第12話 一日だけ、心霊旅館で働きませんか③

「もしかして、百鬼。貴方温泉に入る気なの?」

「ええ、ええ。せっかく来たのですから、千三百年の歴史ある湯河原温泉に入らないわけにはいきません。ほら、人間も、いい湯だな〜〜アハハン、ビバノンノンってやっておりますでしょう?」

 

 百鬼は、依子と生活を共にするようになって、完全にテレビっ子になってしまっている。実態のない百鬼が、頭にタオルを乗せ、鼻歌混じりに、温泉を満喫している様子を思い浮かべると、依子は笑いそうになってしまった。


(でも、湯気でお札がふにゃふにゃになるんじゃない?)


 そんな事を考えていると、一台の車が駅前に駐車して、里子が降りて来るのが見えた。彼女は一足先に実家の方へと帰っていて、依子の事を両親に説明していたようだ。

 続いて、温泉案内人の法被はっぴを着た中年の男性が、運転席から降りて来る。その容姿からして、里子の父親だろうと、一発で分かるほど、瓜二つだった。

 依子を見ると、店主は笑顔でお辞儀をする。


「いやぁ、お待たせしてすみません、美座様。ようこそ『天然温泉 ほうのや』にお出で下さいました。なんでも、お祖母様が霊験あらたかな、恐山で修行を積んだ、高名なイタコだとお伺いしておりまして。美座様も、そのお祖母様の血を、受け継いでいらっしゃるとか!」

「え、ええ?」


 確かに、母方の祖母は神社の巫女さんだったが、恐山で修行を積んだ事もなければ、イタコだった事もない。どうやら盛大に、話を盛られてしまっているらしい。

 里子に視線をやると、しらじらしく目を逸らして、知らんぷりをしている。


「私どもの旅館の事は、里子から聞かれていると思いますが、頼りにしております。報酬は弾みますので、どうかよろしくお願いしますよ」


 藁をもすがる気持ちで、娘の言葉を信じきっている父親は、依子を拝むように両手を合わせた。これは、なにがなんでも、絶対にお祓いを成功させなければならないという、重圧プレッシャーに感じられ、依子は顔を引き攣らせた。


「は、はぁ。あの、私は書物を見せていただければそれで」

「苦しゅうない! 依子さん、まずは女将に聞き込みですよ。どんな珍味なのか、下調べは必要でございますからね」


 唐突に声を裏返させた百鬼は、我先に車の後部座席へと吸い込まれていく。依子は大きな溜息をつくと、百鬼に続いて送迎車に乗り込んだ。

 湯河原駅から、一時間ほど車に乗って走ると、ようやく『天然温泉 ほうのや』の老舗旅館が見えてきた。ほうのやは、二百五十年の歴史を持つ旅館で、旧館と本館がある。

 車から降りた依子と百鬼は、旅館の正面玄関を見上げた。


「…………」


 依子には、旅館全体が陰鬱とした黒い影に、すっぽりと覆われているように見えた。

 外から、悪霊や魑魅魍魎の存在が、はっきりと視えるわけではないが、霊感が多少なりともある人なら、なんとなくここは嫌な感じがする、と口にしそうな雰囲気である。


「なるほど〜〜、この旅館は美味しそうな禍々しい気配に、満ち溢れていますねぇ。んふふ。依子さん、獲物が私に怯えて出て来なくなっては困りますので、しばし数珠にお暇させて頂きます。あ、温泉に入ろうかなぁ」

 

 百鬼は、しばらく額に手をかざすと、高級料理店に来たかのように、嬉しそうにして旅館の様子を伺っていたが、やがて掃除機に吸われるように、しゅるんと、数珠の中へと引っ込んでいった。


「美座さん、どうかした?」

「なんでもないわ。それよりも掬川さん、私の紹介に、おかしな生い立ちを付け加えないでくれる?」

「ごめんごめん。一応タダで泊まらせるからには、それなりの理由がいんのよ」

「はぁ……まぁ、いいわ。ところで掬川さん、女将さんに聞きたい事があるんだけど、お忙しいかしら」

「そうねぇ、お客さんのお出迎えが終わったら、夕食まで休憩時間が少しあるから、大丈夫よ。ねぇ、やっぱりさ。なんか変な感じがしない? あんたにも分かるでしょ」


 百鬼が引っ込んで少し安堵したのか、隣に来た里子が、依子の荷物を持つついでに、耳打ちする。依子が遠慮がちに頷くと、二人して女将と中居達がずらりと並び、歓迎の挨拶をする玄関を通り抜けた。


 ❖❖❖


「里子のお友達に、現役で拝み屋のお仕事をされている方がいらっしゃるだなんて、本当に、驚きましたわ。私も主人も、霊なんてこれっぽっちも信じてないんですけどねぇ。こんな事が立て続けに起こってしまうと、縁起も悪いし、信じるしかないでしょう? お商売にも影響しますもの」


 女将に宿泊予定の部屋に通されると、お茶を用意して貰いながら話を続けた。なぜか里子まで、旅館の仕事を手伝うわけでもなく、暇を持て余して居座っている。

 

(はぁ……。霊能力者じゃないって言ったら、凄く面倒な事になりそう。仕方ないわね)

 

 依子は諦めると、自分は霊能者だと思い込んで、女優になる事にした。まずは、百鬼のアドバイス通りに、女将に聞き込みをする。


「女将さん、私がこの旅館の前に立った時、旧館から新館にかけて、凄く嫌な気配を感じました。掬川さんのお話しだと、子供の頃はそんな事はなかったと聞いたんですが、男女二人組のお客さんが失踪する前に、なにかありましたか?」


 従姉妹とは違い、お祓いや霊を退けるおまじないなんて、全く知らない依子は無難な質問をぶつけてみた。百鬼が対処するにしても、少しは霊能者らしい事をしておいた方がよいだろう。


「私どもには全く分からないんですけど、里子も、お祓いを依頼した神主さんやお坊さんまで、美座さんと同じように、嫌な気配がすると仰るのよ。だけどうちは、それまでいつもと変わらず、通常営業してたから、原因なんてねぇ」


 思いつかないわ、と溜息をつく。

 女将の話によると、初めに失踪した二人組が宿泊する以前、または宿泊期間中に、なにか変わった事があったかと言えば、そんな事もなく、普段通りだったという。

 切り口を変えて、百鬼と同じく骨董品店で曰く付きの呪物を買ったかと尋ねてみれば、それもない。


「うーん。私が視たところ、女将さんに何か憑いてるわけじゃなさそうです。嫌な気配はするけど、魍魎はいないし」


 黒い煙のような嫌な気配は、魍魎の塊かと思ったが、旅館に入っても、部屋の隅にいる様子もない。どこの家や施設にも、一匹や二匹は子鬼が走っていたり、通りすがりの浮遊霊がいるのだが、ここは綺麗なものだ。


「あ! そう言えばお母さん。旧館の裏で軽い土砂崩れが起こったって、言ってたじゃんか」

 

 

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