で言った。「みのり」という名前が似合う、物腰のやわらかな女性だ。
研究者とアポをとっているというので、サンレンの建物を出て、中橋について農学部の建物に向かう。
今はもう九月だが、まだ残暑が厳しく、朝から真夏のような空だった。学生たちは夏休み期間ということで、キャンパスに人はまばらで、じりじりとした日差しばかりが目にまぶしかった。
「今日も暑いですねえ」
中橋がおっとりした口調でつぶやきながら、空を見上げている。
暑さから逃げるように農学部の建物に入って、ふたりは一息ついた。
廊下を歩きながら、中橋が今日の業務内容の説明をしてくれる。
「今日は、研究者の先生から新しく発明届が提出されたので、研究内容のヒアリングですね。聞き取った内容を元に、特許出願をするかどうか、検討するんです」
「発明ヒアリング、というやつですね」
「そうです、そうです」
特許になるかもしれない新しい技術を「発明」といい、研究者から発明が創出されたという届け出を受けると、こうして知財の担当者が話を聞きにいくシステムだ。
奏多も一応、発明届とその研究者の最新の論文には目を通して、研究内容の予習をしておいた。
「発明届と論文を見たんですが、セルロース由来の新しい材料開発をされていて、おもしろい研究ですね」
まったくの分野外の研究だから、知らないことが多く、「なるほど、そうなのか」とおおいに知的好奇心が刺激された。企業の研究所では、ごく狭い範囲の研究テーマしかなかったから、新鮮で楽しい。
「論文まで? すごいですね」
中橋が目を丸くしている。
「元々、色んな研究論文を読むのが好きで」
奏多は控えめにそう答えた。
前職では「勉強ばかりしている」と批判的に見られていたのが、ここではむしろ常に勉強が必要らしい。
「いろんな研究のことを知るのが好きだったら、このお仕事、向いているかもしれませんね」
中橋にそう言われて、奏多は「そうでしょうか」と照れを隠して淡々と答えた。
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