第8話 依頼②
応接間のテーブルに、大きな平面図が置かれている。それを覗き込んでいる、カサネとトーコ。
「これって……」
「当屋敷の平面図です。皆様にお願いしたいのは、『この部屋』の警護なんです」
「「警護!?」」
カサネとトーコは目を丸くして、クワガタの女に顔を近づける。予想だにしていなかった仕事内容である。大抵「なんでも屋」がやるような仕事依頼しか来ないにも関わらず、いきなりハイレベルな仕事内容である。
「依頼先、お間違いじゃないでしょうか?私たち、『ギフテッドとニュートの架け橋になる』をテーマに」
と、トーコがクワガタに表情を固くして反論しようとした。しかし、クワガタはそれを遮り、
「あなた方の過去を少々調べさせていただいたの。そうしたら……『赤い薬』の事件の拡大を防いだ、と。適任じゃありませんこと?」
カサネとトーコは生唾を呑んだ。この女がなぜ自分たちに仕事を依頼したのか、直感したからである。
イチロウが起こした「赤い薬」の事件は、イチロウの死をもって終わりを迎えた。しかし、この事件はイチロウの死のみが世間に公表され、「赤い薬」のブローカーとして動いていたこと、「赤い薬」の薬害などは一切の報道がなかった。あったとしても、世間では週刊誌のでまかせ・オカルトコーナーとして、捉えられていた。言うまでもなく、カサネ・トーコ・ジローの3人は報道されることもなかった。
「この件は口外無用だ……言う気も起きんだろうが」
ジローは、イチロウの死を目の当たりにしたあと、カサネとトーコにこう言った。二人が頷いたのを見て、ジローは赤い砂—イチロウの遺体になるはずだったもの—に手を触れないよう忠告し、その場を去った。カサネとトーコは、ジローの忠告通りにした。後味の悪い気分を押し殺しながら、その場に残った赤い砂に振り返ることなく。
そのことは、誰も知らない筈であった。しかし、この女は事件の核心を知っている。誰が考えても、カサネたちのような木端の立場の人間を、調べようとする人間はいない。
「……イチロウさんの仇ってわけ、なんですか」
カサネの口から不意に、言葉が漏れた。トーコが慌ててカサネの肩を強く叩く。トーコはカサネを睨みつけようとしたが、その行為が通じないこと見てとれた。
カサネの表情はいつになく険しいものであった。
「あら、誰のことかしら。私はあなた方の腕を買っただけですわ」
くすくす、と笑うクワガタに、力が入りながらも何も言い返せず、カサネはソファへと座った。
ドアが3回ノックされる。3人はドアの方へ振り返った。クワガタの女が、入室を許可すると、アリのメイドがカートを押しながら入ってきた。カートの上には、豪華なアフタヌーンティー・セット。
「お話中、失礼いたします。お茶の時間でございます」
「ありがとう。お二人もお召し上がりになって?」
カサネとトーコは互いの目を見た。お互いに、クワガタに対して不信感を抱いている様子である。トーコが断ろうと声を出そうとしたその時、
「怯えなくてもいいのよ。何も入ってないですから……そうね、ジローの分も用意したのだけれど、それもどうぞ?」
と遮られた。
トーコはカサネを見た。カサネは「もう降参だよ」と言わんばかりの表情で、恐る恐るアフタヌーンティー・セットに手を伸ばしていた。脅迫だ、と思いながらトーコもティーセットに手を伸ばし、マナー通り、サンドイッチから口に運んだ。
「「美味し〜い」」
先ほどまでの恐れや疑いが吹き飛ぶほどの味に、おもわずカサネとトーコの声がハモった。クワガタは、その様子を見て微笑んだ。含みなどない、純粋な微笑であった。
一方その頃、ジローはトライカーゴの天井で寝そべっていた。鍵はカサネが持っているため開けることができなかった。しかし、憂鬱な気分を紛らわすために、仮眠が取りたい。林の湿った地面で寝る気にはなれない。マシな場所として、自動車の天井を選んだのである。
「硬え痛え冷てえ……」
「文句垂れるくらいならば、屋敷でアフタヌーンティーはいかがですか、ぼっちゃま」
その声に起き上がり、車の下を見下ろすと、そこにはアリのメイドが立っていた。
「さぞ気分がよろしいことでしょうね、人を見下ろすというのは」
「思うか。そんなこと」
ジローは顔を顰めながら、トライカーゴの天井から降りた。
「『お父様』にはお会いにならないのですか」
「なあ……敬語はやめてくれよ。同じ『黒野』だろ?」
「やはりぼっちゃまはカスですね。脳みその代わりにスポンジが詰まっているのでしょうか。身の程をわきまえてはいかがですか」
「敬語を使うのになんなんだその悪意は」
アリのメイドはこほん、と咳払いをし、何もなかったかのような表情でジローを見つめ直す。
「絶好の機会ではありませんか。手を下さないのですか」
「……あの女はよく分からん。いつ会っても戦う気を無くす」
「奥様は平和主義者ですから」
「自分の手を汚さんだけだ」
ジローは、トライカーゴの天井から飛び降り、そのまま林の中へ歩き始めた。すると、何も言わずにアリのメイドもついてくる。
「ひとりにさせてくれ……と言ってもついてくるんだろうが」
「ぼっちゃまをお守りするのが、わたくしの使命でございますので。しかし弁えはございます。仰せのままに」
アリのメイドは、その場から瞬時にいなくなったかのように見えた。ジローは、メイドが常人では成し得ない高度のジャンプをし、木々を伝って屋敷の方へ去っていくのを見た。
「……マリ姉さん、すまない」
ジローは、アリのメイド—黒野マリを見つめた。その視線には郷愁と、憧れと、7年前の苦しみが混ざっていた。
その頃、カサネとトーコはクワガタの依頼を承諾し、契約書に捺印を済ませていた。200円印紙の貼られた、正副の契約書が、クワガタとカサネたちの手元にそれぞれ置かれている。カサネは、アフタヌーンティー・セットを食べた時の明るい表情から一点、急激に青ざめた顔を晒していた。
「ちょっと大丈夫?」
と、トーコは見かねてカサネに小声で話しかけた。
「な、なんか契約書の額面見たあたりから胃が……胃がキリキリしてきて」
カサネは、脂汗を垂らし猫背になっている。クワガタが申し訳なさそうな顔をして、
「あら、傷んでいたのかしら……マリったら」
と誰もいないドアの方を睨んだ。しかし、カサネはクワガタの言葉を聞いて、すっくと姿勢を正し、額についた脂汗を振り払った。
「大丈夫です!金額に緊張しただけですので!」
「あ……あら、そうなのね」
契約書には『50万円(税別)』と報酬額が記載されていた。貧乏大学生にはあまりに大金であった。
鳩尾を摩りながら、長すぎる廊下を歩いている、カサネ。トーコ、ジローがその後ろについている。その先頭の案内は、再びマリが行なっていた。そして、最後尾にはクワガタの女。依頼する場所への案内と、実際に何をするべきなのかの確認をする、という実地確認である。
「こちらになります」
と、マリが足を止め、全員へ振り返った。先ほどの応接間よろしく、大きな木製のドアが2枚並んでいる。しかし、応接間のドアと異なるのは、巨大な関貫が2本刺さっており、それぞれを繋ぐように鎖が巻かれ、大きな錠前で止められている、というところである。
「……これはまた、原始的なセキュリティですね。こういうのって電子制御とかそういうので管理しないんですか?」
「システムを信用しすぎるのも危険ですのよ。電子制御も確かに高度なセキュリティたり得ます。しかし、万が一システムをハッキングされたりすれば……リスクを考えれば、アナログを用いるのが一番安全ですわ」
「それが誰かに知られなきゃ、な」
クワガタの饒舌な説明に、ジローが横槍を入れた。ジローは白けた顔でクワガタを見ていた。攻撃の意思が見えるその表情を見て、クワガタはふふ、と笑みをこぼした。ジローが言ったことには答えなかった。
紫色の布で包まれた鍵を、ドアにかけられた錠前に差し込む、マリ。その様子は滑稽であった。錠前の鍵穴を見ず、そして鍵の形を察しないよう、布で包まれたまま鍵の先端を出し、静かに鍵を開けた。
「アホくさいな、全く」
「安全のためよ」
と、ジローとクワガタが少し棘のある口調のやり取りをしている間に、マリがドアを開けた。
そこには、巨大な金庫があった。壁全面を覆う銀色の土台に、円盤型の扉とそれを開けるための円盤型のハンドルがついている。まさに、銀行の報道映像で金塊が入っているソレであった。
「社外秘のため、現物をお見せすることはできませんが、ここには50キログラムほどの『ガイア・パーツ』を保存しておりますの」
「……ガイア・パーツってなんですか」
ガイア・パーツとは、希少鉱石の一種である。宝石のように光り輝くその石には、ギフテッド因子を刺激する微弱な放射線物質を放出する性質がある。
ここで、先天性身体能力過剰症—つまりギフテッドの特徴について、簡単にまとめる。人体には「ギフテッド因子」と呼ばれる遺伝的物質が内包されており、生後数ヶ月の検診において、今後成長する過程でギフテッドとなるか否かの「傾向」が判断される。しかしこれはあくまで傾向であり、発症と断定されることはない。幼少時に能力が発現する人もいれば、思春期、特に高校生の時に発現する人、そして終生超能力が発現しない人など、さまざまである。つまり、すべての人類はギフテッドとなる可能性を秘めているのだ。
そして、そのギフテッド因子に作用する物質である、ガイア・パーツ。ガイア・パーツの放出する物質を浴びた場合、ギフテッドになる傾向の強い人間であればあるほど、ギフテッドへと変化しやすくなる。さらに、すでにギフテッドとして超能力を得ている場合。
「反転(リフレクト)」が起きる。
「とまあ、説明が長くなりましたが、とにかくこの部屋を守っていただきたいの」
「あの、ガイア・パーツは分かったんだけど、『リフレクト』って?」
カサネは聞きたがりだった。クワガタの説明でわからない部分を、さらに聞こうとしたが、クワガタは黙って微笑み、右手の人差し指を自らの唇におき、しいっ、と音を立てた。カサネは不意にぞくっと身震いをした。全身の毛穴が広がるような感覚と共に、口を閉じた。ジローが口を開こうとしたが、同じように、目線を送られただけで、ジローも黙り込んでしまった。
「……警備するからには、誰かが盗みに来るって予告でもあったんですか」
至極当然な疑問を、トーコはクワガタに投げかけた。
「いいえ。でも、4日後ね、城南大学にサンプルを提供することになっていて……そこを狙われるとも限らないもの」
「なおさら警備会社の方がいいんじゃ……」
「狙うのが『ひと』とは限らないわ」
クワガタの言葉に、トーコは目を見開くとともに眉間に皺を寄せた。クワガタの言葉には恣意的な操作があった。「ひと」。まるで何かを分類するような、そのような意図が感じられる響き。
「いえ、ギフテッドの皆さんのことを言っているのではありませんわ」
と、クワガタはトーコの雰囲気にすぐさまフォローを入れた。
「この近くでは、どうやらクマが出るみたいで……山の中でもないのにね。そういうのもお願いしたいわ」
「食べるんですか。クマが。ガイア・パーツを」
トーコは険しい表情のまま、クワガタに言ったが、クワガタは微笑んだまま。
「可能性はありますわ。現にガイア・パーツの産出地では野生動物が反応を起こした、という事例もあります……いえ、そういうことではないわね。私の言葉遣いが不適切でしたわね。申し訳ありません」
クワガタは深く、お辞儀をした。妙なお辞儀に、トーコはヒいた。
ジローは、クワガタの言葉––「ひと」に、別の意味を感じ取っていた。カサネに言わなかった「リフレクト」したギフテッドのことである。
ジローは、この場所についた時に、すでに足がすくんでいた。7年前のトラウマが、フラッシュバックしていたのだ。
「アンナ……」
ジローは声を押し殺し、口の中で呟いた。
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