第14話 一日だけ、心霊旅館で働きませんか⑤

 依子の背中も、ゾワゾワと総毛立つような感覚がした。目の前にいる、ぼってりとした悪霊の集合体が後退り、ドタバタと音を立てながら、一目散に廊下を逃げて行く。


「んふふ、依子さんに触れようとするなんて笑止! にゃひゃっひゃ、活きの良い魔物は大好物でございます」


 背後から、百鬼が依子を飛び越えて、彼女の前に降り立つと、さらに襖を両手でスパーンと勢いよく開け、そのまま廊下に飛び出す。彼女は呆気に取られ、布団の上で百鬼が出て行く様子を、ポカンと見つめた。

 依子には、いつもの百鬼の姿で見えている。しかし、祠に宿っていた悪霊の集合体にしてみれば、大きく口が裂けた、真っ黒な毛の生えた四つん這いの生物が、何十本というサメのような歯を見せつけ、真っ赤な舌を垂らし、顔面におどろおどろしい呪符を何十枚も貼って、体を揺らしながら走ってくるのだから、恐怖でしかない。


「な、百鬼!」


 ようやく、我に返った依子は慌てて立ち上がると、百鬼の姿を追う。呪物の主として、また除霊を頼まれた手前、彼の悪霊退治を見届けなければならないという、責任感がある。

 まるで猫がネズミを追い掛けるように、百鬼は着物の裾を靡かせ、全力疾走で悪霊の集合体を追い掛けた。

 角を曲がった先で壁を蹴り、反対側の襖の上を走り抜けると、ビュンと風を切って、勢いよく中庭へ飛び出し、それを追い掛けた。


「いただきまーーす!」


 絶叫しながら庭の中を逃げ惑うそれを、追い掛け回す百鬼は、拝むように両手を重ね合わせる。次の瞬間、頭が大きくなり、口を開いて悪霊の集合体を丸呑みした。

 断末魔を上げ、百鬼の口から出ようとした悪霊達を、彼は容赦なく噛み砕くと、ゴクリと飲み込む。


「ゲップ!」

「はぁ、はぁ……な、百鬼。走るのが早すぎるわ」


 百鬼は、ゲップをすると満面の笑みを浮かべて、依子を振り返った。その嬉しそうな表情からしても、祠に巣食う魔物と化した、悪霊の集合体は彼の食欲を満たす、最高の料理だったようだ。


「はぁ……依子さん。大変美味しゅうございました。湯河原ならではの、歴史を感じさせる上品なお味と、トッピングとなっている、現代的な悪霊が新鮮でして。非常に濃厚でまろやかで、うーんこれは美味びみですね!」

「そ、そうなのね……って、きゃあ!」


 依子にしてみれば、見るからに食欲を無くしそうなおぞましい化け物だったが、百鬼からすると、歴史ある湯河原温泉で頂く、伝統的な高級料理を、現代風にアレンジした最高の一品料理だったようだ。

 百鬼は、縁側で事の結末を見守っていた依子の両手を取ると、急に中庭まで連れ出し、社交ダンスをするように踊り始める。


「ちょ、ちょっと……! 何してるの、百鬼。私は踊れないわよ。というか、深夜二時なんだから、宿泊しているお客さんや、旅館の人に迷惑でしょ!」  


 霊感のない人にとっては、彼の足音も声も聞こえないだろうが、巻き込まれて踊らされている依子にとっては、そうもいかない。


「依子さん、大変美味しい物を頂きますと、心が嬉しくて躍りますでしょう? さらにこの旅館から、あの魔物は居なくなりましたから、私達は人助けをしました。ついでにお月様はとっても綺麗です。踊らないわけにはいきません!」


 百鬼は、終始意味不明な理由を述べると、庭先で依子をくるくると回しながら、陽気に踊った。


「いい加減にしなさい!」 


 その後、百鬼は部屋に戻り、依子にお説教をされてしまうのだった。


 ❖❖❖


「昨日、無事にお祓いが終わりました。もうほおのやで、誰かが行方不明になる事はないと思います」


 依子がそう言うと、掬川家一同の顔が明るくなった。結局、行方不明になってしまった人々がどうなったのか分からないが、祠に巣食っていた、魔物と化した悪霊の集合体に、取り込まれてしまったんだろう。

 生きている人間の存在さえ、取り込む魔物が、この世にいる事に背筋がゾッとしたが、それを食べてしまう百鬼の存在にも、ゾッとする。


「美座さん、本当にありがとうございます。昨夜ゆうべ、実は目が覚めて美座さんの様子が気になり、お部屋に向かったのですよ」


 女将さんの言葉に、依子は驚く。

 娘の里子は霊感が強いが、母親である女将も、なにかしら霊感らしい物をを、生まれつき持っているんだろうか。


「庭で、お祓いの儀式をされている所をお見かけしたんです。本当に神憑かみがかり的で、美しい舞いでしたわ。いつでもまたほおのやにお越し下さいまし」

「あ、はは……そうですか。今度はぜひ、家族で泊まらせて頂きたいです」


 まさか、庭で百鬼と踊っている姿を、女将に見られているとは思わなかった。やはり女将には、百鬼の存在は見えておらず、真夜中に依子が一人で悪霊祓いの舞いをしていたと思われているようだ。

 除霊という名目がなければ、十分に不審者と思われても仕方がない。


「依子さーん! お土産買って帰りましょう。きび餅、温泉饅頭まんじゅう、湯河原温泉きーほるだぁ、なるものもありますよ」


 旅館内に設置された、お土産販売コーナーで、百鬼は物珍しそうに販売されている物を眺めていた。その様子を、依子はチラリと確認すると言う。


「私、お土産を買ったら新幹線の時間もありますので、帰りますね」

「そうね。本当に助かったわ、美座さん。あたしの権限で、お土産は割引き価格で売ってあげるわ。じゃあ、また大学でよろしく!」


 調子の良い里子は、ジャンパーに手を突っ込んだまま、ニッと笑うと依子に別れの挨拶をする。


「あたしは、明日の朝帰るからさ」

「分かったわ。掬川さん。また大学で会ったらよろしくね」

 

 里子とは同じ学部ではないし、授業で会う事はないだろうが、意外にも彼女は洋楽を好んで聞き、それも依子が好きなロックバンドのファンだという事で、大いに喜んだ。

 大学で、共通の趣味を持つ友人が出来たのだ。

 この一件で、お互いの連絡先も交換したので、今度一緒にコンサートへ行こうという約束までした。


「また、何か困り事が起こったら、霊感文学少女の美座さんに相談するわね」

「え、うん……あはは。それは勘弁願います」

「またまたー、謙遜しちゃってさぁ。ここは、おまかせあれでしょ」


 完全に依子の事を、化け物使いの霊媒師として、里子は認識しているようだ。依子は嫌な予感がして苦笑する。

 なんだかこれから先、本物の霊能者として、里子に頼られそうな気がした。

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