第13話 一日だけ、心霊旅館で働きませんか④

「ああ、そう言えばそうだわ」


 女将は思い出したように手を叩く。

 確か、何ヶ月か前にこの付近で、集中豪雨のために、土砂災害が起こったというニュースを見た記憶がある。この旅館が映ったかどうかは覚えていないが、旧館の近くで被害があったのは間違いないようだ。


「ニュースで見た記憶があります」

「土砂崩れがあったのは、私の祖父が買った裏山なんですよ。あの時は大変でした。旅館やお客様に、被害が出なかったのは幸いでしたけれど」

「お母さん、ちょうど土砂が直撃した所に慰霊碑だったか祠だったか、そういうのあったよね。それが原因なんじゃないの?」


 祖父が山を購入したはいいものの、どうやらそこに、祠のような物がある事を、前の持ち主から事前に聞かされていなかったようだ。

 そうなると、祠や社などの扱いが面倒な事になる。

 一族が代々、その祠を管理していくのか、どこかに祠を移転させるのか、人によっては魂抜きもせずに、祠を壊して破棄し、山を開発していく罰当たりな者もいるようだ。


「昔からあったみたいだけど、ご近所の方々に聞いても、あの祠についてご存知の方がいらっしゃらなくて。かなり古かったし、朽ちていたからもうお参りしてる人は、いないんじゃないかしら。何を祀って建てたのかも、分からないんですもの」

「お祖父さんの代から、祠のお世話はしていないという事ですか?」

「ええ。毎日簡単にお参り出来るような場所になかったので。里子だって最近知った位でしょう?」


 里子は頷く。

 廃神社や廃棄された祠には、依子ちゃんは近付かない方が良いと、従姉妹から聞いた事がある。土地の管理人はいても、お世話されなくなった神社や祠はもぬけの殻で、神様はいらっしゃらない。

 そういう所は、悪霊の巣窟そうくつとなっているから、霊感が強い人が行くと憑かれたり、お参りすると、逆に災いが起こったりすると言っていた。


「その事を、神主さんやお坊さんに相談したんですか? 重要な情報だと思うのですが」

「言われてみればそうよね。だけど、土砂崩れが起こってから、行政が入った時に瓦礫やら全部、撤去されちゃったのよ」


 壊れた祠は土砂に飲み込まれてしまい、当然撤去された。

 何を祀っていたのかも分からない祠を、どこに頼んで再び建立すれば良いのか、何を鎮めれば良いのか、結論が出ないまま掬川家は今日こんにちにいたってしまった。

 神主やお寺の住職が、うちではどうも出来ない、他に当たってくれと言われてしまった事を思うと、祠が壊れた事で『ナニカ』が、外に出て来てしまったんだろう。


「なんとなく原因は分かりました」

「さすが、美座さん。パパッとお祓いしちゃってよ」


 里子の顔がパァッと明るくなる。

 百鬼が側にいる事で依子なら、簡単に除霊する事が出来る物だと、信じ込んでいるようだった。依子が引き攣った笑顔を浮かべると、手首の数珠からにゅっと百鬼の手が出て来て、ピースをする。


「お話しは分かりました。まかせて下さい依子さん! どうやら、行方不明になる人間は、昼間ばかりとお見受けしました。お天道様が出ている間は、雰囲気だけ出して現れない珍味のようですので、晩御飯に致しましょう! さぁ、依子さんは温泉を楽しんで下さいませ」

 

 しゅるんと、再び数珠から出てきた百鬼は、首を横にガクッガクッと左右に揺らして、嬉しそうにケタケタと笑う。


「ひっ」


 里子が青褪めて小さく悲鳴をあげると、依子が咳払いをして言う。


「お話しをお伺いする限り、それは夜に現れるようなので、深夜に除霊をします」

「そ、そうね。お客さんに不審がられても困るしっ、そ、それじゃあ美座さん、後は頼んだわよ!」


 そう言うと、里子は慌てて立ち上がりさっさと部屋から出て行った。


 ❖❖❖


 依子は、海鮮とお肉の豪華な懐石料理に舌鼓みを打ち、貸切風呂まで用意して貰って、いたれり尽くせりの温泉旅館を満喫していた。

 化け物さえ出なければ、ここに家族を連れて行ってあげた方が、親孝行になったかもしれないほどの高待遇だ。

 こんな事を言うと、百鬼は嫌がるだろうが、従姉妹と女二人旅でも良かったなと思いながら、貸して貰った資料をまじまじと読みふける。


「昔からここは傷の湯として有名なのね。農民、武士だけじゃなく、日清日露戦争の兵士も湯治とうじに来てたんだ……ふぁあ」

「そのようですね、その昔は源頼朝が敗走して、山中を……おやおや、依子さん。もう眠くなってきましたか?」

「起きとかなくちゃ……いけないんだけど、眠い……」


 布団の上で寝転びながら、依子は強烈な眠気に襲われ、すぅすぅと寝息を立て眠ってしまった。そんな依子の姿を見ると、百鬼もまた眠気を誘われ欠伸をして、数珠に戻ってしまう。


 

 ――――依子。ねぇ、依子起きて。



「んん……お母さん……?」


 依子は自分の名前を呼ぶ声に目を覚まし、寝ぼけてそう答えた。


 ――――そうよ。依子、ここを開けて欲しいの。入れてくれない?


 時計の針は夜中の二時をさしていた。

 段々と依子の頭が冴えてきて、ここは湯河原の旅館で、母親は一緒に来ていない事を思い出すと、ゾッとした。


 ――――美座さん、ここを開けてくれよ。久しぶりに君と話したいんだ。入れてくれ。


 依子が黙っていると、今度は中学生の時に好きだった、上級生の先輩が襖越しに話し掛けてきた。依子は体を起こすと、言葉を発さずにじっと襖を見つめる。


 ――――どうしたの、依子ってば。もう、意地悪しないで、開けてよね。依子をここまで追い掛けて来たんだから、遊びましょ。依子が言ってくれないと入れないのよ。


 今度は幼馴染の和美の声がして、ゴクリと唾を飲み込むと、覚悟を決めて震える声で言った。


「分かったわ。開けるから、入って」


 依子がそう言うとピタリと自分を呼ぶ声が消え、くすくすと笑い声がして襖がすっと開いた。黒い煙が部屋に入り込むと、依子の体が金縛りに合ったかのように固くなり、闇の中から、老若男女の顔がついた、悪霊の集合体のようなぼってりとした化け物が、にゅっと姿を現した。

 

「っ……!」


 ニヤニヤと笑みを浮かべるそれが、のっしりと部屋に入り、布団の上で声も出せずに震える依子に近付いて、触れようとした瞬間、彼女の背後から聞いた事のない、低い声がした。


「――――喰うてやろうか」


 その瞬間の化け物達の、この世の終わりのような引き攣る顔は、一生忘れられないだろう。


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