第7話 依頼①
本当の金持ちの家は「高さがある」ではなく、「横に広い」という話がある。広大な土地を所有することができる財力を思えば、当然と言えば当然である。人類がマンションを作っていったのは「水平方向の空間がないから」である。空間がないから垂直方向に空間を作る。発想の転換であり、人類の進歩性を表していると言えるが、逆に言えば、空間を「持つことができない者」の発想であるとも言える。だからこそ、土地は人間にとって大きな意味を持つことになったといえよう。
カサネ、トーコ、ジローの3人は屋敷の長すぎる廊下を、アリの仮面のメイドの先導で歩いていた。カサネとトーコは横並びでいたが、チラチラと、後ろを歩くジローに目線を送っていた。
「ジローって、イチロウさんと『兄弟』って呼び合うほど仲良いだけだと思ってた」
「そりゃこんな所で育ったなら、あのよく分かんないお金の出所も納得。でも……」
トーコが言葉を止め、口に手を当てた。カサネはそれを見て、トーコも自分と同じことを考えているのだろう、と直感した。
あの昆虫の仮面。そしてイチロウとの関係から察するに。
自分たちがこの活動をできているのは、ジローを育んだ「霧島」の知識と金脈があるからなのではないか、と。
「G3フォース」は、霧島から見れば木っ端も同然である。だが、カサネたちからすれば、一度イチロウが起こした「赤い薬」の事件に関わった以上、明確に敵対する相手である。その相手から技術や金銭的協力を得ていたとなると、自分たちは「霧島」の手の中で転がされていたのだ、と突きつけられた。
歯が立たぬ相手に、一生懸命吠え続ける、小型犬のような存在であると。だが。
「やれることをやるだけだよ」
カサネは小さく、しかし力強く呟いた。
大きな2枚のドアがある部屋。メイドはそこにつくや否や、ドアを3回ノックし、
「奥様。『G3フォース』の皆様をお連れしました。ジローおぼっちゃまもおいでです」
と、ドア越しに部屋の中へ声が響くよう言った。
「どうぞ」
と、気品に溢れた、美しい女性の声が聞こえる。カサネとトーコはマダムだ、マダムだとテンションが上がっているが、ジローはその声で眉間に皺を寄せていた。
メイドがドアを開けると、そこに声の主が座っていた。応接用のソファであるが、背筋はピン、としている。バレリーナのように細く整った体型。フリルのついたブラウスにジャケットを羽織っており、いかにも「仕事のできる女性」という様子である。
カサネは、自分やトーコ、ジローの服装を見た。いかにG3フォースの制服であるとはいえ、メンバーカラーを基調にしたジャンパーに、動きやすくポケットの沢山ついた余裕のあるズボン。
「スーツで来た方が良かったかしらん……?」
「仕事着がこれだからこれでいいのよ」
気品に溢れた声の女性はソファから立ち上がり、メイドに微笑んで、
「皆様のご案内、ご苦労様。下がっていいわよ」
と言った。メイドはそれに応えるように、そそくさとその場からいなくなった。メイドがこの空間にいること自体、場違いであるということを周囲に示すような速度であった。
「この度は、一方的な依頼をお受けくださり、誠にありがとうございます。そして、依頼時の非礼、お許しください」
女は深々と頭を下げた。
「いやいやいや、こちらこそ、ご依頼ありがとうございます。私たちみたいな個人事業主にお声がけ下さいまして」
カサネとトーコ、すかさずジャンパーの胸ポケットから名刺入れを取り出し、女に名刺を手渡す。
「G3フォース代表、小鳥カサネです」
「スタッフの葛城と申します」
ジローは、その様子を一歩引いた場所から見つめていた。すると、カサネがジローに目線で会話をし始めた。親しき仲にも礼儀ありでしょ、名刺なくても挨拶ぐらいしなよ、という目線であった。
ジローは、G3フォースの名刺を持っていない。これは、カサネがいよいよ個人事業主として活動を始めようとしている時期に、ジローが自身で言ったことである。
「なんでなのさ。名無しの権兵衛で通すわけ?」
「みなまで言わんと分からんのか」
「ジローくんは、打倒『霧島』でやってきた人でしょ?そんな人が自分の正体明かすようなもの持っててどうすんの」
「それが原因で、君たちを危険に晒したくない」
しかし、その元凶に足を踏み入れ直す、ということはジローも考えきれていなかった。ジローは自分の用意不足を呪った。しかし、予測不能の事態に対応することもまた重要であると、わかっていた。
「名刺を渡さんでもわかるだろ、あんたなら」
「まあ、酷い。昔みたいに『母さん』とは呼んでくれないのね」
「うわーーーッ!!!!!!」
突然、カサネが叫ぶ。そしてそのまま尻餅をついた瞬間、後ろへ一回転、後転した。トーコとジローが怪訝な顔でカサネを見つめる。カサネは黙って女に向かって指をさす。トーコはさすがに眉間に皺を寄せ、カサネに向かって声を荒げようとした。そして、一瞬、カサネの指差す方に視線をやった。
トーコは、感じるべき、いや「感じなくてはならなかった」違和感に今更気がついた。女の顔は、人間の顔ではなかった。先ほどまでいたメイドと同じく、昆虫の仮面をつけていた。彼女のものはクワガタムシである。なぜ気づくことができなかったのか、それすら分からないほど、自然にその仮面が、その女の素顔であるかのようである。トーコは身じろぎして、ジローの方を見たが、ジローは何事もないかのように立っていた。
「あくまで仕事で来た。不意打ちはしない……だが、この二人に手を挙げてみろ。『7年前』を覚悟しろ」
ジローは捨て台詞と共に、応接間から出ていった。
「まあ、あの子も隅におけないわね」
と、クワガタの女は微笑んだ。そしてすっ転んであられも無い体勢になっているカサネに、
「小鳥さん、驚かせて申し訳ありませんわ。我が家の事情で、この仮面を外すことはできませんの。よろしいかしら」
「ヒャい、らいようぶれひゅよ」
カサネは、完全に間抜けな舌足らずで答えた。
「では、早速ですけれども、詳しいお話をさせていただきますわね。さあ、お掛けになって」
ジローは、トライカーゴでひと眠りしようと、先ほど通った廊下を逆戻りしていた。やはり、いくら堪えたとしても、因縁の場所は気分の悪いものである。何度も深いため息をつきながら歩いていると、豪華なアフタヌーンティー・セットがカートに乗せられ、先ほどのメイドによって運ばれている。ジローに気がつくと、メイドははた、と足を止めた。
「もうお帰りですか」
と、目線を合わせないまま、ジローに声をかける。
「気分が悪いから社用車で寝てくるだけだ」
「アンナさまにはお会いになりましたか」
「……会ったよ。この家の外で」
「左様ですか」
メイドは、そのままカートを押して応接間へ向かおうとする。しかし、ジローの横を通り過ぎようとした時、ジローに聞こえるように言った。
「何かあれば林の小屋へ。『お父様』からの伝言です」
ジローは目を見開き、通り過ぎていったメイドに振り返った。小柄な体格で、つけている仮面の通り、働き蟻のような様である。
ジローの表情が、フッと緩んだ。
「あ、クルマのカギ……」
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