第9話 愚行

 この世で最も愚かで気持ちのいい行為。それは、「布団ダイブ」である。この愚かしい行為は、特に出先の宿泊場所において発生する確率が高い。さらに言えば、ベッドが配置されているタイプのホテルにおいて、10代後半〜20代前半の青少年によって引き起こされる。旅行先にて、旅先での疲れとハイテンションが重なる瞬間、布団という安らぎと、楽しみによって発生した興奮の発露として行われるのである。しかし、布団ないしマットレスの柔らかさによって得られる快感の他にも、ベッドフレームの硬さ、マットレス内部のバネによる衝撃など、身体及び家具にかかる負担も大きい。そのため、多くの場合「悪手」「マナー違反」として捉えられるのだ。

 カサネという人間は、圧倒的に「布団ダイブをやってしまうタイプの人間」であった。城南大学へのサンプル提供までの期間と予備日を含めた5日間、この屋敷での宿泊場所を兼ねて、出張事務所があてがわれた。

「本当は皆さん、本来の事務所から出勤されたいでしょうけど……依頼が依頼ですので、当屋敷で宿泊いただきたいの」

と、契約書を交わすときにクワガタが言った。何度も往復していれば、いくら注意をしていても、行く場所の把握をされてしまうリスクがある。それを排除するための宿泊である。

 マリが寝泊まりする部屋に案内し、ドアを開けた瞬間。

 カサネは助走をつけて、ベッドに飛び込んだ。

「あたしここー!!」

「修学旅行じゃないのよ。仕事なんだから、はしゃがないの」

 トーコが呆れた表情で見つめると、カサネはえー、と言いながら、綺麗に整えられたベッドをぐしゃぐしゃにしていった。

「ぼっちゃまは別の部屋がありますので」

「当たり前だろ、女子のところに入るわけにはいかん」

「言わなかったのに。セクハラですか」

 ジローは眉を顰め、マリを睨んだ。しかしそれは、怒りなどではない、ツッコミの顔であった。

「あら怖い。わたくし、何か言いすぎましたかしら」

 マリが無表情ながら答えていると、ふと、カサネがふたりへ目線を送っていることに気づいた。カサネはニコニコと笑顔である。

「いかがされましたか、小鳥さま」

「いや、ふたりを見てるとさ、ずーっとの付き合いなんだなって」

「ええ。ぼっちゃまが8歳の頃からここにおりますから、15年以上の付き合いとなりますか。約7年ほど空白の期間はありますが」

「余計なこと聞くな。マリ姉さんも答えなくていい」

 ジローがそう答えると、マリも黙ってお辞儀をし、部屋から出ていった。ジローもマリに付いていくように部屋を出た。

「ちょっと、本当に別部屋なの?」

と、カサネがジローに声をかける。

「俺の部屋がある」

 ジローはドアの端から顔を出して答えた。

 

「……あるんだよな?」

「もちろん残しておりますよ。ぼっちゃまが飛び出してから、そのままにしてあります」

 長い廊下をジローと横並びで歩きながら、淡々と答えるマリ。少々毒があるように聞こえなくもない言い方に、

「一人息子が死んだ、みたいな扱いだな」

 ジローは嫌味ったらしく言った。しかしマリにはその言葉がすり抜けていくようだった。

「実際、そうではありませんか。本当なら、イチロウ様とともに霧島を導いていくはずだった男が、反旗を翻した、となれば」

 ジローは黙った。確かに、マリの言うことも一理ある。家業を継ぐはずの男が行方をくらませたようなものである。世に言う、「勘当」状態である。けしからん、縁を切ってしまえ、貴様など死んだようなものだ、という感じである。もっとも、ジローが自主的に出ていったので、彼による絶縁と言う方が正しいのだが。

「……ゲンイチ兄さんがいるだろう。カリスマ性はダントツじゃないか」

「正直、旦那様も奥様も、ゲンイチ様のことをあまりよく思っておりません。件の7年前もございますし。何より、わたくしはあのカスが嫌いです。当主になられるくらいなら腹を掻っ捌いて死にます」

「その気持ちはよくわかるよ」

 無表情に変わりはないが、少しだけ、ほんの少しだけ語気の強まったマリを見て、ジローはふん、と鼻を鳴らした。


 ジローは7年前自室だった部屋の扉を開けた。本当に「そのまま」にしてあるらしく、机の棚には高校の教科書や問題集が綺麗に並べられている。そして机の上にはハードカバーの書籍。ガイア・パーツの研究に関する本だった。

「イキってこんな本読んでたな……理解したつもりでも、何も分かってなかった」

「イキるのが思春期のお仕事ですから」

「一言余計だ」

 ジローは久々の自分の部屋をしばらく眺めていた。懐かしい。確かに懐かしいが。

 何か違和感がある。表面では気づくことのできない、水面下での異変。ジローは部屋の収納という収納を開き始めた。しかしそこには何の変哲もない、服、本、その他のものが出てくるだけである。

「何かお探しですか。知られたくないような本は見ませんでしたが」

 ジローはぎろり、とマリを睨んだ。図星だからではない。

「どこにやった」

「何をですか」

「どこに隠した!?」

 ジローはマリに掴み掛かった。襟元を掴み、ぐい、と自分の体へ引き寄せる。アリの仮面の奥に、マリの目が透けて見える。何もかも達観したような、何も考えていないような、何も見ていないような、生きる気力がないような目。対してジローの目は血走っている。

「先ほども申し上げました。『困ったことがあれば、林の小屋へ』と。『お父様』の伝言です」

 ジローは深いため息をつき、すまん、と小声で言いながら、マリを解放した。

「お布団は、新しいものに取り替えましたので、今日はゆっくりとお休みくださいませ。ぼっちゃまも混乱されておいででしょう」

 お辞儀をして、ジローの部屋から立ち去ろうとするマリだったが、ふとその足を止めた。ジローを見つめると、アリの仮面を額にずらし、その顔をあらわにした。大きくくりっとしたツリ目に、太い眉頭。丸くて子供のような顔である。

「一言、姉として忠告させてくださいませ。武器は頼るものではなく、使うものです」

 ジローはマリの睨みつけもしない「無」の目線に圧倒された。

「武器は自身の力を引き出すものであって、持つだけで力を得るものではありません。お間違えなきよう」

 マリは仮面を付け直し、部屋の外へと出ていった。バタン、とドアが閉まると、薄暗い部屋がさらに暗くなった。

 ジローは、声が混じるほどの大きなため息をつくと、そのままベッドへと飛び込んだ。そして顔を枕に埋め、

「分かってる、それくらい」

と押し殺すように言った。


 一方女子部屋といえば。完全に女子会モードになっていた。カサネはポッキーやらカントリーマアムやら、甘味をカバンからドサドサ取り出した。トーコも最初は呆れた表情であったが、つい菓子に手がのび、与太話に花を咲かせていた。

「別にあたしジローが相部屋でも気にしないのに」

「ジローくんが気にするんでしょうが。男の子って意外と気にするのよ?そういうこと」

「……トーコは相部屋の方が嬉しかったんじゃないの」

 カサネの不意な言葉にトーコは口に含んでいた菓子を吹き出し、そのまま大きくむせた。トーコは自分のカバンからペットボトルの水を取り出し、静かに飲む。ふう、と一息した瞬間、トーコはカサネに掴み掛かった。

「何を言ってるのかわからないんですケド、カサネさん?」

 トーコは、怒ったような笑っているような、よくわからない表情で、カサネを睨んだ。

「だってトーコ、ジローのこと好きでしょ」

「何を根拠に!?」

 カサネは朗らかな笑みをトーコに向けた。

「見てりゃわかるよー。トーコ、ジローに話す時ちょっと口笑ってるし、近づく時デレデレしてるし」

 トーコは顔を真紅に染めた。

「してない!!」

「いいよいいよ、別に認めなくて。社内恋愛もあたしは気にしないし」

 カサネの言葉に、トーコは少し落ち着き、掴んでいたカサネの方を離した。ごめん、と小さな声で呟きながら、カサネを見ると。

「いやあ、別にいいんだけどね? 進展を逐一報告してくれると嬉しいなああああって。へへへへ」

 カサネは変に低くした声と、ニヤニヤした顔を晒していた。トーコは見たことのない、親友の変態オヤジっぷりに絶句した。

「ともだち辞めようかな……」

「応援してるんだよっ」

 カサネは先ほどの冗談の顔ではなく、優しく微笑んだ様子で、トーコを見つめた。

「トーコも、ジローみたいに頑なだった時あったじゃん。それから考えたら本当に明るくなったなあって……だから、素直に嬉しいんだよ」

 トーコは、カサネの微笑みや朗らかな笑みの意味を知っていた。確かに冗談めいた時は、ニヤニヤした表情をするが、微笑み、朗らかな笑みは、他者の幸せを喜んでいる時である。

「……ありがとね」

「こっちのセリフ。トーコが幸せなのが、オールオッケーの第一歩だからね」


「「かっゆ!!!」」


あまりに痒いやり取りに、二人は笑いながら言った。

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