第11話 一日だけ、心霊旅館で働きませんか②
「どういう事なの?」
突然、初対面の彼女に、実家の旅館に来て欲しいと頼まれた依子は、目を丸くして問い質した。百鬼が、さきほど生霊を食べてしまった事と、里子の頼みとは、何か関連があるのだろうか。
「おっとぉ! これは何やら事件の香りがしますねぇ。依子さんがお好きな、エドガワランポーの探偵小説のようではありませんか」
百鬼が、自分の顎に手を当てキリッと真剣なまなざしをし、目を光らせると、里子が怯えたように震えた。
それもそのはず、彼女にとって百鬼は、恐ろしい化け物に見えているのだ。彼の挙動一つで、小動物のように怯えてしまうのも無理はない。
里子はビクビクしながら、本題に入っていく。
「あたしの実家で、おかしな物が出るようになってしまったのよ。幽霊なのか、化け物なのか分かんないけどさ。そいつを、美座さんに祓って貰いたいわけ」
「近くのお寺さんや、神社に行ってお祓いをして貰わなかったの? テレビでも良く出てる、霊能力者なんて人もいるでしょう? 老舗の旅館ならお祓いに来てくれそうなのに」
里子の言いたい事は分かったが、素人の依子からしても、悪霊祓いはその道の、プロに頼んだ方が良いのではないかと思う。
確かに、高額な依頼料を請求するインチキ霊能者もいるだろう。
しかし、依子に学術的な呪術の知識はあっても、良く効くお祓いの作法なんて分からない。それこそ、従姉妹の得意分野だろう。
「それがね、お世話になってる坊さんも、近くの神主もお手上げなのよ。私には祓えませんって言っちゃってさ。神主の師匠ってやつも、連れて来たんだけど、私には、無理ですって匙を投げられちゃったの。信じらんない」
「それは、なんだか厄介そうね」
彼女の話によると、初めに異変を感じたのは、住み込みの中居だった。業務が終わり、部屋で寝ていると、障子越しに自分を呼ぶ声がする。
最初はお客様かと思ったが、どうにもその声は抑揚がなく、ここにいるはずのない自分の母親の声に、良く似ていた。恐ろしくなって無視をしていると、今度は夫の声で自分の名前を呼ばれたと言う。
あの人は亡くなったはず、と思って声を潜めていると、今度は従兄、友達、旅館の女将の声で次々と自分の名前が呼ばれ、扉を開けるように催促された。
「それは気味が悪いわね。それで、その中居さんは一体どうしたの?」
「その人は、恐怖のあまり気を失ったらしいわ。それで、そのまま旅館を辞めてしまったのよ。だけど、話はここからが本番」
一ヶ月後、旅館に宿泊した男女が、行方不明になった。チェックアウトもせず、料金を支払わないまま、旅館からいなくなり、警察ざたになってしまった。
目撃者もおらず、捜査は彼らの住んでいた東京にまで及んだが、自宅にも実家にも帰っていない。会社も無断欠勤していて、今も二人は行方不明のままらしい。
「ふーむ。差し出がましいようですが依子さん。それっていわゆる、不倫旅行の末の心中だったんじゃありませんか。この世で結ばれないなら二人で命を絶とうっていう」
百鬼は、空中で胡座を掻くとブツブツと、推理を始めた。昨日『温泉旅行〜みちのく殺人事件〜』という、二時間のサスペンスドラマを、二人で見ていたせいだろうか。
「百鬼、昨日見たテレビドラマに影響されていないかしら? あれも温泉に行く話だったわよね。結局、親に反対されていた二人は心中出来ずに、転々と温泉地を巡り、不倫連続殺人事件を解決して、探偵事務所を開くって話だったけど」
依子は呆れたように言った。
だが、現実的に考えて心霊よりも、遭難や事件、心中の可能性を考えた方が現実的だろう。依子の言葉に、里子は察したように首を振る。
「いい大人ですもの。その二人だけなら、あたしだって疑問に思わなかったわ。だけど子供連れのお客様で、一緒に寝ていた子供が、夜中に行方不明になったのよ。ううん、それだけじゃないわ、とにかく男女問わず行方不明になる人が出てきたの。老舗の旅館なのに、おかしな噂が立ち始めて困ってんのよ」
そう言えば、三ヶ月前くらいに湯河原温泉で、小学生の男の子が宿泊先の旅館から、行方不明になったと、ニュースでやっていたのを思い出した。その現場は、老舗の旅館だったような気がするが、それが里子の実家なのだろうか。
「掬川さん、貴方はお客さんが行方不明になったのは、その旅館にいる幽霊が原因だと思っているのね?」
「うん。幽霊だかなんだか分からないけどね。あたしね、両親が心配で実家に帰った時、廊下で引き摺るような気味の悪い音を聞いたの。怖くて襖を開けられなかったけど……、絶対あそこには、何か悪い物がいる」
その音は、とても不気味で人間が出している音とは違う、と里子は思ったようだ。依子としては、霊能者でもないし、初対面の彼女の願いを聞く理由もないのだが、かなり困っている様子だった。
「もちろん、タダでとは言わないわ。旅費もこっちが出すし、宿泊代もなしよ。あたしの家は老舗の旅館だから、民俗資料なんかも残っているし、美座さんにとって、悪い話じゃないと思うけど」
「依子さん! 依子さん! 温泉旅行に行きましょう。婚前旅行でございますよっ。それに、旅館の珍味もとても気になりますしねぇ。ええ」
呪符の下を覗く事が出来たら、おそらく百鬼はきらきらと目を輝かせていただろう。婚前旅行というのは置いておいて、旅館の珍味というのは里子のいう、怪異を食したいという事か。
(それが本当なら怖いけど、彼女の気のせいかも知れないし。それなら)
旅費も宿泊代も浮いて、温泉に入りながら、民俗資料まで見せて貰えるというのなら、かなりおいしい誘いだ。
それになんと言っても、文豪達が愛した湯河原となると、個人的にもぜひ行ってみたい場所である。
同性の里子の誘いとなれば、両親も外泊を許してくれるだろう。
「掬川さん、私も素人だから結果はどうなるか分からないけれど、それでもいいならやってみるわ。えっと、私の後ろにいる人もノリノリみたいよ」
「いいわ。藁をもすがる気持ちだもん、ともかくやってみて欲しいの」
依子がそう言うと、百鬼は嬉しそうにビュンビュンと彼女の周りを飛び回り、怯えた里子の悲鳴が上がった。
❖❖❖
神奈川県、南西部にある湯河原町は有名な温泉街だ。依子は初めて来たが、東京から近く、昔から文豪や画家などに愛され、ここで数々の作品が生まれた。
夏目漱石の長編小説『明暗』も湯河原温泉で執筆されていたと聞くと、依子は胸が躍った。
「はぁ、良いわねぇ。熱海は家族旅行で行った事があるんだけど、湯河原温泉は初めてだわ」
ボストンバッグを持った依子が温泉街を降り立つと、百鬼と同じタイミングで背伸びをした。
「いや〜〜、夢の温泉街! はぁ、依子さんと二人旅だなんて、なんて素晴らしいのでしょう。硫黄の香りに、珍しい魑魅魍魎。悪霊を食しつつ美肌になれそうです」
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