第7話 転職の決意

 産学連携室の面接を受けた翌週には、採用の内定の連絡が来て、その早さに奏多は驚いた。


「まさか、もう内定が出るとは……」


 正直に言うと、心の準備はまったくできていなかった。

 小さい会社やアルバイトならまだしも、国立大学であるP大学だ。相応の時間がかかると踏んでいたので、よほど人が足りないのだろうかと逆に勘繰ってしまった。


「産学連携、なあ……」


 本当に自分はそこで働きたいのだろうか。

 前の仕事を半ば逃げるように辞めたこともあって、次の仕事では失敗したくない、という気持ちも強かった。

 前職の経験は活きそうだし、悪くない方向転換だとは思うが……それが自分に合った仕事なのかと考えたとき、実のところ正確な業務内容を知らないことに気づく。こんなことなら、面接のときにもっと質問をしておけばよかったと後悔したが、後の祭りだった。


 研究に未練はないのか、という河内の問いかけが再び頭をよぎる。

 それと同時に、企業の研究所で過ごした苦しい数年間を思い出す。自分なりに努力して、人一倍勉強もして、それなのに平凡な成果しか出せず、周囲からは「勉強ばかりしている奴」とさえ見られていた。

 与えられた仕事をおもしろいと思えず、といって企業の方針に沿ったやりたい研究を提案する力も足りなかった。


「どうせ俺に才能はなかったんだ。」


 諦めどきだという気持ちがある一方で、研究を辞めると思うと、悔しさと寂しさが湧き上がってきて、胸の奥がぐっと詰まる。

 研究で社会の役に立ちたいという昔からの夢は、遠いところにあった。

 

 それならば、と奏多は思った。

 せめて、最新の研究の傍らで、研究の支援をする仕事ならば、その思いが報われる可能性もあるのかもしれない。


「これも何かの縁だろう」


 数日間悩んで、奏多は回答を返した。


「返信が遅くなり申し訳ありません。内定を頂けるとのこと、ありがとうございます。ぜひお願いいたします」


 とにかく前に進むしかない。そう思うと肚がくくれてきた。

 そうすると、少しずつワクワクする気持ちも湧き上がってくる。


「どうにかなるさ。もう一度、頑張ろう」


 奏多は己れを鼓舞して、これからすべきことを考え始めた。


 採用の正式な手続きには、さすがにしばらく時間がかかるということで、勤務開始日は九月頭からとなった。


「転職先が決まったよ」


 両親に報告すると、地元では名の知れた大学ということで、「よかったね」と喜ばれた。

 奏多はすぐに、紹介者である悠馬にも感謝を伝えた。


「悠馬、おかげさまで、サンレンに採用されたよ」

「ほんと? よかったね。いつから?」

「九月からだな。仕事でも絡みがあるかもな」

「そうやね、お世話になるかもしれんね。またうちのラボにも遊びに来てよ」

「ああ、ぜひ」


 実家から大学までは、通うにはやや遠いのと、ひとり暮らしの方が気楽なのもあって、奏多は慌ただしく部屋探しと引っ越しを進めた。

 新しい住まいは、いくつか内見をして、大学まで自転車で通える距離のアパートにした。駅からも近いし、何より、部屋の窓から明るい海が望めて、それが決め手だった。


 八月の終わりにバタバタと引っ越しを終えて、段ボールの積み上がった新居で、奏多はベランダの手すりにもたれて海を眺めた。

 松林に覆われた海岸と、その向こうにはこんもりと緑の山をいただいた島が見える。


「人生、再出発だな」


 潮の香りがする風を感じながら、奏多はひとりつぶやいて、口元に笑みを浮かべた。

 

 *


「永瀬奏多といいます。前職は、化学メーカーで研究職をやっていました。不慣れなことも多く、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」


 新しい職場で、奏多は人々の前に立って手短に挨拶をした。


 産学連携室はいくつかの部署にわかれており、奏多が所属することになった「知財チーム」のメンバーは、事務やテクニカルスタッフを含めて、全部で二十人ほどらしい。組織全体では六十人近くが所属しているというから、思ったよりも大所帯で、そのことにまず驚く。


 チームリーダーであり、面接でも同席していた真方まがたが、チームのメンバーに紹介してくれた。彼女は面接のときの印象通りしっかりとしていて、室長である河内からの信頼も厚いらしい。

 すっと背筋が伸びていて、元々の身長の高さとヒールのあるパンプスも相まって、一七〇センチある奏多と目線がほとんど変わらない。ショートヘアが似合う、きつめの美人だ。


「永瀬くんと同じ業務を担当するメンバーは、永瀬くんを含めて六人ね」

 

 デスクがいくつか集まった島に、まとまって座っていたメンバーひとりひとりと挨拶する。奏多を含めて、ちょうど男三人、女三人となるらしい。それが、知財コーディネーターと呼ばれる職種の人たちだった。


「席は、その空いているところ、中橋さんの隣で」

「あ、中橋みのりです。どうぞよろしくお願いします」


 奏多に与えられたデスクの隣で、ふんわりとした雰囲気の女性がにこりと会釈した。長い黒髪はゆるく巻かれていて、色白でやさしげな顔立ちだ。

 隣が穏やかそうな人だということに、奏多はほっとした。


 まずはデスクに座って支給されたパソコンのセッティングをしていると、聞き覚えのある大きな声が背後から聞こえた。


「おう、永瀬。その節はどうも。どないや?」


 振り返ると、室長である河内がにやっと笑って片手を上げた。

 奏多は大急ぎで立ち上がって、着任の挨拶をする。


「面接ではありがとうございました。これから、どうぞよろしくお願いいたします」

「期待してるで。まずは先輩方のかばん持ちで、勉強することやな」

「は、はい。わかりました」


 何が面白いのか、河内は「はっはっは」と笑って奏多の肩を叩き、大股に立ち去っていった。


「やっぱり、癖の強そうな人だな……」


 なんだか不安がぬぐえないまま、初日はそんな感じで、挨拶と学内で使用するシステムの説明やセッティングで終わった。

 



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