第一章 「サンレン」の仕事
第3話 再就職に向けて
トンネルを抜けると、明るい光が窓から差し込んできて、うつむいていた奏多は顔をあげた。
電車の窓の外に、夏の日本海が日差しに照らされ、まぶしく広がっていた。海の向こうには青々とした山をいただく島が見えている。
「懐かしいな……」
この風景を、学生時代には毎日眺めていたものだ。まさか、数年後にまたここに戻って来るとは考えてもいなかったが。
奏多はふっと口元に皮肉な笑みを浮かべた。
*
企業の研究者として働いていた奏多は、四年目の春にして、ある朝ベッドから起き上がれなくなった。
心が病んで急に会社に行けなくなる話を、知り合いの話やネット記事などで聞いたことがあったが、まさか自分がそうなるとは思ってもいなかった。
そのときは、翌日にはなんとか復活して出社したものの、それをきっかけに、自分が思ったよりもストレスを抱えていることに気づいた。
「我慢して、やりたくもない研究をやって……俺は何をしてるんだろうな」
研究者として、社会や環境に役立つ技術を開発することに憧れていたが、このままではずるずると辛い時間を過ごすことになる、と思った。
就職して無駄だったとは思わない。色々と学びはあったし、事業開発や特許出願に関する経験も積めた。ただ、思うような成果が出せなかったのは、結局のところ、自分は研究者に向いていなかったということか。
たぶん、今まで心の内では気づきながら、見て見ぬふりをしていたのだ。
だから、代わりに身体がそれを教えてくれた。
「……辞めよう」
ずっとひとりで考えて、考えて、その結論に至ったのが五月。
決めると行動は早く、六月末で退職したいことを上司や同僚に相談した。
「研究命のお前が、一体どうしたんだよ。……もしかして、いい転職先が見つかったのか」
同僚が驚いたように訊ねた。
こういうとき、適当にごまかすのが苦手な奏多は、正直に答えた。
「転職先は決まっていない。ただ、このままじゃいけないと思って」
「バカだな。せめて次くらい見つけてから辞めればいいのに」
「そうだな。その通りだと思う」
それでも、このままでは自分の心が危ないと感じて、次の仕事の目途も立っていなかったが、辞めることだけ決めてしまったのだ。
同僚や上司にはずいぶんと慰留されたが、奏多は考えを変えなかった。
幸い、ほとんど遊ぶこともなく仕事に打ち込んできたおかげで、多少の貯金はあった。まずは実家でゆっくり静養しながら、転職活動をすればいいと思った。
退職してすぐ、会社近くに借りていたアパートを引き払って、地元に帰った。辞める相談もせずに、いきなり「来週帰る」と親に連絡すると、何かを察したのか、両親はとやかく言うこともなく、ひとり息子が帰ってくることを歓迎した。
奏多はしばらくは何もせずに、自室にこもって本を読んだり、昔の友達と飲みに行ったりして過ごした。
これまで、ストレスを抱えながらも必死に頑張ってきた反動だろうか。転職情報サイトに登録はしたものの、仕事探しには身が入らず、どの求人を見ても、エントリーしたいと思えず、時間ばかりが過ぎていった。
*
「奏多、久しぶりやね」
「悠馬も、相変わらずで」
ある週末、大学院時代の同期である
カリカリに焼けた鳥皮を肴に、積もった話で盛り上がる。
「無事に学位をとったんだってな。おめでとう。これからは『岸先生』か」
悠馬は博士課程に進学して、先の三月に無事、学位をとったらしい。奏多が茶化してそう言うと、悠馬は「やめてよ」と大きく手を振った。
「学位なんか、足の裏についた米粒や。僕はまだポスドクやけん、先生でもなんでもないよ」
アカデミアの研究者は茨の道だよ、と悠馬は明るく笑う。こいつは学生時代から、おっとりとして楽観的なキャラだった。
「奏多は企業の研究職で安泰やったろ? なんで辞めたと?」
「色々あったんだよ」
「こっちで仕事探すんか?」
「そのつもりだ。まだ何も決めていないけれど……大学でポストは空いてないよな」
「それは、研究職のってこと?」
悠馬が真面目な顔になって、聞き返してくる。奏多は言葉に詰まって、ごまかすようにビールを飲み干した。
「いや、わかってるよ。ドクターにも行ってないのに、難しいって」
次の仕事を考えるとき、改めてアカデミアの研究者を目指す、という方向も頭をよぎる。ただ、学位がないと難しいこともわかっていた。といって、今から博士課程に入りなおすかと聞かれると、そこまでの覚悟はなかった。
すると、悠馬が予想外の言葉を口にした。
「うちの大学で、人を探しよるところ、あるよ」
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